神霊による人生相談

ょっ言。

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-2010年8月28日-
今日は、霊界の西岡学校で行われた地蔵盆のお話です。   今月、8月23日と24日は、お盆の月とお地蔵様の御縁日の24日が重なる日という事で、地蔵盆という日に当たります。   西岡学校では、23日から、お地蔵様達や、その他の神様仏様達が沢山集まられ、御祭りが行われました。   地蔵盆は、近畿地方(特に京都・大阪・滋賀等)が特に盛んな地域行事としての御祭りで、町内や町ごとに祀られ、住民や子供達を 守護するお地蔵様と、その地域に住む子供達が一緒に祝うお祭りです。  お祭り当日、お地蔵様の前には沢山のお供え物が並び、 周囲には屋台が幾つか出たりします。   そんなお祭り会場みたいになったお地蔵様の所へ、地域の子供達が集まり、福引やゲームをしたり、綿菓子や、たこ焼や、 色んなお菓子を食べたり、ジュースを飲んだりしながら、楽しくお地蔵様と一緒に過ごします。( 関東方面では、地蔵盆という地域行事は、あまり行われないらしく、試しに聞いてみても、知らない人が多いのでビックリしました)    西岡学校にも、立派なお地蔵様になる為の修行をしている子供達がいます。   我が家では、その子達の事を「子地蔵さん」と呼んでます(^−^)♪   ツルツル頭で、わらじを履いた、アニメの一休さんみたいな可愛らしい子供です。  頭がツルツル♪子地蔵さん♪って歌いながら、 自分の頭をペタペタ叩いて、ご機嫌な調子で出て来たりします。  お祭り当日、西岡学校の周辺には、沢山の灯りが 点り、夜店や屋台が沢山並んでいて、お地蔵様と一緒に、西岡学校の子供達も楽しくお菓子を食べたり、ゲームをしたりして楽しんで いました。  霊界では、この世と違って、本当にお地蔵様と一緒に過ごす事が出来るんです。  盆踊りでは、お不動様や観音様など の仏様達も、お地蔵様も、子地蔵様も、西岡学校の子供達も、皆一緒に輪になって踊っていました。   お不動様は、相変わらず、お酒飲み友達の仏様と一緒にお酒を飲んでいて、ご機嫌な様子でしたよ。   お地蔵様は、いつも出て来られる時、持ち物である長い錫杖を手に持って、シャンシャンと音を鳴らしながら出て来られます。   御祭りの日も同じ様に出て来られて、他の神様や仏様にお酒を勧められ、錫杖を片方の肩に当て、柄の部分を脇に挟んで、赤い布を 敷いた台に座って、お酒を飲んでました。  観音様や天女様達は楽しそうに踊ってました。   もっと大きな神様達は、西岡学校の遥か上空から、空一面の大きな顔を覗かせて、ニコニコと微笑んで子供達の楽しそうな様子を 見守っていました。   それと、お祭りの会場に集まってくれている屋台のおじさんとかは、子供が好きで心の綺麗な方々や、上位の霊界で修行されている 方々が、御祭りや行事等があると協力してくださいます。  また、神様が姿を変えて、子供達を喜ばせている場合もあります。   西岡学校では、お花の好きな方は、学校の周りに花壇を造って、お花の世話の仕方を子供達に教えてくれています。   生前、お百姓さんだった方は、霊界でも水田で米を作っていたり、畑で野菜や穀物等を作って西岡学校の給食にと提供してくれて います。  皆、人の喜ぶ事を自分の喜びとし、人の助けを当然の行為として、皆が満足して働いています。   そういう方々に護られた西岡学校の地蔵盆のお祭りは、神様や仏様や協力者さんや子供達が、それぞれに楽しんで過ごされていました。   西岡学校の子供達は、私の生活する、この世の時間に合わせた時間体制を取っておりますので、この世の私の生活時間帯が夜になると、 西岡学校の霊域の時間も夜になります。  なので、子供達は夜遅くになると寝てしまいます。  後は、大人の神様や仏様達が、 夜通しお酒を飲んだり、楽しく喋ったりしながら過ごされます。  まあ、お不動様は、お酒の一升瓶を抱えて明け方まで寝てたり しますけどね(^_^;)  こうして、西岡学校の地蔵盆は、皆が楽しく2日間を過ごして終わりました。   心が素直で、悪い執着が無く、満たされ調和されている魂は、この様な楽しい時間を霊界で送る事が出来るんですね。  


-2010年8月15日-
