神霊による人生相談

ょっ言。

前ページへ戻る


-2008年2月27日-
今日は、お経を唱える時の注意点についてお話しします。   霊的影響で悩まされている方や、先祖や神仏に対してお経を唱えている方は多いと思いますが、その際に気に掛けて頂きたいのが、 誰に対してお経を唱えているかという事です。  神棚やお仏壇があって、そこに向かって唱えているなら良いですが、もし、 お部屋に霊が寄って来て怖いからだとか、誰に唱える訳でも無く唱えてる とか、実際にお経を唱えるのは面倒だからとかで、お仏壇の前でテープに録音されたお経を流してるとか、そういう場合には、 近くに居る霊が寄って来てしまうので危険ですから止めた方が良いです。  お経を唱える時には、誰(先祖等)に聞いて欲しいのか、 誰の為に唱えるのかという事を心の中で決めてから唱えないと、お経の声は相手に届きません。  ただ流れてるだけのお経となりますので、 家の周辺に、お経も唱えてもらえない霊とか、土地の霊(動物霊や地縛霊等)が、あそこの家の人はお経を読んでくれるから、 自分達もあの家に棲んで毎日お経を聞いていよう等と思ってしまい、実際に霊を呼び込んでしまっている様なケースが多いです。   お経を唱える人は、霊から身を護る為にと思って一生懸命に唱えているのですが、供養もされないで寂しがってる霊の方は、 お経を唱える人や、その場所(家やお部屋等)に、引き寄せられる様に寄って来てしまい、そこに霊達の棲家(不成仏霊の霊的世界) をつくり上げてしまいます。  それは、お経を唱える際に、誰に対して唱えるのかという心の決め事をしていない為に、お経を 念として送り込んでいないからです。  だから、街中でスピーカーからお経を流し続けるようなものと同じで、誰でも (どんな霊でも)聞いてしまうというより、聞こえてしまうのです。  だから、結構遠くからでも霊は引き寄せられる様に寄って 来てしまいます。  自分は、お部屋の中で唱えてるつもりでも、そういう声は霊的世界に無秩序に広がるので、距離に関係なく 流れていきます。  でも、先祖の為に唱えるという気持ちで唱えたお経は、念波となって先祖にだけ向かって流れていくので、 周りに筒抜けになってしまう事はありません。  テープに録音されたお経を流している場合、機械から流れるお経は、人間の様に 「誰々に唱えます」という意識が無い(機械なのでね)ので、誰でも聞いてくださいという事になってしまってます。   だから、聞きに来ても良いという認識を、不成仏霊は自分勝手に持ちます。  不成仏霊が集まると、そこが心霊スポットとなり、 お部屋の中が霊の集まり場所となってしまうのです。  そこで、お供え物や線香等をあげると、余計に離れなくなってしまうので、 よく注意しておく必要があります。  なので、神棚やお仏壇がある場合は、その前でお祈りすると大丈夫です。   先祖のお仏壇が無くて、神棚がある場合には、神棚の神仏に向かってお祈りしてから、今度は先祖にお経を届けてくださいと、 心の中でお願いしてからお経を唱えると良いですよ。  そうすれば、神仏を通して、先祖にお経を届けてくださいますので、 先祖にお経を唱えているのと同じ効果がありますし、何より一番安全です。  また、神仏の力を通して先祖に届くので、先祖にして みれば、とてもありがたみのあるお経となります。  これらは、世間的にも意外と知られていません。   また、般若心経は、ご先祖が成仏していく過程の中で、大切な心の向きを教えてくれるお経ですので、唱えるには良いお経です。   そして、中身を少しでも理解して唱えた場合、お経の難しい言葉が流れる中で、理解した分だけ、お経の意味が同時通訳となって お経と一緒に流れるので、聞いている先祖の理解も進みますので、成仏するキッカケとなります。  ああそうか!とか、 だから私は、まだこんな暗い世界に居るのかとか、そういう心境にならないといけなかったのか!という様な事が、自力では出来 なかった悟りでも、般若心経の お経を通して悟っていけるんです。  悟り=気付きですから、まだ自分の執着の残っている部分に気付くという事は、反省する 余地に気付くという事で、それを改善していけば成仏の道が開けるという事です。  お経は唱える側の気持ち次第で、相手に届いたり、 更により判り易くなったりするという事です。  以上の点に注意し、お経を唱えるようにすれば、さらに良いお経と なると思います。  (これらの事柄は、真理の法則に遵ってますから、正しく実行すれば、お経に大きな力を宿せますよ)


