ちょっと一言。
-2011年1月23日-
お正月も明けてから、早くも1ヶ月を過ぎようとしていますね。
今月は、「厄年の過ごし方について知りたいので、お話してください」というリクエストがありましたので、
私なりにお答えしようと思います。
厄年については色々な説があり、これが一番正しいというものは決められてないようですが、基本説として、色んな事柄に関連して
厄難に遭いやすい、また人生の歩みの停滞期という感じのもので、一般的な防ぐ方法として、その時期の時だけ厄払いをして災難
から身を護るというものが一般的のようです。
ただ、私の認識から判断すると、厄年と決められている年齢(女性本厄19、33、37・男性本厄25、42、61)も、
各厄年辺りの年齢になってくると、年数を重ねる毎に
訪れてくる身体の変化(青年期、壮年期、老年期等)に伴う過渡期に、何かと変調を起こし易くなったり、日常の生活環境や、
社会的環境の変化についても、それぞれの年齢に当たる時期辺りは、心的負担も身体的負担も重なってきやすくなるので、
身体や、心の状態に気をつけて過ごしなさいよという警告の時期(何かと気を付けないといけない時期)が「厄年」であると
私は思います。
(でも、最近は平均寿命も昔に比べて年齢が上がってきているので、人体の体力的変化や、精神的影響、社会的事情等を考慮すると、
この年齢設定は今後、少しずつ変えて行く必要があると思います。)
まあ、高校から大学へ入っての学業や環境の変化や、
恋愛から精神的悩みも出てくる頃、また、社会に出る辺りや、社会に出てある程度の責任を負う立場になったり等、その時期、その時期
の環境から、違う環境、違う立場へ移る辺りが、丁度その厄年の辺りに集中したり、身体の成長過程からくる身体的変化など、全てに
一呼吸置く時期(ちょっと休憩)というものであると思います。
また、その年齢辺りまで、頑張ってきた人や、色んな無理を重ねてきた人は、その反動が出やすい時期であると思います。
なので、厄年をどの様に過ごすかという事は、それまでの自分の生活態度や生き方が、厄年辺りに出ない様に、日頃の生活習慣や、
環境の変化への順応力を鍛えておく必要があるという事です。
また、厄年に新しい事を始めると良くないとかありますが、それは人によって生き方が違うのと同じで、その人の生き方や人生観の
違いで、考えや行いも変わってくるので、無難に乗り切りたい人には良いと思いますが、何でも一歩前へ出るタイプ、何でも挑戦する
タイプの人は、厄年に敢えて目出度い事をして、自分から事を起こして積極的な厄払いを試したりしても、案外と厄の災難に合わずに
過ごせてしまってる事があります。
逆に、護り重視のタイプの人は、厄年には事を起こさず、じっくりと厄が通り過ぎるのを待って、厄の時期が過ぎてから地道に動き
出すと、安心感が出て新しい事に取り組みやすいと思います。 何事にも心配性な方もいますね。 何かあれば、厄年だからと
お祓いばかりする人もいますね。
また、そういった事は全然気にしない方は、何もしないでも、普通に何事も無く過ごせてしまってたりします。 もし何かあっても、
厄年のせいにしない事が多く、気付いてない、気にしないという方もいます。
日本には、大体こういったタイプの人が混在しているんですね。 だから厄年を説く人にも、タイプ毎に色んな説が出ると
いうのは自然でしょうし、それを受ける側も、どれを信じるかは個人の意識の問題になります。
人間の想いや意志、その時々の環境など、各人の年齢と共に移り変わる事もあるので、その時期には、自分はどちらの過ごし方が
合っているか、安心出来るか、そういう意識の下に判断するのも良いと思います。 その時に、厄年の年齢までの期間、どの様に
過ごしたか、身体に無理は掛かっていないかを総合的に判断して過ごす様にされても良いかと思います。
自身の判断がつかない時は、これといった挑戦も改革も、自分作りも今一つ納得行くものが無かったという事なので、そういう時の
