黄檗宗慧日山永明寺HP

  慧 日 山 永 明 寺 歴 史 年 表  
 


元 号 
(西 暦) 
摘  要  ( 黒字は永明寺、赤字は宗門関連、茶色字はその他 ) 
承応 3年
(1654)
○7/5 隠元禅師、長崎に上陸。
寛文元年
(1661)
○5/8 隠元禅師、京都宇治に黄檗山万福寺を開創。
○8/29 隠元禅師、万福寺に入山。
寛文 4年
(1664)
○ 独心如寂禅師、永明寺を柏原酒塩谷に創建し、鉄牛禅師を勧請開山に招請。 山号を「萬松山」と号する。
寛文 6年
(1666)
○ 黄檗山万福寺の末寺につく。 黄檗宗末寺としては、全国で78番目の寺院である。
寛文13年
(1673)
○4/3 隠元禅師示寂(世寿82才) 
延宝 5年
(1677)
○ 開山・独心禅師、柏原菖蒲原地先(中仙道筋、現・車戸守氏宅付近)に移転。 
延宝 7年
(1679)
○ 井伊玄蕃頭検地(代官 市岡理右衛門) 
延宝 9年
(1681)
○ 当山開山・独心禅師、小田原・瑞林寺にて示寂。 
元禄13年
(1700)
○8/20 当山勧請開山・鉄牛禅師示寂(世寿73才)。 
正徳 3年
(1713)
○10/27 岩佐氏、毘沙門堂厨子を製作。 日枝神社へ寄進する(当山に現存)。
正徳 6年
(1716)
○4/15 幕府、諸街道の呼称を定める。これによって中仙道は中山道と改称される。
享保 5年
(1720)
○ 第6代中興・大徹禅師、山号を「萬松山」から「慧日山」へと改号。
  