-2008年2月19日-
今日は、信仰や供養を続けていく中、供養をしていこうとする時に、どの様に指導して頂ければ良いのか、多くの方々が悩むと 思いますので、どう見極めていけば良いのかというお話ししようと思います。  今までに、信仰とか、供養とか、宗教的な事に対し て、あまり感心が無かった人が、原因の判らない病気や、精神的な悩みから抜けられなくなったり、実際に霊的な現象に遭ったりとす る中で、これは身体の不調や、単なる偶然の重なりでは無いという事で、どこかの宗教家や、お寺等で原因を見極めてもらったりする ような事があると思います。  そういう時に、先祖の供養が足りないから、原因不明の病気になってるのだ等と言われると、 今まで放っておいた先祖を、急に供養し始めたりする様になります。  これは、これで良いのですが『何故、供養すると良いのか』 とか、『何故、供養すれば自分の病気が治るのか』という様な疑問が、必ず出てくると思うのです。   その疑問を納得いくまで説明してくれる人、またその様にしようと努力してくれる人に頼むと良いと思います。   今起きているものに対しては、必ず原因というものがあります。  その原因を改善しないでいると、悪い結果となって表れるの です。  原因は、結果を表していくのに、必ず相応の『理由』というものを持っています。  そられの関係で、この世的にみたら 原因や理由の判らない事で、悩んでいたり、原因不明の病気になったりしているのです。   また、今上げた事柄は、先祖等の『供養される側』の気持ちや、意思(原因や理由や結果)というものに当てはまるものであり、 それとは別に、供養する側の気持ちや意思というものを、見直すことも大切です。   何故、自分達は先祖の障りを受けなければならないのか?という疑問を持てば、それには、普段から先祖を供養してないとか、 今までに供養などはした事が無い(これは、親がしていないと、子はしない事が当たり前になる。それが代々続くと先祖の障りが 出やすくなります)とか、お仏壇にお供えをした事が 無いとか、まあ色々とあるものです。  生きてる時に先祖を敬い、供養をきちんとしてきた人は、亡くなってから、先祖が迎えに 来てくれたりして、ありがたいな〜と感謝して天国へ上がっていけますが、先祖を蔑ろにしたり、供養をしないまま生きてきた人の 魂は、先祖は形式的に姿を現すだけで、道案内もしてくれません。  そういった事になるから、これからでも良いから、自分達 (先祖)の供養をして欲しいとか言ってきたりするんです。  先祖も、やはり暗い中で迷っていて、道を照らして欲しいと 願っているのです。  そういう事で、子孫に何とか判って欲しいと行動を始めると、それが霊障害となって子孫に降りかかって 来るのです。  だから、先祖を供養し始めると、気分も軽くなったり、病気が改善していったりするのです。   そういう原因と結果が繋がっているのです。  悪い結果が出てしまっている場合、必ず、そうなる原因と理由があるのです。   これらの相互関係を、しっかりとお話ししてくれる方(霊能者や宗教家、お寺等)であるなら、まず信用されても良いと思います。   その次に、正しい霊能力を身に付けている方となります。  これは、お祓い等をして頂いた時に、心が温かく穏やかな気持ちに なったり、身体もポカポカと温かくなったりするのであれば、大丈夫だと思います。  神仏等の高級霊に指導されると、 エネルギーの度合いが高いので、視界が明るく感じる様になったり、身体が温かくなったりします。   指導してくれる方が、霊能力を身に付けていなくても、人として尊敬できると思える様な人や、そういう生き方が正しいのだと 思えるような指導と人生観を持っている人だと思えるなら、きちんと原因も理由も説明してくれる筈です。     そして、今後はどういう気持ちで信仰を続けていけば良いのか、自分の直すべき部分(偏った考え方等)を指摘してくれて、 それらを少しずつ改善しながら、信仰も供養も続けて行くと、先祖も自分達もお互いに良くなります。   宗教に縋らなくても、正しく生きていける人であるなら、それで良いと思います。  でも、信仰を深め、神仏の気や指導を 頂きながら、幸せに暮らしていく中で、他人にも幸せを分けてあげる気持ちを持って生きていく方が、魂的には、より高い水準で ある事は確かです。  正しい宗教観を持って生きる事は、正しい心の向上に努めながら、皆で活かし合って生きる事です。   生きてる人間が善くなると、先祖も成仏の段階が上がります。  そしてお互いに感謝の気持ちが表れてきます。   そうなると、神仏の気の波動と近寄ってくるので、神仏の気を受けやすくなりますので、運気も上がってきますし、病気の治りも 早まったり、人間関係も円滑になる等、自分では引き起こせない様な良い影響(他人の助け等)が、周りの方から出てくるように なります。    しかし、全てにおいて先生の言うとおりにしないと直ぐ怒るとか、霊を祓ってくれるから、我がままな先生でも我慢しているんだ とか、霊障害の理由を聞いたら、理由を聞く必要は無いとか、そんな事を聞くなとか言って怒り出すという様な先生もいる様です。   大抵、原因の理由を聞くと、うっとうしがられたり、お経を読めば治るとか、お布施を積むほど治りが早いとか、修行を沢山する ほど早く治るとか言われたりと、そういった心身の負担になる様な、新たな悩みを持たない為にも、よく見極めておく必要が ありますので、これらの事柄を少し心に留め置いて頂けると良いかなと思います。


