(4) 時間と共にねっとりとしてきた唾液が、口腔に押し込んだ人差し指と中指の股を濡らし、 垂れていくようになってさえ、弘志は数馬をさいなみ続けた。 二本の指の先で、阿片にやられた娼婦の如く熱くしなだれた舌が、揉み潰され、引っ張 られ、おもちゃとして弄ばれている。呼吸がし辛いのだろう、息は荒く不規則にこぼれ、 顔一面に汗が浮いている。 時折、咳込むので浅い所まで抜いてやろうかとすると、逆に必死に吸い付いて放そうと しない。いつもこんな顔で数馬は自分のものを咥えていたのかと思うと、弘志の中の雄の 部分が抑制も効かぬほど、一気に飢えていった。 犯したい。 節のある太い指を二本一緒に、男にしては赤い数馬の唇にねじり込んで、むせるより早 く第一関節の辺りまで引き、また差し、抜いて、繰り返す。すぐに数馬もこれが何を意味 しているか解ったらしく、口唇をすぼめて、指の動きに合わせて首を振り出す。 男が、男を犯す。 自分の血の一滴、肉の一片までが万物の霊長と名乗っていた人間ではなく、原始から世 界の半分を支配してきた雄のものへと変わっていくのが解る。目覚めたそれは体に満ち、 さらに体臭として溢れ出し、空気にすら所有物の印を付けようとする。 空いている左手を数馬のいきり立ったものへと伸ばす。すでに硬く立っていたものが、 握り締められさらに充血し、赤黒く膨らむ。二三度しごいてから、先っぽの敏感な部分に 指の腹を当てると、ぬるぬるとしたものが割れ目から滲み出ていた。 「あひ……」 指で口を犯され続けている数馬が、声にならない声をたてた。顔を寄せて、弘志が笑う。 「何だ?」 答える代わりに一層激しく顔を動かす数馬の、涎を垂らしている下の棒の端口を擦るよ う、弘志は指を走らせた。 思わず口の中の指に噛み付いた数馬に、弘志は笑顔でさらに問う。腹が立たないのでは ない。獲物をいたぶる快感の方が大きいだけだ。 「これは、何だ? 男のくせに、やられて濡れているのか? 他のものも、漏れているんじゃねえか、ええ?」 言いながら、指で刺激を与え続ける。本体を激しくしごきながら、上は尿道口から反り 返った亀頭冠の裏、下は袋の付け根から尻の穴までいじり尽くす。その熟練の手際に、も はや何も考えられずヒンヒン泣いている数馬の姿を見て、弘志は二本の指ですくい取った 唾液を、その後ろの口へと塗り付ける。 「いやだ、だめ……」 叫びながらも、後少しきつく締め上げられれば放ちかねない数馬に、自分の棒をあてが う。同じく先からあふれ出るぬめりを入り口周辺に塗り付け、一言だけ笑いかける。 「犯してやるよ」 (5) 「――おちがない」 しばらく彼はワープロの画面を睨み付けていたが、やがて頭をがしがしと片手で掻き、 呻く。 「リアリティ……」 その手が頭から離れた途端、後ろから首に白いトレーナーを着た腕が回され、細い両腕 がぎゅっと彼の頭を胸元に抱き寄せた。上から幾筋か、長く真っ直ぐに伸びた癖のない黒 髪がこぼれて、彼の鼻先をかすめ、なぶってゆく。 少し注意すれば、そこにシャンプーやリンスの香りだけでなく、ほのかにつけられた香 水と、今はまだ蕾だが、やがては咲き誇ろう麗花の漏らす匂いがあることに、気がついた だろう。 ――ただし、嗅ぐことさえ出来たなら。 「……!」 声も出せず、渓一は自分の首を締め上げている腕を、必死でパンパン叩いた。 入ってる、入ってる! しかし余程会心の出来だったらしく、河鹿はなかなか外そうとしない。 「ねっ、ねっ、兄ぃ。久し振りに決まってるよねっ?」 嬉しそうに兄の上体を左右に振ると、首にしがみついたまま軽く仰け反って、恐ろしい ことに小さくジャンプまでしてみせる。 