神霊による人生相談

ょっ言。

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-2007年5月25日-
今日は、体内宇宙観についてのお話しです。   宇宙とか言うと、何だかとても大きな話しの様に感じますが、私のお話しする宇宙とは、空の上に広がる宇宙空間ではなく、 霊的空間という場の宇宙であります。  霊的宇宙というものは、地球上のあらゆる所、あらゆる物の中にも、どんな生き物 の中にも存在するものです。  根本神の想いの中で生かされている私達人間も、言い換えれば、根本神の中の宇宙に存在して いるという事になります。  そういった根本神の想いの中に創られた私達人間や、全ての生き物、全ての存在というものは、 必ず根本神の資質(神性)を兼ね備えています。  (神性は、人間や動物、鉱物等、様々な存在理由により分散しています)   根本神の資質というものは、人間の身体で例えるならば、それは一人の 人間の肉体を形成している体細胞と同じようなものであり、必ず有るという事です。  (私達の魂も、根本神の創造によるものです)   そういった神の資質を細胞に持つ私達は、神の子であるという事が言えます。   根本神の意識というのは、その細胞をつくり上げている分子群や原子達、その中には原子核があり、原子核は中性子や陽子から 成り立っており、そういった粒子を形成させている更に微小なクオーク体など、人間の体細胞の中には、まだまだ小さな小さな 粒子がありますが、その中の一つ一つに根本神の想いから出る光が内在されております。  こういった神の想いの詰まった 体内は、小さな粒子から大きな細胞、そして組織から肉体に至るまで、様々なものが互いに協力し合って、一種の体内宇宙を 形成しているんです。  小さな分子群は、宇宙においては無数の星々でもあり、細胞組織は銀河でもあり、内蔵は多数の銀河を 含む大星雲であったりするんですね。  原子や原子核一つ一つには、その原子や原子核特有の役割があります。   原子核は、我々人間のようでもありますね。  各自、それぞれの役割の中で協調しあっています。   それが寄り集まって、地球という場で命を輝かせています。  体内の内臓器官の中の小さな原子核も分子等も、 やはりその中で命の輝きを発しながら、それぞれに役割を持って働いてくれています。 (前回のお話で、臓器にも意識がある という事は、この大前提があっての事です)  そういう大宇宙を自分の体内に持ち、 そういった全てのものを統合している存在、それが人間です。  一人一人が神の子である人間は、神の想いである神性を 持つものであり、そういう人間を地球という場で成長させ、発展させていく事は、根本神の喜びでもあります。   自分の肉体的成長は、内臓諸器官の成長でもあります。   私達が、自分の肉体的成長を素直に喜べるのと同じですね。  この様に、体内的な霊的宇宙の場と、私達が住んでいる宇宙とは、 大体同じ様な事が言えるのです。  根本神から見れば、私達は顕微鏡の中の小さな生き物であり、私達は硝子盤にのっている 存在みたいなものです。  そして、私達が地球であると思っているものは、硝子盤の真ん中の一滴の水であるかもしれません。   そういった、連続した様々な宇宙観が感じ取れるのです。  もうちょっと大きなお話しでは、海の中という水中世界が地球 内であり、海の水から出た世界が宇宙空間という例えのお話もあります。  これは、もっと判り易く、世界観も広がり やすいお話しですし、神々の世界にまでお話しが広がるスケールの大きなお話しです。  先の顕微鏡のお話も、今の地球における 発展と衰退、気象や天災等という事を、神から見た目、地球的規模での計画等のお話しもあります。  また、いつか機会が あれば、お話ししてもいいですね。  宇宙観のお話しは、もっともっと深遠で、様々なお話しが出来ますが、今回は、 体内を宇宙に見立ててお話ししてみました。  


