神霊による人生相談

ょっ言。

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-2011年4月25日-
東北大地震(3月11日)が起きてから、今週の4月28日になれば、震災で亡くなられた魂達にとっては、忌中の期間から、 忌明けとされる、四十九日になりますね。  この日を境に、喪に服していた家族にとっては、日常生活に戻る日に当たりますし、 亡くなられた魂達にとっては、この世とあの世の狭間から、ようやく成仏された霊界へと旅立っていく日に当たります。   それまで(初七日から三十五日まで)は、霊界で自分の生涯やってきた行いを裁かれていたり、心に残ったこの世の未練や想いを、 少しずつ断ち切っていきながら、霊界での生活へと目を向けていくという心の転換を図っていた時期でした。   この間に、沢山の魂達が私の所に訪れ、直接、説法を聴いて楽になって、導きの観音様等に連れられて、明るい雲の中へ上がって 行かれたりしましたし、私の「ちょっと一言」も読者の皆さんと一緒に読んでくれてたりしました。   信者さんの中には、霊感がある方が多く、地震関連の「ちょっと一言」を読んでると、魂達が一緒に読んでいて、ふんふん、 なるほど〜とか、あっ!そうなんだ! という感じで、その方の後ろで納得されて、読み終わると、スーッと後方へと退いて 行かれる事が、度々あったそうです。  被災地に住んでおられる霊力のある信者さんも、地震の事が書いてある「ちょっと一言」を 読んでると、 同じ様に後ろや周りに集まって来て、一緒に読んでいるのが気配で判るそうで、読み終わると居なくなって、身体が楽になるそうです。   そうなるまで、何回も気の済むまで読み返してしまう方もおられました。  後ろで読んでる魂が、判るまで読みたいという気持ちで いる場合、よくそうなります。   被災地で亡くなった魂は、四十九日までは、住んでた場所に居たり、親族や、仲の良かった人の近くに居たり、中には、亡くなった 場所で留まっていたりと、この世の未練のある場所や人の近くでウロウロしてる事が多いです。   そうしている内に、私や、その他の方で、供養してくれたり、支援してくれたりする所へ赴いては、自分の心情を訴えたり、すがったり、 色々と心に残った想いを投げ掛けてきますが、そういう魂達の声も、判る人には判るんですが、霊力の無い人には判らない話しなので、 魂達にとっては、自分の苦しみを、どうして良いのか判らないので、誰でも良いから、楽になる話を聞きたいんです。   それも、被災地に霊的な供養塔を建て、毎日被災地に向け、供養を行い続け、念を送り続け、心の説得をし続けている内に、随分と 浄化され、楽になった魂が増えてきました。  私が説得を行う時、本当に目の前にズラ〜ッと沢山の魂達が勢ぞろいして来て、 じぃ〜っと私の目を見つめながら話を聴いていました。  ちょっと怖いよ(^_^;) だから、圧倒されない様に気を引き締めて、 深呼吸して始めます。  日にちが経つと、腐乱してる姿で出てくる事もある しね(>_<)  私の身体が、腐ってくる〜!って(>_<);  生きてた身体は腐るけど、魂になったら、腐らないんだよって。  最初は、意味判らない様でキョトンってしてるけど、それでも話しが終盤に差し掛かる頃には、全ての魂達の顔に笑顔が戻り、 頭を下げてくれたり、涙を流しながら、ありがとうって言ってくれたりしました。  先の怖い姿はね、心が元気になって、 心の持ち様や、 執着の外し方など、今後やるべき事や、道理が判れば、元の元気な姿に戻るんだよ。  だから、もう大丈夫なんだ。  それだけ、 心が癒された証拠だからね。  そうして、三十五日が過ぎ、もう直ぐ四十九日を迎えるに当たって、心の準備も、今後の目標も 判ってくれたら、四十九日の期限が来ても、しっかり霊界へ旅立てるんじゃないかと思います。   それまでの、支えやお手伝いを、もう少しやり続けますね。   また、四十九日が終わっても、まだ心残りがある魂は、霊界へも行けずに、この世とあの世との狭間の幽界で、さ迷っていたりする事が あるので、今度は、幽霊になった霊を助けていく事になると思います。   各地の間で復興が進んでくると、各家庭や公共の供養で、救いの手が差し伸べられると思います。   生き残った家族は、これから大変な生活の中、少しずつ生活基盤を整えてもらって、それから供養もしてくれるから大丈夫って言って あげて、私も、ちゃんと導いてあげるから心配しないでねって言ってあげると、そうか!それもそうだよな〜って、向こう(生きてる 家族や親族)も、大変だもんな〜って、余裕を持って考えられる様になってます。   ここにも、東北の人達の人情の厚さと、辛抱強さが出てる感じがしました。   私の所に来てくれた魂達は、皆、納得して待っていてくれています。   出来るだけ多くの魂から、全ての魂へと近づける様に、残り期間を、しっかり心の供養に専念してもらえる様にしていきたいです。   暗い世界から、明るい光りに包まれて、明るい世界へ上がって行ける様に、皆さんも「ちょっと一言」に書いてある様な、そういう 供養の意識を持ってあげれば、魂の救いのお手伝いになりますよ。   今後の霊界の改善ですが、あの世にも被災地の霊界が、沢山の魂の想いで出来上がってしまっているので、そこの復興も手掛けていく 必要がありますね。  そのお話しは、また今後、お話しますね。         