その後、ようやく開放された渓一が涙をこぼしながら咳込んでいるのにも関わらず、河 鹿は鼻歌交じりにワープロの文章を読み始めた。 「……河鹿ぁ」 目尻を濡らしたまま、怒りに震える手を渓一がその肩に置くと、河鹿は心から痛ましそ うな表情で兄を振り返った。 「兄ぃ。これ、あんまり面白くない」 左胸を押さえたまま沈んでいく兄の姿を見届けてから、河鹿は右手を口の前に当て、左 手の指先で畳の上に転がっている物体をつつく。 「おーい、おーい」 「……俺が一体、何をした?」 「ん、さあ?」 再び沈んでいった兄の背中を、立ち上がった河鹿が足の裏でぐりぐりと揺する。 「ねぇ、そろそろ出掛ける時間だよ。夕希さんのお誘い断っといて、なのにこれで行かな かったら、ただの間抜けじゃない。さあ、起きた起きた」 うむ、と身を起こし、さっそく支度を始めた渓一は、河鹿の服装がいつもと違っている ことに気がついた。所謂お出かけ用、である。シックなスーツに身を包んだ河鹿は、兄の 視線での問いに、腰に片手を添え勝ち気な笑みと共に胸を張る。 「どう?」 「さあ?」 自他共に広くセンスの無さを認めている渓一は、素直なところを口にした。 「個人的には良く似合っていると思うが、しかし俺の感想ではな」 着心地が良ければ同じ服を何日でも着続け、『いつもと雰囲気が違うね』を『変』とし か表現できず、外出の服合わせは河鹿任せ、密かに憧れている髪型がアフロと色鮮やかな モヒカンでは、己の審美眼に疑問も抱こう。実際の所、今晩の河鹿は子供の背伸びではな く、また大人かと言えばそうでもない、微妙な所を見事に捕まえた小粋な着こなしをして いるのだが、渓一はそれを自分の気のせいと考えた。 「で、こんな時間にそんな格好とは、何かあるのか?」 あまり兄の反応に期待などしていなかったらしく、上機嫌なまま河鹿は答えた。 「ジャズよジャズ。お馬鹿で運の悪い兄ぃに代わって、ワインも料理もたっぷりと楽しん できてあげるから。その後の夜のお遊びもっ」 語尾を軽快に跳ね上げ、しかめ面をしている兄に笑いながら手を振る。 「相手は夕希さんだって。大丈夫、大丈夫」 その相手はお前だろうが、とは言わずに渓一は返す。 「……夜遊びは感心せんが――」 「節度と責任ある態度を忘れないように、でしょ」 「夕希さんに迷惑を掛けないように。自分がまだ未成年だという事をしっかり自覚して」 「はいはい」 耳に蛸の、ほとんど覚えてしまっている小言を軽く流して階下に降りようとした河鹿を、 渓一は呼び止める。 「何かあった時のために」 そう言って自分の札入れから取り出した、二人の福沢諭吉を差し出す。毎月、服や生活 用品を買うために、かなりの額の小遣いを貰っている河鹿は苦笑する。 「いいって。今月はまだまだ余裕あるし」 「一枚は持っていけ。親父の分だ」 別の意味で笑い、有り難う、んじゃ貰ってくね、と河鹿は部屋を出ていった。 彼等の父親は厳しかった反面、時々過剰に甘くなり、学生時代の渓一などは飲み会が頻 繁になると、よく一枚、臨時の小遣いに助けられていた。その父がいない今、親代わりと 言っては僭越に過ぎるが、出来るだけのことを妹にしてやりたい。 部屋の電気を消し、階段を降りかけた所で渓一は自分が一枚ではなく二枚、河鹿に手渡 そうとしたことを思い出した。 「……親父の息子か」 渓一は笑った。 てっきり先に出掛けたと思っていた河鹿の姿を玄関に見て、途中まで一緒に行くかと渓 一は声を掛けた。そのために待っていた彼女は頷く。戸締まり火の用心をし、門口の明り を残して家中の電気を消した二人は、最後に答える者のいない家の奥に向かって「行って きます」と一声投げかけた。廊下にわだかまる暗闇が声を吸い込む。 そして。お稲荷さん家の兄妹は仲良く肩を並べ、夜の街へと歩き始めた。 ―――了