ダンデのバチュル。 悪意と共に投げつけられた言葉に、ソニアは怒りを覚えるよりも先に感心したものである。今やガラル全土の注目を集めるジムチャレンジャーと行動を共にしている彼女の状況は、まさにワンパチの尻に付いたむしポケモンのようであった。 ダンデには、アラベスクジムのリーダーを長年にわたって務めてきたポプラが認めるほどのバトルセンスと、人を引きつける力がある。ソニアのバトルを地味でつまらないとこき下ろした観客が、ダンデのバトルに熱狂し、大声で彼の名を呼ぶ姿を、彼女は幾度となく目にしてきた。 ジムミッションをこなし、名だたるトレーナーとのバトルに勝つだけで精一杯のソニアに、エンターテイメント性や心ない野次にまで気を回す余裕はない。ワイルドエリアの嵐のように、身を屈めてやり過ごすだけだ。 だが、自分の身に危害が及べば、話は違う。後ろから体当たりを受け、ソニアは石畳に膝をついた。 「バチュル女の眼鏡! これが本当の虫眼鏡!」 耳障りな笑い声を上げながら、少年が仲間たちにソニアから奪い取った眼鏡を見せびらかしている。無駄とは思いながらも、ソニアは声をかけた。 「返して。それは大事な物なの」 「だったら自分で取り返してみろよ」 予想通りの展開に、ソニアは小さくため息をついた。手にしたジムバッジに比例するように、彼女にポケモンバトルを挑んでくる輩が増えてきている。 とくに多いのは、彼女と同世代の人間だ。ダンデの側にいることが気に入らないと、面と向かって言われたこともある。 「バトルの前に確認させてね」 ナックルシティの西側に設置されたバトルコートで、ソニアは周りに聞こえるように、あえて声を張り上げた。 「バトルは1対1。わたしが勝ったら、眼鏡を返してもらう。あなたが勝ったら、眼鏡はあきらめる」 「賞金も忘れるなよ!」 「勝ったらバトルカフェに行こうぜ!」 ソニアの眼鏡を奪った少年は、いわゆるガキ大将なのだろう。取り巻きの二人に比べるとひと回りは体格が良く、自信に満ちた、しかし品のない顔つきをしている。ソニアの故郷には、存在しないタイプだった。 都会の街には、ソニアが育った町にはないもので溢れているが、それらは決して良いものばかりではなかった。マグノリア博士の孫。ダンデの幼馴染。単なる情報の羅列が、見えない刃となってソニアを切りつける。 「怖がらずに、顔を上げなさい。そして、人を見るのです」 マグノリアの助言を思い出す。ジムチャレンジの旅が楽しいだけではないことを、そして思いがけない場所から攻撃を受ける可能性があることを、厳しくも優しい祖母は予想していたのかもしれない。 「本の向こう側には、それを綴った人の思いと考えが、そして人生があることを教えましたね。それはポケモンバトルにも言えることです」 大きく息を吐いてから、ソニアはバトルコートを見回した。対戦相手は年齢の近い少年。側には取り巻きが二人。バトルの気配に、通行人が一人、また一人と近づいてきた。 だが、見物人の数はスタジアムとは比べものにならない。テレビカメラが入り、ガラル地方だけではなく外国にまで中継されるジムバトルよりも、町の小さなコートで繰り広げられる野良試合の方が、おそらくソニアには向いているのだろう。 「燃やしてやれ、トロッゴン!」 「デンチュラ。お願い」 バチュル女がデンチュラを出してきた。対戦相手と取り巻きが大声で笑う。ジムチャレンジャーのくせに、ポケモンの相性も知らないのか。野次に反応したのか、デンチュラの複眼が動いた。 曇り空の下、ソニアは改めて対戦相手に向き直る。ポケモンバトルの理由はトレーナーによって異なるが、おそらく目の前のガキ大将にとって、ポケモンバトルはソニアを傷つけ、侮辱するための手段に過ぎないのだろう。改めて、自分の強さを取り巻きに見せつけたいのかもしれない。 そんな相手に遅れを取るほど、ソニアの仲間は弱くはなかった。余計な情報をシャットアウトして、試合に集中するかのように、キャップのツバを下げる。 「デンチュラ、あまごい」 いわタイプとほのおタイプを合わせ持つトロッゴンが、むしタイプに有利なのは間違いない。だが、素早いのはデンチュラの方だ。 