-2007年5月15日-
今日は、臓器にも意識はあるというお話しをしましょう。  全ての人間には、人間として生きていく為に必要な「臓器」という ものがあります。  そして、自分達の体内にある全ての臓器(胃や心臓や肺や腸など)には、それぞれの役割に合った 意識というものがあります。  胃や腸なども、身体全体を維持していくという大きな役目の一つを果たしながら、それぞれに 意識を持って生きています。  私は、自分の胃や腸等が弱ってきた時や病気にかかった時や、誰かの病気や怪我、神経的なと ころからくる不安定な症状を改善したりする時などは、それぞれの諸器官の意識に働きかけます。   簡単に言うと、こちらの意識を「念」として身体の中のに通し、返ってくる反応の良し悪し等で判断し、対処するというものです。   良くない部分の臓器に焦点を当てて更に念を送ると、臓器内部の弱っている部分などが情報として私の心の中に送られてきます。   それで、その症状を治すのに一番良い状態の光の波動を探りながら当てていきます。  そうして臓器内部も良くなっていくと、 その臓器全体のエネルギーレベルも上がっていきます。  そうなると、次第に身体の調子も元に戻っていくのです。   それとは別に、病気ではなく霊的な障害の作用により、胃が痛いという症状が出ていれば、 「胃の中に悪さをしているモノが居て、それを取り除ければ大丈夫だ。 特に病気で痛くなっている訳ではない」という意識を 拾う事が出来ます。   また、胃の意識が悪い霊的作用によって弱められ、胃としての意識を出せないでいる場合、もっと身体全体を統括している 意識体から情報が出る場合があります。  後は、除霊してから、先と同様に光の波動を当てていくと良くなっていきます。   現代医学では証明出来ない病気でも、強い霊的作用によって身体を痛めつけられている場合があり、肉体的に痛みや不快感等の 症状が出ている場合が多いのです。  その場合、いくらレントゲンを撮って体の中を調べても、お薬を飲んでも 霊に効くお薬も無いですし、レントゲンで霊は写りません。  こういう場合は、身体を調べた結果、何も以上無しと診断される 事が殆どで、時には精神的欠陥という種類の診断を下されるたりします。   また、臓器自体も人間の不摂生の為に苦しんでいる事も多いので、そういう時には、真理を学ぶ事によって本人の自覚を 促し、自分の臓器は自分の責任において管理していく、臓器は生命維持の重要な役割を担ってくれているという認識を持ち、 臓器に感謝の念を送り込んであげると、臓器自体の持つエネルギー量も増えてきて、悪い部分があってもそれ程悪くならずに、 いつの間にか治ってしまう事もあります。  これは、実際に何人からも聞いた事があります。  前にレントゲンに写って (腫瘍等)いたんだけど、今度撮ってもらって見たら、小さくなっていたとか、いつの間にか無くなってるね。等という話を 時々聞きます。  この様に、人間の意識も改善され、気の波動も良くなっていくと、臓器自体の働きも良くなり、 それが身体全体に行き渡る事で、自然と体調も良くなってくるのです。  これは、自分の臓器を思いやるという愛の意識が、 内臓から身体全体に行き渡る事で、自然治癒力をも促すという大きな働き(役割)をしてくれるのです。   自分の身体を大切に想い、たまにはお腹の中で働いてくれている内臓にも、「良く頑張ってるね!」とか、 「何時も無理させてゴメンね」等という気持ちを持ってあげるだけで、内臓もまた調子良く動いてくれるようになるのです。   そして、自分自身も暴飲暴食等せず、身体にも内臓にも無理を掛けない様にしようと努力実行していけば、更に健康は保障され ていくのです。  人間の体内には、内的宇宙観念があって、体内という宇宙の中に、臓器という諸器官の星々(惑星等)が あります。  次回は、体内の宇宙的観念についてお話ししようかと思います。     


-2007年5月6日-
今日は、前回、生まれ変わりの中で、主として生まれ出る事に関連するお話しをしましたが、今回は「死」と「成仏」に 関連するお話しをしようと思います。  この世で、自分の「死」を、ある程度覚悟して迎えられる人は幸せです。   自分の死を覚悟して死後の世界(霊界)へやって来た魂は、そんなに長い間迷う事無く「成仏」する事が多いからです。   自分の死を、心情的に受け入れられる時間が持てるという事は、人によって程度の差はありますが、死後の世界へ 導かれた時に、心に余裕を持って導きの霊の言葉を受け入れ易いという事です。  この導きの霊は、死後の世界に来たばかり で、行き場の判らない魂や、今後どうしたら良いのか判らない魂達を、正しい道に導く為に、あれこれと諭してくれたりするので 、来たばかりの魂にとっては、今後の自分の身の振り方や、心の調律の大切さ等を教えてくれるありがたい存在なのです。   ここで、死というものを真正面から認識していなくとも、最低でも自身の死を自覚している魂などは、先のありがたい教えを聞き、 素直に実践していく事で、この世の未練を少しずつ落としていきながら成仏の階段を上がって行く事が出来るのです。   こういう魂は、死後の成仏も早く、この世に残された人達が悲しんでいる間にも、どんどん成仏の階段を上がって行っております。   例えば、迷える魂(死を受け入れない、反省心が無い、あの世は無いと思い込んでいる魂など)が成仏出来るまでに 何十年、何百年と掛かる様な状態であっても、先の魂なら早ければ1年もあれば成仏されて、明るい世界で穏やかに暮らしています。   死後は、誰でもこういったスムーズな成仏の仕方をして欲しいものです。    成仏の階段を踏み外す事無く対応出来るという事は、自分の死を自覚認識しているか、また受け入れているのかという事が まず最初の段階で問われてきます。   自分の死を自己認識し、受け入れている場合は、先に述べた様に、直ぐに次の段階へ進んで行きますが、そうでない場合は、 暗く寒い世界で「自分はまだ死んでない」とか、「霊界なんてある訳ない」と頑固に思い続けているので、心に受け入れ態勢が 整わず、なかなか次の段階へ進む事が出来ません。  導きに来てくれた神様にでさえ、自分を惑わす者が来たと言って、 怒鳴ったり、聞く耳を持たず無視したり、ますます意固地になってしまう事もあります。  そうなると、余計に厄介な状態に なる事があるので、何とかして欲しいと思うところまで暫く放っておかれます。  こうして、なかなか成仏出来ない状態が 延々と続いてしまうのです。  この時間と言うか年数は、数年から数十年、長ければ数百年に及ぶものです。   私の所に相談に来られる人の中にも、昔の武士の霊を憑けて来る人もいますよ。  そういう霊は、400年位は迷っていますね。   もうそうなると、子孫の方も誰も供養とかはしてくれなくなるので、他人に憑いたりして何とかしてくれる人を探したりします から、憑かれた人は災難ですね。  
*この様に、自分で反省する心、現状を素直に受け入れる心、前向きな考えが出来ない 以上、自力での「成仏」はますます難しくなってくるのです。
この*印からの文章で、最後の方にある「成仏」の箇所を 「発展」と置き換えて読んでみて下さい。  この世における心構えとなります。  また、この世・あの世を通し、 「神理」というものは、同じものが流れているという事が少し判ると思います。