ちょっと一言。
-2007年4月18日-
今日は、この世に生まれる時の霊界での決まり事や、霊界の「生まれ変わり所」の様子などをお話しします。
どうも最近、赤ちゃんに関する問題や、出産に関する話題などが世間的に取り上げられていますので、お母さんのお腹の中にいる
赤ちゃんに、魂が入るまでにはどういった過程を経ているのか、またどんな想いでいるのかといった様な事を話ししようと思いま
す。 霊界には、魂の生まれ変わりを司る「生まれ変わり所」という施設があります。
ここには、霊界の様々な場所で魂修行を行った魂達が、もうそろそろ地上界に生まれ変わって、また新たな人生を送ろうかなと
いう想いで来たり、霊界の指導霊達に「お前は、そろそろ地上界へ生まれ出て、ここ(霊界)で修行した成果を試してきなさい」
等と言われて、仕方なく指導霊に付き添われながらやって来たりします。 霊界で穏やかに暮らす霊達は、地上界の制限された
世界よりも楽で自由なので、どうしても生まれ変わりをする気にならない魂達が多いのも事実です。
そういった様々な魂達が、生まれ変わり所には集まって来ます。 そして、生まれ変わり所の中に入り、自分の生前の行いと、
霊界に戻って来てからの修行成果等を総計して、それに見合う、この世での家庭環境や修行内容などを、ある程度決めたりします。
また、生まれ変わる側にも、生まれ変わって育っていく環境や、母親やその家族等に対しても、幾つかの希望を出す事を認めてい
ますが、それも魂の修行の成果によって随分と変動します。 生まれ変わりたい魂は、全て自分の希望どうりの環境に生まれ
出られるとは限りません。 今の時点で、魂の輝き以上の生まれ変わりの場所を希望しても、叶えられない事もあります。
これは、この世での進学や就職活動にも似ています。 自分の学力、能力以上の学校や就職先を希望しても、入る事は難しいの
と同じです。 ですから、生まれ変わりの時期を一旦諦めて、再度修行を積む為に出直してくる魂もいます。
でもある程度、生まれ出る環境や家族等が、自分の希望の範囲内であったりすれば、指導霊や更に上の神様に、自分の人生計画
を述べて認められれば、生まれ変わっても良いとの判断が下され、生まれ変わりの玉に乗り込みます。 これは、魂一人分の
大きさの光の玉の様になっていて、入ってしまうと気が変わっても出る事は出来ません。 ですから、皆真剣ですし、これから
本当に自分を無事に産んでくれるのか、生まれてから本当に計画通りやっていけるのか不安で一杯です。
そうしながら、自分自身の想いで決めた、将来自分のお母さんにあるであろう母親の胎内に入る為に、光の玉の中で、
霊界の記憶や能力を徐々に封じ込められていきます。 でも、全て封じ込められる訳ではありません。 お母さんの胎内に
無事に入り込めた魂は、10月10日の間で、霊界では大人の魂であったものが、本当の赤ちゃんの様になっていきます。
時々、生まれて数年の間は、霊界の記憶や能力が少しばかり残っている子供がおりますが、それも大人に成長するにしたがって
次第に消えていったり、軽減されていったりしますが、数パーセントは残っています。 ( 霊能力に目覚めた人や、霊能力を
発揮して活躍する使命を持つ人は、逆に思い出したりしますね ) 自分の母親も自分自身で決めるし、生まれ出る環境も、
十分に満足ではないかもしれないが、自分自身で決めた事なのです。
殆どの人は霊界の記憶を忘れてしまっているので仕方ないですが、生まれ出てから成長して、母親や家族や家庭環境に対して、
文句を言う事は、本来おかしいのです。 今の環境は、自分で決めて納得して出て来たんですから、その中で頑張っていく
事が、この世での修行であり、霊界では磨き切れなかった魂を磨く事が出来るチャンスなんです。 苦しい中で頑張るからこそ、
人間の器も大きくなり、苦しかった分だけ人に優しく出来たりするんですね。 そうして、魂の中に一杯良いものを詰め込んで、
また霊界へ戻って、また一段と良い世界へ生まれ変わって・・というサイクルを繰り返していきます。 これが、転生輪廻という
事でもあります。 まあ、こうして日々「生まれ変わり所」は忙しい場所なのです。
-2007年4月8日-
今日は、酷い悩みや恐怖や痛みは、心の執着となって、霊界へ持って行ってしまうので、成仏の妨げになるというお話しをします。
前回のお話の中で、人は生前の心の状態によって、戻る霊界の世界が変わってくるというお話しをしました。
今回は、心の状態が調和された状態の人でも、突発の事故や災害、無差別殺人等によって、急に命を奪われた人の魂は、あまりの
急な出来事に対して、死ぬ直前までの恐怖や苦痛、理不尽に殺されてしまった事に対しての無念の心などが、強烈に心に刻み込
まれてしまう為に、天国へ還る心の条件である、生前の努力によって積み重ねた正しい心や、調和の取れた心の状態に戻り、
本来還るべき世界へ戻る事を妨げる要因になってしまいます。
そうして亡くなられた本人の魂にとっては、本来なら命を全うしてストレートに天国へ還れる魂でも、酷い状態で亡くなった時の
恐怖や無念、苦痛等で心が一杯になった場合は、そうした時の気持ちを、そのままあの世に持ち越し、恐怖や苦痛の世界でもがき
苦しんでいたり、恐怖の叫びをあげていたりします。 これは、本当に辛い事です。 予期せずして、死んでしまうような
時の恐怖や身体の痛みは、本当に気を狂わせる様に襲ってきますし、無念の心は、この世でやりたかった事も許されなかった
不幸感、残された者への心配事や、もう二度と会えないという悲しみが、ますますこの世の執着となったりして、不幸感だけが
極端に強くなったりします。
結局、そういった強い不幸感が心の割合を多く占め、一時的ではあっても恐怖と苦痛が入り混じった人の魂は、どうしても天国へ
還る人の魂としての波長が合わないのです。 これは、本当に可哀想な事であります。
ですから、急な事故や災害などで命を絶たれた人は、普通に命を全うして亡くなられた人の成仏する日数よりも、どうしても
心の平静を取り戻すのに時間が掛かってしまうのです。 この様に、本来魂の全体の割合で見れば、天国へ還れる魂であっても、
亡くなる時の強い心の乱れが、そのまま魂としての記憶に刻まれてしまい、その乱れの割合が強く大きいほど、魂(心)の平静を
取り戻して、冷静な心になって自身を見つめ直す事(自己浄化)や、神仏へ心を傾ける事が難しくなるのです。
この、自身を見つめ直す事(自己浄化)は、反省業から自己発展へと心を向上させる事です。 これによって、心の闇は取り払
われ、魂は天国の波長と道通する事で、天国へ昇っていく事(成仏)が出来るのです。 この自己浄化と、それ(成仏)に
掛かる期間を、亡くなる時に恐怖や苦痛等が酷い場合、無闇に引き伸ばされてしまう事で、成仏の妨げになるという事ですね。
* * * * * ですから、生前に出来るだけ真理の知識を持って頂く事は、予期せぬ事態で命を落とし、闇の世界へ逝ったとしても、
心の底に真理の知識、真理の光が灯っていれば、「肉体時の苦痛は、死後、魂の苦痛ではない」という真理を思い出す事で、
心の平静を取り戻し、考えを改めていく事も何倍も早まるのです。 結果、早く成仏の段階へと進んでいく事が出来るのです。
* * * * *