タイトル | 本 文 |
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「よく分からない男」 |
「ポプラさん!」 ポプラの元に駆け寄ってきたのは、飛び抜けたバトルセンスでフェアリーバッジを手に入れたばかりの少年だった。 「何の用だい、1問正解のぼうや」 「ソニアがポプラさんのクイズに3問正解したって聞きました。もしかして、彼女を後継者にするつもりなんですか?」 マグノリアの孫にはピンクが足りない。事実を突きつけるのは容易かったが、つかみ所がない少年を前に、ポプラは気まぐれを起こした。 「そうだと言ったら、あんたはどうする気だい?」 「戦います」 短いが迷いのない答えは、ポプラにとって予想されたものだった。その奥を探るように、老女は問いを重ねる。 「あたしの後継者になるかどうかは、あの子が決めることさ。幼馴染のあんたに口を挟む権利はないよ。そう思わないかい?」 「確かに、権利はないです」 首を振る動きに、ポプラが年相応の少年らしさを感じたのは一瞬のことだった。顔を上げたとき、少年の両眼にはスタジアムで見せた闘志よりも強い光が宿っていた。 「ソニアにこのジムを継いで欲しくないのも、一緒にジムチャレンジを続けたいのも、オレのワガママです。でも、我慢して大事なものを無くすぐらいなら、オレはワガママを通します」 少年から溢れだす色に、ポプラは目を細める。それは戦場に生涯を捧げる覇者の色であり、民衆の歓呼を受けて冠を戴く英雄の色だ。ガラル全土を塗り潰す可能性を持ったイエローゴールドは、老いたポプラには眩しすぎる。 「近頃の若者には我慢が足りないなんて言うけど、横暴や理不尽に耐えるのは立派でもなんでもないよ」 軽く首を傾げる少年に向かって、ポプラは軽く顎をしゃくった。 「あたしはマグノリアの恨みを買うのも、ワガママなぼうやとのバトルもゴメンだよ。もう少し、年寄りの体力ってものを考えな」 「……ありがとうございます、ポプラさん!」 「さっさとキルクスに向かいな。あんたたちは騒がし過ぎて、森のポケモンがゆっくり眠れやしない」 名前を呼ぶ甲高い声に向かって、少年は駆けて行く。その背中を見送りながら、ポプラは優秀だが諦めの早いジムチャレンジャーに思いを馳せた。 祖母の名を背負っている上に、あんな強烈な男が側にいては、マグノリアの孫は大変だろう。 |
「おむすびころりん」 |
「ソニア、これ何だ?」 手早く食べられる物というダンデのリクエストに応じてソニアが用意してくれたのは、食べ慣れたサンドイッチでもカレーでもなかった。 「おにぎりっていうの。持ち運べて、簡単に食べられるから、カントー地方では昔から作られているんですって」 おにぎりは木の皮とノリで包んで持ち運ぶのが正しい作法らしいが、それらは用意できなかったらしい。礼を言ってランチボックスを受け取ったダンデに、ソニアは言葉を続けた。 「カントー地方にはね、おにぎりを落としたお爺さんが、ねずみポケモンの巣に迷い込むおとぎ話があるの。だからダンデくんも、ワイルドエリアでそれを食べていたら、まだ見ぬポケモンに会えるかもね」 |
「ポケモン大好き少年がそのまま大人になった結果」 |
「ダンデ、好きな人がいるんだって」 ルリナは思わず、自分の耳とスマホロトムの故障を疑った。ソニアの声には悲しみや動揺が欠片もなく、むしろ大きな安堵に満ちていたのである。 「……ソニアは何だか嬉しそうね?」 「ええ、とっても。私、いつか彼に人間とポケモンが結婚する方法を教えてくれって相談されるんじゃないか、ヒヤヒヤしてたのよ。あのポケモン大好き男に、人間相手の恋愛感情があることが分かって安心したわ」 「あなた、彼の保護者みたいなことを言うのね。それで、彼の相手は?」 「それがね。じっくり話を聞こうと思ったら、ダンデが急に帰っちゃったのよ。バトルタワーのオーナーになっても、相変わらず忙しいのね」 相槌を打ちながら、ルリナは生まれて初めて、ダンデという男に同情した。 |
