黄檗宗・慧日山永明寺HP


 
瓜頂和尚 祖録漫解帖


 普 照 国 師 廣 録 


 
國師廣録は、黄檗宗祖隠元禅師が生涯かけて説法された法語等をまとめたものです。

宗祖は、46才で中国福建省にある黄檗山萬福寺(古黄檗)住持に就かれました。

この古黄檗には、明朝廷から大蔵経が下賜されていました。

宗祖は住持に就任されるや、先ず3年を限って大蔵経の閲読を開始されます。

この時、出版活動の重要性に気づかれ、刷印楼
(印刷所)を設置されます。

そうして、最初の語録2巻が上梓されました。 51才のことです。

その後、示寂されるまでの30年間に多くの語録が出版されます。

日本に渡来された後、これらが抜粋され出版されたものが 『國師廣録』 です。

本頁では、これらの中から主な法語等を年代順に紹介致します。


大光普照國師隠元禅師語録 目次 
 宗祖年令 年 次  主な出来事 紹介法語 
54才 弘光元(1645)年 龍泉寺に入る  (龍泉寺での)上堂 
63才 承応3(1654)年  日本渡来 應長崎興福禅寺請辭衆上堂
64才 明暦元(1655)年   普門寺に入る  
65才 明暦2(1656)年  妙心寺、南禅寺等を拝塔。 示木庵首座 
       

 
 〔凡例〕
○ 本ホームページの標題は、『國師廣録』 (以下「廣録」という。) としているが、掲載原文は、平久保氏編集の 『隠元全集』 (以下「全録」という。) の本文を中心に紹介し、廣録の語句等に異同が有る部分については、[ ]で表記し語録の原文を茶色で表記した。
○ 配列は、原文、和訓、大意、解説の順で掲載する。
○ 漢詩に得意な方から原文を見れば一目瞭然であろうが、法語の中にかなり多くの漢詩や対句が用いられている。 管理者は、門外漢であるので、それには配慮せずに羅列したので許容いただきたい。
○ 原文に標題が付されているものについては、その通りに、標題の無いものについては、最初の冒頭の句を標題代わりに使用した。
○ 標題の後の( )書きは、全集掲載頁数を示す。


  


 
 
上堂(P424)

 問、「輕身竆鳥道、重法到龍泉。 
    透網金鱗現、請師向上傳。」
 師云、 「我這裏一滴也無。」

 進云、 「莫欺新婦子、曾透老婆禪。」
 師云、 「不是苦心人不知。」

 問、  「如何是奪人不奪境。」
 師云、 「活捉逆鱗清四海進。」

 云、「如何是奪境不奪人。」
 師云、「掃除煙氛得英靈。」

 進云、「如何是人境兩倶奪。」
 師云、「天翻地覆無何有。」

 進云、「如何是人境倶不奪。」
 師云、「一樹花開萬國春。」

 進云、「人境已䝉師指示覿面相呈作麼生。」
 師、驀頭一棒。

 進云、 「一棒分賔主吐露太分明。」
 師云、 「秪爲分明極反令所得遟。」

 乃云、 「昔日浪走山川偶然逗到漳浦。 
      倐忽春去秋來剛剛一十有五。 
      如今老大、無知添得一肚莽鹵
      擡頭撞破虛空、開口併呑佛祖。 
      慈悲全沒些些、惡毒過於猛虎。 
      慣解奪食驅耕、令人無依無怙
      龍象一見忻懽、跛鼈心惶目努。 
      掃開萬里閒雲、迸出紅輪正午
      [返觀一念未生大地了無寸土。]
      離相離名離去來、
      超凡超聖超今古、
      箇様没面目阿師。 
      觀他禮他阿何補。 
      雖然如是、[胸中] 不妨一點長處且[道] 如何是他長處。

 相見又無事、不來還憶君。

下座。
   

 
〔和訓〕 
    上堂。 

  問う、「 軽身
(きょうしん)、鳥道(ちょうどう)を窮して、法を重んじて龍泉に到る。 網を透って金鱗(きんりん)現ず。 請う師、向上に伝えよ。」
  師云く、「我が這裏に一滴も也た無し。」 

