『湯煙以下略大決戦 〜激突!! 龍蝦V.S.濡れ襦袢娘』  


 







 衛州貴泉の西峰峡といえば、古来よりその風光明媚を詠われし水郷である。無数の泉より下り降りる流れは山々を潤し、小湖大河は蒼天星海を地へと映し降ろす。都よりいささか遥か過ぎる山の奥にあるため、評判の割にここ数百年代わり映えのせぬ風情を保ってはいるが、その鄙び具合がまたいいと、ひねた文人富貴には受けている。なお、かの高僧松隠師が開いたとされる霊泉が数多在り、その霊験あらたかな効能を求め長い山路を踏破する病人、怪我人が後を絶たない。
 深山幽谷、俗人にも開かれし癒しの仙境。逆さに言えば気合一つで傷病人にも至れる程度の山奥の温泉郷。冷泉温泉、水しかない僻地の、ある客舎であがったその若い女性の悲鳴は、それなりに周囲の耳目を引くものではあったのだ。
「どうしてっ!? 何故そのような無体を仰るのです!」
 信じられないと顔を蒼白に染めるのは、まだ旅装すら解いていない二十歳前程の、氏も育ちも良さげな娘。その大きな瞳を震わせ、すがるように同じく旅装いをしたままの若い男に詰め寄る。普通の青年男子なら伝手を頼ってよしみを結び、あわよくば縁談の一つでも持ち込もうかという器量善しを前に、しかし彼は酷薄に鼻先を鳴らすと、小卓の上の茶杯を干した。
「どうしてもこうしてもあるか。物見遊山に来たんじゃないんだ。とっとと用を済ませて次に行くべきだろう」
 目もくれずに言い切ると、自ら手を伸ばし新たな茶を注ぐ。これ以上、取り合うつもりもないと雄弁な態度に、娘は両手を胸前で握り締め小さく俯いた。
 先程からこの繰り返しだ。ようやく長く険しい山道を抜けて辿り着いたというのに、連れ合いはもう次の目的地のことを口にしている。旅慣れぬ彼女がしばしの逗留という休息を求め乞うているのに、意にも介さない。――いや、そもそも。青年が彼女を気遣ってくれるようなことがこれまであったろうか? 顧みるまでも無い。この己が身はずっと理不尽なまでの扱いを受けてきた。
 それでも。
 娘は俯いたまま小さく唇を噛むと、うるむ目を上げ、青年に嘆願する。
「そこを、どうか。お願い致します、私の我儘をお許し下さい。――何もあなたの旅の足を引こうというのではありませぬ。ただ、ほんの数日。少しで結構ですから、この地にて休ませて頂きたいのです」
 言いつつ、胸の奥に小さく宿る悲壮な想い。共の旅路でこの男の気性は知っている。このようなことをすれば、嗚呼、最後にはどうなるか――
 だが、迷いを振り払うように、彼女は言葉を重ねる。
「この名高い西峰峡には幸い多くの良泉があると聞きます。あなたの心身のお疲れにも、きっと効くことでしょう。ですから――」
「黙れよ」それは茶を呷り、一息吐くついで程度に吐き出された言葉。「煩わしいと言ってるだろ」
 不快げに睨みつけると、空いている手を一振りし、男は続ける。
「そもそもこの旅は物見遊山じゃない。何を勘違いしているかは知らんが、茶代飯代、酒代から宿代に至るまで、誰の懐からこぼれ出していると思ってるんだ」
「それは――そうですが……」
 もっともな言葉に、俯くしかない女性。この青年は仮にも学問を修めようというだけあって、一度こうと決めると、自分の意見を安易に覆しはしない。例えそれが些細な内容であっても、己が納得できるだけの筋道を通したなら、更にそれを上回るだけの論理を持ってこない限り、生半可なことでは横の首を縦振りには変えない。
 そのようなこと、学無き娘には為せようはずもなく、――故に、彼女は自分に出来るやり方で懸命に男へと訴え掛ける。
「どうか、もう一度お考え直しください。……長の旅路にこの身は乾き、汚れきっております。せめて、僅かなりともこの恥そそぐ機会をお与え下さいませ」
 女性として。年頃の乙女として、このようなこと口にするだけでも恥ずかしかろうに。ましてやここは食堂も兼ねた客舎の大広間。見も知らぬ男どもの数は多く、耳の数は尚多い。嗚呼、彼女の身を揉む煩悶は如何ほどのものか。
「知ったことか」
 にも関わらず。切々とした彼女の訴えを青年は一言で切って捨てた。
 広間に満ちていた喧騒が、静かに引いていく。
 だが、長旅の疲れが残っているのか、当人達は気付いた様子も無く、二人だけの世界で言葉を交わす。
「……酷い……どうして、お分かりになって下さらないのです。少しでも綺麗な身であなたのお傍に居りたいと、一夜の沐浴求めるこの心を。それは、そこまで許されぬほどに傲慢な願いでありましょうか――」
「……気持ち悪い物言いだな、どうにも。何を浸って感じ出してるんだ? 悪いもんでも喰ったか?」
 どこかで箸の握り折れる音がした。歯軋りも、追従する。
「何故にっ、何故にそのような心無い仰りようを」ヨヨ、とよろめきつつ。「それに私のこの体には――」
 そこでこみ上げてきた何かに耐えるよう、彼女は憂いに濡れた顔で斜め下を見遣り、組んだ白い蕾の如き両手を口元に。
「私のこの体には、あの夜、あなた様が塗り付けた汚らわしい液体が、まだべっとりと残っているではありませんかっ。嫌がる私めの白い背に、あなた様が笑いながらたっぷりと塗り込んだ、あの臭い立つ汚汁が! 
 それを流し落とそうとすることすら、あなた様はお許しになって下さらないというのですかッ」
 最後の声は、叫びというより悲鳴に近かった。にも関わらず、正面の男の面に浮かぶのは、ぐだぐだと繰言を捏ね回す女への、苛付きでしかなかった。
「全く、しつこいな。黙れ、鬱陶しい。――いい加減にしたらどうだ。
 大体、あれを汚らわしい液体だと? ハッ、ふざけるな。あれはな、お前なんかには勿体無いぐらいの代物なんだぞ。嫌がるワタクシに塗りたくった? よく言う。自分から服をはだけ落とし、誘ってきたのはお前の方だろ」
 吐き捨てる。そのあまりといえばあまりな物言いに、最早言葉を紡ぐことも出来ず、彼女は瞳の下に大きな水玉を盛り上げる。
「それにだな――」
「そこまでだ兄ちゃん」
 ポン、と青年の頭に置かれたごつい手が、間髪入れず瓜割りを実行する。突き立てられたいかつい指は、見た目に違わず素晴らしい威力で青年の頭蓋をぎりぎりと締め上げた。
「事情も良く知らねェ他所様のことに口出しするってのも、まぁ我ながら何だと思うけどよ? ――男なら最低限、守るべき筋ってもんがあるんじゃねえか、あァン?」
 にこやかに、なお力を加えつつにこやかに。それまで隣の卓で食事を取っていた大男が背後から彼に語り掛ける。
 痛みに返事も出来ない青年に代わり、はっと女性が周囲を見渡せば、何時の間にやら似通った剣呑な笑顔で立ち囲む男達が十数名。つい先程まで青年達と同じく、思い思いにこの大広間でくつろいでいた彼等は、もとよりこの客舎に宿泊している者、食事に立ち寄っただけの地元の若衆、他にはここの湯を浴びに来ていた者など等々。

 ――なお、『山と水しかない』と口悪き者には言い捨てられる貴泉西峰峡だが、その隠れた特産品として、朴訥な風土に育てられた地物侠客の存在があげられる。『気が利かず、智には鈍くて血の気も足らず。ただ黙って貴泉の山男は道を通す』などと褒められているのか貶されているのか、地元民ですら良く分らぬ言葉があるぐらいだ。
 友誼を結ぶに何の躊躇いも要らず、悪事を為すなら身内であっても避けて通れ、とは、とある貴泉古老の言である――

「兄チャン。ちょーっと、あっちで話そうや」
「大丈夫大丈夫、素直に改心すれば直ぐだからな? なっ?」
 両肩をそれぞれ別の手に叩かれ、答えて立ち上がる青年。肩と頭をがっしり掴まれ、無理矢理椅子より引きずり立たされたようにも見えなくはないが、何、貴泉者には些細な差だ。
 そうして宿の裏へ連れて行かれようとする青年の視線が、無言のまま自分を凝視する娘の眼差しと空中で絡んだ。青年の助けを乞うそれが、一瞬の交差に何を見たか、驚愕、次いで信じられぬそれが事実だと理解し、無言の叫びをあげる。
 ――まさか。謀ったのか!
 対し、娘も無言。ただ心細げに震える両手で口元を覆い、
 ――フッ。かかるうぬが悪いのよ。
 吊り上がる朱唇の端を巧みに隠す。
「――あの、お待ち下さい!」
 そうして娘は、ずるずると相方を引きずっていく男達へ、精一杯、気弱だが健気に見えるよう、声を絞り出す。
「ん? ああ、何も心配するこたァねえや、姉ーちゃん。ちっと男同士のお話し合いをしましょうネ、ってだけさ。用が済めば返してやっから。な?」
 ――そうそう、深く考えんなや。茶でも飲んで待ってりゃ直ぐだって。
 ――西峰峡は初めてかい? なら名物の白兎餅を食べなきゃ。俺らが奢ってやるよ。
 そう、声を掛けてくる男達を見回しつつも直ぐには答えず、一拍。ここの溜めが肝要である。
「その人、普段はそこまで酷い人じゃないんです! このところ何かときつかったのは、きっと長旅の疲れが溜まっていただけで――お願いです、乱暴なことはしないであげて
下さい。わたくしなら平気です。――慣れていますから」
 彼女の、それでも青年を思いやる真心を汲んで、男達は更に深くした笑顔で頷く。肉も千切れよとばかり一層肩に食い込む手指が、この糞野郎、手加減抜きだと告げている。
 ――おのれ、おのれぇッ! お前は温泉に入りたいだけでそこまでやるかっ!?
 青年を見送る娘の眼差しは、あくまでその身を案じている風にしか、何も知らぬ者達には見えず。
 ――主従を弁えぬ動物風情が。しっかりと躾けられてくるがよいわ。
 青年の目に映るは、人の良い男達に囲まれ、たどたどしく茶や菓子を受け取る、連れ合いの完璧なまでの偽振る舞い。白い指先で菓子を摘み、時折気を許したかが如く、おどおどした態度の隙間から漏れ零れる微笑みは、稀が故に、季節の短い間だけ綻ぶ花にも似て人の心を喜ばす。
 やがてその彼女の姿すら必死に伸ばす手の、そして壁の向こうへと消え――

 その日。遅くまで青年は自分の部屋へと帰れなかった。



 そも書とは人の手による技芸にあらず。天与地湧の神宝也。
 ひとたび此れを解せば、小児、亡き父祖の言葉を聞き知り、凡夫の訴え、天朝にも届く。
 今は無き先賢の教え、千年を越えて此処に留まり、友思う一編の詩、万里を渡り遥かに伝う。
 形無き想いの姿を定め、移ろい行く刹那さえ人の手に留めるが真ならば、水の声、鳥の影、はや亡びし栄都の夕慕をたちまちに映し現わすもまた道理。
 一字にこの世の象を封じ、連なりて時処知らず人心を打ち、綴と束ねて世界を現わす。
 何ぞ此れ、人能に拠るものや?
 其、天地を動かし、其、祖霊を慰撫す。
 其、鬼神に通じ、其、妖魔を縛す。
 仏道儒に拠らず、賢凡愚に立せず、貴賎老若男女をまた問わず。
 即ち――