「カジッチュは犠牲になったのだ」 |
ジムチャレンジの旅の途中で、幼馴染にカジッチュを渡したことがある。 「くれるの? ダンデくん、ありがとう」 エメラルド色の瞳を輝かせてカジッチュを見つめていたソニアは、やがて不思議そうに呟いたものだ。 「なんでりんごなんだろう」 カジッチュは生まれてすぐにりんごに潜りこみ、そこで一生を過ごすポケモンだ。その生態に、彼女は興味を持ったらしい。 「りんごに入ったら、りんごを食べる他のポケモンに狙われちゃうし、りんごを育ててる農家さんも困るでしょう。どうして、カジッチュは他の果物や木の実には入らないのかな?」 「りんごが好きだからじゃないのか?」 「でも、生まれた場所に、いつもりんごがあるわけじゃないでしょう。それに、りんごの味の違いで進化するのも、不思議よね。例えば、すごく苦いりんごや、すごく渋いりんごをカジッチュに食べさせたら……」 「アップリューやタルップルとは別のポケモンに進化するかもしれない?」 髪を弄んでいた手を止めて、ソニアは静かに、そして大きく頷いた。新種ポケモンの発見。今にして思えば、オレたちの幼い期待はカジッチュにとって、迷惑極まりないものだった。 「……食べないな」 「食べないわね」 俺たちは渋いりんごと苦いりんごを用意したのだが、カジッチュは見向きもしなかった。 「どうすれば食べてくれるのかな?」 「うんとお腹が空いたら、嫌いなものでも食べるんじゃないか?」 嫌いな食べ物から必死に顔を背ける幼い弟を思い出して、オレは提案した。 「それ、いい考え! ダンデ君、冴えてる!」 笑顔のソニアに褒められて悪い気はしなかったが、そこに生まれた一瞬の隙が、取り返しのつかない結果を生んだ。カジッチュがソニアの手から飛び出して、草むらに逃げこんだのだ。 「ああ、せっかくダンデくんが捕まえてくれたのに……」 「オレがまた捕まえるから、気にするなって」 果たされなかった約束と、カジッチュを贈る意味と。俺が自身の無知に気づいたのは、つい最近のことだった。 「……受け取ってもらったカジッチュが逃げた場合、恋の行方は一体どうなるんだろうか。キバナはどう思う?」 カジッチュはくさタイプであり、ドラゴンタイプだ。だが、ドラゴンタイプの扱いに長けている男は、ひどく投げやりな調子で言い放ったものである。 「とりあえず、お前らはカジッチュに謝ればいいと思う」 |
「大きくなったらけ●●●●しよう」 |
ガラルの歴史に名を刻んだチャンピオンといえども、ユウリはファッションや恋愛に興味を示す年相応の少女である。 「ソニアさんは、ダンデさんの幼馴染でしょう。小さいころに、結婚の約束とかしなかったんですか?」 ホップ不在のポケモン研究所には、珍しくマグノリアの姿があった。ソニアが紅茶と菓子を準備してくれたおかげで、書物と機械に囲まれた空間が、女子会の会場に姿を変えている。 「ないない。ユウリの期待に添えなくて申し訳ないけど、異性の幼馴染ってものに夢見すぎだよ」 「子どもの時の約束を覚えてるとか覚えてないとかで、大人になってから一悶着あるもんじゃないんですか、マグノリア博士?」 ソニアの祖母は、眼鏡のチェーンに指をかけ、記憶を辿るような表情を浮かべた。 「あなたたちの場合は、確か研究と実験でしたね。ええ、忘れてはいませんよ」 「やっぱり、あったじゃないですか……?」 当事者以外の大人に頼るというユウリの作戦は成功したが、予想もしない単語が飛び出したおかげで、弾みかけた声はひっくり返ってしまった。 