  進みて云く、「 新婦子
(しんぷす)を欺くこと莫れ、曾て老婆禪を透る。」 
  師云く、「 苦心の人にあらずんば知らず。」

  「 如何なるか是れ、奪人不奪境。」 
  師云く、「 逆鱗を活捉
(かっそく)して四海を清うす。」 

  進みて云く、「 如何なるか是れ、奪境不奪人。」 
  師云く、「 煙氛
(えんふん)を掃除して英靈を得ん。」

  進みて云く、「 如何なるか是れ、人境両倶奪。」 
  師云く、「 天翻り地覆い無何有
(むかゆう)。」 

  進みて云く、「 如何なるか是れ、人境倶不奪。」 
  師云く、「 一樹花開きて万国の春。」


  進みて云く、「 人境已に師の指示を蒙り、覿面に相呈す作麼生
(そもさん)か。」
  師、驀頭
(まくとう)に一棒す。 

  進みて云く、「 一棒賓主
(ひんじゅ)を分つ、吐露す、太だ分明。」
  師云く、「 祇
(ただ)分明極れるが爲に反て所得をして遟からしむ。」 

  乃ち云く、「 昔日
(むか、山川に浪走(ろうそう)して偶然として漳浦(しょうほ)に逗到(とうとう)す。 倐忽(しゅくこつ)として春去り秋来り、 剛(まさ)に剛に一十有五。 如今(いま)の老大、無知にして一肚(いちず)の莽鹵(ぼうろ)を添え得たり。 

  頭
(こうべ)を擡(もた)げて虚空を撞破(とうは)し、口を開いて仏祖を併呑(へいどん)す。 慈悲全(まった)く些些(ささ)に没し、悪毒、猛虎よりも過ぎたり。 食(し)を奪い、耕を駆ることを解(よ)くするに慣れて、人をして依ること無く怙(たの)むことを無からしむ。
  
  龍象は一見して忻懽(きんかん)し、跛鼈(はべつ)は心惶(おそ)れ目努(みは)る。 萬里の閒雲を掃開して紅輪を迸出(ほうしゅつ)して正に午(まひる)ならん。 [一念未生を返觀すべき。 大地了に寸土無し。]  相を離れ名を離れ去來(こらい)を離る。  

  凡を超え聖を超え今古を超ゆ。 箇の様の沒面目の阿師よ、他
(かれ)を觀じ他を禮して何の補いか有らん、然も是くの如くなりと雖ども[胸中に] 妨げず、一點の長處有り。 且く[道え] 如何なるか是れ他(かれ)の長處、相見て又無事来ざれば還って君を憶う。」

  下座す。



〔大意〕     
 
 
應長崎興福禅寺請辭衆上堂(P1433)

[應長崎興福禪寺請(東渡)]辭衆上堂[云]
信不可失願不可無相不可着心不可昧[言不可不行]道德不可不僃去住不可不當時節因縁不可不知
授受之際不可不隆重[繼述斯道不可不渾厚]全僃斯者爲人不愧渉世無悶
老僧[老矣]事事無能濫厠法門十有七載有負檀信者多茲廼東応卽日啓行聊叙言別以慰衆念所以
三請而來一辭便去遵上古之風規為今時之法則未有長行而不住未有長住而不行
其行也歩歩無踪跡其住也處處絶廉纖我爲法王去住自在滴水滴凍縱横無礙行既行也
且道途中得力一句作麼生道撥盡洪波千萬頃拈花正脉向東開[下座]

〔和訓〕 
    長崎興福禅寺の請(しょう)に応(こた)え、辞衆上堂して云(いわ)く。

  信
(しん)は失すべからず。  願(がん)は無くすべからず。  相(そう)は着(じゃく)すべからず。  心(しん)は昧(くらま)すべからず。  [言(ごん)は行(おこな)わざるべからず。]  道徳は備えざるべからず。  去住(こじゅう)は不当(ふとう)べからず。  時節因縁は知らざるべからず。