 ――言葉だの文章だのは、物凄いものなんだぞうっていうお話。



 軒先から流れてくる温泉饅頭や遅めの朝餉の芳香につられて思わず鼻を動かし、途端走った痛みに青年は顔を顰めた。歩いているのは温泉街の中央を貫く石畳の大通り。左右に客舎や食堂、土産物屋を配し、登り調子も緩やかに、道は西峰峡一の古刹明輪寺へと続いている。
 朝食は既に済ませてあるため、気は引かれても迷う素振りは無い。土産物屋の店先を覗こうともせず、独り真っ直ぐ目的地へと向かう。その頬には灰白色した一枚の膏薬布。服の下にはもっとあるそれらが、腫れから熱を引いていてくれる。
 昨日は酷い目にあった。それが青年の偽らざる心情だ。と、いうか他に言い表しようが無い。
 ――まあ確かに誤解されても仕方の無い遣り取りではあったし、彼等の義憤もそれなりに真っ当なものだとは思う。肉体を介した一方的な『お話し合い』にしても、慣れているのか、充分手心は加えてくれたようだ。さもなくば、硯より重い物を持ったことが無い書生のこの身が、多少痛むとはいえ、無事に今こうやって歩いている道理が無い。
 大体。悪いのはあの女だ。元凶たる当の本人はたらふく旨いものを食って呑み、一晩ぐっすり寝たところで気は晴れたらしい。今朝は嫌味ごとの一つも言わず、腫れ上がった傷の手当てまで手伝ってくれた。済んだ後には屈託無く、『ここのお湯は怪我に大層良いという話だけど』と勧めまでして。
 ……もっとも、幾らここの湯が打ち身擦り傷に良く効くとはいえ、当の翌日に入ればどうなるかぐらいは予想がつく。青年は考える前に断った。
 しかしまあ。恐らく――いや間違いなく。あの時の奴に奴にそう意味での他意は無かったと青年は思う。あれは結構邪悪だが、そういう奴だ。
 ……確かに最近、先の見えぬ旅はきつさを増し、何やかやと無理を重ねた。そんな中、不平不満を口にこそするものの、彼女は良くついてきてくれた。昨日の自分にそこいら辺への配慮があったかと言えば、まず間違いなく欠けていた。
 が。こちらが殴られている間、他人の奢りで郷土の名物料理に地酒を堪能し。青年が絞り布を当て、痛む体を誤魔化し続けている間、気持ち良さげに寝台の上で独り熟睡。挙句、この旅本来の目的で出掛けようというに、『じゃ、お土産をよろしくお願いね?』と朝湯支度を済ませた姿で見送られれば――あれ、おかしい。青年は天を仰いでくっと目元を押さえた。とっくに色々諦め、楽になったはずなのに。まだ胸の奥から湧き上がってこぼれ出てくる何かがある。
 何時の間にやら、もう片手は無意識に胸元を掴んでいた。服の上から握り締めたそこにあるは、小さな固い感触。
 そんな自分に気付き、青年は苦笑とも吐息ともつかぬものを一つ。とんとん、と開いた指先でそれを叩き、確かめる。
 服の中、首から革紐でぶら下がっている袋の中には、親指程の小さな木箱が一つ。昨日のような不測の事態が起こることを考えれば、宿に残してくるべきなのだろうが、むしろ大切であるが故に常に手の届くところにないと不安になる。この旅が始まってから、ずっとそうだ。小心暗愚にも程がある。
 ――いや、違うか。青年は今度こそはっきりと己の在り様に苦笑する。自分はもっと単純な理由で、ただ手元へと置いておきたいのだ。子供の宝物と同じで。
 そうして胸元に添えていた手を、次いで横へ。懐の、師匠に書いて貰った紹介状の感触を確かめる。気分を切り替え、坂の上を見上げる。
「――良しっ」
 そこに待つものを思い、青年は石畳を蹴る。何時しか足取りも軽く、期待に顔綻ばす青年は、だから気が付かなかった。昨日の一件でずたぼろの自分が、何故か街中で目立ってないことに。擦れ違う多くの男達が包帯を巻いていたり、路地を少し覗き込んだ奥に、やたら半壊した建物があることに。
 ――青年は全く気付かず山門をくぐる。



 宙に舞う皿、蒸籠に土鍋。残された付け合せが朝日に輝き、小骨や海老殻が余ったスープを纏って踊る。
 失敗が可愛いのは初見から二度目までだね、と雇い主である叔父は言い、その通りだと少女は頷いた。そそっかしくて不器用なのは生来だが、そんなものは注意と努力でなんとでもなる。結果、今では料理を落とすことも、注文客を間違えることも、皿を割ることすら珍しくなった。突発的なポカは今でもやるが、それですら、見よ――
 掌、肘、肩、頭頂、太股や膝横、伸ばした足先は言うに及ばず全ての部分で食器を受け止め、残る全身の関節が落下の衝撃を殺し切る。酔った常連客達が『あの嬢ちゃんには逆らうな。なりは可愛ぃが、あの巧夫は只者じゃねぇ』等と、割に本気で噂する体捌き。
 久々にそれを見た常連客達が拍手喝采し、客舎兼食堂、ついでに温泉の『紅州』看板娘梨花は、内気な年頃の娘らしく、真っ赤になって俯いた。
 それに従う頭上の大椀と残り汁。
「――梨花。床の始末は後で良いから、とりあえずひとっ風呂浴びてきなさい」
「……アイ、叔父さん」