厄年の活用として、自分再確認、真理に則って基本を見直し、正しい思考で自身の心の安定を図り、しっかりした人格を築いて
いこうと努力していく、こういう地道な作業を始めて行くと良いと思います。(人間性の成長は行け行け運気の時よりも、しんど
い時に磨かれる事で、その後の自分の発展の時に発揮されるものですからね)
これらは、運気が上々で、活発で忙しくした分、実入りもあってという時期には、なかなか出来ない事です。
そんな良い時期を長く続かせる為にも、低迷している時や、頑張り所の時期等に、しっかり自分を磨いておく必要があるんです。
そういう意識で人生を送ると、特に厄年に関しても心配するほどでも無いです。 普段からの生き方のキツイ部分の、「しわ寄せ」が
厄年の厄難であるなら、普段の生活の良くない部分を自省して、正しておけば大丈夫です。
私の場合、厄年の後厄に、除霊続きで身体の無理から悪霊につけ込まれ、一時身体を悪くした事があります。
これも、身体的負担、精神的負担から、悪い霊に狙われての事なので、その発端は自分自身の自己管理の問題から来てるんですね。
身体に気をつけず無理をし続けると、厄年で無い時期でも病気等の悪い事が起きるので気を付ける事ですね。
案外、それの方が多いんですよ。 厄年から抜けるとホッとして、後で病気するとかね。
以上、これらの事柄をしっかり踏まえた上で、神仏に厄除けの祈願をされると、正しい認識による祈りが神仏に届くので、
より良いと思います。
皆さん、あまり お身体に無理な負担を掛け過ぎない様に、気をつけて厄年を乗り切りましょうね。
-2011年1月1日元旦-
皆様、新年 明けまして おめでとうございます(^−^)
本年も、『ちょっと一言』が、皆様の心の精進の お役に立ちます様に、心をこめて書いていきますね。
本年も、どうぞ宜しくお願いしますm(__)m
既に大晦日には、我が家の神棚に祀られている神々様の世界には、全国の大神様やその他多くの神々様達が集い、
神棚を先頭にした世界では、多くの神々様で賑わっています。 お正月は、神様も忙しいので、我が家へ来て下さっても、夜明けには
神社仏閣のお社へ戻られて、夜にまた来て下さったりという感じです。 中には、ゆっくりされている神様もいらっしゃいます。
お不動様は、お正月用の上等なお酒を皆に注いで回って、ご機嫌です。 神様達は皆、我が家の中で、ゆったりしたいそうなんです
が、家としての霊的な器(少しは大きくしてありますが)も、この世の家と同通しているので、
小さな我が家には収まりきらず、家の外には入り切らない神様の行列が出来ています。
「先生の家は小さいのぅ〜。 もっと大きゅうならんのか」って言われてますけど、
「この世的には、家など、そう簡単には大きく出来ないんですよ〜(^_^;)」って答えてます。
そうすると、「ほんに、現世というもんは不便じゃのぅ〜」って、大神の爺さんは言ってます。 (ここでは、爺さんと呼んでますが、
一つの神社系統の総本宮の大神様です)
まあ、そうですね〜。 霊界の様に、念の力で大きな建物を建てられたら良いんですけどね。
私が、念の力で、霊界に建物を建てたりするのを知っておられるので、その様に言われるんでしょうけど、ホントにこの世は
不便です。 そうは思っても、この世で、お金や物質を正しく使って、心に願ったものを完成させたり、夢を叶えたりして行くのも
修行なんですけどね。 その内、皆さんを、ゆったりしたお部屋にお招き出来る位の建物を建てて、多くの方々に真理のお話を
して行ける様に、そしてそこから、七色に輝く真理の光を全国に発信出来る様に頑張って行きますね(^−^)v
皆様に、本年も多くの神々様の光りが射し込み、沢山の幸せが訪れます様に、お祈りしていきます。
本年も、既に神々様の七色の光りが輝き出し、その光りの一筋一筋が、全国の皆様に向けて放射されました。