清水山城遺跡は、饗庭野台地の東南端、標高210m、平野部との標高差115mの丘陵に位置しています。 丘陵の最も高い所にある主郭から南方を望めば、眼下を流れる安曇川はもとより高島郡南部一帯を、東方には海津大崎や竹生島、条件がよければ湖東地区まで見渡す事ができる。 主郭は、L字形をしており、その規模は南北60m、東西約55mになります。現在、曲輪の東側に、鉄塔が立てられているが、この10m四方は地元で「佐々木の天主」と呼ばれており、位置的に北東の谷側を監視する櫓台が有ったのではないかと推測できる。 この鉄塔の南西側の斜面には虎口や当時の人々が利用したと思われる通路跡が残っている。 主郭は他の曲輪と比較すると広く単純な構造になっているので、創建期の平面プラン(構造)を残すものか、この知に存在したと伝えらてれる清水寺の遺構を城郭に最利用したのではないかと考えられる。 城が存在した時期に付いては縄張研究等により、応仁年間(1467〜1469)に小規模な城郭が創建され、永禄年間(1558〜1570)に大改修され、元亀3年(1572)の織田信長の湖西地方攻略まで存続したと考えられる。 |