  授受の際は隆重
(りゅうちょう)ならざらんはあるべからず。 [斯道(しどう)は継述(けいじゅつ)し渾厚(こんこう)せざるべからず。]  全て斯(こ)れを備うる者は人と爲って愧(は)じず、世を渉(わた)って悶えること無し。

  老僧 [老いたり。]  事事無能なり。  濫
(みだり)に法門に厠(まじわ)ること十有七載(さい)、 檀信に負(そむ)くこと有る者(こと)多し。 茲(ここ)に廼(すなわ)ち東応(とうおう) 即日(そくじつ) 啓行(けいこう)す。  聊(いささ)か言別を叙べて以て衆念を慰(い)す。

  三請して来り一辞して便ち去る、上古の風規に遵
(したが)い今時の法則と為す所以なり。

  未
(いま)だ長く行(ゆ)いて住(とど)まらざらんには有らず。  未(いま)だ長く住(とど)まって行(ゆ)かざらんには有らず。

  其の行くや、也た歩歩
(ほほ) 踪跡(そうせき)無し。 其の住(とど)まるや也(ま)た処処廉繊(れんせん)を絶す。 

  我法王
(ほうおう)と為って去住(こじゅう)自在 滴水滴凍(てきすいてきとう) 縦横無礙。 行くことは既に行くなり。

  且
(しばら)く道(い)え。 途中得力の一句作麼生(そもさん)か道(い)わん。  洪波(こうは)の千萬(せんまん)(けい)を撥尽(はつじん)し、拈花(ねんげ)の正脈(しょうみゃく) 東に向って開く。  [下座す。]


〔大意〕    長崎興福寺からの拝請に応じ、上堂して衆に別れを述べられた。  
  仏教を信ずる心を失ってはならない。 人々を救おうとの誓願を無くしてはならない。 姿、形に執着することがあってはならない。 心をごまかしてはならない。 [自分の言ったことは責任を持って行わねばならない。]  人の踏み行うべき徳を備えなければならない。 日々の行いは、正しくなければならない。 因縁が合致して為すべき時は、時を失しないようにしなければならない。
  法の授受は慎重に行わなければならない。 [受け継いできたこの臨済正宗の道を受け継ぎ、しっかり伝えなければならない。] 全てこれらのことが備えられれば人として恥じることはないし、世間に出ても悩むことはない。
  衲は[すでに老いた。] 何をしても無能である。 みだりに仏門に関わってはや十七年が経つ。 檀信徒に御世話になることが多かった。
  ここに日本からの招請に応じて旅立つこととなった。とりあえず別れの言葉を述べて皆をねぎらおうと思う。
  三請され一度辞退するが、それに応じるというのは古来からの慣例であり今もそのようにされている。 
  長い旅をして留まらないということはないし、いつまでも長く留まってそこから行かないと言うことはない。 行くと言ってもその跡を残すわけではない。とどまるといって もあちこちに未練を残すわけではない。
  衲は仏法の頭となり行くも帰るも自由自在なら、間髪を入れずになんの障りも無しに進む。 行くと決まった以上は行くなり。 
  とりあえず言ってみよう。 旅の途中の助けともなるような一句をなんと言おうか。 大浪をけたてて大海を渡り臨済禅を東の国日本で開こう。 [といって下座された。]



 

示木庵首座(P1966) 

燥辣衲僧超出塵勞之表截斷生死根源尋常孤逈逈峭巍巍圓陀陀活潑潑
人天窺覷無門魔外豈能近傍凡來聖來渾爲一體賢到愚到輥作一團
而後秉殺活劒議擬不來斬爲百段抛
栗棘蓬(金剛圏)呑吐不下再加一錐敢保悪知悪覺立地消殞自然透頂透底恩大難酬矣
試看臨濟正
(脈)一派(個個如獅子王)轟轟烈烈哮吼一聲百獣魂飛
唯金毛種艸便能返擲以起中興之道永永無窮矣
(福濟)木庵瑫公親吾有年(亦)曾萬福堂中平分半座後開法於象山
(余東請乙未秋特特航海謝法可謂盡法乳之誠余又應普門著僧)

