ちょっと一言。
-2006年9月29日-
今日は、前回の予告どおり、祀られる事により霊力がアップするという事について、書いてみたいと思います。
どんな霊(悪霊、動物霊、宗教霊等)でも、神様としての待遇で人間に祀られると、気分も良くなり、それなりに
偉い存在になったかのような気になって、神様のように振舞ったりします。 祀って欲しい霊達は、自分達の
本当の姿を見せず、良い事を言って神様のように振舞ったりするので、そうした時に、世の人間達は騙されて
しまうのです。 本当の神様は、別に人間に祀ってもらわなくとも、神様としての役目を淡々とこなしておられ
ますので、人間に対して、神様の方から「我を祀れ!」等とは、滅多に言われないものです。
そうして、神様を祀っていると思っていたのが、実は悪霊や動物霊だった等という場合があります。
これ、本当に多いです。 あと、神棚に神様が居られても、特別何もせず、お酒などのお供え物ばかり食べている
神様も居られます。 そういった点では、霊格の低い神様を迎えてしまったという事で、それを封印された霊能者
さん等の霊力が、それだけであったという事です。 また、祀る側の心の内も、御利益信仰であった場合、
そういった低級霊を迎えてしまう恐れがあります。 そういった点で、祀る側、祀られる側の心情や姿勢が、
本当の神様と、神様の振りをしているだけの霊とを結びつける要因になりますので、しっかりした信仰心を持つて、
本当の神様をお迎え出来るように、自分達も日々の精進を怠る事無く進めていく事で、本当の神様はやって来て
下さいます。 次に、祀られると霊力が上がるのは、人間が神様として崇めだすと、人間の念(波動)が祀ってある
ものに向かって飛んでいきます。 その念は、日々の感謝の気持ちや、人間独特の欲念や、願い事など様々です。
それで、低級霊でも、ちょっとした力を持っている霊でも、この世の人間よりかは、物事の先が見えたり、
人の考えている事が判ったりするので、その辺を上手に使って、アドバイスやちょっとした奇跡みたいなのを見せ
たり、賭け事などで儲けさせたり等して、ありがたく思わせたりします。 そうしていると、段々と人間も欲が
出てきて、もっと自分達の神様(神様の振りをしている霊)を崇め出し、大きな祭壇をつくったり、大勢の人数で
教団等を設立させたりしてきます。 そうして、一つの宗教団体等が出来上がる場合もあります。 低級霊は、
家族信仰よりも、大きくさせる事で、より多くの低級霊を呼ぶ事が出来ます。 すると、それまでの
功績というか、実績を積んでくると、そんな霊でも、何処かの親分のようになってきて、自分より下の霊達を
集めだし、人間達に最初は良い思いをさせておいてから、後で落として行く様に、人間を巧みに騙しながら成長し
ていきます。 この闇の方向の成長が、悪の霊力のアップに繋がるのです。 最初は、独りの低級霊であったのが、
次第に悪へ悪へと進んでいく内に、本当の悪霊にまで成長してしまう事もあります。 霊力は、悪の方面には、
案外簡単に伸ばす事が出来るので、面倒な修行を積まなくても、心を悪に染め、悪さを繰り返していく事で、
どんどん悪の霊力は伸びてきます。 そして、低級霊達は力に無かった時に比べて、より悪に染まった方が、
何でも出来て、人間も好きな様に操れて楽しいので、どんどん仲間も増えてきて、それで悪いもの達の中で一番偉く
なってくると魔王的な存在にまでなったりします。 こういう事で、本当の神様として偉くなれない、偉大な存在に
憧れるが、そうなれるような修行はしたくないという霊は、手っ取り早く簡単な道を選択するのです。
これには、人間の欲得や愛欲、物質欲などの悪想念を養分として、ふんだんに取り入れる事が早いのです。
だから、祀られたがる霊が多いのです。 それに、惑わされる人間も、当然多くなっていきます。
それが、この世から悪が絶えない事にも繋がっているのです。 しっかりと真理を学ぶ事、またそれを日々の生活
