ポケモン剣盾小話ログ02


タイトル 本 文
イエローゴールドは乾き果てた  チャンピオンの経歴に、一点の曇りもあってはならない。
 少年を導き、最後には苦戦を強いた少女が、大人たちの手で消されていく。功績や努力はおろか、存在さえもが。
「チャンピオンになったら、幼馴染は用済みってわけ?」
 安っぽい挑発を、イエローゴールドの瞳は冷たくはね返す。
「キミに、オレたちの何が分かるって言うんだ」
 悲しみと後悔は、とうに燃やし尽くした。勝って、勝って、勝ち続けるための糧として。
dnsn版深夜の60分一本勝負「夜食」  就寝の二時間前までには食事を済ませておくこと。
 アポなしでソニアの家を訪れるなり空腹を訴えた幼馴染は、その人生においてダイエットなど一度も考えたことがないのだろう。鍛えていることは知っているが、余分な肉の付かない体がソニアにはうらやましい。
「こんな時間に、よくカレーが食べられるわね」
 テーブルに置かれたベジタブルカレーに、幼馴染は顔を輝かせる。味に関しては無頓着だが、彼の食べっぷりは見ていて気持ちが良かった。
「『家庭の味』という言葉があるだろう」
「子どもの時に食べたものが、大人になってからの味覚を決めるっていう話だよね」
 ガラル地方出身者が海外に進出して成功できるのは「家庭の味」を持たず、食べ物由来のホームシックに陥ることがないからだなどいうジョークも存在する。ガラル地方のポケモンリーグ委員長は、外国人が思い浮かべる典型的な味覚の持ち主であった。
「オレは、母さんやばあちゃんの飯で育った」
「二人とも料理上手よね」
 幼い記憶を呼び起こしながら、ソニアは相槌を打つ。
「だが、ポケモントレーナー・ダンデは、キミの飯で育った」
「へ?」
 ジムチャレンジ中、ソニアがダンデや彼のポケモンのために料理を作ったのは事実だ。だがそれは、キャンプにおける役割分担の結果に過ぎない。ダンデのポケモントレーナー人生に与えた影響など、ソニアは考えたこともなかった。
「オレは生涯ポケモントレーナーだ。自分を育ててくれた料理が無性に恋しくなるのも、当然のことだろう」
「いや、そんなこと急に言われてもね? ああそうだ、水のお代わり持ってくる」
 立ち上がりかけたソニアの手を捕らえ、ダンデはカレーを食べ終えたばかりの口元に引き寄せた。
「知らなかったのか。キミはオレの胃袋どころか、とっくに全身をつかんでいたんだぜ?」
dnsn版深夜の60分一本勝負「いちご」 「ダンデくん、そろそろ来ると思ってたわ。はい、これ」
「サンキュー。もうそんな時期か」
 幼馴染の自家製苺ジャムは、故郷を離れた都会に生活の拠点を置くダンデに、初夏の訪れを告げるものだった。
「今年はたくさん苺が採れたのよ。ポケモンよけのネットを張るのが大変だったけど」
 ソニアの祖父は、庭の畑でさまざまな野菜や果物を育てている。収穫した苺をジャムにするのはマグノリア博士の役目で、幼かったダンデは、ソニアとともに大鍋の火加減を見守っていたものだ。
「……オレも苺を育てたいな」
「苺を育てるって、ダンデくんにそんな暇あるの?」
 幼馴染の正直すぎる反応に、ダンデは密かに苦笑する。ポケモンバトル以外の事柄、とくに食に関心の薄い人間という評価は、簡単に覆りそうにない。
「プランターなら、オレでもどうにかなるだろう」
「ダンデくんなら、忙しくてポケモンに世話を任せちゃうかもね。でも、おじいさまなら、いつでも相談に乗ってくれるだろうから、私から話しておくわ」
「ああ、助かるぜ」
 ダンデの記憶の中で、ソニアの祖父は白い小さな花をグラスに生けていた。赤い苺と白い花。色彩に知識と感情が結びついたとき、ダンデは自らの手でそれを育て上げようと決意したのだった。
 幸福な家庭を築く秘訣は、互いへの尊重と愛情。謹厳な博士が、どんな顔で白い花を見ていたのか、ダンデは知らない。
dnsn版深夜の60分一本勝負「泥」 「カムカメ、みずでっぽう!」
