神霊による人生相談

ょっ言。

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-2006年2月18日-
今日は、この「ちょっと一言」に、神様と仏様の違いを教えて欲しいとのリクエストが ありましたので、簡単にではありますが、私なりにお答えさせて頂こうと思います。   「神と仏」の違いを説明する時には、ただ単に一般的な霊の説明をするよりも、もっと根源の神からの説明を しないと、繋がりがわかり難いと思います。  今、ここまでの数行の文章を読んでいる人達の中には、既に お気付きになられた方もいるだろうと思いますが、「根源の神」という言葉が出ていますね。   先に結論から言うと、「神」とは、魂の創られし時より、その存在自体が、「神」としての純粋な霊格をそなえ持つ 魂であるという事です。  神の中には、これまで一度も人間に生まれ変わった事のない純粋な魂もあります。   また、霊界においても、住む次元が違うのも「神」の性質の違いであり特徴です。
これに対して「仏」というのは、人間がこの世において魂修行を終え、霊界へと戻れば、それは「仏」です。   転生輪廻を繰り返しながら、この世で魂修行を重ねていくうちに霊格が上がり、菩薩や如来となっていく魂も「仏様」 と呼ばれるものです。  仏は、必ず一度は人間界へ出て肉体を持った経験があるという事です。   ( 私が常日頃、神様と話している中でも、神と仏は住む世界が違ったものと認識されて話されてますよ。  でも、仏様も神様の所へ遊びに行ったりしてますけどね♪)   こういう定義がありながら、今の時代は、神も仏もごちゃ混ぜで呼んでますね。   しかし、もっと高次元(地球次元にまで遡る)の神の領域では、神と仏という別ものであるという認識感は無く、 皆根源神より生まれ出た魂の兄弟として、それぞれの使命を果たしておられます。  まあ、この領域の話しは、 もっと真理を深く学ばれてからのお話しとしましょうね。  ちょっと一言を読まれている皆様の中には、 真理の勉強が進んでいる方もおられるようです。  このコーナーに、とても感心を持って読んで下さっている 人達の波動が伝わってきます。  ですから、時々は霊格の高い次元のお話しをする時がありますが、まだまだ 全体的には、菩薩界や如来界のお話しをしていくには時間が掛かりそうです。   でも最近は、私の所に来られる人達の中にも、霊格の高い人が集まって来てくれています。   これらの人達は、本人は気付いていませんが、神や仏が指導しておられ、後に自分の得意分野で、 世の中の為に貢献される人達です。  神も仏も、皆、この世の発展、人々の幸福の増進をはかるため、 それぞれの特徴を活かした指導をされているのです。  そういう役割という点では、神仏と言われる高級霊達 は、同じであると言えますね。  もっと、高次元の神の世界(如来界以上)では、お互いが別(この世的に言うと、 生まれもっての人種の差みたいな感じかな)であるという 認識感は無く、神も仏も同じ所に集まって、地球全体の調節や人類全体の発展を考えていますよ。   人類は今後、そういう考えをしていく事が、地球全体の発展、平和に繋がるんですけどね〜(^−^)