の中で、少しずつでも活かせていこうと努力した時、あなたの周りには、本当の神様が微笑んでくれているのです。
そういう生活であれば、未来は開け、困難は困難でなくなるのです。 全ては、「心」次第ですよ。
-2006年9月21日-
今日は、「邪霊、邪神が祀られたがる理由について知りたいです」というリクエストがありましたので、
それらの理由についてお答えしてみようと思います。 まず、邪霊とは、よこしまな考えを持つ霊、
真理の道から外れた霊であり、正しい考えを持たない霊であります。 また邪神とは、正しき神の道から
外れてしまい、人間を正しく導く事をせず、自己欲と自我力に溺れ、人間を自分の思い通りに操ったりする
神の力を持つ悪神です。 もう少し詳しく言うと、以前は神であったが、いつしか悪想念に負けてしまい、今は悪霊化していても、
以前の「何々神」という名を騙って、人々をだまし、迷わす存在です。 こういった人の道、神の道、真理の道に
外れた霊を邪霊、邪神と言います。 こういった霊達は、何時も不満や自分の力を誇示したい、人間を自分の
下において操りたい、偉そうにしたいという気持ちが常にあります。 だから、ちょっと真理をかじった人や、
どこかの怪しい宗教団体等に入ったり、霊感を持ちたいとか、念力や呪文、魔法等に興味があったりして、
気持ちを入れ込んでいくと、その内、自分の耳や頭の中に、霊の声が聞こえて来る時があります。
こういう人は、霊感や霊力を持つ事で、人と違う能力を持つ特別な人に憧れる様な潜在的欲求が
強いのです。 だから、そういう点を狙われるのです。 欲しがっている人に、
「与えてやる」と囁いた方が、簡単だからです。
それで、その声の持ち主が、「我こそは、何々の大神である」とか、「何とか大明神じゃ!」とか、
「何とか如来である」等と言ってきたりします。 そうすると、霊力を持ちたい人や、霊感をもっている事で得意に
なっている人等は、邪霊や邪神が近寄って来てそういう事を言うものですから、
他人に、自分はこんなに優れているという事を自慢したり、霊力を自分の欲求を満たすために使ったりするように
なります。 これが、最初は人の為に使っていた霊力が、やがて邪念が出てきて、自分の為に使うようになって
きたと言われる原因ですね。
こうして、邪霊や邪神が、人間を自分の配下に置いて、その霊の言う事を人間にやらせます。
そうする時に、偉くなりたかった宗教者崩れの霊や、あの世での不満をこの世で晴らす為に出てきた霊等が
、自分の正体を明かさず、やはり神としての名を騙り、自分達(邪霊、邪神)を祀るように指示してきます。
こうして、邪霊や邪神が、一旦神として祀られると、この世の人間として見た時に、もうそれは神でしかないのですね。
普通の人は、判断出来ないですからね。 そうなれば、もう自分たちのやりたい様に、し放題の事を要求して
きます。 お供えを持って来い!とか、お布施のお金が少ない!とか、ちょっと質問すると、そんな事は
お前ら人間は知る事ではない!等と、その教祖や先生と言われる人の口を通して言ってきます。
こんな宗教者が団体などをつくると、間違った教えを説く宗教団体になってしまい、世の中の人々を混乱させるような
事をしでかすようになったりするのです。 邪霊、邪神は、騙し易い人間に憑く事で、神として崇めて貰い、
霊界ではパッとしなかった霊でも、この世の人間に祀られる事により、邪悪な神(まあ、悪霊ですね)として
やりたい事が出来ます。 この世の人間を騙すには、神として出て来た方が手っ取り早く、また簡単に騙せるので、
そういう手をよく使ってきます。 インチキ霊能者と言われる人も、この類の霊がとり憑いて発揮している霊感
ですから、ちゃんとした霊的説明が出来ない、または、してくれない霊能者は、怪しんだ方が良いですよ。
それと、霊感を省いても、人間として尊敬できる人かどうかを判断基準としてください。 そうすれば、
