黄檗宗についてQ&A
 
 
 黄檗宗 の 「 教え 」    
    本宗は臨済宗と同じ法系にあり、「不立文字(ふりゅうもんじ) 教外別伝(きようげべつでん) 直指人心(じきしにんしん) 見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」 を根本に、「唯心(ゆいしん)の浄土 己身(こしん)の弥陀(みだ)を体得し、禅教一如(ぜんきよういちによ)により 転迷開悟(てんめいかいご) 安心立命(あんじんりゆうみよう)を目指す」のが教えである。

  端的に言うなら、公案を用いた坐禅により、人が生まれながらにそなえている自身の仏心(仏性ともいう。)を究明し、日常生活に自己の宗教的生活を実現することを目指そうというのである。

  具体的には、坐禅とか公案とか難しく考えずに大疑団をおこし、例えば私たちが唱えるお念仏について、「誰がお念仏を唱えているのか」、「誰がお念仏を唱えさせようとするのか」をじっくりと考えてみよう。

  そうすれば、黄檗宗祖大光普照
(たいこうふしよう)国師・隠元隆g(いんげんりゆうき)禅師(1592〜1673)が申されたように、きっと、自己が信じられるはずである。

  自己を信じ得れば他人も信じ得るし、他人を信じ得れば町中の人みなが仏様であることを信じられ、さらに生きとし生けるもの、みな仏様でないものは無いと気づかされるのである。

  日常生活にあっては、人として正しい戒を守り、禅定(ぜんじょう。心を静かに保つこと。)に励み、余裕のある時は先人の行き方を学び、学んで得たことを行動に起こすことこそが仏道にあるものの勤めであるというのが黄檗宗の教えである。


 
 
 黄檗宗 の 「本尊」について   
    大本山黄檗山萬福寺の御本尊は釈迦三尊像である。

  中央に釈迦如来の座像を、脇侍は向かって右に摩訶迦葉尊者、左に阿難尊者の立像を配置する。

  末寺寺院のご本尊は、本山と同じく釈迦如来を基本とするが、各寺院の縁起に由来する本尊が祀られ、観音菩薩、薬師如来、阿弥陀如来、地蔵菩薩等様々で、固守するものではない。

 
 
 黄檗宗 の 「 開祖 」 および 有名な 「 高僧 」 について    
  ◇ 開祖・隠元隆g
  中国福建省から渡来。 インゲン豆を帯来。 寒天の名付親。
  隠元、木庵、即非は能書家として知られ黄檗三筆と称される。

◇ 龍渓性潜
  妙心寺住持の席を捨てて隠元禅師のために黄檗山を造営。

◇ 鉄牛道機
  椿沼等を干拓した社会事業先駆者。

◇ 鉄眼道光
  一切経版木六万枚を開刻、明朝体文字と原稿用紙規格を日本に根付かせた。

◇了翁道覚
  我が国初の図書館を開設。福神漬発明者。

◇ 月海元昭
  煎茶道創始者で、売茶翁の名で親しまれている。



 
 
 黄檗宗の 「 主な 名刹 」 について   
  ◇ 興福寺(長崎市寺町)、崇福寺(長崎市鍛冶屋町)、福済寺(長崎市筑後町)、聖福寺(長崎市玉園町)何れも福の字がつき「長崎四福寺」と称す。 「唐人寺」とも呼ばれ中国情緒に溢れている。
◇ 福聚寺(北九州市小倉区)広寿山名で知られる。
◇ 東光寺(萩市椿)毛利家菩提寺。
◇ 永慶寺(大和郡山市永慶寺町)柳沢吉保公菩提寺。
◇ 正明寺(滋賀県日野町)聖徳太子開基。
◇ 達磨寺(高崎市鼻高町)高崎だるまで知られ、ブルーノ・タウトが住んでいた。
◇ 大慈寺(盛岡市大慈寺町)原敬総理菩提寺。


 
 黄檗宗の 「 家庭でのお勤め の 仕方 」 について    
    本宗は禅宗なので所依の経典はないが、通常は「般若心経」、「観音経」、「三帰依文」等を読誦する。
  朝は祈りを込め夕は感謝の気持ちで読経する。
  先ず、合唱しながら憶念念仏(声に出さずに念仏を唱える)し三拝する。
  次いで「開経偈」を唱え、前出の経典を読み、「回向文」で締めくくる。
  読経は、木魚の音一つに漢字一字をあわせ音読みする。
  締めくくりに、ご供養をする霊名を読みあげる。
  坐禅時は、「白隠禅師坐禅和讃」等を読む。


 
 
黄檗宗の 「 仏壇 」 について  
    お仏壇は唐木を推薦するがこだわらない。
  ご本尊は釈迦如来。 
  脇仏は、上段向かって右が上位で、禅宗祖師の達磨大師、左には黄檗宗祖・隠元禅師の仏像または画像を祀る。
  お位牌も同様に右が上位で古い順に並べる。
  三具足は古式通り(右側ロウソク、左側お花、真ん中線香立て。)に配置し、過去帳は当日のページを見台に広げる。
  茶湯、お菓子等は適宜お供えする。
  仏壇前に経机を置き、木魚は右側、左側に磬子(けいす、鈴)を配置する。
  仏壇の大小や地方の慣習に適宜合わせつつ、清楚を心がけること。