黄檗宗・慧日山永明寺HP

瓜頂和尚祖録漫解帖

 『 鑑 古 録』

               南源性派禅師著

〔解説〕

  南源性派禅師(1631〜1692)は中国福建省福清県の出身です。 承応3(1654)年、23才の若さで隠元禅師に随従して渡来され、慧林性機、大眉性善禅師等とともに最も隠元禅師を知る人と言えます。

  南源禅師の著述には、分かっているだけで、『天徳南源禅師語録』20巻、『南源禅師蔵林集』6巻、『南源禅師東遊集』1巻、『芝林集』24巻、『鑑古録』30巻があります。

  この『鑑古録』は、三教(仏教、儒教、道教)に優れた先達等の言行に基づき、南源和尚が30のカテゴリーに分けて記した随筆集と言えます。

  その構成は、1慎行 2謹言 3化澤 4清操 5慈生 6種徳 7信義 8雅量 9親縁 10師友 11忠節 12教誨 13厳請 14高尚 15惜福 16方便 17内省 18悔過 19策進 20守雌 21勤力 22晏休 23警貧 24戒瞋 25識鑑 26閲世 27心地 28徳感 29善徴 30悪報 の30項目です。

  序文は、「近代師」と称せられた真言宗智積院の学匠・泊如運敞が寄稿し、自序に依れば延宝8(1680)年8月1日に上梓されたことになっています。


 


 
第一巻『慎行』より 

  隠元g和尚嘗告衆曰汝等参禅学道先要戒根清浄因果分明所謂説得一丈不如行得一尺老僧徳行無過人者但平生因果二字不敢自昧汝等其亦之慎師来日本開黄檗時年巳七十値冬月足冷夜取熱水濯之顧謂侍者曰須銭納常住薪火不可侵也

   〔和訓〕
  隠元g和尚嘗つて衆に告げて曰く。 汝等参禅学道のもの、先ず戒根清浄にして因果分明ならんことを要す。 所謂一丈を説得せんよりは一尺を行得するに如かず。 
  老僧徳行人に勝るなし。 但平生敢えて自ら因果の二字を昧まさず。 汝等も其れ亦これを慎めよ。 
  師日本に来たりて黄檗を開きし時 已に七十に値
(あ)うて 冬月足冷ゆるに、夜熱水を取り之を濯(あら)う。 顧みて侍者に謂うて曰く。 須く銭を納め常住薪火を犯すべからずと。

     〔大意〕
  隠元和尚は嘗て大衆にこの様なことを告げられた事がある。
  「おまえたち参禅勉学の修行僧は、先ず戒を保つように自己を清浄にし、因果の理をよく理解し実践することが大切だ。 それは、いわば一丈の長さのものを口で説明するよりも、一尺の行動でもって示した方が分かり易いというものだ。 私はこれといって他人より優れた徳行を行っているわけではないが、日頃から「因果」の二字を曖昧にするようなことはしていない。 お前たちもこればかりは慎むようにしなさい。」と。
  隠元和尚は、来日されて黄檗山を開かれたとき、すでに七十才になっておられた。 冬は足が冷えるので夜は温水で足を洗っておられた。 この時、侍者に向かって言われるには、すぐにお金を納めて個人のために公のお金を使い込まないようにしなさいと。




第五巻『慈生』より

  黄檗隠元和尚應化日邦即勸人以戒殺放生爲務初住普門毎月必差僧往八幡山散處放生未嘗少闕他則可知師有勧放生偈曰大徳曰好生是爲萬物主有情並無情恩絶無不普草木亦貪生而況諸鱗羽奉勧世間人積善如良賈誕日併忌辰活命非小補生生壽無窮不堕於諸数大哉菩薩心堪作含霊父今合國緇白而知戒殺放生者皆師啓道之力也

  〔和訓〕
  黄檗隠元和尚日邦に應化す。 即ち人を勧めて殺を戒め放生を以って務めと爲し、初め普門に住するを毎月必ず僧を差
(つかわ)しめ八幡山に往いて散ずる処、放生未だ嘗つて少闕、他は則ち知る可し。
  師放生を勧むるに偈有り。 曰く、大徳を好生とも曰う。 是れ萬物の主の爲すなり。 有情並びに無情の恩絶、草木も生を貪り而も況んや諸の鱗羽をや普からずということ無し。 
  世間の人に勧め奉るに善を積むこと良賈の如くせよと。 誕日併びに忌辰活命小補に非ず、生生の壽窮り無く諸数に堕ちず、大なる哉、菩薩の心含霊の父を作るに堪えたり。 
  今合國緇白而戒殺放生を知る者皆師の啓道之力也。

 
  〔大意〕 
  黄檗山の隠元和尚は臨済の正しい禅を広めるため日本に渡来されたが、その教えの具体的な方法として、人には殺を戒め放生を勧められた。 初め普門寺に住われたときは、毎月必ず僧を近くの八幡山に派遣され、生き物を放ってやるようにされ、少しもそれを欠かされることが無かった。 日常にあっても推して知るべしである。 
  和尚が放生を勧められた偈が有る。 それによると 「大徳の人のことを 『好生』 ともいうが、これは人たる者、万物の主であり、相手が有情、無情にかかわらず、恩を絶やさないところにある。 もとより草木であろうと生に貪欲であり、況んや諸の鳥や獣も同じ事である。 どうか生き物を大切にして欲しい。 
  皆さんに申し上げたいことは、「善を積むこと良賈の如くせよ」ということである。 大きな商売ができる人は、少しずつ利益を積み上げていくからである。 このように積善の徳を積むことは大事である。 自分の誕生日とか先祖の命日とかにどの様な小さな生き物であれ、放生をすることによってその功徳は、大きなものとなる。 
  このような行いは、仏教徒が目指す最も大切な 「菩薩の心」 を作るのであり、「生き物の父」と呼ばれるに値する行為だといえよう。
  今日、世間の人たちが 「殺戒放生」 を知るひとが多くなったのも、みな隠元禅師がこの教えを広げられたからである。