神霊による人生相談

ょっ言。

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-2006年6月25日-
今日は、この時期増えてくる蛇の霊のお話しをします。   昔から動物霊の中でも結構多いのが蛇の霊です。   この蛇の霊は「蛇霊」とも言いますが、蛇霊が家の中にいると、家の中が湿っぽく感じたり、 お部屋に居る時にも、何となく寒く感じる事があります。      蛇霊や、その他の動物霊は、家の中のあまり使われない部屋や、物置、押入れ等を棲みかとし、 普段はそこに居て、夜になると家中を徘徊したりします。   また、その家に住む家族にも影響が出てきます。  身体的影響として、頭に何か帽子を被っている様な、 何かがまとわりついている様な感覚を伴う事があり、視界が霞んで見えたり、物の輪郭がスッキリ見え難かったり、 ぼやけて見えたりします。  また、耳の調子も何となく聞きにくい事が多くなったり、頭部が締め付けられる 様な感覚を伴ったりします。  あと、後頭部から首、肩にかけてコリがあったり、手足に痺れたような感覚が あったりします。  体全体を締め付けるような感覚もあります。  気持ち的には、物事に対して必要以上に 気になってしまい、どうしてもマイナス思考的にしか考えられない様になってきます。  お部屋の状態は、 次第に片付けられないようになってきて、散らかった部屋の方が安心していられたり、昼間でもカーテンを 閉め切った状態になる場合もあります。  ゴミ屋敷と言われる家を霊視すると、動物霊が沢山棲んでいます。   人間の住む環境ではない状態は、動物霊にとっては大変棲みやすい環境になっています。   これら動物霊の中でも、蛇霊は、今の時期の様に暖かくなって来てから活動が活発になってきて、今月(6月) の梅雨の時期に入ると、蛇の好きな暖かくて湿った時期となりますので、私の所に相談に来られる人の中で、 蛇の霊を除霊する割合が増えてきます。  (蛇は、寒さが苦手なので、霊となっても、冬の寒い時期は比較的 おとなしくしている事が多いです)  また、蛇霊は土地に関係ある霊でもありますから、土地を掘り起こしたり、 家をリフォームする時や、新しく家を建てる際に、土地のお祓いをやっておかないと、災いが降りかかってくる場合 もあります。  あと、女性特有の子宮の病も、蛇霊が係わっている場合があります。  蛇は、暗くて湿った穴が 大好きなので、子宮の中にとぐろを巻いて棲み付いている場合もあります。  女性の子宮には、元来、子供の魂を 宿す霊的な場所なので、霊に憑かれたり、何らかの霊的影響を受けやすい場所でもあります。   また、蛇霊は色情霊とも関係が深く、どちらも執着や執念が深いため、人間霊であったのが何時の間にか 蛇の様な姿になってしまい、表面上の霊視では蛇に見えてしまう事があります。  でも時々、言葉で訴えかけて きたり、文句を言ってきたりするので、これは人間霊だったのが、心の中の執着の状態があまりに強いため、 蛇の様な姿になったものだと判ります。  本当の動物霊は、言葉を喋りませんからね。  こういった、人間霊が 蛇の姿になっている場合と、本当の蛇の霊が混ざり合って棲んでいる事もあります。  自分達で出来る祓い事は、 家の中を明るく風通しを良くし、使われない部屋や普段使っている部屋も、よく掃除をして綺麗に片付けておく事を 習慣付ける事です。  また、普段から自分の考え方を、あっさりしたものにする努力や、偏見や妬みなどを長く持 ち越さない様にする事。  蛇は、粘着質の性格だとして昔から言われていますから、長く悩んでいたり、人を長く 恨んでいる事があれば、出来るだけ早く気持を切り替える事をしないと、自分の出すマイナスの波動が蛇霊を呼び込 んでしまう事があります。  なので、大抵は蛇霊に見えても、その霊に神仏の光を当てて浄化していくと、人間の 霊に戻っていく事が多いので、純粋な蛇霊というものよりは、人間の執着が蛇の様に粘着質になった結果、蛇霊化し て人を悩ませるといった事をしているのです。  霊障害も、霊の種類によって起きる現象が違いますからね。   でもここで少し書いておきますが、蛇の霊でも、神様の御使いとして働く高級霊となった蛇もいます。   弁天様のお使いとして進化した白蛇様、龍神界の龍神様などは霊力が強く、私が除霊する際にお願いすると助けてくれます。   そうした神の国で、神様のお使いとして働く巨大な霊力を持つ、良き蛇や龍等もいるという事も知っておいて 下さいね。  今回は、蛇の霊についてお話ししてみました。


