神霊による人生相談

ょっ言。

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-2006年5月24日-
  今日は、霊夢のお話しです。   霊夢は、普段寝ている時に見る夢の中でも、意識が霊界に飛んでいる時に見る夢です。   寝ている間に霊界に意識が飛ぶという事は、死なないと行けない様な死後の世界(霊界)へ、 就寝中という一時的な時間ではありますが、行っているという事です。   そしてそこの景色や、霊界の住人とお話ししたりする事が出来るという事でもあり、実際に夢の中で 自分の先祖とお話しして、解決し難い問題の解決策や、良きアドバイスを受けて帰ってくる(目が覚める)事も、 あるのです。  これは、特別な能力でもなく、就寝前に守護霊やご先祖様にお祈りしてから寝ると、 必ずそうなるとは限りませんが、そういう霊夢を見せて頂ける事もあります。  また、夢が凄くリアルな夢である 場合や、同じ夢を何度も繰り返して見る場合も、霊夢としての可能性が高いです。   そういう場合、その夢に含まれているメッセージを読む事で、夢を通して自分に何を訴えたいのか判断出来る 場合があります。  それが、何かの危険性があったりする場合、それが本当に起きる前に夢を通して、 それが起きていない今の時点で知らせてくれている事があります。  それは、一種の霊能力のようなもので、 普段、起きている時には未来に起きる事は判りませんが、霊夢の中で知らせてくれたり、体験させたりして、 気をつけないと危ないなと思わせる事で、実際に同じ様な場面に出くわした時、夢を思い出して危険を回避 出来た人もいます。  そういう事例は、実際にもある話です。  また、何らかの病気等で、死期が迫ってきて いる人が、自宅や入院中に寝ている間に見る霊夢などは、肉体の死後、あの世(霊界)へいっても迷わないように、 まだ生きている時点で霊界の様子や、先に亡くなった親類縁者の人と話したり、色んな世界へ連れて行って もらったりする夢を見たりします。  だから、お年寄りなんかが入院中のベッドに寝ていて、家族などが お見舞いに来た時、今日は自分の家の先祖が来たとか、先に亡くなったお祖父さんや、お祖母さんが来たとか、 すごく綺麗な場所へ連れて行ってもらったとか言ってきて、お見舞いに来た家族は、何かあの世の世界の出来事の 様な事を言い出すので、もう死期が近いんじゃないかとか勘ぐったり、中には、もう結構な歳なので、 ボケてきたんじゃないかと親類縁者と話し合ったりする事があります。  これを読んで頂いている皆さんの中にも 、実際に同じ様な話しを、何処かで一度位は耳にした事があると思います。   これは、霊夢として、あの世(霊界)へ意識が飛んでいる為に、本当に夢の中でそういった世界(あの世)の 入り口付近まで導かれているのです。  そして、本当にそうなった(亡くなった)場合、本人の魂が困らない 様に、半年〜3ヶ月、中には1ヶ月位前から、疑似体験を させてもらっているのです。  そうして、本当にその時期が来た場合、魂の中の記憶として、「あぁ!この場所は 以前に来た事がある場所だから、あっちに行けば良いんだったな」とかが自然と判る様になるんです。   また、先祖達も「やっと、あなたも我らと同じ世界へ来たんですね。 あなたが進む道は、こっちですよ」等と 言われて、亡くなったばかりの本人の魂も、「あぁ、そうでしたね。はい、判りました。ありがとうございます」 等と言いながら、スムーズに成仏の道へと導かれて行くのです。  こういった事も、霊夢ならではの指導と言えると 思います。  霊夢は、色んなパターンがありますが、普段見る夢の中でも、霊夢の割合は、霊感がある無しに 係わらず、皆さんが見れるものです。  特に何かのメッセージ性を含まれている様な感じの夢などは、 今の自分を見直す時期が来ている事が多いです。  それに気付けば、今よりもっと良き方向へ変われるキッカケと なったりしますよ。  


