ちょっと一言。
-2008年1月28日-
今日は、普段気付いてないだけで、結構身近にある霊的場所についてお話しします。
霊的な影響を受けている場所(土地、建物等)は、普段の生活の中で気付かないだけで沢山あります。
今住んでる家やマンション、街中の色んな建物や道路上等、観光地等、様々な場所にあります。
土地には、昔からの因縁が絡んであると、霊的に強い影響を受けたりします。
例えば、昔は墓地であったり、何かの祠が在った場所であったり、戦で亡くなった人達が沢山眠ってる場所であったり、
そういう場所に家を建てたり、大きな建物が建ったりすると、そこに係わる人、利用する人、住まわれる人など、そういう人達
の中でも、特に霊的に敏感な人ほど霊的影響を受けてしまったりします。 これは、今までその土地を自分達だけの場所として
何十年、何百年と過ごしてきたので、無断で自分達の土地に侵入して来た者として排除し始める為です。
悪い考えを持つ霊は、自分の苦しみを人に憑く事で晴らしている霊もいます。 人に憑いて、その人に自分(霊)の苦しみを
味あわせる事で、霊は一時的に苦しみから逃れられるんです。 まあ、霊にとって都合の良い獲物を見つけたようなものです。
また、霊達の中には、自分達の苦しみを何とかしてほしい、またその苦しみを判ってほしくて人に憑いたりしてきます。
そうなると、人間の方は普段の生活にも支障が出てきます。 病院は、病気等で亡くなった人の魂が残ってたりしますし、
道路上でも、自己で亡くなった魂が道路脇から見ていたりします。 だから、道路上の事故で亡くなった人に花束を供えてる
のは、暫くの間だけにしておく方がいいです。 道路は墓場ではないので、亡くなって暫くしたら、お仏壇か、お墓に参って
お花を供える方が良いんですね。 でないと、亡くなった者の魂は、自分の亡くなった場所(道路)に、お友達や家族などが
来てくれるので、ちょくちょく来ないといけなくなるからです。 それで、その場所で命を落としたという悔いは残っているので、
段々と道路から離れられなくなってしまい、ついにはそこから動けなくなってしまうんです。 そうして、やっぱり寂しいから
仲間を呼ぼうと、その周りに同じ様な霊が集まってきたり、新しく事故を引き起こしたりして、段々と事故のよく起こる心霊スポット
になったりするんです。 観光地も、楽しい場所だから大丈夫とは限りません。 遊園地とかも、子供の霊が生きてる子供と
一緒に遊んでいたり、一緒に記念写真に写ってたりします。 生きてる時に来て遊びたかったという無念の想いがそうさせて
います。 また、生前の記憶で、遊園地がすごく楽しかったから、いつもそこに居たいという念があれば、そこに居るという
感じです。 街中では、人間の数だけ霊も居るのと同じです。 デパートにも、電車内にも、霊は居ます。 人間は悩みや
苦しみや、色んなものを抱えていますから、生きてる人の発するマイナス波動に感応する霊も沢山居るという事です。
人混みで憑かれるという現象は、どこか人混みの中で霊と知らない内に、自分の出してる波動に霊が感応してしまったという事です。
そうして霊と一緒に家まで帰ってくると、そのまま部屋に上がり込んで来て、その人と一緒に暮らすという事になります。
でも、人間の方も、気分を変えてリラックスしたり、自分の好きな事でストレスを発散しているので、憑かれたとしても、そう長くは
憑いてられなくて離れて行ってしまいます。 これで、何か気分が楽になったな〜って感じていたりするんですよ。
悩みが長く続けてたりすると、霊と感応してる期間が長くなり離れにくくなるので、適度にストレス発散して気分を軽くするとか、
悩み事の分類をして、出来る事から対応していけばいいや〜って地道に進んで行こうとするだけで、マイナス念の塊の霊から離れる
事が出来ます。 その時には出来ないと思えるものでも、出来る事を続けて行くと、「今なら出来るかも!」って思える様になる
よ。 霊的な場所は身近に沢山あるけど、心の向きさえしっかり前を向いて進んでいれば、霊の方も、この人とは一緒に暗く
ジメジメ考える事が出来ないなとあきらめて、もっと心の暗い人に乗り換えようと離れていきます。
そういう真理の法則を上手く使えば、憑かれる事も無く、憑かれても離れていくので、しっかりと自分の道を進んで行けますよ。
-2008年1月17日-
今日は、「知的に障害がある人の魂は、どのように修行し、成長するか」について、お話しして欲しいというリクエスト
がありましたので、私なりにお話ししてみます。 まず、知的障害というのは、肉体器官だけの問題であって、魂までが知的障害を
持って、迷ったり苦しんだりしている訳ではありません。 元来、魂は健康なのですが、肉体的に障害を抱えているので、健康で
自由な魂の境遇からすれば、何とも不自由な感覚を持って過ごしています。 障害のある人の魂からすれば、この様にしたいとか
思っていても、身体に表す事の出来る表現力や意思の力は、自分の思っているものの半分も出てない事が多いです。
しかし、そういった中でも自分の境遇を否定せず、逃げずに今の状態を全面的に受け入れようと努力していく事で、日々の生活の中
の中にも、新たな楽しみを発見したり、自分の隠された能力を発見したりして、生きていく中に期待と喜びも沸いてきます。
それは、健常者の時や、一般の健康な人では味わえない、人間としても、一種の高みの様なものに上りつめていく喜びであったり