今日は、『普段からの気持ちのコントロールの仕方について知りたいです。』というリクエストがありましたので、そのお話をします。   普段、これといった悩みや、ストレスや、霊的悪影響が無い場合、特に気持ちのコントロールを気に掛けて過ごす事は滅多に無いと 思います。   でも、そういった平坦な日常の生活の中でこそ、気持ちのコントロール、精神的な平穏を保つにはどうしたら良いのかを探って おく必要があるのです。   何かのタイミングで、そこからしんどくなってしまってから、気持ちをコントロールしようと頑張ってみても、気持ち(心)は、 マイナス方向に引っ張られていたり、歪んで偏った考え方に陥ってしまっていたりで、いけないと分かっているのに、そう出来ない というような自分がいたりと、正常な考え方や気持ちを持ち続ける事が、とても難しくなってしまいます。   これは、会社経営等で言われる「危機管理」と同じで、それを自分の心身の状態に捉えて考え、その時々の不安定な心身状態の 原因に逸早く気付く事で、早めに対処出来る様、心身の「危機管理能力」を、普段から気に掛けて磨いておく事です。   それは、普段の気持ちの余裕がある時に、自分自身を過去から今現在まで客観的に見直していく事で、気持ちが低迷しそうなった時、 自身の陥り易い気持ちや考え方の傾向性を、ある程度把握できますので、自分の弱点を再認識したり出来ます。   次に、それらを克服していけるようにするには、どう気持ちを引き上げていくか、気にし過ぎる部分があれば、気持ちの拘りを 流せる様にとか、考えても行き詰る時には良い答えは出無いものと、気分を変える意味で、気分の良くなる事をすると良いです。   少し開き直って、自分の意思で心に余裕を持たせる位の方が、自分を客観視しやすくなるので、真理の教えからヒントを得たりして、 手を付けやすい部分から改善していけば、心に余裕を持って判断していけます。   しんどい時の真っ只中は、自分が良い方向へ進んでるのかも分からなくなる事がある ので、出来るとこから崩していく事さえしていれば、また不安な気持ちに負けずに過ごしてれば、ちゃんと進んでるんですよ。   (ただ自分で自覚出来ないから不安なだけですが、神様の視点から見たら、ちゃんと進んでるんです)
  問題事が起きた時、今までの自分はこうなっていく傾向があるなと、自分の辿るであろう道のりを客観視していくイメージトレーニング をしながら、あれこれと対処方法を自分なりに考案しながら、そこに真理の教えを当て嵌めていきます。   気持ちの余裕がある時に、前向きな考え方はとり易いので、マイナス方向に引き込まれそうな感覚や考えが出てきた場合、直ぐに、 その考えを切るという事をしてから、自分の心理状態を客観視してみると、今の自分の心の、どの部分に付け込まれたかが、案外と よく分かる事があります。  分かり過ぎて、自分の嫌な部分を見ない人、避けようとする人がありますが、それは何時まで経っても 自己の問題点を改善出来ないでいるので、楽にはなりません。  楽になりたいと言って来ても、そこを指摘すると、それは出来ない とか、それは仕方ないとか言って避けてしまうと、自分の心の壁に隔たれてしまって進む事が出来ないんです。
   まず、自分の考えに落ち度が無かったか反省(自分をかえりみる)して、自分の弱点を見極め克服しようと努力する。   (そこに、苦から脱出する進歩発展が生まれます)   そうして、自分は、こうなりやすいタイプだったと自分を知る事です。   怒りやすい、短気である方ならば、その部分が狙われやすいので、そこに入り込まれると、些細な事でカチンときて、話は聞けなくなる し、直ぐに怒りの感情が湧き出てきます。   言いたい事を言えない方ならば、ストレスから段々と独りの世界に入り込み、鬱になりやすいです。   霊的な悪影響を受け易い方は、霊界の法則(心のマイナス部分に影響させられる)を知り、それに対処していく方法を学ぶ事で、 霊的な事に対して不安や恐怖心を省いていきます。  (不安は、不安を呼び、さらに恐怖を呼んできますから、マイナスな気持ちは、 持つと自分自身が損なだけだと割り切って、流せる様にしましょう。)  これら、自分を知るという事は、自分を助ける事でもあります。   自分を知れば、気持ちのコントロールもやり易くなります。   案外、自分を知ってるようでいても、他人に言われて初めて自分の本質を知るという事もありますから、よく自分を知っておく必要が あるんですよ。   自分は、どの様な考えを持つ傾向があるか、どういう事(場面、言い方等)に弱いか等、自分はどの様なタイプの人間か、ある程度 知っておく事です。   そこから、真理の学びや教えの数々を、自分の生活の中に落とし込み、照らし合わせて、日々の気付きの部分からでも、適切で正しい 方向へ日々修正していく事が、普段から気持ちのコントロールをしていくという事なんですよ。  自分を良く知る人から、何だか 最近明るくなったねとか、表情が穏やかになったねとか言われたら、日々の努力から、一回り大きく成長してる自分がそこにいるん ですよ。   イライラせず、ゆっくり、淡々と進んで行きましょうね(^−^)v  


-2010年8月1日-
