織田信長禁制 一枚
     永禄一一年(一五六人) 九月日
     観音寺宛
    
 
信長はこの年九月、足利義昭を伴い京都に向かって軍を発した。途中、敵対する六角氏の観音寺城を攻めて承禎・義治を甲賀へ逐い、二六日に入京を果たした。この禁制は、近江通過の途上で国内の各勢力の保護のため出されたものの一つで、他に坂田郡山東町の成菩提院や多賀大社・百済寺・沖島‥永源寺等に宛てたものが確認されている。奥に据えられた花押が少々形が違っているが、沖島宛のものも同様の花押が認められ、右筆の字も沖島や同年および前年に岐阜の円徳寺に宛てた制札と手跡が共通することから、正文であると考える。信長が近江入国の当初から芦浦観音寺を有用な勢力と考えていた姿勢が読みとれる。(滋賀県立安土城考古博物館資料集より)