 放たれた水を顔に受け、ドロバンコが動きを止める。その隙を見逃さず、ソニアはモンスターボールを投げつけた。100キロを超える馬体を吸い込んだボールは、エメラルドグリーンに見守られながら静かに動きを止める。
「ドロバンコ、ゲットです!」
「やったな、ソニア!」
 喜びのまま手を掲げ、ソニアは袖の汚れに気がついた。バトルの最中は気がつかなかったが、ドロバンコが飛ばした泥が、カムカメだけではなく彼女にも及んでいたようだ。
「どろかけに巻きこまれたみたい。ダンデくんは大丈夫?」
「オレは平気だぜ。それに、服の汚れなんてたいしたことじゃないだろう」
 シャツに草を付けたまま、ダンデが口を開けて笑う。町のコインランドリーまで、洗濯は我慢しなければならないようだ。
「あ」
 ハイタッチを交わし損ねた手が伸びてくる。温かな親指が頬を撫で、音もなくソニアから離れた。
「……泥、付いてたぜ」
「……お、おう」
 沈黙を取り繕うようにダンデは手を開き、泥を拭った指を示した。
「……言ってくれれば、自分で拭いたのに」
 ぎこちない動きでハンカチを取り出しながら、ソニアが呟く。触れられた部分だけではなく、顔全体が熱かった。
「ああ、うん。そうだよな」
 牧場や畑仕事で体や服が汚れるのは、当たり前のことだった。ワイルドエリアという場所のせいか、ジムチャレンという非日常のせいか、幼馴染の些細な行動がソニアの心をかき乱す。
 未来はおろか、自身の感情の名前も知らない視線の先に、レンガ造りの街がそびえ立っていた。
dnsn版深夜の60分一本勝負「傷痕」 「昔、一緒にジムチャレンジに参加したからって、どんな紹介だよ……」
 その一言で幼馴染の表情がわずかに曇ったことを、ソニアは見逃さなかった。
 十歳でチャンピオンの地位を得たダンデは、ジムチャレンジで自身の道を拓き、成功を収めた人間の見本だ。多くのポケモントレーナーにジムチャレンジへの参加を呼びかける立場でありながら、彼はソニアの前では、不自然なまでにその話題を避けようとする。
 ジムチャレンジ終了と同時に、ソニアはポケモンバトルを辞めた。ダイマックスの第一人者の孫である彼女が、娯楽のみを求める人々に戸惑い、時には苦しんだのは事実だが、今となっては事実無根の記事を書いた記者の名前も、ダンデとのライバル関係を鼻で笑ったテレビのコメンテーターの顔も思い出せない。
 擦り傷が時間と共に塞がり、消えていくように、ジムチャレンジで彼女を苦しめたものは、もはや存在しない。残っているのは、旅の間に得た親友と知識、そして温かな思い出だけだ。
 ジムチャレンジを足がかりに、頂点に上り詰めた男の心の内を、ソニアは想像するよりほかにない。道に迷っても、決して地図や案内標識には頼らない男のことだ、目の前にあるものが視界に入っていない可能性もある。
 ねえ、ダンデくん。あなたはどこを見ているの。
 子どもの頃のように呼びかけるには、二人の距離は遠すぎた。ポケモントレーナーを辞めて進んだ学問の道は予想以上に険しく、ソニアは祖母の助手を自称する立場に過ぎない。
 飲み込まれた言葉は、切り裂くように喉に広がり、胸の奥に沈んでいった。
dnsn版深夜の60分一本勝負「ポニーテール」  ダンデとキバナ。ファッションセンスは、キバナの方が圧倒的に上。
 ライバルに対する世間の評価は、間違っていないとダンデは思う。ファッションを趣味と公言し、定期的にサロンやメンズエステに通うキバナは、ダンデが思いつかないようなコーディネイトをSNSや雑誌で披露している。シュートシティで行われたファッションブランドの新作発表会では、衣服の概念が問われるような出で立ちで、堂々とランウェイを歩いたものである。
「……服なんて、TPOを守って、サイズが合ってさえいれば、何でもいい気がするんだがな」
 研究所に居合わせたホップとユウリは呆れの表情を隠さなかったが、ソニアは分かっていたとでも言いたげに首を振った。
「服の予算がオーバーしちゃって、モンスターボールを買うお小遣いがなくなりそうになった私の気持ちなんて、ダンデさんには分からないんだ。チャンピオンの気持ちはチャンピオンにしか分からないなんて嘘なんだ」