-2006年6月13日-
今日は、前回の続きをお話しします。   人は皆、輪廻のサイクルにのってこの世に修行に出て来ています。   その時に、霊界での修行や前世での記憶(魂の記憶)は封印されてしまいます。   そして、この世でまた新たな人生を送るのですが、この世に出た一番の目的や使命なども 同様に封印されてしまうので、何故この世に出て来たのか、何の為に生まれて来たのか判らない のです。  人は、この世に生まれ出ようとする時には必ず、その目的なり目標なりを決めます。   これは、霊界の法則で決まっているのです。  この決め事が無いと、上位の指導霊に生まれ変わりの 認定を受けられません。  皆、そうした段階を踏んで生まれて来るのです。   しかし、皆がそうした前世の記憶や使命感を封印されずに、輪廻のサイクルの中から生まれてくると、 生まれ出る魂は基本的に天国からと言う事なので、この世は良い人だらけになって、それはそれで良いかも しれません。  でも、永遠の魂修行として見た時に、仮に良い者ばかり集めると、最初は様々な発展もしますし 、調和も取れて争い事も無いかも知れません。  自分の使命や、果たす目的も全て判っていた場合、そこに 生きていく喜びも半減すると思います。  また、子供の成長の過程で犯すであろう些細な過ちも、魂の記憶から 呼び起こし、未然に防げでしまうので、成長過程で起きる全ての問題が、苦労する前に答えを見ながらの成長となり、 苦労して何かを成し遂げると言う喜び、失敗を克服して大きな発展に繋げられた時の喜びと言うものを 体験するのが難しくなります。  そうして、何世代も輪廻を繰り返す内に、そこに新たなる発見や進歩が行 き詰ってくるのです。  地上に繁栄した文明は、直ぐに頂点を迎えてしまい、発展性は減少し、停滞域に入 ってきます。  皆が良い人で、穏やかな生活が続きますが、それ以上の魂の発展性は望めなくなります。   何の心配も無い、恵まれた穏やかな日々を送るのが当たり前となった時、人間の心は安定志向に向かいやすくなる為、 更なる発展を目指して行く事が難しくなるからです。  また、前世での記憶や、何代も前の記憶等があるため、 失敗も、過ちも犯す事無く、霊界での記憶もある為、死ぬ事も怖くないでしょう。   そうした事は、ある意味、もうこの世には生まれ出る必要も無いという事も言えてしまうのです。   全ての記憶を忘れず持てた時、霊界での生活も、この世に出てからの生活も、肉体的束縛はありますが、 一般レベルの魂世界と、殆ど変わる事無く過ごす事が出来てしまうからです。  これは、良い事がある反面、 魂の更なる発展性を奪ってしまう可能性が強いです。   神は、人間達が様々な問題を自ら苦労して克服したり、新しい問題にぶつかった時にでも、真理の道を 逸れる事無く乗り越えるような生き方を良しとされています。  また、困った問題や、不便さがあるから こそ、新しい発見や発明が生まれて来るのです。  そしてそれを、どうやって乗り越えていくか、多くの人の 助けや団結が、新しい希望を生み、様々な改革の後、新たなる文明の発展に繋がっていくのです。   その中に、人々の喜びや幸せが共存しているのです。  また、こうした大きな改革の波を起こす人も必要になってきます。  これも、社会の中で、自問自答しながら 、他人をよくしていこう、社会をもっとよくしていこうとする心を持つ人が、霊界での行いや、前世の記憶が 無くとも必ず出てきます。  これが、前世から魂に蓄積された徳を持つ人であり、魂の霊格が高い人です。   そういう人は、この世で人一倍苦労もしますが、普通の人には出来ない大きな仕事をやり遂げます。   