神霊による人生相談

ょっ言。

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-2006年1月28日-
今日は、不動様の御縁日(毎月28日)に当たる日ですので、我が家でも色々とお供え物を して、お祝いをしました。  普段のお祈りの時間より少し早めに神棚の前に座り、お祈りを始める前の、 軽い(数秒です)精神統一から、一瞬で自己意識を霊界の奥、神の世界へ飛ばします。   すると、ご機嫌な不動様をはじめ、多くの神様方が集まられているのが見えました。   ここでの「見る」は、自分の目に映って見えるものではなく、心の目という言い方の方が適切かもしれません。   もうちょっと詳しく言うと、眉間にあるチャクラ(目の中枢エネルギーが集まる場所)の部分でもって、 色んな霊や、霊的世界を見ている訳ですね。  そして、そこに見えるものの全体像や、それらの考えや、 そこに存在する訳、それらがどの様な考えを持ってそこに居るのか等、何故かそういう事がわかってしまうん ですね。  なので、自分の知りたい事に焦点を当てると、その部分がわかる、また「知る」という意識に 切り替えないで、大雑把に見るだけでいいと思えば、ただ見えるだけとかね。  だから、ただ「見る」という 意味の霊視ではなく、興味を持って見る(知る)という意識が入ると、いろんな事が情報として流れ込んでくるという感じです。  霊の心を見透かすという行為は、当然ですが神様に対しては使いません。  主として、 手を貸してあげないといけないような霊や、低級霊界で苦しむ霊達等によく使います。  霊の全体像をつかみ、 迷える霊が、どの様な点でつまづいているのか、何が執着の原因なのかを見極め、適切な言葉を投げ掛けて あげる必要がある者に対して使います。  また、その様な依頼も多いのでね。   えっと、ちょっと話がずれましたが。。。いつもの事か(^^ゞ   それでは、話しを元に戻しますね。   不動様の御縁日に集まって来られた神様は、皆一様にニコニコされていて、私が神様達に対してお礼を述べると、 「先生!いつもご苦労じゃの〜。よく頑張っとるそうじゃな。 これからも、我ら神々がしっかり応援しておる から、多くの人達の為に力を尽くしていけよ〜!」と、仰いました。   そして、普段の浄化(神様の力を借りて、体や家土地の浄化をします)をする際に、何時もと少し違う事に 気付きました。  それは、普段は神様の世界から浄化の光を導いて浄化するのですが、今日は不動様の御縁日 という事で、不動様の力である「火炎の光の炎」での浄化となりました。  最近、除霊依頼が多く、家の中に 依頼者に憑いていた霊の意識が少し残っていたりする時が稀にあるので、日々浄化をして体や家の中を綺麗に スッキリさせています。  なので、2日以上にわたって、霊が家の中に残るという事はまずありません。   特に今日は、不動様の火炎の光の炎で焼き尽くして浄化しましたので、すっごくスッキリしました。   私は、普段から厄介な霊達を相手にしていますが、日々こうして浄化をしていますので、いつも明るい生活が 出来ているのです。  今日、28日から4日までは、神様のお祭りの日(御縁日)が続きますので、 我が家は、神様達で一杯になります。  この間は、私の家族も神様達も、共に楽しく過ごせる日々でもあり、 また何かと勉強になる日々でもあります。  こうして、真理を学ぶ環境が自然と出来上がっています。   神様が、私の先生ですからね。