霊能者に騙される事も少なくなりますよ。 次回は、「祀られる事で霊力がアップするシステムを知りたい」
というご質問にお答えしますね。
-2006年9月12日-
今日は、何時もこの「ちょっと一言」を読んで下さっている方から、「弁天様」についてお話しをしてほしいと
いうリクエストを頂きましたので、今回は、そのリクエストにお応えして「弁天様」のお話しをしようと思います。
弁天様(弁財天様)についての説明や縁起物等は、世に出ている資料を読んでもらえると、ある程度は理解が
出来ると思いますので、私のコーナーでは省かせて頂きます。 その代わり、「ちょっと一言」のコーナーの中
では、本等には書かれていない様な、もっと霊的な見方、霊界の方へ視点を置いたお話しをします。
まず、弁天様と言われる神様は、とても綺麗で美しい女性の神様です。 綺麗と美しいとを、並べて書いて
欲しいと言われましたので、そう書きました。 やはり、女性の神様でありますね〜。
もうこの時点で、弁天様からの指導が始まっています。 弁天様は、日本中の様々な神社仏閣に祀られております。
これは、他の神様仏様も同様です。 「弁財天」という役職を与えられた神様達が、日本中のお寺や神社の中の
お社に御魂として入られて、参拝に来る人々を守護指導して下さるのです。 また、弁天様は、お使いに蛇を
使われるので、弁天様のお供え物には、よく卵が置いてありますね。 お使いの蛇は、でっかい白蛇です。
動の太さ(直径)は1メートル位、全体的な大きさは、とぐろを巻くと6畳一間の中を4〜5周するほどの大きさ
があり、頭は天井を突き抜ける位あります。
弁天様は、修行場近くや、大きな弁天堂に祀られている場合などは、弁天様自身のお姿を拝見すると、中年のどっしり
した感じのお母さん的な様相で出て来られる場合が多いですね。 これは、この世の修行者達に
それなりの指導が要求され、場所的に魔も多かったりしますので、当然それらに対応出来るような霊力と悟りの深さが
要求されますので、しっかりした弁天様が、ドーンと座られています。 そんな弁天様は、男性かと思われるほど力強さのある
お言葉で、私に語りかけてこられたりします。 何百何千引きの蛇を束ねてお使いになり、この世の力のある者を
指導されるには、女性の神様と言えども、圧倒的な威圧感と霊力で対応されます。 また、それ以外の、主として
一般参拝者を守護指導されたりする弁天様や、立派な弁天様とし独り立ちする為の修行中の弁天様等は、まだ若くて
霊力も悟りの具合も、これからという弁天様たちがおられます。 この方々は、人間の年齢で言うなら20代前半
位で、今の若い女性が好きそうなものも、同じ様に好きであったり、気になったりしています。
だから、卵やお酒を供えるより、女性が好きなケーキとか、綺麗なお花だとか、化粧品(リップや香水等)なんかを
お供えしてあげると、すっごく喜んで下さいます。 そして早速、弁天仲間達が集まって来て、キャー!キレイー♪
これ 良い香りがしますわね〜♪ なんて言いながら、皆でワイワイ キャーキャーと楽しんでおられ
ます。 (若い神様は、今の時代の者を積極的に理解しようとされ、その良し悪しを判断していかれます)
また、素直に嬉しさを前面に出し、好きな物を見て はしゃぐ姿は、今の若い女性となんら変わりの無い様に感じます。
でも、一旦、神様としての仕事を
なされる時には、きりっとした弁天様の表情になり、悟りの中に身を置き、同時に威厳が出てきます。
これは、神様が神様たるゆえんであるんですね。 大きな集中力に伴う大きな霊力を発揮できる神様は、その力を
解いて開放した時に、天真爛漫な子供のようになるんです。 それ程、神様の心は澄んでいて、拘りや曇りが無いん
です。 だから神様であり、神様という役目を十分に果たせるようになるんです。 今回は、弁天様について
書きましたが、これを読んで、少しでも弁天様という神様に親しみを感じて頂けたらと思います。