 くるくると丸め、服は隅の籠へ。手布一枚で梨花は脱衣小屋を出て、屋外の温泉へと歩み進んだ。最近のお客さんは混浴でなくとも肌を見られるのを嫌い、薄布の湯衣を纏うのが流行りだが、生粋の西峰峡っ娘としてそれは邪道だと思うのだ。
 だから湯に浸かっていた先客が、こんな朝っぱらから浮かべた盆の上に肴と酒盃を並べていても、なお隠すことなく堂々と――女性として少々はしたないのではなかろうかと思われるほど開けっ広げに四肢を伸ばしているのを見て、梨花はむしろちょっとだけ好感を抱いた。
 会釈を一つ。手付桶で何度も湯を被ると、足先からそっと温泉にくぐる。幸い、食堂の方は朝餉の客が済んで一段落ついた頃合だ。少しばかりの息抜きは許されるだろう。冷たい石に背をもたれかけさせ、天の青空を仰ぎ、ホウと小さく欠伸を漏らした。に、しても。
 ……浮いてる。
 細めた目が自然と水平へと移動し、それを捕らえた。決して、無茶な大きさではない。いや、確かに自分のよりは見事だが、それは成長途中と完成形の差異であって、形にしろ大きさにしろ戦う前から結果が見えるほど相手側が立派ではあっても、それは負ける理由にはなっても負けていい理由にはならず、一人の人間として、いやそれ以前に一人の女の子として、抗い打ち破るべきは己が自身の諦観と、あの胸! 
 ――じゃあなくて。
 おかみさん達ほど大きくは無いが、形良く張った双球が湯を弾いてなお白く、ぷっかりと浮いている。自分には到底無理な光景に、あれ良いなーと心の中で指を咥えて見ていると、流石に気付いたのか年上の女性客は、くいと杯を掲げてみせた。
 己が不躾さに気付き、湯以外のものに顔を赤らめる梨花へ微笑んで、
「よろしければ貴女も一献、如何かしら?」
「いっ、いえ! 結構ですっ」
 そう、と気を悪くした様子も無く、彼女は杯を自分で干す。だからこそ梨花はそこはかとなく申し訳ないような心地になり、「まだ仕事中ですから……」と問われぬままに続けた。
 女性客の上げられた黒髪とうなじの傍を、別の白が上から下へとよぎっていく。ふと見れば、温泉よりやや離れた所に立つ百日紅の大枝が、傘のように彼女の頭上に広がって陽光を紗に透かしていた。その緑葉の輝き、中で開く縮緬の如き白花の数は長くこの『紅州』で働く梨花ですら初めて見るもので、まるで貴人を覆う天蓋を思わせる。
 いや、それよりも。――はて、この枝はこんなにも湯の上に張り出していただろうか?
「――ああ、そう言えば」
 梨花がその声に視線を落とすと、周囲に幾つもの白い花を浮かべ侍らせて彼女が頷いた。
「貴女はここの人でしたわね。今朝も食後のお茶まで出して頂いたというのに、すっかり忘れてしまっていて――御免なさい」
「ええと、そんな、お気になさらないで下さい」
 慌てて言う梨花の言葉をそっと受け止めるように笑むと、客は『そろそろ日差しもきつくなってきますから、どうぞこちらへいらっしゃいな』と彼女を湯隣りへ招いた。もしょもしょと、梨花は湯を掻き分け寄った。
「よろしければお名前を頂戴できるかしら、お嬢さん。もうしばらくの間は、こちらにお世話になるでしょうから」
「あ、はい。――梨花、と言います」
 言って、僅かに顎先を湯につける。嫌いではないが、余りにありふれた名。改めて名乗るには、気後れの一つもしょうがないというものだ。だというのに――
「梨花」舌先で転がすように確かめると「良い御名前ね」そう、世辞ではなく佳人は真っ直ぐに微笑んだ。
 初めて男友達に服を褒められた時よりも顔を赤くして梨花は有り難うございます……と返す。
「あの、おきゃ、――お姉さんのお名前は」
 すると、何故か彼女は人差し指を顎先に当て、考えるように空を見て小首を傾げた。
「今の季節だと――翠玉になるのかしら?」
 何故に疑問形、しかも季節? そう思いつつも、
「翠玉さんですか?」
 と確かめると、
「ええ」
 そう、と一片の迷いも無くこちらを見返し、笑い頷いてくれた。
 ――こうして近くに寄って傍から見れば、改めてこの女性、翠玉の美しさが良く分る。温泉内の美醜というのは、普通のそれとはやや意味合いが異なる。湯に化粧して入る人間はいない。着飾って浸かるのも、いない。そこで剥き出しにされるのは素の、より素材としての肉体が持つ美醜だ。いや、肌の色艶や体つきが普段の生活の積み重ねで出来上がるのだとしたら、それは生き様の美醜と言ってもいいかもしれない。そして子供の頃より西峰峡の湯に浸かり、何百何千という裸を見てきた梨花に言わせれば、時として蝶よ花よと育てられた富家が一人娘の染み無い肌より、皺だらけの老婆の立ち居振舞いにどきりとさせられることも確かにあるのだ。
 それで言えば、この翠玉の美しさはずるい。自然なのだ。確かに色は見詰めれば見詰めるほどに白いし、その張りのある艶やかさ、無駄が無くてあるものは満ち足りている肢体は、単純に言って美しい。けど、そうじゃない。彼女が本当に美しいのは――自然だからだ。
 湯に伸ばした手足、心地良さげに力の抜けた顔。その纏う雰囲気は咲いている花だ。流れている水だ。風に囁く樹が、空を渡る鳥が、昇る朝日が美しいのと同じ。それはただ、当り前のことなのだ。だから――ずるい。
 両手に掬った湯へと、梨花は顔を埋め汗を流した。
 どうすれば、こんな風になれるだろうか? 
 仕事や責任、苦行ですら身に修める誇りの一つと言い切れる、由緒正しい宗教団体の後継者。または全く正反対に、生まれたときから何一つ不自由なく、望むがまま奔放に育てられた余程良いところのお嬢さん――なら、そもそもこんな宿に泊まるはずは無い。けれど、梨花はその思い付きに、どこかふと思い当たるものを覚えた。
 昨日の翠玉とその連れの一件は、青年が連行されるその場にこそいなかったものの、聞いているし見ている。不憫にも酷い扱いをされていたという話だが、料理を運んでいった時に目にした限りでは、余りそういう印象は抱かなかった。それどころかごく自然に周囲の振る舞いを受け、臆すことなく初対面の荒くれ男達と言葉を交わし、気がつけばかなりの酒肴を平らげていたはず。あの場慣れ具合、要領の良さは一朝一夕に身につくものではない。
 あれこそ翠玉が高貴な証、と納得する梨花に、それ偏見と冷静に指摘するもう一人の梨花。連れの青年は、世間知らずのお嬢様を誑かし駆け落ちさせた使用人――にしては金に力どころか色も全く足りていなかったので、女衒崩れ辺りを割り振っておくことにする。
「――そういえば」
「はい? 何でしょう?」
 余りに本気でなかったらしい。梨花自自身不思議な程に落ち着いて翠玉へと小首を巡らせる。
「気を悪くしないで聞いて頂きたいのですけれど、、そこの板塀は目隠しの垣根の代わりですよね? 随分と新しいようですけど、何かありましたの?」
「あ、それはですね、先日、ここの湯周りで古くなってきた部分を色々改装致しまして。その時に職人さんに出入りしてもらったり、資材を運び入れるために垣根を開けたんです。
 風情はちょっとなくなっちゃったかもしれませんが、新しい分、隙間からの覗きなんて真似は絶対に出来ませんから。――大丈夫、余りお気になさらないで下さい」
 そう――という翠玉の呟きを、梨花はにこにこと笑顔で見守る。
 延々と連なる垣根が急に途切れ、そこだけ壁を嵌め込んだように板塀へと変わっていれば、その不自然さに疑問も抱こう。なら、当然来るだろう問いを先読みし、当り障りの無い模範解答を用意しておけば、咄嗟の機転など利かせられない自分にもそつの無い受け答えは可能だ。
 表面上は何ら変わることなく、眉の一つも動かさずに、梨花が夜に一人、部屋で繰り返していた間抜けな訓練が無駄で無く、報われた喜びに浸っていると、翠玉はその嫋やかな白い両手で湯を掬い上げ、ぱしゃりと顔を一拭いした。
「それはそれは大変でしたのね。私は恥しくも気がつきませんでしたが、こちらはさぞ名も歴史もある御宿なのでしょう?」
 そんなわきゃあ、無い。断じて無い。そんな誤解をされては恥ずかしいのはこっちだと、慌てて梨花は首を振る。
「違います。うちはただの安宿ですよぉ。そりゃ、『紅州』って名前はありますけど、ただの屋号ですし、歴史なんて、叔父さんがやってて姪の私が手伝っているような、その程度です」
「そうなのですか? いえ、わざわざ手を入れるほど問題があるようにも、逆に新しくなったようにも素人目には見えませんでしたので、わたくしはてっきり必要に駆られてではなく、格式を保つためのものかと――」
 格式を保つためだけの改修。そんなことはするどころか、発想からして梨花の住んでいる世界のものではなかった。
 乾いた笑いを浮かべる梨花を前に、考え込んでいた翠玉がふとその秀麗な面に憂いを乗せた。つられこむようにして梨花は問う。
「どうかされましたか?」
「いえ――昔、家のものに教えられたことを思い出していたのです。こういった温泉に含まれる病や傷を癒す成分には、貴石や貴金属(イシヤカネ)、衣を損なうものもあるのだとか。
 ひょっとして、こちらの改築もそういった理由なのでしょうか……」
 そして不安げに脱衣小屋の方へ視線を送る。彼女が心配しているものを悟り、梨花は安心させるように笑う。
「大丈夫ですよ。確かに湯の中にカネを付けて入ると黒ずんだりすることもありますけど、外しておけば問題ありません。衣にしても、同じです」
「では、建物は? 木は大丈夫なのですか?」
「余程強い湯気を連日当て続けでもしない限りは」
「良い御薬も過ぎれば毒だと聞きます。湯に浸かりすぎて体が害されるようなことは――」
「仰る通りですね。ですから、長湯はお気をつけになってください。
 湯、そのものが毒になることは余りありません。稀に体質に合わないという方もいらっしゃいますが、それよりは湯上りの立ち眩み、湯冷め、深酒を召された後のお風呂、あと湯浴み自体が障るほどの大怪我なんかが問題になります。
 源泉、と呼ばれるものの中には濃すぎたり熱すぎたりするものもありますが、そういうものは大抵、冷水を引いて薄めてあります。うちなんかはそこまで濃くありませんから――大丈夫ですよ」
 慣れたもので、立て板に水と言葉が流れ出る。
「では、そう心配せずともよろしいのですね?」
「はい。綺麗なお湯はお薬としても飲んで頂けますし、うちでは出していませんが、温泉のお湯を使った料理を仕立ててくれるところも、この近くにはありますよ」
 そこまで聞いて、ようやく翠玉はほっとその豊かな胸を撫で下ろした。
 何時の間にかごく脇まで近付いていた梨花に親しみに満ちた顔で笑いかける。
「良かった。それを聞いて安心しました。なにぶん、温泉というのが実は初めてで」
「あ、そうなんですか。――じゃあ他にも何かあったら、遠慮なく尋ねてくださいね」
「有り難う。――そう、本当に心配だったの。彼の名高い西峰峡だっていうのに、そこはかとなく街がさびれているし、お客さんも少なくて、何だか空気だってぴりぴりと張り詰めているでしょう?」
「え……えと……」
「でも、温泉は関係なかったのね。やたら崩れた建物が目に付くのも、包帯を巻いた男の人達が集団で武器を持ってうろつき回っているのも、そこらじゅうに新しい御札が貼られているのも、みんなみんな――そう。温泉とは、関係がないのね」
 咄嗟に引こうとした梨花の手は、湯の中で翠玉の細い指にしっかりと押さえ付けられていた。
「あ、あの……翠玉さん?」
「なぁに?」
 変わらず向けられる翠玉の整った微笑みに、梨花は理解した。胸倉を掴んで脅しつけられるより、凶器を振り回して暴れる酔漢より、優しい顔で人を殴りまわせる人間が、実は一番恐ろしいのだと。
 ――あ、そっか。昨日のお連れさんの一件も、つまりはこういうことなのかなぁ。
 頭が良く回るのは、追い詰められている証拠。そんな梨花の顔が次第に引き攣っていく様子を眉一つ動かさず完璧な微笑みで見守り続け、
 ――さあ、お話しなさいな。
 無言で翠玉は問い詰め迫る。
 やがて、というほどの時も過ぎずに。不意に掴んでいた手を解くと、翠玉は濡れた手で梨花の頬を撫でた。
「御免なさい。――少し、意地悪が過ぎましたわね」
 その笑顔は先程までのものより気安く、ようやくそこで梨花は安堵の息を吐いた。そんな自分をくすくすと笑う声に、つい恨みがましい目を向けるが、
「隠し事をされるのって、何だか小馬鹿にされているみたいであまり好きじゃぁないの。本当に、御免なさいね」
 そんな風にちっとも悪いと思っていないような顔で小さく舌を出されると、
 ――まあ、こっちも誤魔化していたんだし、それに上手い言葉で丸め込まれるよりはいいか。
 等と納得してしまった。
 息を吐き、改めて項まで沈める。じんわりと湯が身に染みた。何時の間にやら梨花の周囲にも漂っていた白い落花が、水面の上でゆらりと揺れる。
「……すみませんね。こっちも、本当はお客さんに隠し事なんて良くないのは分ってるんですけど、色々事情がありまして……私の一存で言っちゃうわけにもいかないんですよ……」
「あら。そんな風に言われるとますます気になるんだけど――ああ、だからもう大丈夫だって。苛めるなら踏んでも壊れないような奴からにするから」
「踏んでも壊れない、ですか?」
「そう。近くに居るのよ。丁度良いのが」
 これがなかなか頑丈で。そう呟きながら再び酒器を朱唇に寄せる。濡れて光る翠玉の肌に葉影が重なり、湯気の中、白く降りる光が稀に踊る落花と共に、あるかなしかの風に姿を変える。幻惑されるようで、梨花は静かに目を閉じた。
 ……元は仕事中の汚れを落としに来ただけ。もうそろそろ、しばらくしたら戻らないと。
 そう自分に言い聞かせながらもすっかり安らいでいると、前触れも無く大きな水音があがった。目を開ければ、湯から立ち上がった翠玉が背をこちらに、生垣へと顔を向けている。
「あ……」
 湯は弾かれるようにして肌を流れ落ち、思わず同性の梨花ですら手を伸ばして触ってみたくなる形の良い御尻が二つ、水面から半ば顔を出している。その真っ白い背中、右肩甲骨の辺りから下へと伸びる黒い文様に、梨花は目を奪われた。
 書だ。梨花には読みとけぬ達筆で、二行ほどなにやら書き付けてある。
 刺青自体はそう珍しくも無い。ここは湯の街、西峰峡だ。背中一面、腿までびっしりと彩墨で埋めた人間なら、夏場など見せびらかすように諸肌脱ぎでそこいら辺をうろついている。女性にしても小さな彫り絵や、情夫の名など入れている人はたまにいる。しかし――この翠玉の背に墨を入れた人間は、間違いなく上限の無い大狂人だと断言できる。
 誰が、狂人以外の誰が、まだ年若い翠玉のここまで白くきめ細かい肌に墨を入れようなどと考えるものか。そして――

 純白の紙に見立てた背に右端から唯二筋、踊り下る黒い蛇。それは端からの演出なのか、それとも何か事情があってか、たった二行、冒頭が書き付けられただけで終わっている。残された空白すら技巧と見るなら、女性の肌をこれ以上贅沢に使った代物はあるまい。綴られ下るはあくまで書。字の形に彫り連ねてあるのではなく、まるで名人が一気呵成に筆で書き下ろしたような自然な流れ。

 ――狂うまで突き詰めた者が魂削らずして、これほどのものが生み出されるものか。
 茫、と梨花がその書に、翠玉の背に入れられた墨に酔い痴れている間、その翠玉自身は恐ろしいほど無表情に敷地奥の暗い葉闇の連なりを見詰め続けていた。彼女は知らぬことだが、その向こうは隣の客舎の敷地となり、『紅州』のより広い温泉がある。
「――梨花さん」
 はい、とまだ多少夢現のまま梨花が答える。
「先程の事情とは――つまりアレのことですね?」
 え、と翠玉の視線に従えば、隣とこちらを隔てる濃緑の垣根に灰色の巨大な鋏が一対、生え]ている。あれで隠れているつもりなのか、長大な数本の髭は高く天へと揺らめき伸び、突き出した尖り顔には、石のような黒い目が、何も映さずただじっと二人を向いている。
 何の冗談だ、この巨石の彫刻は。誰もがそう思うだろう。――今の西峰峡の住民以外は。
 梨花が悲鳴を上げるより早く、その巨大な人の胴さえ断ち切れるであろう大鋏がギチリ、と動き――

