清水山城

高島郡新旭町安井川


■創築年 1467〜1469年
■創築者  佐々木高信
■形式 山城
■遺構 土塁、竪堀、堀切、郭、井戸
■別称 日高山城
■標高  210m

 清水山城遺跡は、饗庭野台地の東南端、標高210m、平野部との標高差115mの丘陵に位置しています。

 丘陵の最も高い所にある主郭から南方を望めば、眼下を流れる安曇川はもとより高島郡南部一帯を、東方には海津大崎や竹生島、条件がよければ湖東地区まで見渡す事ができる。

 主郭は、L字形をしており、その規模は南北60m、東西約55mになります。現在、曲輪の東側に、鉄塔が立てられているが、この10m四方は地元で「佐々木の天主」と呼ばれており、位置的に北東の谷側を監視する櫓台が有ったのではないかと推測できる。

 この鉄塔の南西側の斜面には虎口や当時の人々が利用したと思われる通路跡が残っている。

主郭は他の曲輪と比較すると広く単純な構造になっているので、創建期の平面プラン(構造)を残すものか、この知に存在したと伝えらてれる清水寺の遺構を城郭に最利用したのではないかと考えられる。

 城が存在した時期に付いては縄張研究等により、応仁年間(1467〜1469)に小規模な城郭が創建され、永禄年間(1558〜1570)に大改修され、元亀3年(1572)の織田信長の湖西地方攻略まで存続したと考えられる。

 

堀  切

<主    郭>

 発掘調査により、主郭のほぼ中央から石段を伴う礎石建物が1棟、その建物内から、かまど状遺構と礎石建物以前の焼物が見付かった。

 建物は南北6間(11.8m)、東西5間(9.7m)の規模で、西側中央には2段に築かれた石段が接しています。

建物の規模や形態から、入母屋造りの建物であったと思われます。屋根はこけら葺(桧あるいは杉の割板)もしくはわだ葺(桧の皮)であったと考えられる。

 出土した遺物には、土師質土器皿(一部は灯明皿として使用)、越前焼窯や、摺鉢、信楽焼摺鉢、輸入陶磁、茶器と見られる瀬戸美濃天目茶碗、徳利などの土器類のほか、銅製の鍔や銭、建築用材として使用されたと思われる石製すずりなどが有ります。

 出土した土器の特徴から、16世紀中頃(1550〜1570)まで使用されていたと思われる。

 

広大な城域のいたる所に土塁・曲輪・堀切が残り、保存状態も良い。主郭には畝状竪掘、や主殿跡の礎石も整備されおり見所が多い。

主郭の畝状竪掘