岩倉山砦

岐阜県不破郡関ヶ原町大字玉


■創築年 慶長5年(1600)か?
■創築者  関ヶ原合戦の西軍か?
■形式 山城
■遺構 土塁、郭、石積み
■別称 -
■標高  338.4m

関ヶ原古戦場図(蓬左文庫蔵)には、関ヶ原の合戦記録に無い藤古川の西側の丘陵上の陣城が描かれており、現在も陣跡が残されている。

西軍の陣配置を見ると、藤古川沿いに東軍の防禦線を引いたと見られ、岩倉山砦がその最北の防禦と考えられ岩倉山の北麓は北国脇往還道に接しており、東軍の西方進行を押さえる陣城として重要な拠点にもなる。 

 

遺構は階段状の郭が配され、所々石積みが組まれているが、お城と言える程の複雑な遺構は見られない。

 石積みが配されている事から、関ヶ原合戦の折の「にわか仕立て」の城ではなく、浅井期の江濃境目のお城(苅谷尾城、長比城、松尾山城)の出城砦を最構築したのではなかろうか。

 

藤古川西岸沿いの西軍の陣配置(北から記載)

岩倉山→丘陵に他3箇所の陣城→大谷吉継陣→赤座直保陣→小川祐忠陣→朽木元綱陣→脇坂安治陣

  (背後に松尾山城

 

一部フィールドワーク関ヶ原合戦より抜粋

関ヶ原古戦場図

 

この一帯は旧陸軍の管理下に置かれていた場所でもあり、所々に陸軍境界線の石碑が点在する。

 

 東南の斜面に石積みで構築された凹形の窪地(5m×10m×深さ2m)がある。何の目的で為に構築されたものか?

それにても周囲の石積みと比べて保存状態が良い事から、合戦当時の遺構ではなく旧軍の施設かも知れない。

 

石積みで構築された凹形の窪地