-2006年2月13日-
今日は、前回からの予告通り、霊聴能力についてお話ししてみようと思います。   霊聴能力とは、霊の発する声が聞こえる能力の事です。   この能力の中には、自己の意思で統率出来る(必要な場合に聞ける、聞きたい時に聞ける)能力と、 時と場所を選ばず、勝手に聞こえてくるものとがあります。   まず、この勝手に聞こえてくる場合というものには、耳元で霊の囁く声が聞こえたり、事ある毎に霊が話しかけ、 指示してくるので、その通りやるといい事(賭け事に勝った、無くした物が見つかった等)があるというものが あったり、また自分や他人の悪口が、聞きたくないのに聞こえてくる場合もあったり、中には命令口調で聞こえて くる場合もあります。  そして、「我は、何々の神である」等と言って、人間を自由に操り、悪霊自身の征服欲 を満たす事を目的とした悪霊もいます。  本道を外れた霊能者や、素人で少し霊感があったりすると、悪霊の 声を神の声と信じてしまう事がよくあるので、よく真理を学んでおく必要があります。     以上の様に、これらは霊聴の悪い部分である、不成仏霊に憑依された事によって、霊の囁く声が 耳元から聞こえるというものです。  霊障によって起こる霊聴です。   これも、広い意味で言うなら霊聴と言えるかもしれませんが、悪霊に憑依されて悪霊の声が聞こえ、それに よって人間本来の自由な思考が左右されたり、他人を惑わしたり、悩まされるというものは、本当の意味での 霊聴能力とは言えません。  憑依された悪霊の声が聞こえるという事で、霊聴能力があるとは言えないのです。   本当の霊聴能力とは、胸の内、体の奥から響いてくるように聞こえるのが本当の霊聴です。   同様に、心の奥から言葉(よく響く声と同時になる事が多いかな)が、浮かんでくる形をとる場合もあったり、 インスピレーションでもって、天の声を受ける場合とがあります。  どちらにせよ、神の声や守護・指導霊の 声を聞き取る場合は、耳元で囁く事などはせず、もっと上から堂々と響いてくるような、内なる感覚を伴うもの です。  真理をよく学び、常日頃から心の指針を正しい方向へ定めている人、その様に努力している人は、 その努力に伴って、守護・指導霊の声、または言葉が心の底に浮かんでくるようになります。   心を落ち着けて、心の中に波風を立たせない様にし、自己反省も含め、素直になって、誰もが持つ自己の内なる 光を見つめるのです。   余計な雑念・邪心を払い除ける事で、悪霊の進入を防ぐ事も出来ます。  そうした心の状態を、日々長く続ける 事で、正しい霊聴能力というものが生まれ、そして磨かれていくのです。  以上、霊聴能力についてでした。  


-2006年2月4日-
今日は、前回にも少し書きました(随分前にも一度書いた事があります)、霊能力について簡単にお話しして みようと思います。  この霊能力というのは、人によって発揮される能力の差があります。   それは、その人の持つ心の状態に比例して、霊能力というものは開花され、進化していくものです。   ですので、今回の霊能力の話しについては、私個人の意見としての話しとさせて頂きます。   それではまず最初に、霊視能力(前回、少し触れました)についてです。   霊視能力は、霊を直接目の網膜に照射する事で見えてくる霊視能力と、心眼を通して眉間の奥に浮かんでくる様に 見える霊視能力とがあります。  また、直接目に見える霊視という中に、霊媒体質の人等が、普段の生活の 中でも、不意に何処そこに霊が見えるとか、今誰々の後ろに霊が見えるよ、なんて言ったりされる様に、自分の 目を通して見えてくるというものがあります。  自分では見たくないのに霊の姿が見えてしまったりね。   これは、霊の方が見て欲しくて、半強制的に見さされているものです。  なので、自分の意思に関係なく 見えてしまい、それが嫌で困っている人も多いです。  これは、霊能力とは言い難いものであり、憑依による 霊障や霊媒体質等である為なので、悪霊の影響をすごく受けやすい体になっています。  (私の所には、 その様な悩みの相談も多いので、少し書かせて頂きました。)  次に、眉間に焦点が当たり、その部分に霊の 姿や風景などが浮かんでくるという見え方は、遠く離れた風景や、霊界を見通す事が可能になってきます。   よくテレビの番組で、霊能者と言われる人が使っている能力の事です。  その能力の高低の差はありますが、 眉間のチャクラが活動的な人は、自分の必要な部分が見たいと思う所に焦点を絞っていくと、その部分が 大きく引き伸ばされた様に見えてきます。  丁度、カメラのズームレンズの様です。  その能力に、心の チャクラを開いた人の能力が加わると、霊の気持ちや、霊の考えている事、どの様な訳で今の霊界に居るのか、 またその世界は、霊界のどの次元であるのか等、「見る」という事に加えて、霊とその周りの情景や、その 心情までわかってきます。  この広い世界観を、「観る」と言います。  観世音菩薩(観音さま)の「観」 です。  霊視霊能力も、「観」までいくと、一段と立派な霊能力となります。  基本的に、霊能力とは、 自分の意思により、自由自在にコントロール出来ないと、霊能力とは言えないのです。   次回は、霊聴能力についてです。