 湯止めの石組みさえ吹き飛ばし、梨花の悲鳴も翠玉の肢体も、ありとあらゆるものを水飛沫と轟音が飲み込んだ。



 寺は一言で言って殺気立っていた。青年を案内した若い僧によると、現在この明輪時は建て直しの真っ最中だそうで、境内に居る厳しい面つきの男達はその人夫なのだそうだ。
 が、普通人夫は長い樫棒を手に徒党を組んでうろつき回るものではないし、何より改築と半壊は絶対に違う。
 しかし、今更そんなことを主張して何になるというのだろう。
 通された一室で、青年は師の紹介状を老和尚が改め終わるのを待っていた。茶と、受けものとして出された自家製の漬物が膝前にあったが、手をつける気にもなれない。青年の斜め両後ろには、それぞれ控える僧侶が一人ずつ。御用があれば何なりとお申し付け下さいとのことだったが、雑用にそんな拳胼胝と筋肉はいらないんじゃないかと青年は思う。
 開け放たれた左手は庭。流石は衛州貴泉、西峰峡の古刹といったところか。池からはゆらりと白い湯気が立ち上っており、奥行きのある名画のようだ。対して右手。締め切られた襖は絵も書も飾らず、ただ過ぎた時の古色を帯びて変じている。その奥にも誰か待機してくれているようで、時折漏れてくる複数の気配に何故かしら昨日の『お話し合い』を思い出し――青年は正直泣いて逃げ出したい気分であった。
「……ふむ」
 やがて最後まで読み終えた老和尚が呟く。
「御用のほどは分りましたが、さてまた珍しいお話ですな。儂も小僧の頃からこの寺に居りますが、このようなことは初めてですわ。
 ――書の勉強のため、松隠様の封じ札を御覧になりたい、と」
 右襖向こうの気配が一斉にみじろいだ。青年の後ろそれぞれで、小さく畳の軋む音がする。
 何故だ、と心で泣き喚きながら、青年は「はい。是非ともお願いできませんでしょうか」と取り繕った平静さで頭を下げる。その様をじっと眺める老和尚。彼からだけからは敵意といった尖ったものは何も出ていないが、代わりに青年の奥底を見極めようとするかのような、深く覗き込むものがある。
「……松陰様の手ならば当寺には勿論のこと、下の街の方にも請われてお書きになったものが幾つかありますな。お写しになられた経典も御座いますし、あまり知られてはおりませんが日記、随想の類も少々ならば残っております。
 書、というのであれば先々代の住職が兄弟子の韓張殿から頂いたものが、当寺では最たるものでしょう。こちらならばこれまでにも数人、御覧にみえた方が居られます。にも関わらず、そちらは是非にも松陰様の封じ札を、と仰られる。
 ――王硅殿といわれたか。もしよろしければ、この愚僧にも何故わざわざそれを選ばれたのか、理由などお教え頂けませんでしょうかな」
 老僧の物問いこそ丁寧なものだが、場に満ちる空気は――主に後ろと右からだが――返答次第では、ただじゃ済まさんぞと言っている。
 しかしそんな中で発せられた老僧の問いに、それまでびくついていた王硅の中身が替わった。引けていた腰が据わり、背筋は何かが通ったように真っ直ぐ伸びる。眼からもおどおどとしていたものが消え、揺れることなくその黒い瞳が老和尚を貫く。
 ――書について問われたのだ。ならば、何ぞ彼に臆する理由などあろうものか。
 力みも無くすっと直った座り姿に、老和尚のみならず背後の若僧二人ですら、それまでの己が態度を忘れ目を丸くした。
「――はい。自分は未だ師の元に付き、多くの先達の名筆に学ぶべき若輩の身に過ぎません。本来ならばまだ駄筆を重ねる時期なのですが、思うところが在り、このように諸寺道観を巡っている次第です。
 そもそも言うまでもありませんが私ども書家が求めるものと、霊符護符に求められるものとは違います。私達が追求するものはあくまで書であり、御札に必要とされるものは有り難い御利益や神通力、寄って立つものは信仰です。共に、極めればもう一方に通ずることもあるでしょうが、常より片方の尺度でもう一方を測るべきではありません。為せば、それは浅慮愚行というものでしょう。ですが――」
「ふむ?」
「まだ若く思慮足りぬ身が故に、ふと思うたのです。そうして切り捨てているものの中にも、また見るべきものがあるのではなかろうか、と」
 ホウ、と老和尚が相槌を打つ。
「このような考えは、何も珍しいものではございません。書を自ずから学び取ろうという者ならば、誰もが思いつき、たどる道の一つでしょう。そして、その中でも自分があえて見、学ぼうと決めたのは、霊験あらたかと言われながら、書としては評価されていないものです」
「ほほう、それはまた何故に?」
「はい。一つにはそれらが正当に評価されていないのではと疑ったからです。そういったものを有り難きとして祀るときには、まずその霊威を謳い、徳高きをもって善しとします。故に我々書家は、逆にその反動として最初から符を無意識に割り引いて見はしていないだろうかと。――これは誰より、まず自分が先入観無く書に相対することが出来ているかどうかを、見詰めなおしてみようという思いもありました。
 次に、符という書と、その周囲の多様さ。筆を振るった人間と時代は、共通する伝承を持つものもありますが、実際にはかなりばらついています。地理的にも離れた所に隔たって在り、それぞれの場所に懐同じくして収め残されている普通の書にしても、傾向の統一性など端から御座いません。故に、霊符を巡りさえすれば、幅広く多くの書を目にすることができるだろうと考えました。
 また、霊符であるということ自体にも、書家として興味があります。どのような章句に人は力を感じ、如何なる筆運びを尊しと受け取るのか。霊験が確かならばそのような書に触れるだけで勉強になりましょうし、例え通力が失せていたとしても、人々が長く祀り続けてきたのならば、その書にはそれだけの何かが実際にあるということです。学ぶに不足はありません。
 ――何より。見るべきは名人の筆だけにあらず、学ぶべきは完成された書のみにあらず。真に書を愛するというのならば、全てを尊び、全てに学び、子供の手習いにすら見るべきものがあるのだと――そう心得ておくべきだと自分は思っております」
 そこまで一息に語り終えると、王硅は静かに口を閉じた。何時の間にか背後の二僧のみならず、隣室の気配までが静まっている。
 そんな中、老和尚はもう一度紹介状を取り上げ開くと、ざっと眺め、口を開いた。
「王硅殿。――字を墨酔と仰られるか」
「……恥ずかしながら、何時の間にやら、師からも同輩からもそのように」
「成程。実に的を得た、良き字ですな」
 そして老和尚は柔和な顔で王硅の前に置かれた茶碗を見ると、言った。
「おや、茶もすっかり冷めてしまったようで。さて、新しいのを淹れさせましょう」
「あ、いえ。お構いなく」
「そうですかの」と、そこで今、思い付いたかのように王硅背後の一人に声を掛ける。「――ああ、すっかり忘れておった。大工の方々にも、そろそろ休憩を入れて頂く頃合いじゃろう。茶の一杯でもお出しして、お休みくださるよう申し上げてきなさい」
 はい、畏まりました――と僧の一人が出て行く。それがそのまま符合だったのだろう。右襖からの圧迫感が掻き消えた。
 我知らず小息を吐く王硅。正面の老和尚が茶碗を取り上げたのにつられるよう、自分も出されていた椀に手を伸ばす。冷めた茶が、思いの外に乾いていた喉を潤していく。
「しかしまあ、お若いのになかなか。よくそのようなところに目を付けられましたな」
 まるきり世間話の調子で和尚は言う。王硅も『恐縮です』と凝りを解すように苦笑し、
「いえ、それが実はきっかけがありまして……」
「ほう。どのような?」
「それが――」
 ――初めは昨今の道具自慢へと走る風潮が気に食わず、師にそのことを述べたのであった。良き書を志して良き道具を求める、それ自体は当然のことだ。だが近頃では筆や硯、紙墨は言うに及ばず、文鎮や水滴、書架に至るまで名の通った名人珍品、凝った細工の品を求め、遊び心や実用品としての範疇を越える執着のしようが目に余る。大体、やれ何毛の筆を使っただの、如何なる墨を用いただの、わざわざ書の端にまで大きく書き留めるようなことだろうか。
 書をしたためるだけならそこらの紙や筆で充分だ。高価な道具を揃えさえすれば良いものが書けるというのなら、一体誰がここまで苦悩などしよう。
「と、いうようなことを不平不満ということもありまして、ややきつく申したわけです」
「ほほう、それで師匠殿はなんと?」
「それが『一片の理はあるが、他方が欠けておる。それでは貧乏書生の僻みに落ちるぞ』と」
 ――道具だけで至れぬのが書であるが、高き境地への足掛かりとして良き品を求めるのは、古き名人の苦難奇行を引くまでも無く当り前のこと。良墨名筆を否定するは、それを生み出さんとする職人を否定するも同じ、ひいては書を突き詰めようとする我ら自身を否定することにも繋がる。
 文字など、只読めれば良いと言われたとして、果たしてお前は頷くことが出来るのか。
 何より。紙の上に墨跡で文字を連ねただけのものが、ある一線を超えて人の心を打つ域に達すなら、道具に過ぎぬはずの文房四宝も、真にその高きを極めたものは、我らの想像を越えた逸物となろう。指先や木枝に対する筆、漆や木炭屑に比する墨。その差を考えれば、それは最早求めるが当然の宝物なのやも知れぬ。道具に頼れなどとは言わぬが軽視もするな。いずれのこと、お前もとて今は触れることさえ叶わぬものに巡りおうたとき、それは必ず分るはず――
「うむ、流石は師匠殿。確かに執着せぬことと軽視することは、また違いましょうからな。お若いうちは解り辛いでしょうが、それは是非とも心に留め覚えておくべきことと、老人の御節介ながら申し上げておきましょう」
「しかと承りました。……で、その後に悪戯半分、思い付いたことがありまして」
「ほう、それは?」
「はい。素晴らしき道具に触れることでこの蒙を払うことができるのであれば、我が身にとって実に良き経験と成りましょう。そこで、御師匠様の使われている道具、それを一度この愚弟子に御貸しは願えませんでしょうか――と」
「ははあ、それは確かに良き機会となりましょう。で、師匠殿はそれに何と?」
 ――ヤじゃ。
 ……あの、先生。他にもう少し言い様が。
 言い様も糞もあるか。一夜たりとて自分の愛妻麗妾を貸し出す馬鹿が何処に居る。
 いえ、女性ではなく道具を一時ばかり……
 分りきった愚言を申すな。大体、筆硯墨紙、どれをとっても女と違い貸せば減るではないか。
 ……硯も減りますか。
 うむ。下手に墨を下ろせば鋒鋩が減る。後、何より儂の幸福が。
 ……先生、そんなにこの愚弟子がお嫌いですか。
 いや? まあ多少格の落ちるものならば貸してやらんこともないし、文鎮や水滴ならば、もう三十年は使うとる愛用のものを出してやっても良いが……お前が求めておるのはそういうものではなかろう?
 ハァ……
 む。そう言えば――ちょっと待っておれ。
「……いえ、残念ながらその折はお貸し頂けませんでした。まぁ、代わりにというわけでもないのでしょうが、それとは別に実に善き物を頂戴することができまして」
「ホゥ、善き物ですか。それは、さて一体――」
 くぐもって届いた響きが老和尚の言に途中から重なり、それに掻き消されるよう、言葉が絶えた。寺の改修――未だにその言葉を鵜呑みに信じるとしてだが――の関係かと王硅は思ったが、それにしては音が遠い。まるで、下の街の一角で何かが崩れたかのようだ。
 ふと見れば、対面の和尚は眉根を寄せ、庭の遥か彼方を見遣っている。やがて王硅へと向き直り搾り出された声は、先程までの好々爺のものではなくなっていた。
「さて、話は戻りますが王硅殿」
 突然のことではあるがそれが明輪時住職としてのものだと悟り、王硅も膝を正す。
「御存知の通り、この明輪寺は今を遡ること五百と有余年の昔に、松隠様によって開かれた貴泉鎮護の寺。当時、この西峰峡は水こそ今のように豊かであったものの、険しきこと比類無く、麓の里より至るには必ず杣人の案内を必要としたとか。――それでも西峰峡の傷病に良き泉の噂を聞き、湯治に訪れる人の足は細々とはいえ絶えることが無かった、と申します」
 また、何処か遠くで破砕音。何かの作業にしては、どうも派手で雑な気がするのだが、素人考えというやつだろう、多分。
「しかし一つだけ、問題が御座いました。西峰峡に数多ある温泉冷泉、その中でも最も効能ある霊泉に何時の頃からか一匹の妖怪が住み着き、近付く人間を片端から襲うておったのです。山奥とはいえ人界の果てという訳でも御座いませんから、その霊泉から離れて関わらねば済む、という風には参りませぬ。ましてやその妖怪の縄張り全てともなれば、西峰峡のほとんどに重なります。村人達は人を雇い、法師道士を招いて、幾度もその妖怪を退治せんと繰り出したそうですが、しかしその度に歯が立たず、逃げ戻ったそうです。
 妖怪はますます人を嫌う。しかも潜むは西峰峡最高の霊泉。ただ居るだけでその力は増してゆきます。もうどう仕様もない。かくなる上は無駄を承知で天朝に訴え出て、有り得ぬだろう軍兵の派遣に一縷の望みをかけるか、それとも村人全員、生まれ育ったこの地を捨て去るか。――そろそろそういった話も出始めていた頃に、松隠様はこの地へとおいでになられたのです。
 そして村人達の話を聞いた松隠様は直筆の御札でもって妖怪をお封じになられました。以後、請われるままこの地へと腰を据え、西峰峡の湯治場としての発展に力をお尽くしになられたのです。その時、件の封じ札を安置し、無償で病人や怪我人達の御世話をせんと霊泉近くに建てられたのが、この明輪時の始まりで御座います」
 そう縁起を語り終えると、老和尚は茶を一口啜り、口を湿らした。
「まあ、ですからあまりほいほいと御見せするようなものではないので御座いますな、封じ札は。とはいえ、一般参拝の方々に日頃から公開していないだけであって、秘仏神宝の類としてどこぞの窖の奥に仕舞うてあるわけでもありませぬから、王硅殿のように志を持って、きちんと手順を踏みいらっしゃったなら、喜んで御見せするところなのですが――」
 ふと気付けば、音が止んでいた。老和尚の眼は、皺だらけの両手で包んだ茶碗にじっと注がれている。
「そう、常ならば――」
「和尚さま、大変だっ!!」
 息せき切って庭へと駆け込んできた男が叫ぶ。続けようとして、目にした王硅の姿にぎょっと息を飲み込む。
「構わぬ。この御仁は大丈夫なお方じゃ。――出たかの?」
 出ました、と短く男が答えた途端、『何ィッ!!』と音立てて襖が左右に開かれた。そこに居るは十数人の屈強な偉丈夫ども。どうやら本当に茶を振舞われていたらしく、湯飲み片手に饅頭だの菓子だのを、それぞれ手に口に頬張っている。
「何処に出た!」
 口中のものを胃の腑へと落とし込み、男の一人が王硅の頭越しに怒鳴る。
「左町の下にある客舎『紅州』だ! 外湯に現われて、たまたま入っていたあそこの嬢ちゃんと客が一人、襲われた」
「畜生!」「糞ッ、あの腐れ妖怪め」怒号が次々こぼれ出す。
「何と……遅かれ早かれこのようなことになるとは思うておったが、ついにこの西峰峡と関係なき御仁まで巻き込んでしもうたか……」
 いきり立つ男達の中で顔を顰め、和尚は肩を落とす。こうなる前に早々片を付けておくべきだった、とは今更言うても詮無きこと。それでも、そうと分っていても後悔は湧き上がる。
 一方、王硅は喧騒の中、飛び交う言葉を繋ぎ合わせ、状況を把握しようと懸命に努めていた。嫌な予感がする。多分これが自分に対する敵意に満ちた対応の理由であり。聞き覚えのある言葉があった。和尚様が先程、何やら言い掛けていたことだと思うが。左町の下。恐らくそれは先程まで何やら音の響いていた方角。そもそもこれだけの男達が昼日中から群集って殺気立つのは。そして自分達の泊まっていた客舎もあの辺に。次々に逞しい僧侶が増え、他の所からも男達が集まってくる。湯に浸かっていた女性客が襲われた? 自分を見送った連れは、朝湯支度を済ませた姿ではなかったか。何よりそう、『紅州』という名は――
「和尚様、呆けてる場合じゃありませんぜ!」
「ウム。――で、被害は、襲われた方々の具合は?
「それが……」
 一転、それまで興奮していた男の表情が崩れた。震えた声を絞り出し。
「無事というのか、無事だったというのか、無事じゃなくなりつつあるというのか……」
「何訳の分んねぇこと言ってやがる。ハキと喋りやがれ!」
 皆に睨まれ、庭の男は泣き笑いのような無理のある表情を浮かべた。
「『紅州』んとこの嬢ちゃんと一緒に入っていた、背に刺青のある客の若い娘が――色も生っ白くて力仕事もしたことねぇような娘が――」
 脳裏で一人の娘が振り返った。虫も殺せぬ佇まいの彼女のことを、王硅は良く知っている。
「その娘があの岩みてぇなエビザリ野郎と素手で殴り合ってやがんだ!!」
 ――嗚呼、間違いなく翠玉だ。
 王硅はがっくりと畳に両手をついた。



