ちょっと一言。
-2020年5月30日-
今日は、瞑想時に行った、三十三間堂の観音様とのお話です。
今日、朝のお祈り後に行う瞑想の時に、今日は「ちょっと一言」を書いて更新しないとな〜って思っていたら、急に「三十三間堂」の観音様がフワ〜ッと目の前に出て来られて、
「私達の事を書いて下されば良いですよ」というメッセージが降りてきました。
京都の三十三間堂は、「新型コロナウィルス感染拡大防止の為、4月15日(水)よりしばらくの間、三十三間堂の拝観を一時中止させていただきます。」というお知らせが、公式ホームページに
拝観停止のお知らせと題して記載されていました。
三十三間堂へは、コロナの感染が広まって騒がれ出す前から行けていないので、長い間お参りに行ってない感じがします。
それで、中央の御本尊様や、お堂内にずら〜っと立ち並ぶ千躰の観音様達は、日々どうされてるんだろうと思って、ご質問させて頂きました。
お堂内部をイメージして、こちらの意識を移行していくと、普段と余り変わらない感じで立ち並ぶ観音様達の姿が浮かんできました。
お堂内部の気は、参拝客や観光客が居ない事もあり、人間が出す様々な気が溜まってなくてスッキリとしていましたが、人が居ないせいか、がらんとした静かな空間は、何か物足りなさも感じました。
しーんと静まった空間に、観音様の穏やかな気が充満していました。 一見、目を伏せて眠っておられる様な感じを受けました。 普段、拝観時に見る観音様は目を開けて、人間の様子を見て
おられる感じなのにな〜と思っていたら、観音様の心のイメージが流れてきました。 「今は拝観停止となっていますから、目の前を通り過ぎる人間を見ていくという事はせず、その代わりに、
自らの心を、これまで私達の所に来てくれた人間達の方へと、お伺いしております。」という、観音様の心の声が伝わってきました。
今、このお堂の全ての観音様の心は、これまで三十三間堂を訪れてくれた人達の心へ来てくださっているんだと気付きました。
観音様が目を伏せて寝てる様な感じは、意識を送り出しているからでした。
そして観音様は「沢山の人間の心は大変疲れているので、そこから良くない事に繋がり易くなっています。
そういった人間達の出す想念の浄化、また心の癒しを願い進めていく事で、人間達の気付きを促しています。」という想いを私に伝えてこられました。
その間も、観音様の意識は放射状に無数に分かれて、沢山の人間の所へと振り分けられて飛んでいました。 私にも、その意識の一つを繋げて話しているという感じでした。
放たれた意識の光は、繋がればパーッと光るので、あぁ繋がったなって分かります。 繋がれば、その人に合った指導が得られる様になります。
観音様から送られていても、繋がってないのは光らないので、観音様の放射する意識の光が明るく光ってない所があるのは、まだ受け取る側の人間が気付いてないんだろうなと思います。
色々と考えながら、観音様と話し込んでいたら、広いお堂に並んでいる観音様が、「先生、お久しぶりですね」とか「最近どうですか?」とか「お仕事はどうですか?」とか聞いてこられます。
こちらの事も話して最近の情報を得られると「大変ですね」と声を低くして言われましたが、観音様のお顔は「でも大丈夫〜(^_-)〜☆」っていう感じを受けました。
そうして話していて、時々こちらに目を向けられて、ニコッと微笑まれてる姿が印象的でした。
拝観は停止していますが、仏様方はいつもと変わらず、人間や世間に対して深い愛情を持って対応して下さっているという事も再確認させて貰えました。
そうした事が解っていても、それが当たり前として認識してしまう所に、人間の心の慣れや、気付きの弱さ、薄さを感じてしまいます。
同様な事が人間関係にもありますが、そうした事に気付かないと感謝も少なくなりますね。
私的には、拝観停止になって、ゆっくり休めてるかなと思うところもありましたが、普段より大変そうな役割をされている事に感謝の念が湧きました。
そう思って、観音様は大変だなと感じ入っていたら、「これは、普段でも拝観時間が終わったら、毎日してる事ですよ。」と仰ったので、またビックリしました。
今の期間だけと違うんや!って思いました。
普段、お堂にやって来る人間を見て、それぞれの心の様子を記録して行って、拝観時間が終わったら、その記録を基にした改善案の様なものを見付けてくださってるんです。
それで、また次にお参りに来た時や、お家で観音様を心の想う時などに、その情報を心に送って下さるんです。
だから、何かアドバイスが欲しいと思ってる時や、心に迷いがある時など、観音様の前に立ったりすると、観音様の意識が流れて来て、すごくシンプルに捉えられる様に、気負いが無くなったり、
「大丈夫! 自信をもって!」とかって思えたりするんですよね。 観音様に聞こうと思ってなくても、今考えてる事は、この様に捉えてみたらどうかという考えが急に浮かんだりします。
