ちょっと一言。
-2006年12月29日-
今日は、今年最後の「ちょっと一言」になりました。
今年も沢山の方々が私の所に相談に来られました。 その話の中で、私は直ぐに結果を求めるのではなく、
目標に向かって努力していく事の大切さを説いてきました。 私の所に来ただけで何もせず、直ぐに幸運が舞い
降りてきて、それから幸運続きになる様な事は無いです。 時々、「自分に神様を付けてくれれば、あとは何を
するにしても、放っておいても上手くいくでしょう」という考えの人もいますし、「神様が働いてくれて、自分に
良い結果さえ出してくれれば、それで良い」という考え方の人もいますが、自分の出来る努力をせずに、
神様にやってもらえばその方が良いという考えは、まともな神様なら、まず指導は頂けません。
そういう指導は、闇の世界からの指導が入って来ます。 私は、霊的な影響で上手く行かない人には、除霊や浄霊を
して、何事にも足を引っ張っている悪影響を断ち切ってあげる事はします。 その後は、何故そういう影響を受けて
いたのか、自分の心の状態や、物事の考え方、生活の仕方等を指導して、その人が、人として立派に自立して
行かれる様に真理的な指導をしています。 そして、もう悪霊などに影響されない人物に成長されて行きます。
そういった個人の努力を評価していますし、神様も同様に思っています。 人生は、結果より、人生の中身をどう生
きたかです。 人生は、結果的に大きな仕事をしても、その日々の想いが悪かったり、結果を出したい為に多くの人々
を苦しめていたり、表の顔は良い人でも、裏の顔は悪人であるという人は、表には出ないだけで結構多いです。
そうの様なものは、最後の結果だけを見ると、大きな仕事になっている場合がありますが、真理の面から見てみると、その結果の
中には、恨みや苦しみ等の念が一杯詰まった暗いものになっています。 結果を出す事も大事ですが、肝心なのは過程であり、
中身です。 仕事をやり遂げる際に、どういう想いで仕事に打ち込んだか、どういう理想を掲げて、自分自身をどの様に向上さ
せれば正しく力を発揮出来るのか等という事を信念として持っていたか。 そして、自分のする事は家族や友人や恋人
などを幸せに出来るのか、広くは多くの人の為になる事、社会の為になる事に繋がって行けば良いなと、そう思える人に
成長ていく事が人としての本分です。 色んな面で、その本分である自己理想を努力の末、自己実現されて行く方もいます。
他人の利益よりも、自分の利益を第一に考えていては、その理想を実現する事は出来ませんし、出来ても中身は真っ黒け
という事になり、残念ながら、あの世での判断は地獄行きとなる方が多いです。 特に、現代社会で名を残して
亡くなられた方の中にも、そういったケースが増えて来ています。 この世の物質社会の中で、利益主義、結果主義が
もたらす幸福という名の裏側には、そういった闇の想いが影響しているのです。 会社の中でも、仕事で結果が
出せないと直ぐに怒る上司がおられますが、部下がしてきた仕事の過程も判断してあげて、正しく叱ってあげているのかどうかで、
部下の気持ちや、やる気にしても大きく違ってきますし、上司と部下の信頼度にも大きく反映してきます。
部下の結果に左右されず、努力の過程を認めてあげられる上司、結果の良し悪しは結果としてありますが、努力を評価出来る心の
広さを持った上司の下では、部下の成長度は早いと思います。
それらの積み重ねが、その上司や部下の所属する課の発展から会社の発展、それが社会の発展にも影響してくるのです。
これは、自己の発展から家族の発展、縁のある人の発展から社会の発展へと繋がります。 正しい真理の考え方は
同じところに行き着きます。 また、大きな仕事を残すだけが偉いのではなく、まずは自分の与えられた環境で、自分の
能力を活かしながら努力して行く先に、自分の周りに幸せが広がっていくと思いましょう。 人生の中で、色んな困難が
