ちょっと一言。
-2010年9月23日-
今日は、生まれ変わりについてお話します。 霊界で生まれ変わるには、それなりの修行を経てからでないと、上からの
お許しが出ませんので、好き勝手には生まれ変わる事が出来ません。 生まれ変わる条件としては、生前の生き方の良し悪しに
よって、魂にこびり付いた悪しき部分を、ある程度浄化している事、また、それらを踏まえ、前世での行いの過ちの訂正を、新たに
生まれ変わった人間界で、自身の人生修行の課題とし、その約束事(課題)を果たして行く事を条件として含んでいます。
なので、霊界での修行としては、まず生前の過ちに気付き、気付いたら反省をし、反省をしたら、次に生まれ変わった時、二度と同じ
過ちを繰り返さない様、今度は良い方面で活躍して行こうという気持ちを持って、自分を磨いていく事が霊界での修行になります。
それが、自分の魂に長い間こびり付いていた、生前からの垢を落とす役割をします。 そうして、良い面は伸ばし、悪い面があれば、
見つけて改善していく、そうする内に魂は磨かれピカピカになってきます。 そのピカピカ度合いによって、所属する霊界の次元
(レベルの段階ですね)が変わってきます。 良い人は、修行で改善を重ね、更に良くなれば、その内、霊界の中で、これから
修行に入るの魂(新入りさんの魂)の先生役を務める事もあります。
( 西岡学校でも、以前は生徒であった者が、今は先生になっていたりします。 西岡学校は、霊界の中から、前向きで素直な子達を
選りすぐって集められ、そこに神様の指導が入りますので、個性を伸ばしやすく、進歩も早いです )
こうして、魂がピカピカになる程、身体(霊界なので魂ですね)は楽になり、霊界での生活は楽しくなるので、時々その時点で
魂の成長を止める者が出てきます。
魂の成長が進むと、霊界の楽な生活から抜け出して、また人間界のような苦しい修行の世界へ戻るのが嫌になるんですね。
意識の世界である霊界は、人間界の様な不自由な物質界に比べて、遥かに自由度が高く、何処かへ行くにも自分の足で歩いたりせず、
行き先を思い浮かべるだけで、その場に行けてしまいます。
だから、目的地へ行くために必要なお金や、乗り物や、体力等、何かをしたい時、または欲しい物を手に入れたい時など、この世的な
労力を必要としないんですね。 まあ、そういう事で、一種の「楽」を覚えるんですね。 そうすると、心の段階によりますが、
今の自分は、もう十分に満足しているから、これ以上の修行もしたくないし、もし修行を積んでいけば、更に難しい事
(教える立場になる為の修行等)をさせられるし、魂の段階が上がると、好きな事ばかりしてられなくなるので、
そういう事から逃げたくなってくるんでしょうね。 でも、そういう事も言ってられなくなるけどね。
ある時期に差し掛かれば、導きの方(生まれ変わりの指導官、お世話係り)が来て、もうそろそろ生まれ変わる準備をしなさいってね。
そう言って、諭しにくるんですよ。 それで、仕方無しに準備に入る人や、もう少し修行させて欲しいと願い出る人もいます。
皆、霊界での本当の意味での自由な生活から離れる事に未練があるんです。(積極的に生まれ変わろうとする人も居ますよ)
そして、生まれ変わりセンターへ集められ、様々な霊界での修行の成果と、生まれ変わりの希望届け(生まれ変わる国や、性別や、
親子関係、志望動機、修行目的、課題等を記入します)を提出し、受理されれば、生まれ変わる所へ行って親を見たり、気持ちを
生まれ変わりに合わせる導きを受けて、本番に挑んでいきます。 まあ、ざっくりとですが、そういう感じで、準備を経て生まれ
変わるという事ですね。
それと、生前の仕事に愛着を持って、正しく生活をされている方は、まだ霊界でお店をやっていたり、畑を
耕していたりして、自分の作品の発展や品種改良等、また指導に精を出しています。 西岡学校の農園では、農家のおじさん達
が西岡学校の子供達に農作物の作り方を教えてくれています。 そうして、霊界でのお仕事にされている方々も居られます。
そういう方々は、それが魂の喜びとして、また魂修行になっています。 いつか、自分もこの世に出て、指導出来る様になりたいと
思う様になれば、生まれ変わりの導きの方が来られるかも知れません。 今回は、生まれ変わりについてのお話でした(^−^)v
-2010年9月11日-
今日は、魂の容量についてのお話です。 人間の魂には、皆それぞれの輪廻転生に応じた「年輪」みたいなのが刻まれており、
それが過去から現在に到るまで、その人の人格形成、性格や気質等に影響をしています。 幾転生の人生データを刻み込んだ、
ディスク版みたいなものと考えても良いですね。
そうした、過去からの人生の積み重ねや、霊界での修行等によって、魂自体の「器」も変動していきます。
