日々、在りしことども



紅葉月三十一日
トリック・オア・トリート!!
紅葉月三十日
雑にありしことどもなどを。

早朝より買い物に少し出る。何時の間にやら某所西友が食料品売り場のみ二十四時間営業にしていただの、 懐中時計が意外と安いが、手巻きはないのか出来ればスケルトンと、そのような具合。
結局、最近殴る場所だの手数だのを凝りに凝って、それでも動かなくなったパソディスプレイは 購入せず。使えない方が、ワープロと化したノートパソコンに集中出来そうだからであり、同時に 貧乏性が出たため。――先日の紅茶代と、その更に前の本代だけで充分購入できるというのは直視しても理解不能な事実。私の金銭感覚には何処かしら決定的な歪がある。

帰路、八日市の『たねや』にて、紅茶とケーキ。各所に飾られていたブリキ(銅版?)人形 の素晴らしさに胸を打たれ、薄めだが味の良い紅茶と、時期もののパンプキンケーキを楽しむ。
ケーキの味に関しては、ただ流石と。彦根に比べ喫茶は狭かったが、その分落ち着くことが出来た。
なお、追記覚え書き:十一月三日、ヤヲ、生チョコ。或いは二種五十個。

帰宅後、読書のち轟沈。朝方に鍋やらサラダを作っておいたので、気兼ねなく寝る。
本日以上。
紅葉月二十九日
好みの茶葉が切れて久しく、本日取り寄せる。

ここ一年ほどは嗜好も変わり、前ほどダージリンやアールグレイは飲まない。凍頂烏龍に代表される 台湾青茶系はこのところの世間評価上昇に伴い、値段も天井知らずに高騰しているので、手を出しにくい。 某中国茶の二十五グラム五千円って何だ。凍頂烏龍の最高級品を百グラム三千円ちょいで購入し、 その単価を聞いた知人連中から薬の売人扱いされた昔が、ああ今や懐かしのグットデイズ、オールド。

家人の進物用購入リストを横目に三種類ほど頼む。気になっていた焙煎烏龍と中国紅茶二種。
中国紅茶はキームンのように燻製したものではなく、甘い花の香りするものを。

十一月過ぎにしか届かないようだが、楽しみである。
紅葉月二十八日
隣、ではないが近辺の町で温泉が出たと聞く。
しばらく前から観光地化に力を入れていたが、ついに掘り当てたらしい。御見事。

朝顔の種を集め、本日終わる。
紅葉月二十七日
積読、という言葉がある。言葉がある。言葉はあるが、私はその意味を理解していない。
――理解してはいけないのだ。見えないものは存在しない、理解できないものは存在しない。
紅葉月二十六日

紅葉月二十五日
叩くときは右上から中央に向けての斜め四十五度ではなく、裏側から手前下への斜め四十度度だと気付く。
紅葉月二十四日
昼、裏の信号のもう一つ先で交通事故。あまり音も聞かなかったので気にしていなかったが、 夜に通りかかってみれば、路面に大きく暗赤い液体の染みこんだ跡。
前を走っていた車が突如そこを避けた心情を、良く理解する。

夜、新潟方面にて大きな地震。昔、世話になった方々があの辺りにはおられる。
不謹慎だが、死者の数の少なさに胸を撫で下ろす。

なお、原因不明のままパソコンが元に戻る。何一つ問題は解決されていないので、多分また同じようなことがそのうち起ころう。普段からいい加減なメールチェックとサイト更新だが、さらに悪化するかもしれないとだけ、書いておくとする。
紅葉月二十二日
パソコンのディスプレイが黒一色に。中央で散髪屋の看板を細くした様な光線が縦に一本、まぶしいドリルと化して回っている。
故障には違いなかろうが、さて何が壊れたかはっきりとしない。日本伝統文化の斜め四十五度で一瞬、元に戻ったとはいえ、しばらく前から本体の異音が日常になっていたし、何処が昇天していても不思議の無い現状。
とりあえず気紛れにハードディスクを認識しなくなったりするノートパソコンを引っ張りだしなどする。実に静か。中身がごちゃごちゃしていないため、むしろ落ち着いて作業できる。

このまま何時かまでコレは放っておこうか。
紅葉月二十一日
私は『この本を県立図書館から取り寄せて頂きたい』と申し上げた。
本日、喜びを押し隠しながら受け取った新刊には『町立図書館』の印。

――また、買わせてしまったのか……
紅葉月二十日
また台風来る。風は極めて強く、戸袋より出している途中の雨戸が外れて直撃を食らったり、換気扇が熱風を逆に吹き付けてくるので、代わりにと開けておいた窓から吹き込んできた突風が調理器具関係を崩し、ちょっとした掃除になったりと、おおむね――平和。
外へ出てみれば、畦に立つ木の根元に刈り終わった藁束を積み上げてあったりするのだが、一本、何故か夕陽方向へと斜めに挑むツワモノ在り。真っ直ぐ伸びる境遇へ反旗を翻した革命者と見るか、はたまた足腰の弱い負け犬と見るか。ぎりぎりで踏ん張っているとその姿勢を評価するならば、例え明日には倒れていたとしても、私は彼を漢と呼ぼう。――いや、姉御。

まあ実質人死にも怪我人も破壊も崩壊もおきてはいない。平和、平和。
一番風の強かった夕は六時前に、図書館から『取り寄せ本が来ましたよ』と電話を受け、傘一本で 出撃しかけた馬鹿もいたが、まあ平和平和。
紅葉月十九日