「お金は大事だから、よく考えて使うんだぞ」
 心身ともに著しい成長を遂げつつあるホップは、買ったばかりの服が体に馴染むより早く、サイズが合わなくなることに苦労しているようだ。近い将来にはスーツの一着も必要になるだろう。
「ダンデくんはそういうところあるよね。そのオーナー服は、ジャケットとタイがあるから大抵の場所に入場できて、バトルタワーの宣伝もできるから着てるんでしょう?」
「よく分かったな」
「チャンピオン時代は、バトルの邪魔にならなくて、予備がたくさんあるからって理由で、ずっとユニフォームで通していた。ポケモンリーグ関係の行事なら、マントを羽織っていれば正装扱いしてもらえたんでしょう」
「キミはいつから、エスパータイプになったんだ?」
 二人のやりとりを見守っていたホップが、おそるおそる口を挟んだ。
「なあ、アニキ。シュートシティの家に、私服はあるのか?」
「あるに決まってるだろう」
 自分自身のことなのに、やや記憶が危うい。ダンデの正面で、ソニアが肩をすくめながら袖をつまんだ。
「ダンデくんのオーナー服やわたしの白衣は、着ている人間を示すラベルのようなものだからね。人を外見や肩書きだけで判断するのは感心できないけど、目から得る情報は大事だし、自分や、所属しているグループを良く見せたいのなら、ラベルはきれいにしておいたほうがいいわ」
「人は見た目が九割なんて言葉もありますもんね」
 頷くユウリの唇は、きのみを囓ったのように赤い。歴代のチャンピオンが比較されるとき、世間はユウリを、ダンデよりも身だしなみに気を使っていたと評価することだろう。
「服だけじゃなくて、メイクや髪型にも気を配りたいわよね。周りに与える印象だけじゃなくて、自分の気分も変わるもの」
「そういうものなのか?」
「ウールーが毛刈りをして、サッパリするような感じじゃないのか?」
 不思議そうに顔を見合わせる兄弟に、二人の女性は冷めた視線を送る。ソニアが立ち上がり、ダンデの後ろに回り込んだ。
「では、ダンデくんで実験してみましょう。ユウリ、一番下の引き出しから、ブラシ取ってきてくれる?」
「了解です」
 元気の良い返事とともに、ユウリは研究所の奥にあるデスクに向かった。
「ダンデくん、毛の量多いのね」
 ソニアの手が、ダンデの髪を撫でつける。首の後ろという急所に触れられているにもかかわらず、相手が彼女であるという安心感が彼を包んでいた。
「ソニアさん、持ってきました」
「ありがとう」
 ダンデの髪を、ソニアのブラシがゆっくりと梳る。お揃いのユニフォームを着てジムチャレンジに挑んでいた時は、手持ちのポケモンにブラシをかける彼女の姿を、毎日のように見ていたものだ。背が低く、髪の短かった時期に思いを馳せるダンデの心情を知らぬまま、やがてソニアはダンデの髪を右手で束ね上げた。
「痛かったら言ってね」
「ああ」
 高く結い上げられた髪が、皮膚と共に引っ張られる。我慢できないほどではないが、痛みに耐えてまでヘアスタイルを保とうとする人々に対して、ダンデは尊敬に似た感情を抱いた。
「ダンデくん。ポニーテールのすがた、完成です!」
 ホップとユウリが揃って手を叩く。大きな手鏡を差し出すソニアの後ろで、ユウリがスマホロトムに呼びかけた。
「SNSにはアップしませんから、写真だけ撮らせてください」
「オレも! 母ちゃんたちに見せたいぞ!」
 賑やかな声を聞きながら、ダンデは手鏡に映る姿を眺めていた。ソニアが微笑みながら問いかける。
「どう、ダンデくん。髪型を変えた感想は?」
「……この姿で戻ったら、バトルタワーのスタッフは驚くだろうな」
「それだけかい!」
 不満そうにソニアが唇を尖らせる。揺れるオレンジの髪に誘われるように、ダンデは思ったことを口に出した。
「キミのポニーテールは随分と偏っているが、オレのも同じように、位置を変えられるのか?」
「これは、サイドテール!」
 足を踏み入れれば、確実に迷う。ファッションの道は、ダンデにとって遠く険しかった。
