作曲者のことば 1988年に立命館大学メンネルコールの委嘱により作曲、同年12月17日、同団の第42回定期演秦会に於いて、 浦山弘三指揮により初演。(大阪:ザ・シンフォニーホール) 京都の立命館大学メンネルコールとは、1980年、委嘱作品「五つのラメント」を作出して以来の縁である。 この団の委嘱というより、この回の当時の部長であり名プロデューサーであった鳥潟朋美君の企画であった。 そして恐らくこの曲の委嘱も同君の後輩への示唆により実現したものと思う。その他、私の「海鳥の詩」の 男声用編曲もこのメンネルコールの委嘱によって行った。 この「漢詩による五つの歌」のテキストは、私が中国の各時代の詩の中から選び、それを日本語に移し変 えた。 それら元の詩は、紀元前10世紀頃に書かれた詩経から12世紀頃の宋代に及ぶ。 第1曲「少年老いやすく」は、日本人に最も多く知られている‐中国の詩であろう。宋代、つまり西暦10世 紀頃、朱子学の祖として名高い朱薫の作。この曲集で最も新しい詩である。 第2曲の東円の楊「ポプラ」は、多くの日本の解説では「ヤナギ」と訳されている。しかし中国では楊と 柳はしばしば並んで用いられ(「楊」は男性を示し、「柳」は女性を表すものとされた。そして「楊」はポプ ラのことである。私は一応中国の西安市の城壁の東門に出かけて、この木の下に立った。この詩がここを歌 ったのかどうかは分からないけれども…6詩経による。 第3曲「釣られた魚」は、無知のために、 1回しか生きられない人生を無駄にすることのないようにとの ― 願いを込めて作曲した。「後悔先に立たず」の教訓詩である。3世紀頃の古い時代の中国に、このような社会 状況と社会意識があったことにも驚かされる。 第4曲「この盃を」は、9世紀唐代の晩期千武陵の作で、日本でも古来愛吟されたようだ。最近では井伏 鱒二さんの「…花に嵐はあるものを さよならだけが人生さJという演歌風の名訳もある。平安初期にあた る晩唐の時代のもの。 第5曲「校いおひと」は、この詩もはるか遠い音にこのような屈折した恋愛技巧を歌い込んで、それを演 技として楽しみ、パロディーとして笑いこける、というような複雑な心の文化があったことに驚きつつ訳記 した。 第2曲、3曲、5出の詩はまるでヨーロッパ中世後期やルネッサンスのマドリガル、あるいはあのカルミ ナブラ‐ナのような味わいがあると思う。 作曲完成から幾度となく演奏を重ねたが、初演5年後の1993年6月に広島での男声合唱の夕べの合同演奏曲 に招かれて自ら指揮した折大幅に改訂し、その後、第1曲と第4曲がコンクールの課題曲になった時にも改訂 を加え、更にその8年後、つまり初演後通算13年を経てやっと出版にこぎつけた。 ■ この版は作曲者の解釈に回執せず、演奏者が絶えず工夫し、掘り下げることができるようにと、当初にあ つた表情記号は除去して最小限に止めることにした。 初演の浦山弘三先生、当時の立命館大学メンネルコールの諸君、広島崇徳高校の天野守信先生はじめ、多く の方々の御助言に感謝すると共に、辛抱強く13年待って下さつたカワイ出張の山浮重雄氏、再三京都まで入稿 を促しに足を運ばれた早川由章氏に深甚の謝意を棒げたい。 2001年7月 京都 上桂にて 度瀬量平