-2006年1月19日-
今日は、京都の伏見稲荷参拝の翌日、同じく京都の南禅寺近くにある、駒ヶ滝不動尊へお参りした時のお話しです。   1月に入って、やっと予約無しの日が2日取れましたので、久しぶりに駒ヶ滝不動尊様のお顔が拝見できます♪   駒ヶ滝と言われるように、ここの不動様は、お滝の横に祭壇が設けられており、その上に祀られております。   そして、駒ヶ滝のお滝は、修行者が滝に打たれて修行する「水行」の滝であり、観光用に整備された所にある 滝ではありません。  だから、見ても綺麗という感じはしないです。  この日は、滝の周りに、いろんな霊が 集まっていました。  滝の水が流れ落ちる周辺の岩には、様々な顔が見え、どれも歪んだ顔相をしていました。   私は、「今日はまた、いろんな顔が一杯見えるなー! しゃ〜ないな〜、それじゃあちょっと、見えてる霊を全部 浄化してしまおうかなー!」 と、わざと霊達に聞こえる様に言うと、直ぐに岩に浮かび出ていた霊の顔の形相が、 素直な顔に変わりました。  これは、最初に、わざと私にその様な顔(苦しみの顔)を見せて、今の苦しみか ら救って欲しいという事だなと感づきました。  そして、私が岩に浮かび出る顔を浄化しようと決めた途端、 直ぐに霊の顔が素直になったのも、自分達の気持ちが通じた事に安堵しての事なのです。  この日、私が ここにお参りに来るという事を、霊達は知っていたと思います。  私は、前もってお参りに行く事を山の神に 知らせますから。  だから、私が来るのを待っていて、出て来たんでしょう。  霊の世界では、よくある事です。   この日のお経は、 何時にも増して気合が入りましたよ。  お経を読む間中、自分の気を周りに発散させながら、周りの浄化を 進めていきました。  そして、一通りのお経が終わり、一気に気を高めて最後の浄化を果たすと、もう周りには 、霊の気が感じられなくなりました。  目を開けて、滝の周りの岩を見ても、霊の顔は何処にも見当たりません でした。  最後の浄化が終わる時、「ありがとうございました」と、霊達の声が聞こえました。   私が霊を浄化する時、決まって、霊達からお礼の言葉が掛かります。  それで、私も安心するところがあります。   不満や憎しみだらけの霊の心から、「ありがとう」という感謝の言葉が出てくるという事は、人間本来の素直で 優しい心に戻ったという事を意味するからです。  この日も、それが聞こえたので、私の心も癒されました。   「癒し」というものは、優しい人からにのみ、施されるというものではなく、苦しみ抜いた中から正しい道を見 つけ、歩んでいこうとする人、また歩んでいる人からでも、癒しというものは得られるものです。  私は、 最初は怖い顔をしている霊でも、最後には優しく笑う顔に戻った霊の顔を見る事が多いので、その度に癒されて ますよ。  こうして、この日も楽しいお参りが出来ました。  久しぶりの不動様は、「先生よ! 去年より もまた、力が付いたな! これからも、人々の為に頑張れよ!」と、仰って下さいました。   この他の神様には、山の登り口を少し登った所にある、大杉の下に祀られている神様の、 通称「大杉様」と呼ばれる白老の神様が居られまして、でっかい大杉のてっぺんに登って、私が来るのを見て おられます。  大杉様とは、結構楽しくお話させて頂いてます。  まあ、山には色んな神様が居られますから、 楽しいですよ。  でも、中には気の荒い神様も居られるので、それなりの覚悟が必要ですよ。   私は、仲良しですから何とも無いですけどね。  


-2006年1月12日-
今日は、京都の伏見稲荷へ参拝してきました。  お正月の三が日は、参拝者の人出が多くて、 ゆっくりと祝詞やお経などを唱えていられませんので、毎年、我が家の初詣は遅めに行っています。   それでも、今日は参拝に来られていてる人が多く、神社の駐車場に入る道が混んでいて、普段なら10分も かからない所から、1時間位かけてようやく到着ました。  そうして、やっと本殿前までたどり着くと、 次は家から持参したお酒(御献酒)を、本殿内にお供えしてもらう為の手続きをしないといけないので、今度は人の 列に並んでました。  やはり、1月の15日までは、お正月とされているので、私と同じように遅めに来て 参拝する人達が多いんだなと思いました。  本殿前まで来られた殆どの人達は、本殿内で新年の御祈祷を してもらう為に来ているようでした。  私は、普段から伏見稲荷の神様達とお話しをしているので、本殿の 外で神様と少しお話ししてから、お参りを済ませました。  伏見稲荷の神様は、「今日は、まだまだ正月 という事で、この様に参拝に来る人が絶えないから、お前もゆっくりお経も唱えてられないじゃろう。  また、我らも何かと忙しくしておるので、また今度ゆっくり来てくれればよいぞ。 今日は、大変ご苦労じゃっ たな。 稲荷の山の神々も喜んでおるぞ。 それではのぅ〜」と仰いました。  私も今回、本殿内の神様 とのお話しは早々に切り上げて終える事にしました。  それから、小さな赤い鳥居がズラーっと並ぶ中を 歩いて、奥の院と呼ばれる所でお祈りをしました。  あっ、奥の院では、「重かる石」という石があってね、 お願い事をしてからその石を持ち上げ、軽く感じる程、願いが早く叶うと言われ、重く感じる程、願い事が 叶う時期が遅いと言われています。  お願い事によって、手に感じる重さが違うのがビックリですよ。   まあ、機会があれば一度試してみると良いかもね♪  そして、この奥の院の先は、稲荷山をグルッと 一回りする鳥居の参道が続いており、山の中腹から眺めと、京都市内を一望できる景色が見えます。   また、参道の途中には、稲荷山信仰の神々を祀る所が点在しており、 下の本殿や社が並ぶ境内と比べると、また違う雰囲気の「信仰の山」という感じがします。   私はこの後に用事が控えていましたので、参道口で頭を下げて帰ってきました。  その時に、山の上の神様 が、「先生!今日はご苦労であったな! また暖かくなったら、山の上に参りに来てくれよ!」と言われま した。  私は「はい!そうさせて頂きます。今日は、これにて失礼致します」と言って頭を下げて、 伏見稲荷を後にしました。  その日の、夜のお祈りの時間に、稲荷の神様が来て下さいまして、 参拝のお礼を述べて下さいました。  またまた、神様との縁の繋がりが、固く結ばれた日でありました♪