 青空の下、天高く飛びながら、何故だろうと梨花は思った。
 燕来月の世界はとてもとても澄んでいて、濡れた肌を急速に冷ましてゆく初夏の風さえ体を吹き洗い清めていてくれるよう。
 ガゴン!!
 跳んで、落ちて、回って走ってまた飛んで。この先、彼女が体験する一生分の暴れ馬と小舟による急流下りを掻き集めても、今のこれには及ぶまい。
 ばかん!!
 服を着る暇など当然無く、裸体の前を手布で隠しているだけ。それで衆目に晒されてるというのに恥しさを感じないのは彼女自身、年頃の乙女としてどうかとも思うが、まあ望楼より高い空を飛んだり、後ろから追いかけてくる妖怪変化を目にすると、余り気にならないのも仕方ないかなと自分で自分を許す気にもなる。ましてや、
 ――不意に妖怪の大鋏が眼前へと落ち迫り、次の瞬間くるりと天地が回る。しっかりと支えられた頭の後ろで建物がたやすく崩れ落ちる音。深く奥へと伸びていく響きを耳にして、今更のように梨花は『ああ、ここ三階だったんだっけ』と思い出す。
 ……ましてや、恐いなんていうのは余裕のある時に感じること。立て続け、というも烏滸がましくこうも命の危険真っ最中だと、目の前の状況を認識するのが精一杯で、人間、余り深いことは考えられなくなるものだ。
 そんな恥も恐怖も驚きですら間に合っていない状況で、それでも梨花には浮かぶ疑問がなお一つだけ。
「ええい、しつこい!」
 今、自分をこうやって抱え上げ、迫り来る妖怪より守り逃げていてくれる翠玉さん。手布を腰に巻き付け、豊かな胸や白い脚を惜し気もなく太陽に晒したまま、風よりも早く駆け、鳥よりも軽やかに空に舞う。腕は細く、時折押し付けられる胸はとても柔らかい。まだ子供とはいえ人一人、梨花を抱き上げるほど力があるようにはとても見えなかったが、実際こうして苦にするどころか跳び回っているのだから、前提の方が色々と間違っていたのだろう。梨花自身の認識とか、世間の常識や天地の法則なんかが。
 それでも、そういったものが間違っていたのかもしれないとは受け入れられても、ふと首を傾げて思うのだ。目の前。彼女の指。自分をしっかりと支え、しかし優しく包み込んでくれる翠玉の細く長い嫋やかな五本の指が――
「邪魔ッ!!」
 ――何故この繊手で形作られた拳が、痕さえつきそうな轟音を発して大鋏を打ち抜くんだろう?
 目の前に迫った灰色の塊が再び白い稲妻に弾かれる。振り切られた小さな握り拳は、ごつごつした濡れ岩のような甲羅を叩き飛ばしておきながら、毛一筋ほどの掠り傷もついてない。
 ぐらり、と姿勢を崩し、妖怪変化は自らの大鋏に引っ張られるようにして、どこぞの家の小屋と庭木に音立てて突っ込む。
 鼻面をめり込ませ、何処となく間抜けな風情で動きを止める巨大龍蝦。途端、それまで手を出しかねていた地元の若集が、網や樫棒を構え、わっと押し寄せた。妖怪相手に散々やられっ放しではあるが、少なくとも西峰峡の男は怯懦では無い。
 だが、腕の中に未だ呆然とする梨花を抱えたまま、翠玉はそちらを一顧だにしないでなお足早に街中を駆け出した。塀の上を走り、崩れた壁を抜け、穴の空いた建物を潜って、先程までの逃走路を半ば逆走するかのように。
「――あ」
 梨花が我に帰った時、そこに広がっていたのは見慣れた客舎と半ば瓦礫に埋もれた温泉、その淵に立つ白い花を散らした百日紅に、奇跡的に何の異常も見られない脱衣小屋であった。
 翠玉は素早く梨花を脱衣小屋へと押し込むと、まだ些か焦点の合っていない彼女の顔を音立てて、その両手で包み込んだ。
「しっかりなさいな」吐息が掛かる。間近から覗き込む黒い瞳。「無理でも駄目でも腰を抜かすのは後。――私の言っていることが分りますわね、梨花さん」
「あ、はい……」
 どこか威厳を漂わせた言葉に気圧され頷くと、よろしい、とばかりに翠玉は目元を緩め頷き返した。指先で軽く撫でて、両手を頬から離し、すっと身を引く。
「最低限の身支度を整えたら、直ぐにここを離れなさい。自分の無事を誰かに伝えて、出来るだけ遠くへ」
 ハイと頷きかけ、梨花の頭が止まる。はて、言っていることは正しいが、どうしてそんなことをわざわざ言い聞かせようとするのだろう。違和感がある。何故、自分は脱衣所の中にいて――彼女は戸口の向こうに立っているのか。
「――ッ。もうですか」
 舌打ちさえ優雅に翠玉が振り返る。先程、二人が逃げてきた方角から一際大きな喧騒と壊音が轟き立ったのだ。
「いいですね、出来るだけ早く、出来るだけ遠くへ。――私から離れた場所へ」
 そうして飛び出していこうとする翠玉の手を咄嗟に梨花は掴んだ。
「待って下さい!」
「梨花さん?」
「翠玉さんこそ早く! この辺の人達はあの龍蝦に慣れています。退治することは出来なくても、追い払うぐらいなら今までにも何度も。
 ――もうこれ以上、翠玉さんが相手をする必要はないんです! だから!!」
「……梨花さんはお優しいですのね」
 私に怯えてもおかしくありませんのに。そう微笑みながら翠玉は梨花の顔に落ち掛かっていた髪をそっと払い流した。そしてその手をもう一方の腕を掴む梨花の掌に重ねる。
 妖怪すら殴り飛ばす繊手が柔らかく梨花の手指を包み込んだ。続ける声に笑みを含ませ。
「大丈夫。先程まで一番近くで見ていたでしょう? あの程度の輩では私に傷一つ付けることすら叶いませんわ。……まあ確かにこのような詰まらぬ騒ぎ、関わりなどしたくはないのですけれども……」
 仕方ありませんものね、と今度は苦笑交じりに吐息を零す。
「どうしてか、アレの狙いはわたしのようですし」
「……え?」
 答えず、腰に布一枚巻きつけた格好のまま、翠玉は後ろに跳ぶ。それはまさしく飛翔。何の枷も無くなったとばかりに、白い肢体が宙を切る。
「本当にわたしのことはお気になさらず。――早くお逃げなさい、ね?」
 そう笑って手を振ると、翠玉は百日紅の枝を蹴り、たちまち立ち並ぶ建物の向こうへと消えていった。
 呆けることしばし。梨花は何時の間にか小さく差し伸ばしていた自分の手に目を落とす。
 水仕事で荒れた、まだまだ子供の手。――たった今、白く綺麗な指に包まれていた手。
 その感触を思い出し、思わずぎゅっと手を握る。彼女の指が金属の武器さえ弾き返す妖怪を張り倒していたことを思い、自分が何も出来ないどころかお荷物になっていたことを思い、
 ――音立てて梨花は己が両頬を張った。
「ぃよっし!」
 自分は衛州貴泉は西峰峡の娘。それがここ一番で腑抜けていてどうする。そんなことは許さない。他ならぬ自分こそが、それは絶対許さない。
 小屋の戸を閉める手も惜しみ、梨花は己の着衣に飛びついた。



