西 暦 |
和 暦 |
住 持 |
摘 要 |
1659 |
万治2 |
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5/ 3 酒井忠勝から隠元宛に手紙が届く。内容は、「京都付近に寺地を授けるから祖風を弘め帰 思を起こさぬよう」というもの。 |
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6/ 幕府、隠元に宇治に寺地を与える。 |
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6/14 隠元、幕府から寺地を賜る旨の手紙を受け取り、帰国を断念した旨酒井に返書を認める。 |
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6/25 隠元は、龍渓と候補地を見て歩き、宇治大和田を選ぶ。幕府はこれを許可した。 |
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11/23 隠元、太和山を新寺地基とする令旨を受け取る。 |
1660 |
万治3 |
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2/ 隠元、木庵、龍渓とともに新寺予定地を視察。 |
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4/29 幕府関係者の初めての現地視察が行われる。 |
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8/ 京都所司代牧野親成自らが現地視察を行い、工事方法が確定。
普請奉行には麻田藩藩主青木重兼公を決定。 |
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某日 俄に宇治川の岡屋の泊(とまり)から新寺予定地まで、木材搬入のための工事用道路が敷設 される。この道は、後に「隠元道」と称される。 |
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12/18 隠元、新寺を旧を忘れぬようにと中国前住寺院と同名の黄檗山万福寺と号する。 |
1661 |
万治4 |
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1/ 隠元、慧林を江戸に使わし寺地を賜ったことの礼を述べる。 |
寛文元 |
隠元
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5/ 8 黄檗山万福寺鍬入れ。 西方丈、双鶴亭竣工。 |
6/19 新寺開創準備のために唐僧先発隊一行(大眉性善、悦山道宗等)8人が現地に到着。 |
閏8/ 9 隠元到着。 |
閏8/29 隠元晋山。 |
総門(長屋門)、双鶴亭建立。 双鶴亭は後、名称だけ残る。 |
1662 |
寛文2 |
2/ 空印居士(酒井忠勝)の寄進により円通殿(のちの法堂)創建上棟。 |
9/ 近藤語石居士によって百両が寄進され、竹林精舎を建てる。 |
范道生により観音、韋駄天、伽藍神、達磨、十八羅漢像等を彫刻。 |
円通殿(後の法堂)、浴室建立 |
1663 |
寛文3 |
1/15 隠元、黄檗山万福寺祝国開堂。 |
東方丈建立。 |
8/23 禅堂(選佛場)上棟。
この頃、第一次から第三次計画の指図が出来る。 |
12/ 6 寿塔完成し、隠元の髪、爪等を「黄檗開山隠元g老和尚爪髪塔」に封入する。 |
性温夫人(守長政夫人)が居所を寄進し海上輸送してきたので、現中和井南付近に建て「松 隠堂」と称す。 |
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1664 |
寛文4 |
木庵 |
9/ 4 木庵(54才)継住開堂。 隠元、松隠堂に退院。 |
夏 放生池の開鑿を行う。 |
1665 |
寛文5 |
通玄門を建てる。 |
甘露堂建立。 |
1666 |
寛文6 |
6/29 後水尾法皇から仏舎利と白金を戴き、舎利殿の建立にかかる。 |
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1667 |
寛文7 |
5/25 将軍家綱、白金2万両とチーク材を寄進の令旨を受ける。 |
6/ 舎利殿建立し拈香。 |
天王殿下に八幡神社が寄進される。 |
12/15 大雄宝殿工事着手 |
1668 |
寛文8 |
3/25 大雄宝殿上棟 |
10/15 大雄宝殿落成。 |
天王殿、齋堂、鐘楼、知客寮建立。 |
1669 |
寛文9 |
9/ 伽藍堂、祖師堂建立。 |
1670 |
寛文10 |
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1671 |
寛文11 |
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1672 |
寛文12 |
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1673 |
寛文13 |
4/ 3 隠元示寂。 |
延宝元 |
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1674 |
延宝2 |
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1675 |
延宝3 |
4/ 3 寿塔に宗祖の龕を治め閉じる。 |
1676 |
延宝4 |
5/ 3 三門建立 |
1677 |
延宝5 |
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1678 |
延宝6 |
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1679 |
延宝7 |
鼓楼が完成。 これによって、黄檗山七堂伽藍および諸寮舎が全て完成する。 |
1680 |
延宝8 |
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1693 |
元禄6 |
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総門(漢門)建立。 当初建設の総門は松隠堂通用門として移設。 |
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