松尾山本陣から望む関ヶ原主戦場

 

松尾山城

岐阜県不破郡関ヶ原町大字山中


■創築年 応永年間(1394〜1428)
■創築者  冨島氏
■形式 山城
■遺構 土塁、掘切、郭
■別称 長亭軒
■標高  273.1m

 関ヶ原の合戦の時、小早川秀秋は西軍として、一万五千の兵を率いてここ松尾山に出陣してきた。

朝から傍観を続けた秀秋は、家康に催促鉄砲を打ち込まれ、遂に意を決し友軍の大谷隊を攻め滅ぼしました。

 

 東西両軍の懇願に、秀秋は複雑な事情の中で悩み抜いた挙句石田三成方の西軍に反旗をひるがえしてしまい東軍を勝利に導いた。

 

<歴史>

応永年間(1394〜1428)・・・小守護冨島氏が松尾山城を築く

永禄12年(1569)・・・・・・・・・信長に帰属

元亀6年(1570)・・・・・・・・・・浅井長政修築

天正元年(1573)・・・・・・・・・信長、浅井氏討伐後不破光治を警備に当らせる

天正4年(1576)・・・・・・・・・・境目の城の役目を果たす

天正7年(1579)・・・・・・・・・・廃城

慶長5年(1600)・・・・・・・・・・小早川秀秋の陣所とする。

 

本丸南面の土塁

本丸南西の枡形虎口