-2006年1月6日-
お正月の三が日も終わり、少しずつ普段の生活ペースに落ち着いてくる時期に入ってきましたね。   我が家は、元日の朝はお祈りはひかえます。  何故なら、1月1日に日付が変わった時に、神棚の前で 家族揃ってお祈りを済ませてしまうので、その後、神様達は夜明けまで、新年祝いの宴会に入られるからです。   私が、神様の世界の催し事や決まり等を、未だ詳しく知らなかった時、元日0:00にお祈りを済ませた その朝に、またお祈りをしました。  その時、お酒に酔っ払った不動様が出て来られて、「お前!  元日早々にお祈りを済ませておるのに、また朝からお祈りをせずともよいのじゃぞ! ちと、ゆっくりし ておけ! 我ら神々も皆、今日は ゆっくりとしておるんじゃからのぅ〜!」と、何とか座っているのが、 やっとという感じの不動様が、そう仰いました。  それでも私は、「それじゃあ短めにします!」と言って 、お祈りをしました。  その間、不動様はフラフラになりながらも、私のお経を聴いておられました。   お経を唱えながら、私は普段と違う様子に気付きました。  それは、普段のお祭り日なら、不動様の周り には、大勢の神様達が居られるのですが、この時は誰も居られませんでした。  私は、何故だろう?と 思って、気を更に奥(神様の世界の奥深く)へ巡らせていった時、皆の神様達がそれぞれに集まって、 話し込んだり、中には寝ている神様も居られました。  皆、それぞれに寛いでおられる様子が、うかがえ ました。  不動様は、お祭りで集まって下さっている神様と、まだ良く判っていない私の気持ちを考えて、 一人で出て来て下さっているという事が、その時わかりました。  私は、普段どうり お祈りをしたけれど、それはいつの間にか自分本位のお祈りで、自分の満足の為にしたんじゃないかという 事に気付き、私を指導して下さっている神様達に、申し訳ない気持ちで一杯になりました。  そしてまた 、お祈りの中で反省し、今後は、我が家の神様や、わざわざ集まって来て下さる神様達の事も考え、これから 導いていくであろう人々の為に、お祈りをしていこうと決意を新たにしました。  そして、決して自分の満足の 為のお祈りをしないように気をつけようと思いました。  そして、お経が終わると不動様は「お前も、 やっとそれが判るようになっ たのか。また一つ進歩したの〜。」と仰いました。   そして、「それじゃあ〜、これでもう帰るからな」と言い、やれやれといった感じで、奥(神様の世界)へ 戻られて行かれました。  これは、私の修行時代の年始の出来事でしたが、今でも元日の朝になると、 この出来事を思い出すんですよね〜(^^ゞ  今年も我が家に集まられた神様達は、ゆっくりと楽しまれて おりましたよ♪  年々、我が家に集う神様が多くなってきて、とても賑やかなお正月です(*^。^*)


-2006年1月1日-
皆様、あけまして おめでとうございます。
本年も「ちょっと一言」を、かわらずご愛読下されば幸いです。

今年もまた、年明け前から大勢の神様達が我が家に集まられてきました。   そして大晦日、時計が0:00になり、新年を迎えると直ぐに、家族揃って神棚の前に座って、新年のお祈り をします。  お祈りの中での神様のお言葉の中には、今年は昨年よりも多くの人達が、私のもとを訪れる ぞと言われました。  それだけ、また忙しくなるという事であり、それだけ悩んでいる人が多いという 事も言えます。  明日からまた、お仕事が始まります。  今年も多くの悩める人達の、お力になれる様に 頑張りたいと思います。  神様(特に不動様)は、お酒をいっぱい飲んで、ゴキゲンです♪   我が家は、仏教系・キリスト系・神道系など、神様の世界には隔たりは無いので、この他多くの地域(天上界) から、神様・仏様・天使様達が来てくれて、皆で仲良くお祝いをされています。  そして、集まられた 神様達は、普段聞けない他国のお話しや、天上界でのお話しを興味深く聞いておられます。   神様達の身に着けている服装等も、それぞれで興味深いみたいですよ。  特に女性の神様や天使様の服装は 、本当に綺麗です。  そんな事も、各宗教や国ごとの特徴が出ていて、楽しい勉強になります。   特に、それぞれの宗教的教えを、幅広く聞けるという事は、とても大事な事です。  それだけ、教えの 幅が広がる事であり、自分たちの教えと上手くミックスされれば、現代的な総合的教えとなって行くんです。   こうする事が、神様達にとって、とても良い勉強になるんです。  そうして学んだ事は、神様のお力の 大事な一部となっていきます。  神様達が口を揃えて言われるには、我が家のこういう場は、日本の中で も本当に稀な事であるらしいです。  それは、我が家の神様を通して開かれている天上界は、各宗教の 天上界の場と、それぞれにミックスされた場(丁度、それぞれの円と円の一部が重なり合った部分と思ってね) が出来上がっている為に、私の基本方針に賛同される神様達が、 やって来られる様になっているからです。  そうして、様々な貴重なご意見を頂ける様になっているのです。   それらを基に、これからも多くの人達を導いて行こうと思います。
それでは、本年も皆様にとって、多くの幸いが訪れます様に、お祈り申し上げます。