-2008年2月11日-
今日は、宗教を信仰していく時に発生してくる、悩みや考え方について、私なりにお話しします。   皆さんの中でも、宗教を信じているとか、信仰をしているという事を言った為に、家族や仲間から変な目で見られたり、 疎外感を持たれたりする時が、何度かあると思います。  そういう時は、「宗教の教え(心の教え)が無くても、人としてしっかり 生きていける人は、特に今直ぐには必要としないものでもあるよ」と言っておいても良いと思います。   でも自分は、いろいろな人生の問題の中で悩んだり考えたりしているなかで、それらを乗り越えた来られた、昔の宗教的偉人の正しい 教えを学び取り、問題を解決していく智恵や力も授かりながら、悩みを乗り越え、自分自身を向上させていこうという心を持って、 堂々としていればいいです。  その内に、宗教や信仰をしているというだけで、変な目で見ていた人や、信用して くれなかった人も、一年や二年後には、あなた方と同じ様に信仰の大事さを知って、信仰の道を歩んでるかも知れません。   これは、実際にそうなる事が多いですよ。  私の所に来られる方々でも、最初は誰にも聞いてもらえなかったり、話しても信じて くれなかったりして、結局は内緒で独りで来られていても、こちらで話した内容を実践していく内に、普段見ている周りの方々から 「何だか明るくなったね」とか、「考えがしっかりしてきたけど、何かやってるの?」とか聞いてくるようになります。   そして、真理の話を聞いて、気持ちも身体も楽になり、希望も出て来たとか、マイナスな考えが減ってきたら、嫌な気持も減ってきた し、周りの環境も少しづつ改善されてきたよとか、楽しそうに話していると、私も一度聞きに行きたいという事になって、お友達と 一緒に来られる方や、両親を連れて来られる方、 会社のお友達を連れて来られる方等、最初は周りのお友達も「宗教」って危ないと思ってたけど、皆でお話ししている内に、 正しい心の教えに触れる事は、人間として正しく成長し過ごして行くには、とても大切な事だと理解して頂けるようになります。   そして、案外、最初に連れて来てくれた人よりも、後で疑問を抱きながら、ただ付いて来ただけの人の方が、真理の話を聞く内に、 とても熱心な信仰心を持たれ、信仰の道(光の道)を歩まれる場合もあります。   人間って、そういうものでもあります。  だから、今は、お友達やご家族の方の中でも、神仏や霊的世界なんかは信じてない人が 居るかも知れませんが、あなたの明るく生きる生き方や、物事を前向きに考え、大きな苦難を小さな苦難として乗り越えられる 力を見ている内に、信仰って、「心の学び、希望の光」なんだな〜って思ってもらえる日が来ますよ。  他人を変える前に、 まず自分を変え、自分を良くして行きましょう。
  人は、悩み苦しんだ時に、どうして生きていけば良いのか、自分の壊れかけた心を、どう対処して、どうやって改善していけば、 この苦難を乗り越えていけるのか、それぞれ思い悩む時があると思います。  長い人生の中で、必ず一度や二度は起きてくるような 人生観を伴った悩みは、友人等に相談してもハッキリした回答が得られない場合が多いです。  大抵、身の周りにいる、 自分と同じ位の年齢の友人等に相談する場合が多いと思いますが、余程、しっかりした人生観を持っている方でないと、 気にし過ぎだよとか、大丈夫だよとか、頑張ろうねとか、そういった言葉で励まされて話しが終わりになってしまう事が多いです。   また、人生の先輩である会社の上司とか親とかに相談しても、生き方や、悩み(病気や対人関係、ストレス等)その中でも信仰に 対する悩み、霊的な影響からくる悩みや考え方については、人生の先輩であったとしても、的確なアドバイスを与える事は難しいと 思います。  そういう事を知りたい時、教えて欲しい時に、偉人達が残してくれた宗教観の中から、悩みを克服するアドバイスや、 普段からの心の持ちようなどを学び、希望の光を受けて、自分の人生の発展に活かしていってくださればと思います。