ありますが、今の努力を神様は必ず見ていて下さいます。 頑張って努力精進する人には、必ず光が射し込んで来ます。 そして、その先には希望と発展と幸福が
待っています。 私の所で学んでいる人は、様々な悪影響から離れて、自助努力の大切さを知り、日々を自分の
ペースを保って頑張っておられます。 私は、そういう人も、今はそうでない人も、同じ様に真理を説きながら、
励まし導いて行きます。 今年も、残すところあと2日になりました。
それでは皆様、来年も真理の光の下に集い、お互いの人生を発展させて行きましょう。
今年も、一年間 ありがとうございました\(^o^)/
-2006年12月21日-
今日は、各家庭に置く「盛り塩」についてのリクエストがありましたので、気になる点からお答えしていこうと思います。
盛り塩は、置いた場所周辺の気を整えて清浄化し、悪い影響を与える霊的なものを祓う役割をします。
そういう意味で、家族が集まる場所や、心身を安定さす場所として寝室等に置くと良いですね。
また、外から帰った時に、体に憑いた霊的なものを家の中に入れない為にも、玄関先に盛り塩を置いておくと、
玄関先で祓えるので良いですよ。 それと、トイレは霊の溜まりやすい場所ですから、トイレの中にも1個置いて
おくと良いですね。 後は、鬼門(表鬼門、裏鬼門)にあたる場所にも置くといいです。 鬼門は、表鬼門が
北東の位置、裏鬼門が南西の位置で、どちらも線で結ぶと一直線になりますから、その線上は霊的影響の受け易い
場所(部屋)であると言えますし、霊の通り道とも言われます。 私の家では、家の土地四方に1個づつ、
各部屋毎にも1個づつ置いてます。 霊的影響のキツク出る部屋は、四隅に1個づつ、計4個置くと良いですよ。
そんなに影響の無いと思われる部屋は、1個で十分です。 皆様の中でも、お家に盛り塩をしている方が多いと
思います。 その中で、「盛り塩が溶けて、水っぽくなっているのはどうしてでしょうか?」等という
問い合わせのメールがあります。 それは、盛り塩を置いている場所に、霊的影響を及ぼすものが存在していると
いう事です。 だから、盛り塩が霊の気を吸い込んで浄化しているので、溶けてしまうんです。
これは、特に置いている場所が湿気ているからではありません。 我が家では、玄関先の外に置いていますが、
外の湿気を含んでも、溶けてしまう事はありません。 カチカチに固まっています。 お問い合わせの内容では、
お部屋の中に置いていても、置く場所を少し変えただけで溶けたり、溶けなかったりするそうです。
それも、霊は大抵、お部屋の決まった場所に潜んでいますので、たまたまその場所に置いた場合、溶けてしまうと
いう事になります。 でも、日々浄化して行くので、日を追う毎に各部屋の浄化が進み綺麗になっていきます。
あと、以前に「盛り塩は素人の方はしないように」という感じの事を書いたと思いますが、それは「盛り塩」は、
周りを浄化し、霊を祓う意味があるので、それをするという事は、自分達(霊)を排除する気だなと思う訳ですね。
だから、排除されたら行く場所が無いので、何とか居座ろうと悪さをしたり、応援(仲間)を呼んだりします。
また、霊が場所を移動したり、人に憑いたりします。 人間には、塩は盛れないですからね。
なので、盛り塩を置くという行為は、本当はすごく気を遣う作業になる訳です。
これには、普通の塩で作っただけの盛り塩では、あまり効果が出ないので、浄化の念、除霊の念等が入ったもので
対抗しないと、ただ置いてあるだけの物になっている場合が多いです。 霊は、念や意識体ですので、塩の浄化作用の
意味に、霊に対する、除霊・浄化の念を入れ込まないと駄目なんですね。 この世の人間に、塩を掛けても苦しまないのと同じです。
だから、霊には霊に影響を及ぼす専用の念を入れて初めて、その塩で作った盛り塩に力が入るんです。
ただ、浄化の意味で置く場合には普通の塩で良いですが、家や家族に霊的影響が出ている様な場合、念を入れた