第2回dnsn絵文コラボ週間「タンポポ」  勝負の世界には、さまざまなジンクスや縁起担ぎが存在する。
 キバナのSNSに掲載された料理の写真には「次は勝つ」という短いメッセージが添えられていた。
「タンポポのサラダとメロン。相手を食うって意味だろうね」
 カロリーとタンパク質の摂取量に思いを馳せたダンデとは違い、カブは写真に込められた意味に気づいたらしい。キバナはダンデのライバルだが、過去にこおりジムのメロンの手でチャンピオンへの挑戦を阻まれた経験があった。
「ぼくなんかは、そのまま野菜だからね。ヤローはうちのジムとの試合に合わせて、ジムの公式サイトで蕪料理のレシピを紹介しているよ」
 レシピのページには野菜が購入できるように、ターフ農園へのリンクが貼られている。ヤローの宣伝は、同じくスポンサーを持つ身であるダンデの参考になったものの、真似ることはできそうになかった。
「カブさん、タンポポって食べられるんですか?」
「そうだね。葉は食べられるだけじゃなく、薬にもなると聞いたことがあるよ」
 ダンデがカブの言葉を思い起こしたのは、幼馴染が自宅の庭で、タンポポの側にしゃがこみんでいたからだ。
「ヌワワン!」
「珍しいものを着けてるな、ワンパチ」
 耳元に黄色い花を咲かせたワンパチが、ダンデを出迎える。ソニアは幼馴染に短い挨拶を寄越すと再び視線を手元に視線を落とし、作業を再開した。
「新しい畑でも作るのか?」
「それならもっと大きな道具を使うわよ。タンポポを採ってるの」
 軍手で移植ごてを握るソニアの傍らには、掘り返された土が小さな山を作っていた。
「何か、オレに手伝えることはあるか?」
「いいって。ダンデくんはお客さまなんだから、家に入ってなよ」
「そうは言っても、キミが働いているのを放っておいて、オレだけくつろぐのは落ち着かないぜ」
 成人を迎え、フォーマルな場に招待される機会が増えたものの、幼い頃から実家の牧場を手伝ってきたダンデは野良仕事に抵抗がない。だが彼がしゃがみこんだ途端、ソニアが制止の声をあげた。
「ダメ、汚れちゃうでしょ。道具なら玄関に置いてあるから、手伝うならマント外して、軍手を着けてからにして」
 ポケモンバトルは悪天候の中で行われることも珍しくはないため、ダンデは衣服の汚れをさほど気に掛けないが、ソニアは一つのシミも許すまいと本人以上に神経を尖らせている。マントに土が付けば、悲鳴すら上げかねない。
 ソニアの指示に従ってマントを外し、グローブを軍手に着け変えたダンデは、移植ごてを手に庭に戻った。
「このタンポポ、どうするつもりなんだ」
 タンポポの葉を食べるだけならば、周囲の土を掘り返す必要はない。移植ごてで慎重に土をすくいながら、ソニアは答えた。
「お茶とコーヒーを作ろうと思って」
「お茶とコーヒーだって?」
 食への関心が薄いダンデでも、紅茶とコーヒーの材料の違いは当然知っている。ソニアは移植ごての先で、地面から顔を覗かせるタンポポの根を示した。
「これが材料」
「随分と、長いんだな」
 地中深くに張り巡らされた根は、子どもが遊びに用いるタンポポのイメージから大きくかけ離れていた。細い根を、ソニアの手が陽光に晒す。
「まとめてキッチンに運ぶから、ダンデくんは土を落としてくれる?」
「ああ、任せてくれ」
 ダンデが穴を掘ったほうが間違いなく効率は良いのだが、ソニアにとって料理はストレス発散や気分転換を兼ねている。食材調達も自身の手で行いたいのだろう。
「この花、本当にダンデくんって感じだよね」
「……悪いが、ピンとこないな」
 花に例えられたところで、ダンデを含む世間の男性は喜びはしないだろう。ソニアの言葉を待ちながら、ダンデは指示された作業を続けた。
「ガラルのみんなで強くなるって、ダンデくんいつも言ってるじゃん。その言葉や行動が、ガラル地方の人たちの心に根を下ろして、ポケモンバトルを盛り上げてる。自分の立てた目標に向かって確実に進んでるのって、本当にすごいことだと思うよ」