 一方、屋根瓦を蹴立てて走る翠玉は、音と目で巨大龍蝦が自分を追ってくることを確認し、囮として成功していることに小さく頷くと、
「――さて?」
 何も考えていなかったため、些か本気で眉根を寄せた。幾ら大きかろうと龍蝦は龍蝦、陸の上での動きは鈍い。塀を崩し建物を突っ切って真っ直ぐに追いかけてくるものの、路や街並みだのを無視しているという点では、屋根の上を飛び回っている自分も同じだ。むしろ砕くべき障害物が無い分、そう易々と追いつかれることはない。甲羅や大鋏にしてもでかいだけ、硬いだけ。如何に人の象に封じられていようと、あの程度の輩に傷付けられるつもりもない。
 もっとも、こちらにしたところで討って出るだけの手がある訳で無し。降り掛かる火の粉を払ってはいるが、温泉宿の彼女さえ安全な所へ逃げ出せたなら、他に元より成すべき目的も結果も無く、その点気楽といえば気楽だが、そもそも火の粉が止まねばこのままか。
 何より。さてはて、あの下級妖怪に『諦める』なんていう知性が果たしてあるのか?
 屋根の端を踏み切り、動き続けていた身は飛燕の如く次の棟へ。
 オオッ
 下ではその軽業にどよめく人々。一寸の後、続いて瀟洒な土塀が轟音と共に崩れ去る。鋏を振り上げ、現われ出でたる大龍蝦。
 オオオッ
 怒声、悲鳴。追ってきた荒くれ者達の叫びが更にそこへ入り交う。
 だが大龍蝦は人になど目もくれない。幾本もの長棒が叩き突くのを分厚い甲羅に任せ、つぶらな瞳と触覚を天へとかざす。ゆらゆらと揺れていたそれらが、屋根の上から見下ろす娘の冷たいかんばせと向き合った途端、ぴたりと動きを止めた。不思議な静寂。次の瞬間、何を悟ったか周囲の囲んでいた男達は声より先に逃げ出し、半拍置いて大龍蝦の巨体が前へと跳ねた。
 一気に距離を詰め、中空を迫り来る巨体を前に、何の力も持たない丸腰の翠玉は――
「このエビザリ風情がッ!!」
 迎撃一閃、回し蹴りをくれた。
 ヲオオオォーッ!
 湧き上がる歓声。大龍蝦の突然の動きに漏れた声が、そのまま蹴り弾いた若い娘への賞賛へと変わる。
 雄雄雄雄雄ッ!!
 拳を突き立て、更に真下の特等席で叫びをあげる西峰峡の漢達。自分達が手も足も出なかった妖怪に彼女が一撃を入れてくれたことにもよるが、それ以上に揺れる胸、白い腿、腰では巻き付けられた手布がきわどい所でその下裾を揺らしているのだ。更に今の一蹴りでちらりと見えたような気がする、風切る真っ白なおみ足の奥、隠された神秘の陰影。目の前でのその光景が彼等の魂に火を入れた。地を踏み鳴らし、中には涙すら目尻に浮かべて喜ぶ男衆。
 ――そして天罰は常に天より下る。
 雄雄雄ッ……う、うをォー!!
 背中より落ちてきた巨大龍蝦が、彼等の上に影を広げる。
 その末路を見届けようともせず、再び翠玉は走り出す。良い轟音が響き渡り、瓦が幾枚か、何かを暗示するかのごとく地に落ち割れる。
「嗚呼、もう。本当にどうしましょうか……」
 息も切らせず屋根上を駆け抜けながら自然と零された声音には、意図せずして低く沈んだ色があった。奔放な振る舞いは望むところであるものの――いい加減飽いてきた。これまで許されなかったことをしている開放感はあるが、相手があれでは興や趣きに欠けるというものだ。
「――ほんとに。面倒ですこと」
 ……もし自分がこのようなことをしていると知れば、故郷の者達は一体どんな顔をすることか。――あの者達は、怒るより悲しみ嘆くから性質が悪い。こうして遠き空の下、遥かな故郷を思えば淡く胸に滲むものがある。顧みれば過去に遠出をすることはあっても、このように長くあの地を離れることはなかった。大丈夫だとは思うが、皆、元気でやっているだろうか? あれから季節も移ろった。柳絮の子らは良き風に巡り合えただろうか?
 時折、振り返りもせず毟り取った瓦を大龍蝦へと投げ当てながら、翠玉は郷愁の吐息を小さく漏らす。手を片頬に添え、傾げられた麗貌の愁いを含ませた瞳が、ふと屋根上進路と平行に伸びる街の中央通りを映した。そこの集団の中に、知った顔を見る。
 突如直角に曲がった獲物を追いきれず、大龍蝦は勢いのまま坂下へと建物を崩しながら突き進んでいった。
「あら、あなた。もう御用はよろしくて?」
 数歩で王硅の前へと降り立った翠玉は開口一番、何事も無さそうにそう言った。続けて、ネェ、お約束のお土産は買ってきて下さいましたの旦那さま、と甘えた声をあげる。驚く周囲の群衆とは違い、長い付き合いの分だけ王硅の自失は一瞬、とく我を取り戻した。
「と、自然に俺を巻き込もうとするからには、察するにさぞや碌でもない事態になっているようだな。――またかよ。この疫病神」
「女の戯言一つ、舌先で弄べないようではいずれ毟られ捨てられますわよ? 
 ――ちなみに元凶は私じゃなくて、ハイ、あちら。思い込みの激しそうな方が情熱的にいきなり迫ってこられたんですもの。内気なわたしはお断りするしかありませんわ。ヨヨヨ……」
「それこそ千切って毟って捨てて欲しいものなんだが……ああ、大龍蝦とかその辺りの話はたった今、聞いてきたんで分ってるから」
「――なら疫病神呼ばわりは酷いんじゃなくて? 這い蹲って謝罪の一つでも乞えば――ところで後ろの方々はどちらさま? どうしてどなたも赤い顔で横を向いておられるの?」
 そこに並ぶは、剃髪僧形の者も含む屈強な男達。しかし何故かしら皆、視線をあらぬ方へと逸らし、ちらちらと気配こそ向けるものの、決して彼女に正対しようとしない。
 自分の正体を知って、怯えているという訳でもないようだ。そう小首を傾げる翠玉と、ただ独り、真正面から自分に向き合う老僧の目が合った。
 小柄な老和尚は澄んだ瞳で彼女を見、やがて無言で手を合わせると静かに翠玉を拝んだ。
「だから……人前に出るなら、無くても慎みぐらいある振りをしろ……」
「――ああ、なんだそういうこと。服を着ている暇なんて、ありはしませんでしたから」
「湯に入るなら、備え付けの湯衣ぐらいあったろうに」
「そもそも何かを身に纏って水に入るなんて、邪道だとは思いませんこと?」
 と、そこで先程から不自然に真っ直ぐ自分の顔を見詰め続ける王硅の様子に気付く。一拍の空白の後、にんまり笑うと翠玉は片腕で己が胸を隠した。当然、隠しきれる訳も無く、突端が隠れ消えた代わりに腕の下で潰れた胸が溢れ出し自己を主張する。だが、隠そうとした行為そのものに王硅が気を緩めた一瞬、翠玉がもう片手で彼の頭を下に向けようとし、
「やめんかっ!」
 王硅は顔を横へと振り払った。
「ともかくっ」上品な笑い声が高く長く朗らかに、真っ赤に染まった王硅の横顔を打つ。「あの大龍蝦は数百年前に封じられた妖怪で、ところが長年温泉の湿気に当てられたせいか封じ札の呪文がかすれて、つい最近出てきたってことらしいっ!」
「……我々も内々になんとかしようと、街の衆の力も借りて頑張ってきたのですが、嗚呼情けなや、結果は御覧のとおりです。この西峰峡は、今や湯治に参られた方々の相手で成り立っております。悪評の立たぬうちに、と思うておりましたが、松陰様ほどの法力も無く、未熟な私共にはせいぜい追い払うのが精一杯――」
 力無く首振る老和尚の言葉に、遠雷のような轟音が相槌を打った。
「――ゥ和尚ッ!!」
「ム。お頼みしますぞ皆の衆」
 応、とそれだけで荒くれ者と若僧達が駆け出した。
「ささ、今のうちに遠くへ。足止めはあの者達が致しましょうから――」
「ああ、成程。それで」これで納得出来ましたと翠玉が微笑む。「数百年。それだけ封じられていれば、さぞや気に餓えていることでしょう。なら、この身を求めるのは当然の道理」
「――翠玉?」
「私が先代から引き継いだ神格は地域の要として治めるに相応しきもの。ならば量はともかく、質ならこの上なき馳走に見えることでしょう。それが、力なき人の姿であればなおのこと」
「つまり」よく分らんがと王硅。「逃げても無駄。追い払っても無駄。お前が居る限り、アレは諦めずに追いかけて来るかもしれない、と?」
「アラ、御謙遜。良く分っていますわよ」ええつまりそういうことになるでしょうね、と翠玉。
 十全には理解できずとも、感じるものはあるのだろう。黙って成り行きを見守る老和尚の前で、二人は続ける。
「――参ったな。お前の非常識さでどうにかならんか?」
「そう言われても。わたしに出来るのは、せいぜい目の前の失礼極まりない人間を、殴り倒して投石代わりにぶつけるぐらいかしらね。早速試してみましょうか?」
「うむ、それは最後の手段にしておこう。他に何か出来そうなことは無いのか?」
「そう言われても……そもそも私達の一族は争いよりも静かに齢を重ねる存在だから……」
「思いっきり例外に言われてもな――待て、だからそれは最後の手段だ」
 深々と吐息一つ。翠玉は王硅の胸倉を片手で捻り上げたまま、意識を切り替える。こうしている間にも、大龍蝦の喧騒は近付いて来ているのだ。
「で、あなたの方こそ手はありませんの?」
「俺? いや、一介の書生に言われてもな」
「誰もあなたに方術だの験力だの、百歩譲って腕力なんてありもしないものに儚い期待をかけたりは致しません」王硅の賢明な沈黙をどうとったか、翠玉は少し微笑んで続ける。「――もうお忘れ? この身が人の象に括られ元に戻ること叶わなくなったのは誰のせいか――」
「じ」
「自業自得、なんて詰まらないことを口になさった瞬間、一つの命がこの街の為、尊い犠牲となって空を飛び華やかに弾け散りますけど――覚悟がお済みになったら、さあどうぞ」
 白く細い翠玉の腕に力が張る。妖怪とて叩き伏せ、大岩だろうと砕き抜くそれを下目に、本当にどうにか出来んのか、とは未だ将来への志を諦め切れない王硅には感じても口にすることは出来なかった。
 渋々、その腕の更に下、自分の懐中へと視線を向ける。
「これを……使えと?」
 書の師匠から頂戴した木箱の中身を差す王硅に、翠玉は莞爾と微笑む。
「ええ。足止めぐらいならわたしが致しましょう。ですから王硅、あなたはあなたのすべきことを――」
「だがな、翠玉」
 彼女の笑みに惑わされることなく、王硅は真摯な視線を翠玉へと落とした。
「俺は思うんだ」それは偽らざる素の感情。「――勿体無い、と」
「……王硅」
「何だ」
 翠玉浮かべるは満面大輪、華の笑み。
 分ってくれたかと王硅頷き、
「――飛んで来いッ!」