-2006年5月15日-
今日は、前回の魂と霊の違いについてのお話しから、魂の認識レベルの中の一つである、幽霊界の魂レベルに ついて書いてみようと思います。   魂の認識レベルが低いと、自分が死んだ事も判っていない場合や、事故や病気で亡くなった時の意識のまま、 未だに苦しんでいる事があります。  死ぬ前の苦しかった意識のまま、あの世へ旅立ったので、 その時の意識から離れられずに、この世的な姿をとっています。(この世的な拘りや未練が強いと、 一般的に言われる「執着」と言われるものになります)  だから、何かに未練があったり、自分の苦しんでいる 姿を、この世の人に判ってほしいと思う心が募ってくると、生前の姿をとって(それが幽霊の姿となる) この世に出てきたりします。   魂の意識も、この世的な執着が大きいので、死後何年経っても、亡くなった時の姿のまま、未だに顔から血を 流して出てきたり、弓矢や刀で切られて痛い痛いとうめいていたり、事故に遭った怪我の部分を治してくれ〜と、 訴えてきたり、病気が治らなくて痛いんです〜と訴え出てきたりします。   この段階の魂レベルは、肉体に宿っていた時の感覚が、肉体の死後、魂だけの状態になっても抜け切れていない 段階であり、既に肉体は無いのに、生前の苦痛等が、未だに魂の記憶の中に残っている状態の段階です。   また、誰かに殺されたりして、魂の記憶の中に怨念の層が深く刻まれていると、数百年経っても魂は浄化されず、 幽霊となって出てきたりします。  そうした、人間的感覚や感情が色濃く残っている魂の状態が沢山集まっている 場所が、幽界とも幽霊界とも言われる場所なのです。  なので、ここにいる魂達は、心の中に様々な執着を 抱えているので、誰にも自分の苦悩を判って貰えないという不満や悩みがあると、この世に出てきて、生前に縁の あった人や、通りすがりの人、たまたまそこに居た人等、色んな人の前に出てきて恨み辛みを一方的に言ってきたり します。  その出方は様々で、人前に出てきて、恨めしそうに見ているだけの場合や、中には人に憑く(憑依) 場合があります。  人間の執着が強く残っていそうな場所(病院、大事故の現場、古戦場等)には、未だに多くの 幽霊が出てきたりしています。  また、人に憑く事で、自分の不満を一時的に解消しているだけの状態でもあり ます。  幽霊の状態の魂は、霊界(成仏した世界)へも行けず、人間界へも戻れない状態の、中途半端な 魂の境遇でありますから、魂(幽霊)自身の気持からしても、どうしていいのか判らない状態であります。   だから、人間界に出てきて、自分の言い分や、今の苦悩の姿を見せて必死に訴えてきたりするのです。   かわいそうですが、自分の心を見直さない限り成仏できないのです。  生前、少しくらいは信仰心も持って、 その中の教えとして、自分が死んだら、出来るだけ早く未練を取り払う事で成仏もでき、肉体的苦痛や悩みの 無い世界へ上がっていけるのだと言う事くらいは、頭の中に入れておく事が大事だと思うのです。   でないと、幽霊になって、自分の行き所も判らないまま、家の中や、自分の死んだ場所にウロウロしている ような魂(幽霊)となってしまいます。  こういった中途半端な世界(一種の地獄界)が、幽霊の世界であり、 霊界へ上がる前の魂の、発展途上の段階と言えます。  だから、ちゃんと言って聞かせると、判ってくれますし、 お礼を言って成仏していかれる魂(幽霊)もいますよ。  元は、同じ人間なんですからね(^−^)


-2006年5月9日-
今日は、「魂」と「霊」の違いについてのお話しです。   魂も霊も、基本的に言えば、どちらも霊的なものであるのですが、魂の方は、どちらかと言えば人間的な 性質、生きていた時の考え方や姿等が、あの世へ還ってからも、まだ色濃く残っているという時に、 魂であるという事が言えます。  この、あの世へ還ってからでも、生きていた時と同じ様な考え方が 抜けきらない時、生前と同じ姿をとって霊界にいる場合、霊体意識という境涯にまでにはならずに、魂体という 霊的にまだ未熟な段階を、魂の段階と言います。  そういう意味では、この世で生きている現在の状態、 肉体の中に入っている状態は、魂の段階であると言えますね。   これに対して霊の方は、生前の考え方や、霊界における法側等の認識レベルが上がってきて、元来、霊体として 持っている本質的な能力を、ある程度引き出していける状態になってきた場合、霊という呼び方をしても良いと 思います。  霊界は、肉体の死後、魂が還ってくる場所ですが、魂のレベルで修行している霊界は、今の 世の中と似た様な感じの風景が広がる世界です。  その中で、生きていた時と同じ様な生活をしているので、 未だに自分が死んだ事も良く判っていない魂が多いです。  サラリーマンは、霊界でも満員電車に揺られて 通勤をしていますし、農家の人は畑を耕したりしています。  そういった、この世的な人間的要素から、 未だに抜け切れていない段階が、魂の段階レベルである霊界という事です。   そして、次の霊的段階である、霊体レベルの霊界では、人間の魂とは、本来そういったものではなく、 もっと大きな可能性を秘めたものであるという事が、判ってきた段階であります。   それは、この世的な意識の束縛からはみ出てきて、霊体本来の意識として活動を始めてくる段階です。   人間の魂は、魂レベルでは生前の人間としての姿をしていないと不安だったのが、霊体レベルでは、自分の姿を 好きな状態に変える事ができます。  例えば、亡くなった時に年寄りであったのが、もっと若返りたいと 思って、気持を若い時の自分に焦点を合わすと、自分の姿が若返ったりします。  これは、霊体レベルの霊界で、 最初の方に習う基本的な学習の内の一つです。  また、自分の着ている服のデザインを、好きなように変えたり、 自分の好みの服などに変える事も、次の段階で習います。  そういった基本的な教えを受ける事が出来ますし、 そういった事を教えてくれる先輩の指導霊も居られます。  また、好きな場所へ瞬間移動も出来ます。   これらは、この世的な人間の常識からはみ出した感覚なのです。  それが霊体レベルの意識になると、当然の 事の様になってきます。  それが出来ない人の魂は、未だにこの世的な感覚から抜け出せず、霊界の地面を 歩いていますし、泥だらけの服を着ている人の魂もおります。  それだけ、魂のレベルと、霊となった レベルとでは、 違った環境や意識の差が出てくるのです。  そして、霊体レベルの更に上では、霊意識レベルという次元世界が 広がっているのです。  更にその上には、神霊意識レベル、更にその上には、大霊意識レベルの世界が広がって いるのです。  まだまだ上がありますが、霊的進化を遂げていくと、霊としての意識レベルも、 大きく無限に広がってゆくものなのです。  その辺も、今後、折を見て徐々に書いていこうと思います。