 ソニアがポケモントレーナーを引退したのは、ジムチャレンジを終えた十歳の夏だった。学業に優れ、飛び級制度を活用している彼女が、祖母のような研究者になるという目的を果たせないまま足踏みを続けていることは知っているものの、ポケモンバトルの世界しか知らないダンデには気の利いたアドバイスができない。
 それでも彼にとって、ソニアの博士号取得は弟の成人と同じく、ほぼ確定した未来だった。
 タンポポの根を掘り起こすように、ソニアは多くの人々が気にも留めないものに好奇心の光を当てる。地中深くに伸びた根を幼馴染になぞらえたように、解き明かされ、意味を与えられたものは、知識となって彼女の中に留まり続け、新たな探求の糧となるのだ。その成果が、世間に評価されないはずがない。
「キミがそう言ってくれるなら、オレのやり方は間違ってないんだろう。その調子で、迷子も改善したいんだがな」
「ダンデくんが道に迷ってもあまり困らないのは、リザードンのおかげだよね。あんまり苦労かけちゃダメよ?」
 柔らかな笑みを浮かべるソニアに導かれるように、ダンデは手を伸ばした。親指の背で頬に付いた土を払い落とす。
「つち、土を落としてくれたのね。急に触られるとビックリしちゃうから、できれば先に声掛けて欲しいかな」
「ああ、悪かった」
 軍手で幼馴染の唇に触れようとして、あやうくダンデは踏みとどまった。彼女にならば、喰らい尽くされても構わない。ソニアの血肉や知識の一部となれば、常に共に在ることができる。願望にも似た衝動を抱くほど、男は消費されることに慣れていた。
「このタンポポ、すぐに飲めるのか?」
「根っこをよく洗って、乾燥させなくちゃいけないから、今日中には無理かな」
 引き抜いたタンポポの根の状態を確かめながら、ソニアは肩をすくめた。
「そうか。だったら、今度来たときに飲ませてもらえるんだな。それまできちんと残しておいてくれよ?」
「ダンデくんがそんなこと言うなんて、珍しいわね」
 食事に対するダンデの姿勢を知るソニアが、意外そうに首を傾げる。
「労働の対価を求めるのは当たり前だろう? 飲み物だけじゃ物足りないから、手早くつまめる物を付けて欲しいな」
「前から言ってるけど、うちは食堂じゃありません!」
 タンポポを編むように、次の機会を繋ぎ合わせなければ顔を合わせることすらままならない。かつてジムチャレンジャーとして、共にガラル地方を駆け抜けた二人のそれが現状だった。
ダンソニお題カクテル
【鉄壁の向こう側】
【背骨をなぞる】
【「君を独り占めにしたかっただけ」】
 未来を守る。
 ガラル地方の人々の命と未来を背負い、身を挺して自身の言葉を実行したチャンピオンが、ブラッシータウンの研究所を見えない腕で囲んでいたことをソニアが知ったのは、彼女の著書に端を発する一連の騒動が終息した後だった。
「ここはガラル地方にとって、そしてオレにとっても大事な場所だ。守るのは当たり前だろう」
 十歳のころから多忙な日々を送ってきたダンデにとって、幼い頃から出入りしていた研究所は、立場を忘れて静かな時間を過ごせる場所だ。チャンピオンの威光を使ってでも、メディアや野次馬を遠ざけようとした心情は、ソニアにも何となくだが理解できる。
 自身の影響力と研究所が導入している最新鋭の警備システムを、ダンデが過信していたとは思わない。管理を任されたねがいぼしを持ち出されたのは、王族の息が掛かった人間を助手として雇い入れたソニアの落ち度だ。研究所の事実上の代表を任された彼女には、データや文献史料だけではなく、人を見る目を養う必要があった。
 きらびやかな世界で、さまざまな思惑を持つ人々と渡り合ってきたダンデは、優れた観察力の持ち主である。研究所の運営に口を挟まずとも、彼が階段に腰を下ろして本を読んでいるだけで、招かれざる訪問者はドアを閉めてUターンする。
 ポケモンリーグ委員長にしてバトルタワーオーナーの肩書きを持つ男が金色の目を光らせ、その弟で伝説のポケモンに認められた少年が見習い助手を務める研究所には、現チャンピオンのユウリも頻繁に出入りしている。彼らの守りを突破して、知の宝庫に手を出せる人間などガラル地方には存在しないだろう。
