1995年に始まったこのレースを主催したきっかけは、私たちが挑戦したハワイのレースでした。「マウイ島」と「ラナイ島」、その間の激しい波におどらされ、もがきゴールしたあの感動が忘れられずに今、びわ湖でその感動を引き継ごうとしています。びわ湖岸の安曇川と彦根の間、直線で約16キロメートル。これでも日本一の湖。初年度、親交のあったトライアスロンクラブの協力で1チームのみ8名で往復し、感触を計りました。そして身近な、またこれも親交のあったトライアスロンクラブとの協力で、わずかに参加数を増やし本格的の中間的くらいでレースを開催しました。

 参加数の伸びには必ずしも満足ではありませんが、これは主催側のタイマンも少なからずだと反省しています。今後、地道ながらびわ湖の歴史あるレースとして知られるよう継続を信念に続けていきたいと考えています。今まで参加していただいた選手、サポートの方々には本当に感謝しております。びわ湖では「アイアンマンジャパン」大会がすでに行われなくなり、トライアスリートたちがやや行き場を見失っているかのように思えます。シドニーオリンピックでの初のトライアスロン競技の開催によりまた元気を与えてもらいたいと思い、またアスリートに限らず、市民スイマーの方々にも楽しんで参加していただけるよう、大会運営に努めていきますので今後ともどうぞご期待ください。

○2000-08-27結果は?○
○第6回スナップ○
○大会記録○