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勝手にコラム

No.4:アップル

先日学生時代の友人達と飲みかわす機会があった。みんな理工学系で、パソコンと縁深い生活をしているものばかりだ。わたしの影響でMac教にはまった人もいる。 そんな仲間でパソコンの話をしていると最初にさわったパソコンの話になった。そんな昔話のなかで何にあこがれていたかを聞くと、みんな決まってこういった。

「あのころはAppleがほしかったんや」

中にはひねくれ者(?)でAmigaやATARIがいいというものもいたが、ほとんどみんなAppleにあこがれていたようだ。 皆が指すAppleはApple][eでも、Apple][cでもかまわない(はっきり言えば、そのころは実物もめったにみれない)、ブランドとしてのAppleをいっていた。N○CのPC-6001、8001が全盛期だった当時、実物すらみたこともないような異国のパソコンになぜあこがれていたのか。

当時、パソコン入門書には二人でガレージで作ったコンピューターというAppleの話が必ずあった。じょぶすとうぉずの物語である。当時の世代の人は話の程度はどうあれ読んだことがあるのではないだろうか。話の内容は省略するが、とにかく、アメリカン・ドリームというか、サクセスストーリーで実に印象深かったのを記憶している。きっとそこで初めてAppleの名前を目にしただろう。その話によってAppleという名が脳細胞に刷り込まれており、またパソコン雑誌などで「Apple」の文字、アップルマークetc.を見るたびに(当時Appleのゲームの特集なども結構あったと思う)その人の心の中でAppleのしめる割合が増えていっていたのではないか。そう、まるで初恋の思い出のように。

実際のところ、パソコンショップでApple][本体を見た物はかなり少なかっただろう。(私自身キャノンショップでしか見たことがない。)雑誌の広告でもAppleを取り扱っているところは皆無に近かったのではないか。そう、その当時のAppleはパソコン界のビッグフット、伝説のマシンだったのだ。

月日は流れ、世は○○mk2SRなどパソコン戦国時代、BASIC少年の購読しているパソコン雑誌の広告にAppleマークを見つける。あのフロッグデザインの愛らしいコンパクトマックと共に。(実際はFrogDesignではなかったのだ)
見慣れたパソコンとは全く異なったモニター一体形のデザイン、まるでゲーム画面のような起動画面、少年の貨幣基準より大きく異なった本体価格、どこをとっても衝撃的だった。
私は記憶にはないが、そのとき確かに誓ったのだ。
いつの日かAppleマークを手に入れるぞと。

月日は流れ、現在巷ではAppleマークの入ったパソコンが世にあふれている。私の家にも合計4台のMacintoshがある。結局の所、誓いの日よりそう遠くない日にAppleマークを手に入れたのだ。それはとても嬉しいことだ。新製品もたくさん出ていて、昔のようにAppleといえばApple][とは限らなくなっている。しかし相変わらずAppleは初恋の思い出なのだ。

 


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