そういう事が、事前に指導方向を考えてくださっていて、観音様の前に来た時に伝えて下さったという事なんだと思います。 気付く人にも、気付かない人にも、皆の答えを用意してくれていて、
気付かずに繋がらない人は、残念ながらその答えも流れてしまいます。 それでも、観音様は無駄とは思わずに、毎日色んな答えを用意してくれています。 大変有り難い事です。
そうして、人に寄り添って考えてくれる仏様が観音様という役割なんですね。
心の中や、頭の中に浮かんだイメージは、何か自分で自分を励ましてる様にも思えますが、その励ましの根拠もイメージ出来るので、やっぱり自分の想いでは無いなと気付きます。
ちょっと霊感がある人は、そういう想いは持たれた事があると思います。 質問の返答が来ても、これは自分で考えた事なんだろうかと思ってしまうんですね。 自分で気付いたのかな〜ってね。
自分で気付かない様な事を、ふと思い付く場合、大抵は指導が降りて来てます。 自分で気付いて、自分で感心したりする事も指導が降りてる証拠です。
それで気付く人もいれば、そうでない人もいますが、心を落ち着かせて観音様を思い浮かべていると、何となく「こう思う様にすれば良いんだとか、こうして行けば良いかもな」など
のイメージが湧いてくる事もあると思います。
観音様は、≪心が休まった世界、落ち着いた世界≫に居られるので、観音様を思い浮かべる前には、自分の心も落ち着けておく方が繋がり易いですよ。
こういう事を知らないと、せっかく良い情報が流れて来ているのに、受け取らないで済ませてしまってるという事が、本当に勿体ないと思いますね。
一度でもお参りすると、観音様と縁が繋がるので、心に迷いがある時など、心の観音様を思い浮かべて聞いてみると良いですよ。
待ってるだけでは、なかなか流れて来ないので、無駄に思えたり、嫌になりがちですしね。 先ずは、自分から発信していく事を練習していくと良いですよ。
観音様でも、自分が信仰する神仏様でも、イメージ的には同様にされると良いですね。
それと、中央の御本尊様は、全てのエネルギーを調和させて、お堂の中と霊界との繋がりを維持されています。
霊的に視ると、お堂内部と、観音様の世界は、お堂内という「手前の広がり」と、観音世界という「奥の広がり」という関係で次元的に繋がってます。
視覚的には、奥の広がりが、手前の広がりを包み込む様にダブってる感じです。 手前の広がりは、表面だけが出ているという感じです。 沢山の観音意識が出ているので、そうなってます。
そして、御本尊様は千躰の観音様の意識を常に調和させながら、周囲の気も浄化して安定させ、観音世界の様な穏やかな堂内である様にして下さっているという感じです。
それが、お堂を訪れる人間の為にもなっているんですね。 もし、お堂内の気が乱れまくっていたら、訪れた人間に癒しどころか、悪い影響を与えてしまいますからね。
御本尊様の観音様は、お堂に祀られている千躰の観音様の大先生の様な感じで、常にお堂内の観音様や、訪れる人間達を見守り、指導もしながら、調和を保たれているんですね。
私は、色々と御指導頂き感謝しますとお礼を述べると、御本尊様は、うんうんという感じで頷かれて、「良い記事になると良いですね」というお言葉を頂いて、明るく光られて消えて行かれました。
そうして、私の意識も、お堂の中から引き上げると、お堂の外観は丸い光の玉になって、明るい空間に浮かんでいました。
次に、更に明るい大きな光が出て来て、その光の中に同化して見えなくなっていきました。
実際には、お参りに行ってないけど、良いお参りが出来た様な気がしました(^^♪
-2020年5月13日-
5月に入って、だいぶ暖かくなってきましたね。 ちらほらと、半袖姿の人も見かけられる様になりました。
今日は、お天気も良いので、お参りでも行きたいくらいですが、コロナの影響で他県への移動自粛が続いてるので、もう暫くは行けなさそうですね(-_-)
なので、普段行ってる神社仏閣へのお参りが出来ないなら、こちらからお目当ての神社仏閣へ、自分の気を飛ばす事で、お参りをしようと思いました。
そういう事で、先ずは新年になるとお参りする、京都の南禅寺にある「駒ヶ瀧不動尊」に気を飛ばす事にしました。
以前、行った時に撮った不動様の写真があったので、それを見ながら、その周辺の気も捉えて、浄化も含めて視て行こうと気を感じ取ってたら、「そんなもんは、後からでよいわ!」と、
直ぐに不動様の気が飛んできました。
私的には、参道から視て行って〜って、普段、自分が歩きながら周囲を見て行く感じで行こうと思ってたら、先ずは自分(不動様)との対面が先という感じで出て来られました。
なので、先ずは不動様にご挨拶して、お話する事にしました。
その後に、ゆっくり周囲を視ながら、参道に点在する神仏にも、ご挨拶をして行こうと思いました。
すると、私の気を読んで「まあ、それでも良いが、色々と厄介なので気を付ける様に」と念を押されました。
こう言われる時は、本当に厄介な事が多いんです(^^;) まあ、私が動く時は、色んな神仏様も同時に動いて下さるので、前もって全体浄化をお願いしておきました。