 三つ隣の客舎外湯で、西峰峡本日一の水柱が上がった。



 望楼の頂、その滑る瓦に素足を重ね、翠玉は詰め込まれた人の街を見下ろす。高みに吹く風が不安定な足場に立つ身を揺らすが、怯えどころか気にかける様子すらない。
 ――元よりその身は人ならず。しかしこの象に封じられてからは人らしく、低き場所を歩み続けてきた。駆けようとも跳ねようとも視界は上下数尺と変わらず、されどもほんの数歩横に動けば人の世界は姿を変える。
 だからか。この高さに吹きすさぶ風が懐かしい。
 結い上げた項を風がなぶる。素裸に近い格好で下界を瞳に映す翠玉は、その肢体、指の先まで人の形をしていても、今、確かに人ではなかった。
 視線の落ちる先では、現在も道化芝居じみた騒ぎが続いている。西峰峡の男衆も頑張ってはいるようだが、あの様子ではもう間も無く大龍蝦はここへと達するだろう。では、どうする?
 自分が為すのは王硅がアレを用意するまでの時間稼ぎ。そう時がかかるものでなし、適当に走り回っていればことは済もう。だが、それでは当然今まで以上に人の街は崩れ、同胞達にもまた害は及ぶ。ならば、自分はどうすべきか?
 自然と目が細まり、目尻が切れる。
 ――時間を稼ぐために、討って出る。
 当り前の結論へと達し、翠玉は無表情に時を計る。
 前肢二振りの大鋏で幾重にも被せられた投網を引き千切り、ついに大龍蝦が自由になる。咆哮するかのごとく鋏を大きく天へと一度振りかざすと、胸部数対の小鋏脚、尾部無数の小脚を蠢かし翠玉の立つ望楼へと地を重く遅く走り始めた。
 途中で一度、渇きを癒すかのように泉へと飛び込み、勢いそのままに潜らせた身を水中で滑らせ、一方の淵から弾け出る。水を飛沫かせながら巨体が迫る。
 瞬きもせず、翠玉の人の形をした体に力が籠もる。その爪先が瓦を蹴ろうとした瞬間――
「翠玉さん!」
 喧騒を縫って届いた声に、視線のみを動かし見れば人込みの中に見知った少女の顔。
「これを!」
 宙高く放られる手桶。その中に詰められた白い物を見て、仮初めに過ぎないはずの翠玉の顔にまごうことなき笑みが綻ぶ。
「梨花さん。――感謝します」
 木桶が浮かぶは翠玉と大龍蝦の丁度中間にあたる空中。だが翠玉は迷わず桶へと飛びついた。
 大龍蝦の右の鋏が諸共に叩き落そうと宙を切る。
 それより早く。先んじて翠玉は中身を引っ掴むと、木桶を蹴って更に高みへ。
 音と共に大龍蝦は望楼基部へ突っ込み、空中で掴み出した湯衣を一瞬で広げ纏った翠玉が入れ違いに先程まで妖怪が居た辺りの木枝へと降り立つ。腰元で帯を固く結び、上げていた黒髪をばさりと下ろし流した。
 瓦礫の中、もぞもぞと向きを変える大龍蝦が、ふと動きを止めた。その黒い石にも似た目を見据えるは、先程まで逃げ回るだけだった人の形した小さなもの。
「――身の程弁えぬ魚怪風情が。知らぬとはいえ緑雲森公の跡を継ぎたる我を餌代わりとは、また豪気な話」
 そこで、小さなものの模様が替わる。人ならば、裸足で逃げ出す笑顔を理解できないというのは、大龍蝦にとって果たして幸せか否か。
「礼には礼を、恩には感謝を。――そして愚か者には報いを。……ああ、『千切って毟って捨てる』だったか……ついでに磨り潰して同胞達に振舞うも良い……」
 遠巻きにしていた人間達が遠ざかる。翠玉の周りから、大龍蝦の方へと。
 理解できぬ人の言葉ではなく、別のものに本能を叩かれ、大龍蝦がその巨体を高々と持ち上げ、威嚇体勢に入った。公主として育てられた身に相応しい笑みをかんばせに浮かべ、翠玉は良く通る美しい声で小鳥の如く囀る。
「さあ、おいでなさいな。磨り潰して差し上げますわよエビザリ野郎」



 宿まで荷物を取りに戻る暇などなく、老和尚の伝手で近場から借り出した硯と筆を前に、濡れ鼠の王硅は息を整える。木製の小箱は敷き詰められた綿の中より取り出したるは、指先ほどの小さな黒い塊。それを神妙な顔でしばし眺めた後、霊験あらたかだという泉から汲んできた水を数滴、硯に落とし、王硅はそれを――ちびた墨を下ろし始めた。
 書家以外には余り知られていないが、墨には時期というものがある。どれほど高名な墨でも出来たてのものに味わいはなく、数年、十数年寝かせることによって駄墨ですら思わぬ深みを見せるようになる。

 墨は三歳で蕾をつけ
 十で膨らみ
 二十で綻び
 三十を経て咲き誇ると
 四十五十で落花を舞わす

 そう王硅は師に教わった。そしてまさしく今、彼の指先で四十年ものの名墨が花開き、香り立つ。
「――ああ」
 意図せず言葉が漏れた。その顔には至福の笑み。手は急ぐことなく緩く、軽く、時間をかけて理想とされる擦り方で墨片を解いていく。硯の丘をこの世で最も深く輝く闇が濡らし、海の部分に静々と溜まり落ちてゆく。
 墨酔の字通り、状況も忘れ恍惚と墨に向かい合う王硅を、周囲は落ち着かない雰囲気で黙って見守り続ける。
 やがて、無意味に長すぎるようにも思える時間を経て、王硅は下ろした墨を別の容器へと移した。墨を弓手、筆を馬手に構え、立ち上がる。
「――それでは和尚様、残った墨の方を、どうかよろしくお願いします」
「確かにお預かり致しましょう。……しかしわざわざ王硅殿が行かれなくとも、当寺の者にやらせますが――」
「ハハ、何を仰います。この墨で書綴る機会をまさか他人に譲れとでも?」
 浮かぶは満面の笑み。そこに命の危険への恐怖など微塵も無い。
 呆れ返った人々を背に、嬉々として王硅は自分が筆振るうべき壁――大龍蝦へと走り出す。
「翠玉っ」
 その声に応えるよう、翠玉はそれまでの避けて殴ってを止め、細腕で龍蝦妖怪の大鋏を受け止めた。白く繊細な五本の指が、それぞれ閉じて一つとなった鋏の先を、握り締め封じる。
 端、とその素足の先が地面を踏み叩く。
「眷属よ! 緑海公主の翠玉紅瀧が願い請う。力貸し我を助けたもう!」
 大龍蝦が数本の胸脚を持ち上げる。人形の翠玉と大龍蝦では手の――もしくは単純に脚の数が違う。大鋏を封じられたとはいえ、頭胸部より伸びる数対の長脚には何の枷も無く、その先についた小さな鋏が翠玉を狙う。それを目にした白い顔に浮かぶは、優しい微笑み。
「――おばか」
 囁く声は甘いものだった。
 自由なはずの胸脚が持ち上がらない。何時の間にか体を支える全ての脚に、草の葉が、どこからか伸びる蔓が、地を割って木の根が絡み付いている。
 大龍蝦がその巨体を持って振り解けば、そうはもたずに引き千切られるであろう。だがそれだけの時間があれば筆が走るには十二分――
 尾部に近い甲殻に臆すことなく王硅の筆が振るわれる!
「――な、に」
 幾度かのぶつかり合いで、土や埃にまみれているものの、まだ乾き切ってはいない大甲殻。そこに筆を落とせば当然――
「……墨が載らん」
 茫然とする王硅を、べちりと大龍蝦の尾が打った。人が空を飛び、しばし遅れてどこかの泉から大きなものが飛び込んだかのような音が届いた。
 ちなみに本日二度目の水柱は、一度目の記録を超えられなかったとだけ記しておく。
 何事も無かったかのように、大龍蝦は一本一本、その脚を縛る草々を引き千切っていく。
「――っ、この大馬鹿ー! 役立たずー!!」
 緑海公主が仲間へと投げ掛ける声に優しさに類するものは欠片も無かった。
「ええい、こうなれば拙僧が!」
 裾を捲り上げて老和尚が駆け寄ろうとする。懐から取り出したその手には、数珠と古びた一枚の木札。何やら紙が貼られ、書かれた字はかすれて読めない。
「南無釈尊諸天! 松陰様、どうかそのお力を今一度、この封じ札に!」
 二人目は軽かった分、良く飛んだが勢いが足らず、余り良い記録は残せなかった。
 黙りこくる翠玉の真正面。飛び出た黒い石の如き目がゆらゆら揺れる。表情など無いはずの大龍蝦が、どこか嘲っているような気がして、翠玉は奥歯を噛み締めた
「……ええ、そうでした。他人に期待などした私が馬鹿だったのです。ええ、ええ、人任せになどせず、最初からこうすれば良かったのですね……」
 ゆらり、と。今度こそ自由になった大龍蝦の幾数本の小鋏が持ち上がる。両腕を大鋏と拮抗させたまま、合わせるように翠玉が後ろへと白い首を見せ仰け反る。長く艶やかな黒髪が滝の如く流れ、形の良い頤から吸い付きたくなるような白い喉首、襟元からは強調された胸が薄い布地を押し上げ、その存在を露に示す。
「――こうなればとことん最後まで、殺って差し上げますわよ!!」
 勢いつけて。染み一つ無い額が、岩塊にしか見えない大龍蝦の頭部へと叩き付けられた。



