八幡山城は南北に3kmの規模をもつ山で、現在は陸の独立丘であるが、築城当時はその東西に内湖を持ち、南に広がった平野部に城下町を配して安土城と類似した占地に築かれていた。
当 時は天正十三年(1585)、豊臣秀次により築かれたもので、特に山麓の城下町は、琵琶湖から引いた八幡掘を町の外に廻らし、防禦と同時に運河として活用を重視し、それまでの防禦一辺倒から領国経営、商業等に視点を置いた新しい城と考えられる。
城下には安土城下から住民を移住させた事から、安土町と同様の地名が多く残る。 居館跡は東西300m×南北100m余りの大平坦地で、一部上方からの地すべりによる堆積はあるが、保存状態は良好で、特に南山麓からの正面階段は雄大なものである。金箔瓦も多く出土している。
|