-2006年9月6日-
今日も、前回からの続きで、天使のお話です。
これまでに、天使の羽の話しから、その飛び方までをお話ししてきましたが、今日は天使達と一緒に飛んで行った先の
お話しです。 迎えに来てくれた天使達に囲まれながら、天上界を悠々と飛んでいくと、その先に眩く光る空間が
見えてきました。 どうやら、私達 天使の集団は、その光の中に入って行く様です。
私達は、一見 同じ様にただ飛んでいるだけに見えますが、私と天使達との間には、互いのオーラによる光のベールに
包まれていて、その中で意識の交換をしながら、お互いの歩んで来た魂の経歴や、どんな人間であったのか等、様々な
情報交換を、飛んでいる間(数十秒間)に済ませてしまいます。 天上界では、様々な情報の伝達スピードが
極端に早いです。 この世的に言うと、情報の一杯詰まったDVDを数枚束にして、その束を、お互いに
キャッチボールの要領で一、二度投げ合うと、もうそれだけで全ての情報が、互いの心の中にインプットされる様な
感じだと思ってくれたらいいです。 だから、天使達と数十秒間も一緒に飛んでいると、もう大抵の事は判って
しまいます。 そして、次に行くであろう天上世界での出来事等も何となく判ってきますが、全て判らない様に、
私の意識の中には、それとなく ベールに包まれた状態で送られていました。 でも、チラチラと意識のベールの
向こうに見えたりしますが、そこは、後でのお楽しみという事として見ない様にしました。
そして、私達は連なって輝く光の中へ飛び込んで行きました。
光の中は一瞬で過ぎ去り、私達が出た先は、ただ明るく光る空間に、所々に雲が浮かんでいる様な場所でした。
私と天使達が宙に浮かぶような形で静止していると、目の前に広がる空間から、眩しい位の光が輝きだしました。
それは、太陽が閃光を放ちながら輝いている様にも見えます。
そして、眩しく輝く光の中心から、光の強弱の線で描かれた様な形で、キリスト様の上半身が浮かび上がってきました。
今度は、その周りを無数の天使達が、まるで雪が降って来るように、ゆっくりと静かに舞い降りてきます。
天使達の身体から出る乳白色の光が、温かな明かりで照らされて舞い落ちる雪を連想させます。
舞い降りて来た天使達は、キリスト様の腰の辺りで止まって整列しています。
キリスト様の大きさは、上半身だけで、富士山より大きく高いです。 天使達は、その裾野に広がって
静止している、そんな感じです。 また、立派な白馬に乗っている天使も多く、皆それぞれの位(地位)や、役目に
合った格好をしているようです。 キリスト様は、衣服の衣を頭に被っている場合と、そうでない場合があり、
今回は、頭の衣をとっていました。 シーンとした厳かな雰囲気の中、キリスト様が「先生よ、今後、汝の
仕事は大きく開け、汝の元へ多くの人々が相集うであろう。 今、相集いたる信者は、汝の幾転生での弟子達
であり、教え子達である。 その者達が今、時空を経て、汝の元へ相集い、そこに大いなる神の光が降り注ぎ、今後、
大きな神理の伝道が始まるであろう」そういったお言葉を頂戴し、その後、少しお話しをしてから、キリスト様は
微笑みを浮かべながら、また大きな光の中へ消えていかれました。 それと同時に、無数の天使達も光の中へと
吸い込まれるように消えていきました。
私は、同じ様に並んでキリスト様のお話を聞いていた天使達の方を見ると、私に向かって軽く会釈し、フワッと
光ったかと思うと、消えてしまいました。 私も、意識を地上世界へ戻すと、身体がパァーッと輝く光の玉になり、
自宅の部屋にいる自分の元へ戻りました。 これで、天使のお話は終わりますが、本当は、霊界の人や天使達は
皆、光の玉、光の意識体でしかありません。 この世に人間に、判りやすくする為に、天使という身体をとって、
霊界との交信が出来る人々に見せているだけです。 真理は、この世の人に判りやすく伝えるという最前提の目的が
ありますからね。