黄檗宗・慧日山永明寺HP


 

 『慧日山引地建立留書』 


当山の建立経緯は、全てこの古文書に記録されています。

古文書の解読は至難で、小衲の知識ではほとんど解読不能ですが、部分的に判読できる個所のみを掲載していきます。

〔注〕管理者の都合上、古文書記録一行単位に改行し掲載しています。

寛保元辛酉年(1741) 
寛保元辛酉年八月十五日
  慧日山曳引地建立留書

     
江州坂田郡柏原驛    慧日山永明禅寺 

酒監谷開地創建
  従寛文四甲辰年至寛保三癸亥年八十年
    
(寛文四甲辰年従り寛保三癸亥年に至る八十年) 

黄檗山末寺憑
(黄檗山末寺に憑く)
  従寛文六丙午年寛保三癸亥年迄七十八年
    
(寛文六丙午年従り寛保三癸亥年迄七十八年)

  従酒監谷菖蒲原江引越
(酒監谷従り菖蒲原へ引越)
  
  従延宝五丁巳年至寛保三年癸亥年六十七年
    
(延宝五丁巳年従り寛保三年癸亥年に至る六十七年)
    御代官市岡裡右衛門殿御支配

  従菖蒲原寺ヶ鼻江引地
    延享二乙巳年
     和州郡山御代

  寺ヶ鼻屋敷明細絵図   但壱間六尺三寸  絵図省略

延享元甲子歳(1744)


  
一 釈尊座像 康甫作 長壱尺弐寸五分 九重座

   右者和州郡山放光寺之御本尊也。同国穴闇村長林寺ニ有之、同州越智村高雲寺覺林和尚之御世話ニ而請シ申候。右御本尊、宇治長松院惠之約束ニ而二月之末御惠之由申来候。三月二十三日人足二人迎二遣申候


   
〔和訓〕   一 釈尊座像 康甫作 長(た)け一尺二寸五分 九重座

  右は和州郡山放光寺の御本尊也。 同国穴闇村長林寺に之れ有り、同州越智村高雲寺覚林和尚の御世話にして請し申候。 右御本尊、宇治長松院恵みの約束にして二月之末御恵之由、申し来り候。 三月二十三日人足二人迎二遣し申候。
 

〔大意〕   1 釈尊座像 康甫作  像本体の高さ 38p  九重座(蓮弁の台が9重になっている。)

  右の仏像は、大和郡山(現・奈良県北葛城郡王寺町本町)にあった放光寺の御本尊である。 同じ奈良穴闇村(現・奈良県北葛城郡河合町穴闇)長林寺にあったものを、同州越智村、高雲寺の覚林和尚の御世話によるものである。
  右の御本尊は、宇治(本山塔頭の)長松院が恩恵を与えてくださったもので、2月末にくださるとのお約束が伝えられたところである。
  3月23日に人足二人を引き取りのために派遣したところである。

〔注〕 放光寺、長林寺とも現存。 高雲寺は不明。
    覚林和尚 不明。



       
一 金十両二分百匁   御本尊入用檀中寄付

 
〔和訓〕  一 金十両二分百匁   御本尊入り用 檀中寄付

 
 
〔大意〕  1 金10両2分100匁   御本尊をもらい受けるための所要経費   檀中が寄付

〔注〕 江戸時代の通貨単位は、両、分、朱、文。 1両=4分、1分=4朱、1朱=250文 であり、4000文で1両。
    1文は、25〜30円ぐらいと換算されているので、1両は10万〜12万くらいという。 したがって1両を11万円で換算した場合、1文は27円50銭である。 10両2分100匁は、46,100文であるから1,267,750円ということになる。



  
   
   
寶暦二壬申年(1752)  

   宝暦元年未年永明寺庫裏継足普請之儀、郡山御奉行所江御願伊成候得トモ何分ニ茂相叶不申。
  依之同年之秋泉州聖福寺江御法縁有之御招申入御内談仕候。
  而御願筋之義、無據御頼申ニ付、郡山表江去年已来度々御越再建難捨置品段々仰上御聞留之上、宝暦二申年五月永明寺由緒書差出様候仰付左之通聖福寺御書上成候写。 
  坂田郡柏原駅永明寺継足普請之儀、去年中度々奉願候処引寺御許容下され候後間茂無御座其上大仰之普請ニ思召候ニ付容易ニ難被仰付趣仰渡願書御返シ礼成御尤之義奉候然處右永明寺之儀由緒御座候而開山鉄牛和尚派下之僧侶京都浄住寺等心を合再建之志願御座候訳去年来段々御物語申上候処入組候義故御覚茂難成可有御座と左に書付入御覧候。 


 
〔和訓〕   宝暦元年未年永明寺庫裏継ぎ足し普請の儀、郡山御奉行所へ御願い成り候らえども何分にも相叶い申さず。
  これ依り同年の秋、泉州聖福寺へ御法縁これ有り御招き申し入れ、
御内談仕り候。
  而うして御願い筋の義、処なく御頼み申すに付き、郡山表へ去年以来度々御越再建捨て置き難き品、段々仰せたてまつり御聞き留けの上、宝暦二申年五月、永明寺由緒書差し出す様、左之通り仰せ付け候。
  聖福寺御書き上げに成り候、写。
  坂田郡柏原駅「永明寺」継足し普請の儀、去年中、度々願い奉り候処、引寺御許容下され候後ち、間も無く御座。其の上、大仰の普請に思し召し候に付き、容易に仰せ付けられ難き趣きの仰せ、渡願書を渡し礼を御返しに成りごもっともの義に奉り候、然る処、右永明寺の儀、由緒御座候うて、開山鉄牛和尚派下の僧侶、京都浄住寺等、心を合わせ再建の志し願い御座候訳け、去年来、段々御物語申上候処、入組候義故、御覚えも成り難く有るべき御座と、左に書付を入れ御覧候え。