茲來乞法語爲徴聊書梗槩與之若夫擒虎兕按獰龍在乎當機手眼殺活權變
(縦横無碍唯)公自能之豈日學養子而後嫁者也是嘱

〔和訓〕
  燥辣(そうらつ)の衲僧は塵労之表に超出し生死の根源を截断(せつだん)す。

  尋常孤逈逈
(こけいけい) 峭巍巍(しようぎぎ) 円陀陀(えんだだ) 活溌溌 人天窺覷(きしょ)するに門無く 魔外(まげ) 豈能く近傍せんや。

  凡来
(ぼんらい) 聖来 渾(すべ)て一体と為し 賢到 愚到 輥(こん)じて一団と作す。

  而後 殺活の剣を秉
(と)りて 議擬不来ならば 斬りて百段と為し 栗棘(りつきょく)(ほう)を抛(な)げうつに 呑吐(どんと)不下なれば再び一錐を加う。

  悪知悪覚を敢保
(かんぽう)し 立地に消殞(しよういん) 自然(じねん)に透頂(とうちよう) 透底(とうてい) 恩大にして酬い難きことを。

  試みに看よ 臨済正伝の一派 轟轟烈烈 哮吼
(こうこう)一声すれば 百獣 魂飛ぶ 唯金毛の種艸(しゅそう)のみ便ち能く返擲(へんてき)して以って中興の道を起し 永永無窮ならん。

  木庵瑫公 吾れに親しむこと年有り 已でに曾て萬福堂中に半座を平分す。

  後 法を象山
(しようざん)に開く 茲に来って法語を乞いて徴と為す。 聊か梗槩(こうがい)を書して之を与う。

  若し夫れ虎児を捕え 獰龍
(どうりゅう)を按ずることは当機手眼 殺活権変に在り。 公自ら之れを能くせよ。 豈子を養うことを学びて而る後に嫁すと日う者ならんや。 是れ嘱す。

 
〔大意〕   力量を持った禅僧というものは、この汚れた世界を超越し生死の根源をも断ちきっているものだ。
  普通、遙か奥山に、大きな山の聳えるが如く、欠けることなく活気に満ち溢れた、そのような人間界や天上界をうかがい見ると、門が無いにもかかわらず悪魔外道はとても近寄り難いものだ。
  凡人であれ悟った人であれ、誰が来ようが全てを一体とし、その上で生かすも殺すも自由自在と剣をあやつり、疑義が生じるなら斬って百片に切り刻むのだ。 あるいは栗のいがや蓬等を呑まし、呑めなければ再び錐を差し込むように一撃を加えるのだ。
  敢えて保証しよう。 悪い考えや誤った悟りはたちどころに消滅し、いつの間にか頭のてっぺんから足のつま先まで何事にもとらわれることのない絶対境地に至るだろう。 
  この様な境地を得させていただける師の恩は、報いることの出来ないなんと大きなものか。
  試しに看よ。臨済禅師の教えを伝える一派のこの轟轟烈烈とした、獅子が一声すれば百獣の魂が吹き飛ぶような手段。唯金毛のはえた者のみはそれをはね返し、中興の道を起すことができ、それは永永と続く無窮のものだ。 
  木庵瑫公よ。 わたしに親しく仕えること多年、已でに過去には中国黄檗山萬福寺では住職の代理を努めてくれました。その後は、象山恵明寺の住職となって法を説いておられる。
  今は、ここに来て法語を望まれたので、これを記して証とするためにいささかあらましを書いて渡そう。 
  もし虎や牛を捕らえ、あるいはどうもうな龍を押さえ込んだら、時を外さずそれらを生かすも殺すも自由自在になさい。
  貴方はすでにそれが出来る人だ。 子を育てることを学ばねば嫁には行かぬなどとはいわないように。
  頼みましたよ。