第26回関西六大学合唱演奏会


場所:大阪フェスティバルホール
日時:1999年11月3日(Wed)16:30開演

何処へ行く?....大学男声合唱


全ては、パンフレットに記された合同指揮者/高嶋昌二氏の文章に語られて いると思う。同氏の許可なく転載することをお許し願いたい。

合同ステージ『IN TERRA PAX〜地に平和を』
メッセージ:高嶋昌二(合同指揮者)

大学の合唱団はジョイントコンサートが好きである。猫も杓子も、といっていい。 そこで、なぜみんなジョイントに走るのか、と学生達に問うてみる。すると何も 考えていないおめでたい大学生は、そういうことになっているから、先輩達が やっていたから、としか答えられない。多少ものを考えている学生からは、 他団との交流でお互い刺激し合い切瑳琢磨できる、普段使えない大きなホールが 借りられて単独ではできない大曲に取り組める、客演の指揮者やピアニストから より高い音楽を吸収することができる、云々の答が返ってくる。

なるほど。素晴らしい。

では、その有意義なジョイントを毎年続けている大学の合唱団が、なぜ今、 音楽的にも人数の面でも表退の一途をたどっているのだろうか。私の目から見て、 近年大学は、一部を除き、着実に下手になっていると思う。学生気質の変化など 理由はいるいる考えられるが、ひとつに年間の活動や行事が固定化、形骸化し、 動脈硬化を起こしている、伝統の殻に閉じ込もって、現状を問い直す努力を怠って いる、とはいえないか。今、合唱界で最も保守的な活動を続けているのが、大学生 なのである。

伝統を墨守することが悪いとはいわないが、要は取り組む姿勢の問題なのだと私は 思う。もちろん、サークル活動は楽しいにこしたことはない。しかし、誰にも迷惑を かけずに歌えるカラオケならともかく、入場料を取ってステージで演奏する合唱団 なのだから、聴衆に何かを伝えるに足る技術の練磨は不可欠である。歌が好きとか 嫌いとか、酒に飲まれ先輩にだまされて合唱団に入ったとか、そんなことは関係ない。 一旦合唱団員となったからには、最終的に一人一人が音楽の高みを目指す真撃な 態度と謙虚さを持つべきである。ただの仲良しクラブで、みずから求めず、行事に 流されるメンバーの多い合唱団に明日はない。

ましてや前途遼遠な大学生なのである。最も可能性に充ちた青春時代を、楽しいこと だけで費消するのは意味がない。自分の頭で考え、合唱と向き合う自己を見つめ、 自分達の技量と理想の音楽とのギャップに懐悩する姿勢が必要である。人間を鍛える のは、あらゆる面での逆境である。苦学生たれ、と時代錯誤なことはいわないが、 精神的には常に苦学生であってほしい。それを乗越えて初めて分かる喜びと感動が、 音楽にはある。

と、日頃私が大学の合唱団にもっている印象を(偉そうに)書いてみたが、何度か 練習を共にしたこの六大学の学生達は一味違っていた。それは伝統のもつ重みか さすが26回を数える関西六連である。かつてはそうそうたる指揮者が名を連ねるが、 高校教師が振るのは初めてのようで、けだし光栄である。しかし今回は本命の指揮者 何人かに断られた挙句の私であるらしい。またそのことを私自身が知っているという のもなかなか味わい深い。誠に光栄である。このミスマッチゆえ、普段彼らが求めて いる音楽とは若干異なるアプローチに、さぞかしみんな面くらったことと思う。 許してほしい。

で、今回の曲「INTERRAPAX(地に平和を)」である。もともと混声合唱曲なのを、 私の指揮する淀川工業高校グリークラブが男声版への編曲を委嘱し、7年前に初演した。 戦争と平和をテ―マにした名曲であるが、歌う側によほどの平和に対する熱い共感と、 豊かな想像力がなければ、この5曲のこめられた様々なシーンを表現することは難しい。

今、大半の日本人が平和ボケ状態に陥っているが、今回ステージに乗る学生達もその 例外ではないだろう。現在の平和は、過去の尊い犠牲の上に成り立ったとてももろい ものであることを、私達は忘れがちである。加えて今の政治はゆっくりと、しかし 着実にある方向を指している。その動きもうさん臭いが、何より懸念されるのは、 それらすべてに無関心な著者が多いことである。若い世代の無知ゆえに歴史は繰り返 され、またいつか、合唱どころではない時代がやってくるのかも知れない。 そんな思いに駆りたてられ、今日私は指揮台に立つ。

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