 彼らによって研究所の安寧が保たれているからこそ、ソニアは探究心と好奇心の翼を広げて自由に飛び回ることができるのだ。私物が増えつつある仕事場は、彼女の研究の拠点であると同時に、各地で得たものを持ち帰る巣でもある。
「本当に、キミはサンダーみたいだな」
 かつてオレンジの髪をリザードンに例えた幼馴染の口から飛び出したのは、遠い国で存在を噂されている伝説のポケモンだった。比喩に用いるポケモンが増えたのは、ソニアの成長の証であると同時に、ダンデの表現力も向上しているのだと、新米博士は前向きに評価する。
「セミファイナルトーナメントの決勝戦もそうだった。キミは強くて眩しくて、だからオレは、絶対に置いて行かれたくなかった」
「負けたくなかった、じゃなくて?」
 ジムチャレンジやポケモンバトルに関する話題を、ソニアの前では徹底して避けていた男が、懐かしむように過去を振り返っている。意外に思いながらも、ソニアは疑問をぶつけずにはいられなかった。
「負けたくないと勝ちたいは全然違うだろう。あのころのオレは、自分の望みを叶える方法を、一つしか知らなかった」
 チャンピオンの地位を明け渡したことで、ダンデの視点や心境は大きな変化を遂げたようだ。紅茶の銘柄を知らずとも、ティーカップを手に穏やかな時間を過ごせるようになったのは、彼にとって良い傾向だとソニアは思う。
「今のオレは、キミの帰りを待つことも、付いていくこともできる。バトルに勝てば、キミを自分の手に留めておけると本気で考えていた子どもが、随分と進歩したとは思わないか?」
「ダンデくん、そんなこと考えてたの?」
 ジムチャレンジを思い返しながら、ソニアは目を見開く。高みへと駆け上がる幼馴染の背中を見送った彼女とは違い、ダンデは成長に伴う別れを受け入れようとはしなかった。失うことを恐れる頑なさを、幼さが残る弱点ではなく、勝負へのモチベーションに変えられる力は、間違いなく彼の才能なのだろう。
「キミを独り占めにしたかった。あのころは、ただそれだけだった。だが、今は違う」
 金色の目に捕らえられ、ソニアは呼吸さえままならない。それでも、幼い独占欲の行き着く果てを、当事者として彼女は見届ける必要があった。
「キミの功績を、世界中の人に知ってもらいたい。オレの幼馴染は、オレのライバルは、ガラルの歴史を解き明かしたのだと、大声で触れ回りたい」
 スピーチに慣れたダンデの声と足音が、二人きりの研究所に響く。自らが築き上げた鉄壁の向こう側に、彼がソニアを逃がすはずがなかった。立ち上がる気力を失った彼女の背中と椅子の間に、厚みのある掌が差しこまれる。
「オレはヨクバリスよりも強欲なんだ。自慢のキミを、他の誰かに触れさせたくはない」
 ニット越しに背骨をなぞられ、ソニアは体を強ばらせる。その肩を引き寄せながらも、ダンデの指が動きを止めることはなかった。
ダンソニ学パロ  定期試験の一週間前から部活動が休みに入り、自主練さえもが禁止されるのは、テストに備えて勉強をしろという学校側のメッセージに他ならない。
 図書館に座席を確保した生徒達の好奇心と恐れが入り交じった視線を受けながら、ダンデは四人掛けのテーブルで数学の問題を解いていた。
「ソニア、できたぜ」
「おっ、早いじゃない。では採点」
 高校生の平均を遥かに上回るダンデの体格では、学校の備品は全体的に小さい。椅子を後ろに引き、彼は静かに手足を伸ばした。周囲が慌てたように視線を逸らすなか、正面に腰を下ろした幼馴染は、赤ペンを手にノートを見つめている。
「バッチリ! ちゃんと分かってるじゃない」
 ダンデのノートに花丸と赤いハートを描き、ソニアは微笑んだ。
「キミの教え方が良いんだ。授業中にはまったくわけが分からなかったものが、キミにかかれば簡単に理解できる。おかげで今回もどうにかなりそうだ」
「新キャプテンも大変だね。後輩のお手本にならなきゃいけないんでしょう?」
