原作 山崎豊子  主演 田宮二郎

製作協力 フジプロダクション 田宮企画    製作著作 フジテレビ

ただいまより、財前教授の総回診がはじまります。


白い巨塔このドラマは、1978年6月3日(土)夜9:00よりフジテレビより放映されました。

田宮二郎主演のこのドラマに興味があるのは、医事紛争、教授への野望、医療とは何か、

学内、外の派閥、学閥等いろいろありますが、見終わってから思った事なのですが、

何よりも田宮二郎がこのドラマに命を賭けた事だと思う、異常に役にはまっているし、

後半に近付くにつれ痩せこけた顔が役に徹するという面と、やはり最終回の日に他界された

と言う事、なにか見ていてアンジしているような、・・・・・そんな謎めいたドラマです。

それ以来、田宮二郎さんには興味があり、ファンでもあります。


  あらすじと、みどころ  

岡山の田舎町で両親が教師の間に生まれた黒川五郎は、学校の成績も良く将来は医者になることを決めたが、父が他界した為

あきらめかけていたが、近所の医者が経済的ところはバックアップすると言う事で、国立浪速大学医学部へ入学した。

医局員時代に、財前産婦人科の財前家への養子の話が持ち上がったが、一人息子だった五郎は、この話のを持ちかけた

田舎の近所の医者にこの話を断った、しかし母親である黒川きぬは、五郎の為にこの話をまとめるようにたのむのであった。

財前家へ入った五郎はちゃくちゃくと無給時代の医局員時代からそして第一外科助教授に昇進していった。

学内、外ともに認められ、浪速大学医学部第一外科は、財前外科ともいわれていた。それに良く思わない東教授は次期後任

教授を学外から選出しようと工作活動に出るのであるが、義理の父の又一は同窓会をも動かして教授選にのぞむのであった、

その陰で支える愛人のけいこは、五郎がひそかに毎月実の母に送金していた事を再び知る事になる、あくの強すぎる

性格の反面、やはり母にはやさしい所にひかれるけいこは、「お母さんの為にも勝つのょ」と激を飛ばすのであった、

けいこ自身もまた、早くに両親を亡くし女子医大に入ったがその封建的な所に嫌気がさし辞めていった、

よく似た境遇が、けいこをそう動かすのだろう。

学外からの教授候補を汚い手段でつぶした財前側は、考えられるあらゆる手段を使い決戦投票でやっと勝利を勝ち取った。

その後ドイツの国際外科学会に招待を受けた財前は毎日をその準備に追われた、佐々木庸平への断層撮影を怠った

財前は、それがやがて死にいたらしめることなど知らず、自分の腕を過信し、級友である第一内科の里見助教授の忠告

も聞かず、担当医である医局員柳原医師にまかせるだけであった。ドイツでの学会が成功している時、佐々木庸平が他界した。

帰国後告訴されている事を知る財前は、癌性胸膜炎が死因だと遺族に言った里見助教授に詰め寄るのであった、

また司法解剖が大河内教授が行なった事を聞いて愕然とし、担当医である柳原医師を呼びつけ、徹底的に責任を

押しつけるのであった。弁護士2人と金、圧力、ありとあらゆる方策で裁判に立ち向かう財前はその後、学術会議選に

立候補するのであった、選挙に裁判、非常に疲れきっている財前の体に癌が忍びよっている事さえ気がつかなかった。

やがて、学術会議選に当選したが、第二審の判決で注意義務怠慢を指摘され敗訴、しかし上告を訴える財前はもはや

癌が体中に広がり、完全治癒はもちろんの事、延命治療も困難となっている、とりあえずいろいろと教授選できまづい関係に

なってしまったが、恩師である東教授にその執刀をお願いするのだつた、今の財前には信用出来る者は、里見と東しか

居なかったからだ。手術にのぞむ東は肝転移を確認、もはや手術不能の癌である為すぐ腹を閉じるのだった。

なにせ癌専門医である為カルテ等を隠すのに必死だったが、黄疸が出始めたころから気がつき始めるのであった、

肝性昏睡が遂に始まって支離滅裂なことを言っている財前の前に鵜飼医学部長が駆けつけて来たが、

「あっちへ行け、用は無い・・・・」と、この全ての責任を暗示するかのように叫ぶのである。

こうして里見をはじめとした人々に見送られながら、かけがえのない母を思い出し「かあさぁん・・・」と最後に逝ってしまつた。

枕もとには、真の親友である里見宛の手紙があった、それは今までの自分がしてきた事の反省と医師とは何か

といった後悔、そして愛人けいこに「母をたのむ」とのことづけ等が書いてあった。

財前五郎がこのような人生を送ったのも、金,出世、こういう社会性そのものから来たものだった、

ただゆいつ救われるのは、母の事をいつまでも思う気持ちを忘れなかったと言う事、今回の欲にまつわる出来事は、

すべて母の為に・・・というふうにも考えられる、せめて里見のような良心が少しでもあれば、このようなことにはならなかったろうし

技、人、ともにすばらしい医学者になっていたであろう、しかしそう甘くないのが実社会である。

我々も難しい世に生をうけたが、人間らしさだけは、忘れないでおこうと思う。

東教授、病棟も古い。 財前教授、新病棟になる。 野望と言う名のメスが光る。 「先生!!当選です。」
医師とは何かを教えてくれた。 心の支え、愛人 花森けいこ 豪快な義理の父、財前又一 里見に思いをよせる、東さえこ。
「おおきに、おおきに、と感謝」 全ては自分の為に財前を動かす 弱気になる財前教授 「柳原医師との直接対決」
「江川、君までも・・・」 「河野さん、国平さん上告の・・」 「俺のカルテはどこだ!!」 「母さん!!・・・・」   完      

田宮二郎 プロフィ-ル

ミスター・ニッポンに選ばれて、すぐ大映に入社。「悪名」に主演してスターとなり、同シリーズ14本、「黒の試走車」シリーズ6本にすべて出演。40年に女優の藤由紀子と結婚。42年山本薩夫監督の「白い巨塔」、49年「華麗なる一族」で好演した。43年ポスター序列問題で解雇され、映画出演をシャットアウトされた。その後、旅回りをしたりテレビのクイズ番組「タイムショック」の司会者を務め、45年東宝に復帰「豹は走った」に出演。47年加藤泰監督の「人生劇場」で好演したが、躁鬱病に悩み、M資金という怪組織からの融資話を信じ苦境に陥った。52年映画「イエロー・ドッグ」を英国と提携して製作したが、全くの不人気で、鬱病も激しく、散弾銃で自殺した。

 名前   田宮二郎
 本 名   柴田 吾郎
生年月日  昭和10年8月25日
 血液型       B 
 出生地   京都府京都市
最終学歴 学習院大政経学部卒
 家族 = 由紀子(元女優)

長男=柴田 光太郎(俳優)

 職 業      俳優
 没年月日   昭和53年12月28日
      田宮二郎さんの息子、柴田光太郎さん。

       ©NTV 「踊る、さんま御殿」より

※すいませんが、掲示板にて何か一言お願いします、ナンでもいいので!

せっかく来てくれたのだから・・・・

 

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WARNING

このペ−ジで使用しております全ての画像はフジテレビに帰属します。

このすばらしい作品を製作していただきました、フジテレビ、田宮二郎さんに心よりお礼を申し上げます。

最後に、故 田宮二郎さんに心よりご冥福をお祈りします。