今日は、霊界での念の力(想いの力)の影響力についてのお話です。   霊界では、念の力(想いの力)の高低で、自分や周りに与える影響が変わります。   霊界は、全て 想い(想念)で出来ている世界ですから、心で念じた事が目の前に現象として表れます。   だから、心で念じる想いの良し悪しでも、表れる現象も違えば、周りに与える影響も違ってきます。 (それが、天国や地獄という世界に分かれてしまう原因でもあります)   念の力が弱ければ、相手に与える影響も弱いので、気付かれない場合もあります。     逆に念の力が強ければ、相手に与える影響も強く大きいので、念の種類によっては、相手を傷付けてしまったり、逆に幸福感を与えて あげたりと、念を発する者の想念の善悪と強さによって影響する範囲や、影響力の方向性が大きく別れます。   「想い」という想念を、力の強い「念」にまで集約させると、念力になります。(念力は「想念」と「力」の性質に分かれます)    この念力を、修行を積んで体得しようとする念力世界もあります。  これは、念力の「力」の部分を修行のメインに考えている 世界になります。  昔の行者や修行僧等が、この念力の「力」の部分を修行のメインにした修行をされていたところ、力を高めたい がゆえに、自分の力(念力)を自慢したい心があったり、自分の欲得に使ったり、念力で他人を苦しませたり、操ったりしていると、 死後行く世界は、生前からの魂の傾向性が強く出ている地獄の念力世界に導かれていかれます。   そうやって、正しい想念から外れてしまい、結果的に地獄に落ちてしまい、その中で自分を護るためや、同調者とつるんで念力を 使って悪さをしたりして、好き放題にしています。   そういう魂の中でも力の強い者は、人間界の中で修行している行者や修行僧達の想念の部分に憑いて、意識を地獄方向へ導く様にし ていこうと画策してきます。  そうすると、修行者の心に隙があったり、弱い部分があると、次第に念力の「力」の部分だけに 魅力を感じてしまい、これだけを高めたいという気持ちになってしまいやすくなります。   心の部分の修行が疎かになっていくと、正しい方向性を見極め難くなりますので、我欲が出始めても気付かなかったりして、力を 我欲に使ったり、誰かを支配する力として使う様になったりします。  過去、沢山の修行者がそうなってしまい、今でも地獄の 念力世界で、地上の人間達をそそのかしたり、正しい修行者を引き落とそうと狙ってきたり、その際は、得意の念力(悪方向)を 使って、人間の身体に対して肉体的苦痛や精神的苦痛を与えてきたりするので、狙われると厄介な事になります。   地獄の念力世界は、大きな力を使う者が、弱い者を支配する世界で、大きな者が絶対的権力を持っています。   その命令は絶対で、服従しない者は、念力で物凄い苦しみを与えられます。   だから、誰々という人間を引きずり込んでこいという命令があれば、その人間には何の恨みは無くても、その人間を地獄に引きずり 込む為に、地獄からこの世に放り出されて(大きな念力は、魂を違う世界へ放り込む事も出来ます)指定された人間に憑いて念力で 苦しませたりしてきます。  グループで来る場合もあります。   まあ、そういった者も、地獄の世界へ帰るに帰れない事情(人間に苦しみを与えるか、自分が苦しみを受けるか)があるので、 気持ちを切り替えて、上の世界へ上がれば、元の世界へ帰らなくても良いんだよと説得すると、手を合わせて助けを請ったりします。   (力は、自分の為に使うものではなく、世のため人の為にという意識さえ持って精進すれば、それが回りまわって色んな面で 自分に返って来るもんです)           しかし、「念力」としての「想念」の部分が高まってくると、真理の大きな意識の中(神の想いの中)で 修行させてもらっているという意識が高まり、我欲が平定され、力の使い道や力の有用性と、真理の中での自分の立場や役割等を 意識してきますので、「想い」と「力」とのバランスが取れたものになります。   そうして、それぞれの役割として、神仏の守護をされたり、神仏の教えを学び広めようとする修行者を護ったり、 「護法」という仏法(仏の教え)を護る仕事をされたりしています。  天国は、想念の調和された世界であり、それぞれの 役割の中で、想念と力の高まりを高次元で両立され、大きな真理の光の中で、お互いを認め合い、それぞれの力を人間達にも 援助や指導、お蔭や奇跡という形で降ろしてきてくれたり、この世と霊界の発展の為に尽力されている方々の世界です。   地球の大神霊様は、その大きな光の力で、地球霊界を護って下さっています。  更に上には、宇宙指導霊様の大きな意識の中で、 地球の存在も護られているんです。     想いの力は、集約すると念力になりますが、正しい目的を持った修行や使い方を目標としないと、危険な目に遭ったりします。   正しい心で、大きな想念を育てて行く様にしましょう。  それが、心も健全で、器の大きな人間に成長するという事であり、 同時に大きな力(影響力)も魂に宿す事にも繋がりますし、そういう方が、世の中の為にと、大きな影響を及ぼす人物に成長 してゆくんですからね。