 スポーツクラスには部活動のために高校に進学したような生徒が集まっているが、学生の本分である学業を疎かにして良いわけではない。得意科目ではクラスどころか学年のトップ争いに参加し、苦手な科目でも確実に平均点をもぎとるダンデは、文武両道の生きた見本であった。
「赤点を取ったら、補習と追試を受けなくちゃいけないだろう。オレはそんなことのために、練習時間をムダにしたくないだけだぜ」
「それを簡単にやってのけちゃうのが、ダンデくんのすごいところだよね」
 感心したようにソニアは笑うが、ダンデが部活動と学業を両立できるのは幼馴染の力が大きい。特進クラスとスポーツクラスとでは履修科目や授業内容が異なるにもかかわらず、彼女は嫌な顔ひとつせずダンデの面倒を見てくれる。夏休みにはダンデの宿題に加えて、弟の自由研究まで手伝ってくれたものだ。ホップがソニアに構われたがるために自宅での勉強がはかどらないのが、ささやかな悩みではある。
「さっきも言ったが、キミの教え方が良いんだ。先生にはならないのか?」
「大学で免許は取るかもしれないけど、今のところ、先生になりたいとは思ってないなあ」
「そうか。実はオレも、教職を取ろうか考えているところなんだ」
 ソニアがテーブルにぶつかって大きな音を立てた。生徒達の視線を集めながら、上半身を倒してダンデに顔を近づける。
「ダンデくん、進学するの?」
「まだ考えている最中だけどな」
 小声で答え、ダンデは間近に迫った白い喉から視線をそらした。
「どんな選手でも、生涯現役なんてワケにはいかないだろう。セカンドキャリアを考えるのは当然のことだし、スポーツしか知らない人生というのも、きっとつまらないぜ」
「おばあさまみたいなこと言うのね」
 大学で教鞭を執っていたソニアの祖母は、孫の教育としつけに厳しく、事あるごとに見聞を広めることの重要性を説いている。ダンデもまた、偉大なる研究者の薫陶を受けた一人だ。
 スポーツ以外に取り柄のない男に、ソニアと幼馴染以上の関係を築くことはできない。知識と観察によって導き出した結論を力に変えて高みを目指す若者には、類い稀な才能と年齢に見合わぬ欲望があった。
「それに、オレだってキャンパスライフに興味がある。ソニアは大学に行ったらバイトをして、合コンなんかに行ったりするんだろう?」
「合コンだったら、絶対にスポーツ選手の方が多いって」
 言いながらソニアは首を傾げる。豊かな知識を持ち、流行にも敏感な彼女だが、未知のものを想像するには限界があるようだった。
「……なんでだろう。きれいなお姉さんをお持ち帰りするダンデくんの姿が、イメージできない」
「奇遇だな、オレにも無理だ」
 ダンデは男子高校生だ。同級生と水着の女性が表紙を飾る雑誌を回し読みすることもあれば、テレビ番組やネット上の動画に刺激を受けることもある。だが性を意識する前から現在に至るまで、彼が求めるのは目の前のただ一人だけだった。プロスポーツ選手となって、華やかな女性が近づいて来ても、心が動くことはないと断言できる。
「それから、キミが大学やバイト先で変な男に引っかかるのも駄目だ。ご家族だけじゃなく、オレやホップも悲しくなる」
「心配してくれてるのは分かるけど、180センチ超えの筋肉男が嘘泣きするんじゃないの」
 わざとらしく顔を覆う手を軽くはたき、ソニアが笑う。彼女の人生は彼女自身のもので、ただの幼馴染に過ぎないダンデに口を出す権利はない。だが、ソニアは毛糸で遊ぶ猫のように、彼に絡め取られてくれるのだった。
「他にやっておきたい科目はある?」
「テスト範囲じゃないんだが、気になるところがあるんだ。見てもらえるか?」
「オッケー、どこ?」
 ソニアがテーブルから体を起こした。勉強を終えたらコンビニで報酬代わりの新作スイーツを買い、門限に間に合うように彼女を自宅に送り届ける。体を思うように動かせないテスト期間は、ダンデにとってソニアと過ごせる穏やかで貴重なひとときでもあった。


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