 最早その戦場に他者の踏み込む余地は無かった。頑強さには自信のある西峰峡の男達でも、妖怪の大鋏に胴を挟まれながら、逆に関節を叩き折ろうとする妙齢女性と肩を並べて闘うだけの蛮勇は無い。
「ええい、この!」
 懐へと飛び込んできた翠玉の黒髪を、大龍蝦の胸脚の一本が絡め取る。だが翠玉は髪の根元を片手で鷲掴みにすると、逆に思い切り引っ張った。
 引き寄せられるように懐へと潜り込み、大龍蝦の胸部にもう片方の肘を叩き込む。
 嫌な音が響いた。当り前だ。如何に人間離れしていようと、髪の毛をあんな風に扱えば。棒のような細腕、その肘という硬くも脆い関節を分厚い甲殻に打ち込めば。壊れるのは至極当り前だ。――しかし何故、音は甲羅がひしゃげ割れたようなものだったのか。
「フッ!!」
 白い美脚が大きく開く。左は地へと突き刺さり、右は真っ直ぐ天へと向けて。
 重い蹴音に混じって届いたのは、髪の束が千切れる音でも頭皮が剥がれる音でもなく、棒が毟り折られるものだった。
 巨体前方を宙に浮かせ、反り返る巨大龍蝦の元から後ろ跳びに翠玉は離れる。頭の一振りで、髪に絡みついていた胸脚が明後日の方角へと飛んでいく。
 充分な距離をとって大龍蝦と向き合いながら、翠玉は唇を引き締めた。
 今の交差で、柔らかい胸内とはいえ、あの分厚い甲殻に大きな罅を入れてやった。ついでに一本の胸脚を折り取っている。他にも罅や凹み、逆方向へ曲がった脚や中途で切れている触角など、目に見えるだけでもこれまでかなりの痛手を与えている。
 だが、それでも負けに近いのはこちらなのだ。
 あちらにはまだ二対の大鋏と多くの胸脚が残っている。対して、今の一撃で左肘は痺れたままだ。罅一つと腕一本。どう考えても釣り合いがとれない。こちらの強みである素早さに智恵、願えば叶うであろう眷属や街の人間達の支援も、単純近距離での潰し合いという現状では何の役にも立ちはしない。腹立たしい話だが、『でかくて鈍い』というのはこの場合、実に有利な要素なのである。
 このまま消耗戦になれば――あの無駄に多い脚は反則だろう。
「だからといって泣き言など――わたしの性ではありません」 
 未だ痺れた左腕を下げたまま。姿勢を低く、翠玉は右拳を固める。
 その意を感じ取ったか、大龍蝦もまた胸脚で頭胸部を持ち上げ、全身に力を溜める。
 ――次で、決める。
 大切なのは間合いだ。懐に潜り込みさえすれば、雑多な胸脚など当たるに任せ蹴散らし、先程の傷跡に全力の一撃を入れることが出来る。だが、届かねば。攻撃に集中し、痛みも疲労も次の先すら無視したところに大鋏を喰らえば、今までと違い今度こそはただで済むまい。
 生死を分けるのは間合い。内に潜り込めるかどうか。先に届くか否か。
 両者今はまだ遠間。互いに様子を伺いつつ、力を溜める。大龍蝦の身が更に力むよう、低く沈んでいく。照りつける日差しなど忘れ去ったかのように、じりじりと少しずつ、翠玉の素足が間合いを詰める。
 遠巻きに見守る街の衆も決戦の時が近付いているのを感じてか、息を呑んでただその瞬間を待つ。
 何時しか大龍蝦は岩と化し、触覚だけがそうではないというように、音無く滑らかに揺れ動いている。翠玉は進む。歩むのではなく、何時でも飛び出せる力を蓄えたまま、双方まだ届かない間合いの外だというにゆっくり前へと――
 飛び出した!
 低く飛ぶその姿は最早燕。ただの一足で本来届かぬ間合いを打ち消し、次にその柔らかい足裏が地に下りるのは、打ち込む踏み切りのその一刹那だけ――
 届く、と思った。先んじて動いた以上、以降の全てはこちらに従い動いてゆく。
 事実、遅れ馳せながら大龍蝦が溜めていた力を解放した時には、翠玉は既に大鋏の内側へと潜り込んでいた。大龍蝦が動く。翠玉を迎撃しようかと。だが、今からでは、迎撃を入れるどころか、ぶつかり弾き飛ばすにしても、翠玉の一撃の威力を上げる結果にしかならない。翠玉の足が地に触れる。低く沈む彼女の体とは反対に、大龍蝦の体は今更ながらに浮いてゆき――
 真後ろへと跳ね飛んだ。
 刹那の攻防。故に観客と化した街の人間達も、当の翠玉も、口を開きはしても声は漏れなかった。そう。馬鹿の一つ覚えという言葉のままに突進しかしてこなかったため忘れられていたが、翠玉達が相手にしていたのは本来飛び退るのが特徴の生き物。エビザリ風情のなれの果だ。
 この一動作で符の裏表は引っ繰り返った。届いた翠玉の間合いは、届かぬ大龍蝦の間合いに。必殺の場面は必死の舞台に。勝ちも負けも生も死も。全てが反転し、翠玉は自ら死地へと飛び込んだことを悟り知った。
 寸前まで蔑んでいたエビザリ風情が双の大鋏を天へと掲げる。移動ではなく踏み込むために足を下ろした翠玉の姿勢は無様にも崩れたまま。次に来る光景が予想できた街の者達の顔は青褪め、理解できた翠玉はやがてくる衝撃を待ち受ける意外、何の感慨も浮かびはしなかった。
 高く高く振り上げられた大鋏が宙を切る。左へ、右へ。左へ、右へ。
「――はい?」
 左、右、左、右。その仕草がもがいていると知れたのは、何処からともなく噴出した白煙と共に、大龍蝦が縮み出したからだ。その白煙――もしくは水蒸気の出所は、大龍蝦の背後、丸まった尾部の辺りから。
「これは――水気が抜き出されている?」
 翠玉が呟いた。道理さえ無視して、小さく小さく大龍蝦は縮んでいく。動きは次第に鈍り、甲殻の表面がかさついて、ついには小さな罅さえ浮かべて固まる。
 やがてというほどの間もかからず。水蒸気が晴れたとき、そこに残っていたのは普通の龍蝦ほどの干物と化した妖怪と、木札を持ち、力強い笑みを浮かべる王硅の姿だった。
「――王硅?」
「間に合ったみたいだな。――遅くなった詫びに一応聞いておいてやるが、無事か?」
「え、ええ。大丈夫じゃないけど、無事といえば無事ね」
 呆気に取られたまま、翠玉は彼の元へと歩み寄る。何処からともなく駆けつけてきた老僧達が摘み上げた妖怪の干物を箱へと封じるのを横目に、一体何がどうなったのですかと問い呟く。
「――それは?」
 ああ、これかと王硅が手にしたものを持ち上げる。古びた木札。表に護符らしきものが貼り付けられたそれは、恐らく先に和尚が振るった、御利益の切れた封じ札。だが、今それは確かに妖怪を再び封じ、擦れ消えたはずの文字は墨痕淋漓と黒く濡れ浮かんでいる。
「直接体に書き込むだけが、化生妖しを封じる術じゃなかった、という訳だ」
 一仕事、やり遂げ終えたと満ち足りた顔で頷く王硅。符を覗き込みながら、毒気を抜かれたかのように翠玉は聞く。
「あなたに――いえ、あの墨にはそれほどまでの力があったと?」
「うん? ……ああ、違う違う」
 彼女が誤解していることに気付き、王硅は笑顔で正した。
「新しく護符を貼り直した訳じゃない」
「――どういうことですか?」
 何、分ってみれば簡単なことだな、と懐広く余裕を含んだ声で王硅は教え諭す。
「時の移ろいに耐え切れず、呪符は力を失った」
「ええ」
「だから――」

 薄くなった部分を上からなぞった。

 得意げに反らされる王硅の胸元を、白百合の如き十本の指がしっかりと握り込んだ。これほどは無いというまでの笑顔を乱れ髪の下に浮かべ、どこまでも清々しく翠玉は朱唇を動かす。
 大きく息を吸い込み、
「――阿呆かァッ!!」

 とある温泉で吹き上がった白い水柱は、文句無しに本日最高の高さへと達した。



 其はとある浮かれ夜の話。月、差し落とすは白。涼しく静影をさらし。夜風、音無く繊枝を巡り翠葉を清める。
 師より使い古しの名墨の残り欠片を頂戴した書生は字の如くその香に酔い。
 百にも満たぬ若さで神格を引き継いだ樹精もまた何かに誘われるようその孤窓へ降り立った。
 共に酔うてのこと。月に、夜に、あるいは墨に。
 樹精はその意味も考えぬまま、戯れ心に衣をはだけ落とし純っ白な背を見せ。
 男はごく自然に墨含ませた筆を取り、心に浮かび上がった詩をそこへと書き綴った。
 冒頭二行。そこで我に返った樹精に書生が張り倒され、そうして

 二人の物語は始まりを見せる――



 早朝、まだ靄がかり鳥鳴く山路を二つの影がゆく。一人は金も力も、ついでに色も不自由してそうと評される、ありふれた容貌の青年。もう一人は、生き生きと庭を散歩するかように歩を運ぶ、どこか場違いなまでに育ちの良さげな娘。
「……かの墨匠王栄が四十年もの。ことこの域に至ると、煤を膠で固めたに過ぎないものですら、ここまでの霊験を持つか……」
 凄いものだと一人ごち、己が胸元に手を添える王硅を振り返りもせず「迷惑なだけでしょう」と翠玉が呟く。
「結局、ここの霊泉でも落ちはしなかったな。他の方法も見付からずじまい。――手に入ったのは明輪寺和尚様の紹介状と――」
 そこで声には出さず、苦笑する。
「――本当に良かったのか?」
「いい加減、しつこいですわよ」
 もう幾度と繰り返された遣り取り。だが青年にしろ娘にしろ、そこに険は無い。
「急ぐ旅ではなかったのですか、ねェ?」
「……気に障っていたなら謝ってやる。もうしばらくぐらいなら何の問題も無い。金だって宿飯どころか茶に菓子、酒まで好き放題っていうんだ。――長居しても構わなかったろうに」
「御冗談。傷もすっかり癒えたというのに、これ以上、居座り続ける理由がありません。
 ――酒も湯も、もう充分に堪能致しました。更に迷惑をかけるは心苦しいというもの」
「迷惑、という風には余り見えなかったな。――開祖松陰様の再来、麗しの女仙様」
 その言葉に、翠玉へと苦笑いが伝染する。
「だから、というのもありますわね。このまま祀り上げられてしまえば、そこに縛られてしまいます。――この身は既に別地の要。その任、易々と棄てられるものでもなければ、そのつもりも御座いません」
「……なら、出歩くなよ」
 聞かせるつもりもなく、横向き小声で呟き捨てた台詞は、しっかりと届いたらしい。困ったような力無い笑顔で翠玉は振り返り、
「誰の、せいで、この、仮躯に、括られ、たと、お思い、でっ!」
 身の丈、数倍する妖怪すら叩きのめした握り拳が中指を立て、王硅のこめかみを抉りこねる。
「大体、王硅。あなたもそろそろ居心地が悪くなって、耐え切れなくなってきた頃合だったでしょうに。――ただかしずかれ、食事や住居の提供を受けることが苦痛だなんて。ほんと、育ちというものが良く表れてますこと」
「……ッッ。悪かったな。下賎で」
「まさか。働こうともせずに胸張る馬鹿に比べればよっぽどマシですわよ」
 そうとだけ言い、翠玉は今まで痛めつけていた王硅のこめかみを指先で一撫でし、離す。
「――けど、もう少しぐらいなら居ても良かったんじゃないか? あの梨花とかいう宿の子と大分仲良くなっていたみたいだし、な」
 今朝、旅立つことを事前に告げ、見送ることを許した数人のうちの一人を思い出す。歳以上に大人びた顔で手作りの保存食と弁当を手渡してくれた彼女相手に、翠玉はかなり長く話し込んでいた。共に短くない旅路を重ねてきた王硅だからこそ分る。あれは、とても珍しいことなのだと。
 言われ、黙していた翠玉は、やがて彼女にしてはか細い声で「ええ、そうですね」と呟いた。
「けれど別れは必ず来ます。私が旅人である限り、彼女が客舎の娘さんである限り。彼女が人間で、私しが人間ではないということ以上に、それは確実です」
 でもまあ、と明るく翠玉は顔を上げる。
「悲しかろうと辛かろうと、その程度で他を見ず、泣き崩れるほど私も梨花さんも弱くはありません。それに約束をしましたから――」
「約束?」
「ええ。必ず。今度は私のもう一つの名前の頃に、お会いしましょうと」
 それは緑海公主翠玉紅瀧の言交い。ならば破られることなど絶対に無い――
 ――と、いうか翠玉が好んで交わした約束を、破ったり諦めたりする潔さが王硅には思いもつかない。
「何か仰いまして? それもかなり失礼なことを」
「いや。多分、どちらかといえば褒め言葉に近くないことも無いから、複雑な顔で受け取っておけばいいと思うぞ」
「……本当に、何を考えていらっさしゃったの……」
 しばらく困ったような顔で、拳を振るうべきか否か悩んでいた翠玉だったが、やがて吹っ切ったらしく、満面の笑顔で口を開いた。
「ま、よろしいでしょう。ちなみに、次に西峰峡へ足を運ぶときには、一応あなたも一緒ということになってますから」
「は?」
「そう、梨花さんや和尚様達と約束をしてしまいました」
「こら、勝手に人の断りも無く――」
「あなたの都合と梨花さんとの約束。わたしがどちらを優先するとお思いで?」
 分り切った答えに、王硅は溜息を吐き、顔を顰める。
「それまでは括りが解けても、まだ付き纏うつもりか」
「振り回す、ぐらいが適当かしらね。――喜びなさい。元に戻れても、それまでは取り殺したりはしないって、言っていてあげてるんですから」
 それで喜べるなら、多分王硅の人生は幸せに満ち満ちている。
「――忘れずに怯えろ。何時か追加で顔面に落書き入れてやるからな、髭付きで」
「躾けが足りないっていうのなら、いつでもおいでなさい。私、こう見えても寛大ですから」
 和やかに微笑み合い、言葉交わしながら。二人は次の目的地へと旅路を綴る。


                

――――了