お塩が必要となります。 念入れをしたお塩は、小袋に入れて持ち歩いても良いです。 舐めても、除霊の効果が
あります。 お風呂に入れても、除霊風呂になり、身体が軽くなる感じがすると思います。 これらは、私の所に
来てくれた皆さんが、よく試されてますね。 すごく調子が良いそうですよ。 今回は、リクエストにお応えして、
盛り塩について書いてみました。
-2006年12月7日-
このところ忙しさのあまり、このコーナーの更新も出来ずにいました。
今まで「ちょっと一言」を書く時間位は取れていたのが、最近は来訪者に加えて、毎日の電話相談と相談メールの
数も増えてきて、日々の仕事をこなしていくだけで夜中になってしまいます。
でも、それは何とか今後の工夫で対処して行こうと思います(*^^)v あまり更新の期間を開け過ぎると、
皆様からの「ご心配メール」が増えて来る事も判りました(^^ゞ 「先生、お身体は大丈夫ですか?」とか、
「ご飯は、ちゃんと食べてますか?」とか、「ちゃんと睡眠を取られてますか?」等といった内容が女性の方に多いです。
それも、やはり女性の方々の優しさが出ていて、ありがたいです。 男性の方々は、頑張れメールですね。
その中にも、女性の方同様、私の身体を気遣ってくれています。 相談者さんの中には、今まで自分の事しか考えられ
なかったのに、最近は他人の事も心配する余裕が出て来たし、人の気持ちが汲み取れる様に、いたわりの心が持てる様に
なってきたと言ってくれる人が多くなりました。 それで、私の事まで心配して下さる方々が多くなったんですね。
私は、今まで相談に来られた人達の為に、自分なりにその時点での精一杯の力を使ってきました。
そして今は、皆様のお心遣いに勇気を貰い、感謝しながら日々頑張っています。 本当に、ありがたい事です。
私も、皆様に助けられながら、また皆様の色んな悩みを解決していく中で、私自身も学ばせて頂く事が多く有ります。
「ちょっと一言」を楽しみにして読んで頂いている人からも、「忙しそうな感じですね、ゆっくり待ってますよ。
これからも楽しみにしています」という内容のメールも頂き、日本中の色んな地域の人から頂く、温かいお気持ちが
伝わって来て、パソコンの画面に向かって頭を下げている自分がいます。 自然とそういう気持ちになるし、
それが人として当たり前の行動であると思います。 私は、何時も特別な事は言っていませんが、人としての摂理、
心の大切さを説いていますから、私がそれを心掛け、実践している様に、皆様のお心にもしっかり伝わっているんだな
と嬉しく思います。 人を良くしようと思う人、人の為に力を使いたいと思う人は、まず自分の心を温かくしていく事です。
その温かさが、人の心を和ませ、癒し、生きていく上での希望と勇気を分け与えてあげる事が出来ます。
もう直ぐ、クリスマスの時期ですが、この時期はキリスト様の愛の光が強く多く降り注ぎ、サンタさんと子供の天使様が、
その愛の光の粒を各家にお配りになる時期です。 悩んでいる時や辛い時に、不満や愚痴を言う事は簡単ですが、
そんな時こそ、素直で温かい心を思い出し、心まで暗くしない様に努力しましょう。 心が暗くなると、身の周り
のもの全てに闇が広がってしまいます。 ちょっとした事にも、ありがたさや感謝する心があるはずです。
最初は、努力してそうしている内に、自然とそう感じるようになってきます。
そうなると、もう暗闇から半分以上は抜け出ているんです。 それに気付かないだけで、でもよく考えてみると、
以前より楽になった自分が居るはずです。 こうした事も、真理なんです。 真理は、生きていく中で、どこにでも
転がっている様に有ります。 それを、見つけられるかどうかです。 今日は、皆様に感謝している気持ちと、
それに関する事柄を書かせて頂きました。 久しぶりに、「ちょっと一言」更新できました。 皆様、ありがとう
ございました(●^o^●)