「研究と実験って、ソニアさんらしいとは思いますけど、どうしてそんな約束したんですか?」 本人にとっては恥ずかしい思い出だからこそ、茶飲み話にはうってつけだ。期待のこもったユウリの視線を受け、ソニアはマグカップに口をつける。 「子どもの時の話なんだけど、私、ダンデが迷子になるのは、無意識にテレポートを使ってるんじゃないかって考えたんだよね」 自分の力をコントロールできないニャスパーのように、ダンデが無意識にテレポートを行っているのであれば、能力を制御することで方向音痴が治せるかもしれない。それが幼いソニアの仮説だった。 「……ダンデさんは人間ですよね?」 「人間にポケモンのわざは使えない。そういった常識を疑うことが、時には発見につながるものですよ」 マグノリアがユウリを諭すように微笑みかけた。 「だからダンデに頼んだのよ。わたしが大人になったら、研究と実験をさせて欲しいって」 「それで、ダンデさんはオッケーしたんですか?」 「痛いのと危ないのは駄目だっていう条件つきだけどね」 こともなげにチョコレートの包みを手に取るソニアとは対照的に、ユウリの顔は引きつっていた。 「人体実験って、怪しい薬飲ませたり、体にヘンテコな機械をくっつけたりするんでしょう? 子どもの約束だからって、周りの人たちはなにも言わなかったんですか?」 二人の博士が顔を見合わせる。やがてソニアが呆れたように肩をすくめた。 「ユウリは人体実験に変なイメージ持ちすぎだよ。データは取るけど健康診断の延長みたいなものだし、痛いことも危ないことも、法に触れることもしません!」 「ダンデが『大きくなったらソニアの被験者になる』と言い出したときには、彼の家族も驚いていましたよ」 ひけんしゃ。日常生活では使ったことがない言葉に、ユウリは瞬きした。 「後になって、感謝も受けました。あなたとの約束のおかげで、ダンデが身だしなみと健康に気を配るようになったと」 「……ダンデの無茶を止めるために、約束を利用したのは否定しないよ。あいつ、小さい頃はしょっちゅうケガしてたんだから」 「約束の効果はバツグンだったんですね」 キャラメルをサンドしたビスケットをかじった瞬間、ユウリの記憶と想像力が勢いよく活動を始めた。ダンデの部屋のトレーニング器具、ムゲンダイナの爆発から自分とホップを守ったリザードン。ハロンタウンから病院に駆けつけたダンデとホップの母親は、何度も大丈夫だと繰り返していた。 「なんてことはない。ただのかすり傷だ」 チャンピオンの言葉は、ユウリを安心させるための気休めなどではなく、事実だったのだ。負傷によるコンディションの低下を、ダンデの敗因に挙げた者が誰一人として存在しないことに気づき、ユウリは体を震わせた。 ダンデはヒトの限界を超えたのだ。その原動力となった幼い日の約束を、彼の思いを表現できる言葉を、まだユウリは持っていない。代わりに彼女が尋ねたのは、ソニアの意思だった。 「ソニアさんに、ダンデさんの研究をする予定はあるんですか?」 「今は忙しいから、ちょっと難しいかな。ダイマックスした時のポケモンとトレーナーの状態には、ものすごく興味はあるんだけど」 ホップの課題にしようかな。首を傾げるソニアに向かって、ユウリはテーブルに額がつくほど深く頭を下げた。 「お願いします。ダンデさんのためにも、約束を守って、実験してあげてください。必要なら、私も協力しますから!」 「さっきまで恐がってたのに、どうしたの急に?」 悲鳴を上げるソニアの隣で、マグノリアが顔をしかめた。 |
「ポケモンって楽しい!」 |