暗くなった空から、雨粒が落ちてくる。白い煙を上げながら、トロッゴンがニトロチャージを仕掛けてきた。 「効いてないぞ、なんでだよ!?」 重量を活かした攻撃を、ソニアのデンチュラは受け止めてみせた。だが、オッカの実がダメージを軽減してくれたとはいえ、デンチュラも無傷ではすまない。 手早く決着をつけて、ポケモンセンターに向かう。思うようにダメージが与えられずにうろたえる対戦相手よりも早く、ソニアは指示を出した。 「デンチュラ、かみなり!」 ほのおタイプといわタイプは、むしタイプに強いが、でんきタイプには有利も不利もない。そんな相手を前にした時に問われるのは、ポケモンの強さとトレーナーの力量だ。稲妻はソニアの瞳を照らし、狙い違わずコートに落ちた。 「デンチュラ、あと少しだからがんばって! もう一度かみなり!」 軽く脚を上げ、デンチュラはソニアの指示に従った。まひした体を再び雷で打たれたトロッゴンが、コートに倒れ伏す。 「勝者デンチュラ。天気を利用した、いい戦いを見せてもらったよ、お嬢さん」 仕立ての良いスーツに身を包んだ男性が、厳かに勝敗を告げた。見物客が誰ともなく拍手を始め、ソニアはバトルの興奮から引き戻される。 「皆さんの服、濡らしちゃってごめんなさい!」 「君が気にすることはない。試合の見物料だと思えば安いものだよ」 紳士の言葉に、少しばかり心が軽くなった気がする。ソニアはモンスターボールにデンチュラを戻し、コートにへたりこむ対戦相手を正面から見下ろした。 「約束通り、眼鏡を返してもらうわ」 奪い返した眼鏡を上にかざし、ソニアは顔をしかめた。レンズに指紋が付いている。トロッゴンと同じ目に遭わされるとでも思ったのか、取り巻きたちが引きつった悲鳴を上げた。 「賞金は……?」 「いらない。お金のために戦ったわけじゃないもの」 見物客をかき分け、ポケモンセンターに向かって走り出そうとしたソニアの足を止めるものがあった。通りの反対側にある宝物庫から、なぜか幼馴染が出てきたのである。 「いい戦いだったな、ソニア! オレもリザードンと参加したかったぞ!」 「……ダンデくん、見てたの? って、何でそこから出てきたの?」 ダンデの返事を聞くまでもなく、答えは分かりきっている。いつものように迷ったのだろう。7個のバッジを集めたジムチャレンジャーか、許可を得た人間しか立ち入れない宝物庫に彼が迷いこめる理由はソニアには分からないし、ジムチャレンジを始めてからは、あえて考えないようにしている。 「ジムトレーナーに出会って、出口まで案内してもらおうと思ったら、ちょうどソニアが戦ってるのが見えた。それで、試合が終わるまで上の通路から見物させてもらったんだ」 「そうなんだ。……良かったね」 明日にでも宝物庫に礼を言いに行くべきだろうか。ダンデくんがお世話になりました。だが、家族でもないのにソニアが口を出すのもおかしな話だ。バトル並みの疲労感が、細い肩にのしかかる。 「おかげで特等席で君のバトルが見られた。タイプの相性も、あんな形でひっくり返せるんだな」 「……あれは、ラッキーだっただけよ。もし、トロッゴンが、最初からやきつくすや、いわタイプの技を使っていたら、デンチュラは持ちこたえられなかったかもしれない」 「スピードはデンチュラの方が上だった。それに、ソニアがそんな運任せの勝負をするはずがない」 キャップの角度を変えるふりをして、ソニアは幼馴染から視線をそらした。いつしか彼女は、ポケモンバトルを語る彼を、直視できなくなっていた。最初のライバル。ともに競い合う相手。だがソニアには、自分の力量では幼馴染の無邪気な期待に応えられないという自覚があった。 時おりワンパチのような表情を見せるものの、例えるならばダンデは猛スピードで野を駆けるパルスワンだ。精悍な体からバチュルが振り落とされるように、ソニアが彼の足取りについて行けなくなる日が、ジムチャレンジの終わりと共に近づいてきている。 「ダンデくんは」 言いかけてソニアは口を閉ざす。疾走するパルスワンに、重い首輪は似合わない。 デンチュラが降らせた雨は、止みつつあった。 |