享保 6年
(1721)
○12/18 岩佐氏、母供養のために聖観音菩薩座像(現・西単本尊として安置)を喜捨。
享保 9年
(1724)
○ 徳川幕府の直轄地であった柏原村は、大和郡山藩領となる。 家475軒、人口1,654人。
寛保元年
(1741)
○8/15 「慧日山引地建立留書」記録開始。 
寛保 2年
(1742)
○ 秋、大梅禅師、信貴山中に於いて?杖を作成。(現存) 
寛保 3年
(1743)
○ 第8代大梅禅師、入祠堂規約を作成し上寺・葉室山浄住寺(京都市)の承認を得る。 
延享元年
(1744)
○3/23 大和郡山・放光寺本尊の釈尊座像(康甫作、九重座、現本尊)を譲り受けるため、人足2人を遣わす。
延享 2年
(1745)
○7/28 現在地・寺ヶ鼻宝生寺跡地への移転図面を奉行所宛に提出。 
翌7/29、申請地の引き渡しが承諾される。 
○10/10 縄張り開始。 
○ この年、山根家分家し、以降、開基を「四檀家」と称する。 
延享 4年
(1747)
○8/6付け、山根家紋章入り書院瓦あり。 
延享 5年
(1748)
○4/付け、岩佐家紋章入り書院瓦あり。
○7/26〜29  柏原隣組総出で瓦葺き替え普請。(三日間で延べ428人を動員。)
寛延 2年
(1749)
○ この年、ほぼ寺ヶ鼻への移転を完了。 
寛延 3年
(1750)
○3/8〜10 本堂移転を祝し、八十八仏名経および施餓鬼法要を厳修。 
宝暦 2年
(1752)
○ 「鉄牛禅師が開かれた寺院にふさわしい寺院として再建したい」との願上書を寺社奉行宛に提出。 
宝暦 3年
(1753)
○ 「庫裏継ぎ足し普請願い書」を奉行所へ提出。 本堂再建(本当は新築であるが、新築は法度により禁じられていたことから庫裏を継ぎ足しするとのことで申請した。)の本格的陳情が始まる。
宝暦 7年
(1757)
○5/ 第9代千峯禅師、裏山に多宝塔を建立。 
安永 2年
(1773)
○11/23 第10代萬江禅師入山。
安永 6年
(1777)
○10/8 第12代龍山禅師入山。 
天明 5年
(1785)
○ 新たに現本堂を建立、上棟。 四本柱礎輪に「長村住治工 黄地金左衛門」の銘あり。
天明 6年
(1786)
○ 本堂完成。延享5年に移転した本堂は、書院に変更。 
寛政 3年
(1791)
○9/ 鐘楼完成。 洪鐘。 
寛政 4年
(1792)
○ 正月、栄林尼(車戸長次郎妹)、鉄眼版大般若経六百巻(現存)と金子を寄進。 
○3/8 大般若経開巻供養。 以後、毎年、正月に大般若転読法要を厳修。 昭和以降は8月に変更。 
寛政 8年
(1796)
○9/ 四檀家、彦根藩絵師・小武半四郎陳江画の大涅槃図一幅(現存)を寄進。 
寛政11年
(1799)
○ 栄林尼、大般若経修覆料として田地および金子を寄進。
享和元年
(1801)
○4/11 第16代梅嶺禅師晋山。
○12/ 巖佐九兵衛、小鼓(懺法太鼓)一組(2個)を寄進。(現存) 
文化 5年
(1808)
○11/ 四檀家(巖佐九兵衛、山根孫七郎、岩佐忠五郎、山根宗治)等、禁牌石を三門建立予定地付近に建立。 
文政 5年
(1822)
○2/18 第17代・敬之禅師晋山し、開板を喜捨する。(現存)
○この年、長松派派頭寺院である葉室山浄住寺へ住職の派遣、輪番制等について依頼。 
文政 9年
(1826)
○9/8 第18代東呉禅師登檗し、永明寺に入山の挨拶をする。 
○9/15 晋山開堂。 
文政13年
(1830)
○12/ 派頭・葉室山浄住寺から四檀家宛に、住職の5年輪番制等について回答がくる。 これにより、@ 住職は5年輪番。 A 住職、監寺は二期続けて就かせない。 B 晋山等法式時は葉室派以外は入れない。 等が定められた。 
天保 3年
(1832)
○2/22 付近からの出火で、日枝神社境内の毘沙門堂が類焼。 
○ 天保3年日記(現在解読中)作成される。 
天保10年
(1839)
○8/ 日枝神社毘沙門堂火災のため毘沙門天像を厨子ごと永明寺へ移転。(現存) 
天保14年
(1843)
○3/26 第20代大顛禅師入山開堂。
○ この頃、柏原宿は家344軒、人口1,468人。本陣、脇本陣各1軒。旅籠22軒(中7軒、小15軒)  
嘉永 4年
(1851)
○ 慈恩寺(五個荘町清水ヶ鼻)に隠栖する慧定禅師を第21代住持として招請。
嘉永 5年
(1852)
○3/20 慧定禅師晋山開堂。 宗門内外から50余名の僧侶が参列。(内、10名は曹洞宗) 白槌師は、乾明寺玄處和尚。
嘉永 6年
(1853)
 
○ 黄檗山開戒、慧定禅師教授阿闍梨として登山。 
○10/ 隻履達磨像を描く。
○11/28 肥前佐賀天眞山浄蔭寺桂峯和尚を招請、末期の句を代書せしめ入寂する。 
 
文久元年
(1861)
○10/24 皇女和宮、降嫁のため本陣に宿泊。 一行4,144人、各宿等に分かれ分宿。 
 当地・柏原は、大和郡山藩の領地であったことから警護は同藩で行うこととなっていたが、人員不足のために多くの町衆が動員された。 名字帯刀を許された五個荘金堂村の商人・外村市郎兵衛もかり出され、10月19日から23日まで当・永明寺に分宿し、他の帯刀御免の者と勤務していたことが本人の日記に記録されている。 (「和宮様通行ニ付御固所御用日記」五個荘町歴史博物館所蔵) 
明治元年
(1868)
○ 明治維新
明治 7年
(1874)
○ 4/30 栴林禅師、永明寺第23代住持として入山。 
明治 9年
(1876)
○ 2/4 黄檗宗名復旧別立認可。 
明治13年
(1880)
○ 3/ 第23代栴林禅師、永明寺開山・独心禅師二百回忌法要厳修。 
明治22年
(1889)
○ 11/17 第25代神龍禅師着任。 
○ この年、東海道本線が全通。柏原駅開業。
明治25年
(1892)
○ 10/2 第25代神龍禅師、晋山式を兼ね還暦法誕祝国開堂。 
明治27年
(1894)
 