します。 様々な障害を持たれている人ほど、障害の無い普通の身体を持っている事自体が、どれだけ幸せな事かを、
一番身に沁みて感じ取っています。 ただ普通に生きる、普通に考える、行きたい所へ自分の意思で行ける等という、当たり前の
事が当たり前に出来ない苦しさや、その感情さえ自由に表現出来ない苦しみもあります。 苦しみは、苦しみとして避けられない事
ではありますが、そこで嫌になって投げ出していても苦しみから開放される訳でもなく、それらに心が潰されない様に全て受け入れて
しまうのです。 全て受け入れて、「これも良し」と自分の人生を受け入れる事で、それ以上の心の苦しみは、何故か遠ざかって
行く様になるのです。 そうした時に、それまでの不自由で不満であった人生の中に、希望の光が見えてきます。
人は、自分の今の現状を受け入れ、辛くても努力していく過程に、魂の輝きが出てきます。 知的障害で、しっかり考えられないと
人は思うかも知れませんが、本人の頭の中には、物事をちゃんと理解しているんです。 ただ、その表現が上手く出来ないから、
相手に伝わり難いだけです。 周りの人も、知的障害だから言っても判らないだろうからと、言わないでいたりする事が、
障害を持つ本人にとっては、苦しみの一つになっているんです。 ( 植物人間となり、身体を動かす事も出来ず、意思の疎通も出来
ない状態の中で、家族の励ましの言葉に涙を流して応えるという事実もあるくらいです。しっかり、魂(心)で聞いているんですね )
自分の境遇を受け入れ、生きている自分の体の動く範囲、考えられる範囲で、表現出来る範囲で、人には頼るかも知れませんが、
家族や応援者の力を借りて、明るく元気に、趣味や仕事に精を出していると、その中で新たな喜びや、可能性を発見出来たりする
んです。 新たなる自己の発見は、自分の中に隠された性格や、案外忍耐力があったなとか、今まで気付かなかっただけで、
こういう素質があったんだなとか、色々な新鮮な驚きがあります。 そういう経験は、魂の成長・発展からしても、とても大事な
要素です。 そうして、知的な障害であっても、その人なりに人生を明るく生きる事も出来ます。 それは、最大の魂修行で
あり、転生輪廻の過程から見れば、来世は立派な人物として、明るい未来を自由に生きる事が出来ますし、多くに人を幸せを与える
人として転生するでしょう。 また、明るく素直に一生懸命に頑張っている姿に、仏の姿を垣間見る事もありますし、健常者の心に
勇気と希望を与える事もあります。 知的な障害はあっても、今を受け入れ、素直に努力する姿勢、明るく生きようとする姿勢、
その中で自分の可能性を見出していける様に頑張る気持ち、これらの事柄を根気よく続けて行く中で、魂は輝き出し、人間として
魂としての発展があり成長があるのです。 希望の光は、自分の中にあるんですよ。
-2008年1月5日-
あけまして おめでとうございます(^−^)
昨年も、ちょっと一言をご愛読頂きまして、ありがとうございましたm(__)m これからも「ちょっと一言」の中に、真理の光を
見つけ出して頂ける様、出来るだけ更新していきたいと思いますので、本年も どうぞ宜しくお願い致します。
今回は、「ちょっと一言」の中で お話して欲しいというリクエストとして、神棚やお札を設置する際に北向きにしないのは、
何か理由があるのでしょうか?というご質問がありましたので、私なりにお答えしようと思います。
自宅に神棚やお札を設置する際の注意点として、「北向きは駄目ですよ」と言われる事が多いと思います。
それは、神棚が北を背にして南向きや、西を背にして東向きの位置や、北西を背にして南東向きの位置に神棚をお祀りすると、
日の出からお昼までの太陽の「陽の気」が昇っていく時間、神棚にお祀りされている神様が、神聖な太陽に向かうという事で良いと
されています。 これが、北や西を向いていると、太陽に向かうというより、太陽を背にして影になっているという具合になるの
で、よくないと言われていると思います。
日本の総氏神様である天照大神様は、神聖な太陽を例にとって表すことが多く、神棚に祀る天照様や、神々様が、太陽に向かうと
いう事が良いとされているのもあると思います。
また、「北東の表鬼門」から「南西の裏鬼門」に向けて一直線に結ぶライン上には、神棚を設置しない方がいいと思います。
そういう霊的な影響が強い場所や方角に、神棚を向ける事も控えておく方が良いですね。
神棚は、家の中心のお部屋や、その近く、人間の目上の高さにお祀りし、神棚の下を通り抜ける様な場所(ドアの上等)は
控えましょう。 でも、あまりシビアに考えない方が良いですよ。 方角は良い場所でも、普段から手を合わせなかったり、
信仰心が無ければ、神様はお社の奥へ引っ込んでしまわれるので、お祀りしている意味がありません。
お家の間取りの事情で、あまり良い位置に設置出来ないとしても、日々の信仰心を絶やさず、家族で手を合わせる気持ちを持って、
明るく過ごそうと努力していれば、その家は神棚に祀られている神々様の光で満たされる家になります。 神棚の神様を敬い、
皆でしっかり祀ろうとする人間の心が一番肝心なんです。 神棚を祀る方角は、絶対に○○の方角でなければいけないという
決まりはありませんし、出来れば、昔から良しとされている方角へ向けられた方が良いですよ、という事ですね。
また、神棚の板の上にお社を置く時に、出来るだけ良いとされている方向へ、お社の向きを移動させるのも一つの手ですよ。
以上、こんな感じでご理解して頂けましたでしょうか(^−^)