悪いモノがいると、動けない様に封印して固めといて下さいます。
ここの不動様は、お滝場のすぐ横に祀られてあります。 私が小学生の頃からお参りに来ているので、私や家族の事を何でも知ってる、ちょっと怖い親戚のおじさんみたいな感じです。
不動様に、コロナの影響でお参りが出来ないとの事を伝えると、「あぁ、その様じゃの。 まあ、もう暫くは無理の様じゃ」と言われ、まだ行けなさそうですね〜と話してると、
「それでも、時々お参りに来る者もおるぞ」と言われました。 そして「今は世の中の気が変になっとるから、厄介なモノを背負って来る者が多いのでかなわんわ。 それで
下界の厄介な気を持って来て、山に置いて帰るんじゃ。 まあ本人はスッキリして軽くなって帰るから良いが、ワシ等はここに居るからの〜(-_-;)」と言われました。
そして、「でも帰りの参道で厄介なモノに憑かれてしまうと、元も子もないのぅ〜(-_-;)」と、せっかく神仏の気を受けて楽になっても、帰りに全部失くすという事を心配されてました。
そうして、日本全国的に降り掛かっているコロナに関するマイナスの重い気に便乗して、霊的なマイナスの気も重なっているので、それを霊的に敏感な人間が取り込んでしまって、
お参り(浄化や祈願など)しに来たりするので、普段より余計に重い気が溜まり出してきたという感じみたいです。
特に、お滝場という修行の場であるという事もあり、霊的な仕事などをされてる方が多いので、普段から霊的なモノが溜まりやすい場でもあります。
ちょっとお困りのご様子を感じ、私は、そっちの問題(霊的な問題)ですか〜と言うと、不動様は「今は何処の寺も同じ様なもんじゃぞ!」と言われ、
今は何処の神社仏閣に行っても、神仏様的には、スッキリした気で参拝客を迎える事は難しいようです。
それで、どこの神社仏閣も、お参りに行こうと考えるだけで、気が重く感じて行く気がしなくなってくるんだと気付きました。
こんな重い気が溜まってるぞと、今来たら危ないよと、気付かせて下さってたんでしょうね。
「久しぶりに先生の気を受けて、気分良くなったわい♪ まあ、身体と一緒に来てくれるのは気長に待っとく事にするわ! ワハハハー!」と言われて、「それでは、他のところ見てこい!」
と言われて、写真に写ってる仏像の奥に引っ込まれました。
不動様とお話してから、いつも立ち寄る場所へ意識を切り替えていくと、参道の所々に暗くて重い気が溜まってる場所がありました。
その溜まった気の中を覗いてみると、黒い渦を巻いた世界に通じてるのが視えました。 近寄ると引き込まれそうな感じと、中から悪霊が出て来る感じがありました。 黒くて暗い渦は、
地獄に通じてる出入口になってます。 まあ、こんなものが、境内のあちこち溜まってると本当に厄介です。 人間が近くを通ったら、出て来て憑くんでしょうね(>_<)
ざっと視て、10個位はありました。 神仏様の光で渦の扉を封印してから消してもらいました。 ヤレヤレです(^^;) 不用意に行くと、めっちゃしんどくなるでようね(+_+)
終わったら、上の方で「ご苦労じゃったー!」って声が聞こえました。 とりあえず、私の役目は終わったようです。
人が居ないとウイルスには感染しないだろうと考えますが、人が居ない所でも、変な気や、重くて沈んだ気は充満しているので、霊的な点を合わせて言うと、全然安全じゃないです。
特に、霊的に敏感な人ほど、影響を受けやすいです。
ウイルスという観点のみで考えたら、山の中は空気も澄んで綺麗なので、ウイルスが溜まってるという事は無いのでお参りしても良いという感じですが、ウイルスより厄介な気は
充満しているようです。
なので、コロナの影響がテレビ等で盛んに放送され出した頃から、山の中にも重い気が溜まり出しているようです。 そういう事から、ウイルスの感染に気を付けると
いうより、もう随分と厄介な気が溜まっていて、お参りに来ると、逆に人間に悪い影響を与えてしまうので、今焦ってお参りに来ると危ないという事らしいです。
これから緊急事態宣言が解除されて、世間的に気が緩んできても、神社仏閣などの霊的な場所に溜まった気は直ぐには無くならないので、直ぐには行かない方が良いですよ。
もし、お参りされるなら、守護して下さる神仏をお家でお祀りされてる方は、よく身の安全をご祈願してからお参りする方が良いですよ。
私のお参りは、ご挨拶に伺って、神仏の気を貰って楽にさせて貰う、また繋がりを強くしていくという事等に加えて、今回の様な浄化の役目も兼ねているので、浄化が必要な時は、そろそろ来いと
いう気が飛んできて、もうお参りする時期だなと感じるという具合です。
今、あちこち出られない時に、こうして意識を飛ばして神仏の祀られている神社仏閣へ行くのも必要だなと感じました。
また、次からも今回の様に、意識を飛ばしてのお参りをして来ようと思います。
多分、神仏様とのお話の他は、殆ど浄化で終わりそうですけどね(^^ゞ