この「魂の器」というものが、各自の魂の容量となります。 魂の容量が大きい人は、魂の器の大きい人とも言えるので、
魂の中に内在されている光も多く、逆に魂の器の小さい人は、その光も少ないというのが、大霊界の厳しい原則としてあります。
でも、今世において真理を学び、心の修行を正しく重ねていくと、その都度に流れ込んでくる「神の光」を、沢山溜め込んでいける
様になるので、魂の容量を大きくしていく事が出来ます。 そういう専門の修行を重ねると、魂の器自体を大きくして魂容量を
増やして行く事も出来ます。 これは、信心の強さと、ある程度の霊格を満たしている事が必要になってきます。
魂の器を大きくし、容量アップを図るには、先ず意識の中で、そういった事が出来るんだと認識する事が大事です。
出来ると思わなければ、気付きが得られませんので、霊界の法則として、気付かないものは、その時点では実現しないという事に
なりますからね。 そういう霊界の法則を理解して、意識を向上させていくと、そうなっていく為の準備の段階に入る資格
が有るかという審査(これまでの行いと人生観、未来的思想観、正しい認識力の度合い等)を受ける事が出来ます。
これは、神様の判断で行われるもので、今からしますよという知らせは無く、いつの間にか審査されているという感じです。
審査は、神社仏閣へお参りされて、神仏との縁や絆を結んでこられている方は、神仏の援助もあるので、審査項目も半分位は免除
されます。 これは、既に、今までの信心の段階でクリアしている修行項目ですね。
だから、何の信心も無しで、いきなり心の器を広げたいと願い出ても難しいです。 そうしたいなら、ちゃんと段階を踏んで、
真理の心得を得てからでないと無理なんですね。 そんな簡単なものではないという事ですね。
魂の容量は、人間皆同じではなく、生まれたての赤ちゃん同士でも、みな違っています。 この世の人間として、一からスタートを
切る事は同じですが、既に持ち合わせている魂の霊格に基づく魂の容量は、個人差があります。
その個人差が、例えば、親は同じで、同じ環境で育てたのに、兄弟で性格が違うという事を捉えても判ると思います。
これは、魂に内在されている気質の違いから起きる現象です。 能力も、持ち合わせたものが出やすいです。
例えば、保育園や幼稚園、あるいは小学校で、みんなでお絵描きした時に、大人がビックリする様な、他の子達よりも、とび抜けた
上手な絵が描けるとか、絶対音感を持っているとか、運動機能が抜きん出ているとか、理解能力が高く、ある程度教えると、もう自分
なりに先へ先へと学びを進めて行ける子とか、そういった事は魂の霊格や、容量が関係しているんです。
魂の容量は、特技や学びや研究、また芸術や運動能力とも係わっているので、様々な分野で功績を残したりする方は、普通の方より魂の
格や容量が大きいと言えます。
これは、生まれ変わる際に、自分の魂容量の9割を霊界に置いて来るという事にも大きく係わります。
この世では、元来持っている魂の光の容量の1割しか使えないので、元の容量の大きさが大きいほど、9割を差し引いた分の1割も、
元の容量が小さい人の1割よりも、当然大きいという事になります。
これが、一般の方と、能力者との違いという事に繋がるんです。 これは、幾転生の努力の積み重ねがあってこそのもので、
この世限りと好き放題の人生、他人に迷惑を掛ける様な人生を送っていては、大事な魂の中身である光の量を増やす事が出来ません。
この様に、霊界から魂がこの世に降りて来て、また新しい肉体を持って生まれた赤ちゃんから、また今回、新しく人生が始まりますが、
魂の霊格や、持ち前の魂の容量等が違っているので、同じ教えの中に居ても、それぞれ発展思考や、能力の発揮度合いや方向性など
が違ってくるんですね。 それと、魂容量が大きい人ほど、苦労や忍耐力も人より耐える事が出来るから、人が投げ出す様な問題事
に直面する事が多く、でも何とか苦労してでもやり遂げたりします。 それが、研究の末に偉大な発明に繋がったりします。
でも、能力があっても人より努力を惜しまないのも、魂の持つ力によるもので、本人は自分の意思でと思っているかも知れませんが、
そうさせる意志や熱意は、魂の奥底から湧いて来るんです。 魂容量の大きい人は、それだけ高い次元から生まれてくるので、
肉体の死後、元の次元に還るには、相当の努力と挫折を乗り越えて、それでも正しい認識を忘れず、大きな世界観を持って世に出て
行く事、そして直接的、間接的に係わらず、多くの人の為になる事を目標として、淡々と進めて行く事が絶対条件になります。
そういう面で、大変でもあり、また幸せでもあり、尊敬出来、多くの人の目標とされる方になる方という事になりますね。
今回は、魂の容量について、ほんの一部をかい摘んでお話しました。