「まさか、観光ってわけじゃないわよね……」 ワイルドエリアにカントー御三家と呼ばれるポケモンとその進化形、そしてミュウツーが現れたというニュースが、研究所の静かな朝を打ち壊した。助手のホップを現地に派遣し、リアルタイムで送信されてくるデータの収集と分析に勤しんでいたソニアのもとに駆けこんできたのは、ポロシャツとジーパンに身を包んだ幼馴染である。 「すごいことになったな!」 「なった、じゃないでしょう。ダンデくん、仕事は?」 バトルタワーはもちろん、リーグ期間中のジムは通常通り運営されている。昼前にルリナから送られてきたメッセージには、まだ見ぬゼニガメへの熱い思いがこめられていた。 「ダンデの仕事はこれからですよ。ソニア、あなたも一緒に行きなさい」 杖を鳴らして入ってきたマグノリア博士が微笑む。体の衰え程度では、彼女から探究心と知的好奇心を奪うことなどできないのだ。ガラル地方のポケモン関係者が決して無視できない事件を前に、祖母の瞳が輝いている。 「ガラル地方のポケモンリーグ委員長として、研究所に調査への全面協力を依頼したい。正式な書類は後で用意する」 ポケモンバトルが大好きな少年の面影を色濃く残しながら、ダンデは大人の交渉に長けている。臨時招集された委員会をまとめあげた後、研究所ではなくマグノリアのもとを訪れたのも、彼なりの作戦だろう。 「本当はわたくしが足を運びたいのだけれど、無理ができないのは残念なことです。ソニア、あなたはわたくしの代わりに、カントーから来たお客さまを見ていらっしゃい」 「……はい!」 慌ただしく準備を済ませたソニアを抱え上げると、ダンデはリザードンに出発を命じた。 「ダンデくん、ミュウツーと戦いたいんでしょう!?」 「当たり前だろう!」 「そのために、視察だの調査だのもっともらしい理由をつけるんだから、権力って怖いわよね」 「何とでも言ってくれ!」 ワイルドエリアに近づくにつれ、風が勢いを増していく。轟音に負けないように、声が大きくなるのは当然のことだった。 「巣穴のミュウツーが捕まえられないって、どういうことだと思う?」 ミュウツー出現とほぼ同時に報じられたニュースが、ソニアには引っかかっている。現在のところ、ミュウツーに挑むトレーナーは、ダンデのような腕試し目当ての者と、巣穴で見つかる貴重なアイテムが目的の者に二分されているようだ。 「ミュウツーが幻だったら、捕獲できないのも、ワイルドエリアの巣穴に一斉に現れたのも説明できるんだけど、だとすれば宝物を残していける理由が分からない。今まではいなかったカントーのポケモンもほぼ同時に見つかってるし、本当にわけが分からないんだよね!」 人工衛星を用いた気象データも、先人たちが調査を積み重ねたポケモンの生態系も通用しないのがワイルドエリアだ。ソニアはダイマックス研究の一環としてポケモンの巣穴を調べているが、新たなポケモンが現れるたびにデータの取り直しを余儀なくされている。 「けど、その分からなさが、最高に楽しい!」 学問の世界には、世界中の研究者によって「分からない」と結論づけられたものが存在する。膨大な時間や距離が相手ならばやむを得ないが、ワイルドエリアは違う。古くからガラルの人々が時に戦い、時に恵みを得ようとした場所が、幼い日の自分自身が踏みしめた場所が、簡単に諦められるはずがない。 「強い相手とのバトルを楽しむダンデくんなら、勝てないから戦わないなんて絶対に考えないダンデくんなら、この気持ち、少しは想像できるでしょう?」 「もちろんだ! ポケモンは奥が深くて、本当に楽しいもんだな!」 後ろからソニアを支える腕に力をこめ、ダンデが破顔する。ポケモンが好き。年齢や立場が変わっても、二人の決して変わらない部分がそこにはあった。 「ポケモンの研究、楽しい!」 「ポケモンバトル、最高!」 「「待ってろ、ミュウツー!!」」 大声を張り上げる二人を乗せたリザードンが、風に逆らいながら赤い柱を目指して突き進んだ。 |