○ この頃、神龍弘(寂)驤和尚、伊吹山松尾寺に代わり、谷(三大寺)本紹禅師が住職として三年入る。 
明治31年
(1898)
○ 3/ 涅槃図再表装
大正 6年
(1917)
○ 4/13〜 第27代俊崖禅師、宗祖二百五十年大遠忌を厳修。
○ 4/16〜20 第44代管長・柏樹老師を招請し龍渓禅師著『般若心経口譚』の提唱を開講。 この時、柏樹禅師に現山号、寺号の揮毫を受ける。
 昭和 5年
(1930)
○1/31 石田松榮住職事務取扱が依願解職され、福島義明が第28代住職に就任する。    
昭和17年
(1942)
○12/ 戦時供出の要請を受け、梵鐘、半鐘、雲板、五具足類等の鉄、銅製品の供出リストを提出。 
昭和18年
(1943)
○8/ 本堂半鐘を戦時供出 
昭和23年
(1948)
○3/6 戦時供出の半鐘を新調
昭和28年
(1953)
○4/26 第29代真浄禅師入山披露
昭和29年
(1954)
○2/ 立宗300年慶讃法要厳修
昭和33年
(1958)
○ 境内を名神高速道路が通過。 本堂と墓地が二分割される。 
昭和37
(1962)
○5/18 第29代真浄禅師退山 
昭和44
(1969)
○8/ 本尊お洗濯
昭和46年
(1971)
○8/ 大般若経六百巻修復
○8/ 十六善神掛図修復
○8/ 第28代義明仁信和尚塔建立
○12/11 第30代光泉禅師晋山開堂 
○12/20 裏門前倉庫設置 
昭和47年
(1972)
○6/ 渡り廊下修復。土間式から廊下式に変更。 
昭和52年
(1977)
○5/24 鐘楼新設、戦時供出の梵鐘をあわせ新調。 洪鐘法要厳修。 
昭和54年
(1979)
○12/9 涅槃図再々表装 
昭和55年
(1980)
○7/ 雲版新調
昭和57年
(1982)
○3/21 鎮守社殿を本堂の北北東(現在地)に移転。 
○9/ 庫裏畳新調
昭和63年
(1988)
○ 年末 書院および庫裏屋根瓦葺き替え。
平成 5年
(1993)
○3/20 歴代住持墓所を現在地に移転。
平成 6年
(1994)
○11/2 30代光泉湧和尚示寂。 
○11/23 本堂屋根瓦葺替工事完成慶讃法要。 
平成11年
(1999)
○11/24 第31代瓜頂禅師進山、開山鉄牛禅師三百年大遠忌を厳修。
平成14年
(2002)
○ 花房〜永明寺間農道整備工事完成。 これによって永明寺参道を使用せず車両乗り入れが可能となる。
○5/26 16教区合同開山忌厳修。 あわせて山号、寺号額(柏樹管長揮毫、車戸達雄氏ならびに彬邦夫妻寄進)の除幕を行う。 これによって大殿竣工以来 217年ぶりに初めて寺号額が掲げられる。
平成16年
(2004)
○4/ 月台等修復
平成17年
(2005)
○3/ 東司改修 
平成18年
(2006)
○11/ 裏門前倉庫解体
○12/8 岩佐清治、上野治吉氏寄進により裏門新調。 
平成19年
(2007)
○ 柏原小学校、永明寺裏門口道路舗装改修完工。 これにより、墓地への車での参拝が容易になる。 
平成21年
(2009)
○ 関西電力鉄塔改修にあわせ、参道入り口付近修景改修。 
平成24年
(2012)
○12/8 車戸守夫妻により寺号石碑が建立される。 
 平成26
(2014)
○8/10 本堂漆喰叩きの床が陥没。 床下は空洞となっていて音響効果用の瓶が複数個(6個所以上)埋められていることを発見。 
   
   

本ページは、各種資料と等と照合、検証していますが、一部、史実と相違する箇所があるかもわかりません。 お気づきの場合は、ご一報いただければ幸いです。
 


 
 
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