そういう強い魂の資質を持っているのです。  これが、前世からどれだけ頑張ってきたか、どれだけ 心に善の貯金(真理の実践による貯金)をしてきたかで、個人個人で隠れた資質や才能や能力の 違いとなって出て来るのです。  平等に生かされている中でも、人は過去に善を積んだ実績に応じた霊格が備わっています。   未だに争い事もありますが、それも永遠の魂の発展性から見れば、一時的な停滞や下降はありますが、 そうした大きな魂が出てきて、また引き上げてくれるのです。  人類は、そうした地道な発展を遂げているのです。   時代と共に大きな困難はありますが、その反面、大きな発展もあるのです。  トータルで見れば、発展性の方が 大きいはずです。  神は、そうした各自の魂ごとの自助努力と、その中での人々の発展調和を、神は望んでいると言う事です。   今回は、お話の内容が次元的に高くなったので、私の指導霊様からのアドバイスの下、書かせて頂きました。


-2006年6月4日-
今日は、以前に書きました「転生輪廻」について、もう一度詳しく知りたいというリクエストが ありましたので、転生輪廻と人間の進化についてお話ししてみようと思います。   転生輪廻とは、前回でもお話したように、あの世とこの世との生まれ変わりのサイクルの事でしたね。     この世で生きている人間は、その数だけ様々な生き方を何十年とした後に寿命が尽きて亡くなりますが、 その生前の行いが、そのまま「魂の記録」として自分の魂に刻印され、あの世(霊界)へ戻っていきます。   その魂の記録の内容が、そのまま自分の魂の傾向性として評価され、それが霊界での自分の居場所となる訳です。 (霊界では、魂の記録のマイナス点とプラス点を差し引きした結果、自分の居場所が成り立ちます。  そうした個人個人の魂の居場所が、ある人は天国であったり、またある人は地獄であったりする訳です)  全ての人間は、転生輪廻のサイクルの中で霊的進化を果たしております。   時には、高次元の神格を与えられた霊であっても、この世に出た時、自分の能力を私利私欲に使い、そのせいで 他人を苦しめる様な人生であった時は、肉体の死後の行き場所は地獄となります。  この場合、一時的には 魂の退化という様な道を辿りますが、元来、魂的に霊格がある程度高かった場合、反省して地獄から上がってくる 期間が、一般の魂より早いのは事実です。  多くの魂も、一時的に退化の時期がありますが、その後しっかりと 進化の道を歩み始めます。  この様に、永遠の命を持つ魂の輪廻のサイクルから見れば、全ての魂は一時的な 退化はあるのせよ、ちゃんと進化の道を歩んでいるのです。     次に、霊界では高次元の位に所属していた霊体でも、この世に生まれ出る時には、霊界での記憶を 塞がれてしまうので、霊界では魂の境遇に高低の差があっても、この世に生まれ出たら、 誰でも赤ちゃんとして平等に一から人生を始めて行かねばなりません。   だから、霊界では天使であっても、この世に修行をする為に生まれ出た時、霊界での記憶を一時的に封印され ていますので、その事実に気付くまで、普通の赤ちゃんとして育ち、学校へ行って学んだ末、成人となって社会に 出て働いたりしています。   また、何とか成仏出来た位の魂であったり、少々の地獄世界へ落ちていた魂であっても、あの世で修行し直し、 神仏の前に出て、もう一度この世に出て人生をやり直したいと願い出た際に、その願いに適うほどの 修行結果が認められた時、やっと地上に生まれ変われるというサイクル(転生輪廻)に組み込まれます。   そうしてやっと、この世に生まれ出る事が出来ます。  その後は、先程の天使であった魂と同様に、霊界での 反省心をも記憶とともに封印されますので、この世で普通に育って、普通に社会へ出ています。   この様に、霊界では天使であった魂も、さんざん反省修行した魂であっても、この世に生まれ出たら、 肉体的に、一からの出発となります。  しかし、ここで転生輪廻の中の「魂の記憶の法側」として、 よく考えてもらわないといけない事があります。  この続きは、次回にお話しします。