紅葉月十八日
近所の同級生の様態が思わしくないと聞く。丁度、一年前に車で事故を起こしたそうだが、そのまま 未だに退院していないのだとか。頭を打ったとも聞く。

中学以降付き合いはない。
最早私にとっては他人だ。それでも、元気であればと一抹、思う。
紅葉月十五〜七日
天気ヨロシ。地方では運動会。時折鐘を鳴らして走る消防団の車は、空き巣への警戒か。
紅葉月十四日
昼前、部分日蝕。左上、欠ける。

自室の掃除。手の届く範囲程度を片付けるが、埃と紙と埃と紙が。
部屋の床を掘ると書籍が採れるという一般常識を学び、物を捨てる気楽さに胸を軽くする。

本日特に寒し。これだけ太って寒がりとはこれ如何に?
紅葉月十三日
鼻水が出る。風邪を疑うが、どうもおかしい。これが噂に聞く花粉症秋季版か。――畜生、神は何処? 殴ってやる!
紅葉月十二日

紅葉月十一日
読んだり読まなかったり。
紅葉月十日
毛布一枚では明け方に寒さを覚える時季となる。
紅葉月九日
本年最大という触れ込みの台風は、かする程度で大した風も無く過ぎてゆく。
少しぶらりと出る。本、さらに貸し出し延長処理。
紅葉月八日
夜、扉を閉めるような音。外を窺うも別段変わった気配も無く、忘れるが、後に聞くにまた裏で交通事故があったのだとか。――溝にはまりでもしたか?
紅葉月七日
特にこれとなし。
漫画家のあとり硅子氏が夏前に亡くなられていたことを先日知る。――残念。
本年は作家諸氏の訃報が相次ぐ。寂し。
紅葉月六日
夜明け前、久々に歩く。足裏にかかる負担、全く無し。以前の問題は、磨り減って布一枚と大差なくなった靴裏が原因と考える。靴という文化の偉大さを実感する。
紅葉月五日
天気良からず。
紅葉月四日
実に寒く、長袖が手放せない。二日酔い特に無し。
紅葉月三日
恒例の利き酒会へと本年も足を運ぶ。 途中、人が多いことを楽しんだり、目の前を通る車の速さや安定感に驚いたりと、どうも大分世の中からずれていたらしいことを自覚する。

さて、本年の酒具合だが、どうも此処長らく酒とも呼べないようなものばかり口にしていたせいか、味覚にかなりの変化があったようで――どれも酸っぱい。何を飲んでもあの甘く良い香りを感じず、楽しめない。
複数の倉でそうなのだから、本年の酒の出来というより単純にこちらの変化であろう。

反面、そういったこともなくむしろ楽しめたのが焼酎コーナー。度数の高いもの、ウイスキー風樽仕込み、泡盛古酒、米麦芋――ジャガ芋まで。野いちごを仕込みに使い、水で割れば鮮やかなピンクになるという変り種などもあった。

なお、日本酒焼酎共に本年もつまみの諸々は素晴らしかった。定番の宮城地鶏炭火焼、炙って裂いたスルメに魚の中骨、朴歯味噌に黒砂糖。漬物、佃煮、薩摩揚げや大蒜を生姜醤油に漬けたもの。

目に付いた所で、ヘシコなる鯖の醗酵食品。焼いた小魚を醤油か何かに薄く浸したもの、昆布巻きの更に湯葉巻き。鹿肉、馬肉に一口お握り。たっぷりの青唐辛子を混ぜ込んだ味噌に漬けた大蒜は、かなり利いたし、細い筍を薄味で炊いたものはほっと落ち着く優しい感じがした。


上記の様に例年通り良き会でありながらも、こちらの体調の問題が大きくあり、十全に楽しめたとは言い難かった。余り飲む気にもなれず、閉会前に早く辞す。
なお、珍しいものという点で花酵母。日本酒の香りは酵母の種類によるところが大きく、何号酵母はこんな具合、と分類できる。らしい。そんな中、シャクナゲからとった花酵母で仕込んだ日本酒というものがあった。確かに少々風変わりなものであったと記しておく。
紅葉月二日
正直、最後に家から百メートル以上離れたのが何時か、記憶に無い。多分、八月の末ぐらいだと思う。
一度、夜、暑気に蒸せ、色も見えぬ花の香に誘われぶらりと出た覚えはあるが、あれさえもせいぜい八十メートルといったところか。

今、これといって困っても居なければ必要も焦りも無い。
日に二度三度、本屋なりに出ておらねば耐えられぬ時代もあった。あれが若さというものだったのだろうか。
紅葉月一日
日本酒の日。

市販麻婆豆腐の素、中辛を用いてみたところ、甘すぎて不味い。
このところ自分が作ってきた『みちあき専用麻婆赤』(家族用とは厳然と別皿。色も違うせいか、誰も他に箸はつけない)の正体をようやく自覚する。ふむ、人の味覚とは容易く変じるものよ。

今、この左手には未開封豆板醤一キロ。――さらにもう一段階、上のステージに目覚めるべきか?

追記:そういえばあの麻婆レシピに巡り合ってから、『辛さとは香辛料の量。一振りを一匙、一瓶に』 という持論が『辛さは組み合わせ。半匙と一振りで至れる』に変じつつある。これも成長か。
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