-2011年4月16日-
東北大地震が起きて、もう1ヶ月を越え、この震災で亡くなられた魂達が、この世に残れる限度期間である49日を、もう直ぐ 迎えようとしています。  この49日間を過ぎても霊界へ帰らない場合、この世に未練を残したままの幽霊になって、自分の 死んだ場所から離れられなくなり、そこにずっと、うずくまったまま通り掛かる人を恨めしそうに見ていたり、時々は、家族を 捜し求めながらさ迷い歩く様な幽霊になって、この世とあの世の次元の狭間にユラユラと浮かんでるだけの存在になります。   これまで、そういう世界へ行きそうな魂達が本当に多かったです。  実際、毎日の様に、色んな魂達が私の所に来ては、自分の苦しみを 訴えて来てました。  その度に、いくら私が健康に気を使っていても、自分の身体の具合も悪くなるしで大変でしたが、 それもようやく、落ち着いてきました。  私の説得を受け入れてくれた魂達が、被災地のあちこちの場所から、天に向かって スーッと上がっていく情景を見るとホッと一安心します。  その際、ありがとうございましたm(__)m と、手を合わせ頭を下げて 、お礼を述べてくれます。  そしてニコッと微笑んで、光に包まれながら明るい雲の中へ吸い込まれる様に消えていきます。   そうした作業を1日何時間もしていると、霊界で噂を聞きつけて、私の所へやって来る霊もいます。   その中には、前回で書いた、被災地の土地で眠っていた先祖達や、お寺などで無縁仏としてお地蔵様や観音様に守られていた 霊等もいました。   そういう霊達は、守られる物(仏像やお墓等)が無くなると、自分達でどうしたら良いのか判らなくなり、そこら中に徘徊 し出します。  そして、何処何処の誰が何とかしてくれるらしいとか、あそこのお寺で供養をしてるから面倒を見てもらえそうだとか、 そんな想いを持ちながら日本中を徘徊し、見当をつけてやって来て、やっぱり駄目だったとか、中には浮かばれて行って、そういうのを 見た霊は、あそこが良いぞ!と大勢やって来ます。  今、日本中が支援の輪を広げてくれていますね。   その様子を見ている霊達も沢山居ます。  そうした行動は、亡くなったばかりの魂達からすれば、あぁ、やっぱり自分は死んだんだな と、自分の今の境遇を再確認し、気持ちの整理(これらが、有ると無いとでは成仏出来る出来ない位の差があります)をつけやすく させてあげる事が出来ます。  また、多くの人達の支援の愛の気持を受けて、心が和み癒され、感謝し、素直な心に戻りやすくなり、 この世や、残された人達を恨む事無く霊界へ旅立って行ける様な心情(災害死の場合、これが一番大事です)になっていきます。   そして、そこに導きの仏様達が迎えに来られたり、先祖や、身内で先に亡くなったお年寄りの霊等、自分の知ってる範囲で先に 亡くなられた方等が迎えに来られたりします。  これで、大体の覚悟を決めさせてあげられます。   そして、出来るだけ明るい世界の霊界へ上がって行ける様に、穏やかな光りを放つ魂にさせてあげる事も出来るのです。   日本中、世界中の多くの支援の愛は、被災地だけではなく、その周りや、今生きている人の心にも届いていますよ。   皆さんが、被災地の方を想う愛の心を通して、物事や世間を見た時、今までの見方と違っていると思いませんか?   出て当たり前の水道水もガスも、点いて当たり前の電気の光りも、豊富で当たり前の食料品等も、全てが感謝の対象になったと 思います。   地震が起きてなかった時、物が溢れてる時、当たり前に有って当然で、感謝もしなかった物にも、他人の親切にも、そんなに有り難味を 感じたりしなかった事も、今では、そういう気持ちから、困っている人の為に自分でも役に立てる事があるかな、そういう意識が芽生え 始めてきたと思います。  自分の出来る事を探し、今の自分を変えて行こうとする気持も、それが困っている人の為になるならと いう気持ちから、頑張る気力を持って、勇気を持って、被災地で汗を流してくれたり、義援金を募ってくれたり、自分の為ではなく、 他人の為に行動を起こす気持(精神)、それが「尊い愛」の心の始まりなんですね。  愛は、家族や、好きな人を愛する愛の上に、 分け隔て無く、多くの者の為にという気持ちから湧き起こる「尊い愛」の精神があります。   愛は、気持から、精神に上がると、尊さの光りを発揮します。  それが希望や勇気や喜び等を与えるんですね。  その上が神様の愛ですね。   それらの光りが、こん然となって集まり出し、まだ成仏していない魂の心を開かせ、また、被災地で希望を無くし掛けている人の心に、 勇気と希望を与えるほどになります。   皆さんの愛の精神は、日本だけに留まらず、世界中の人達の心を開かせ、被災地の方々の心に希望を与え、未成仏の魂達の心にも癒しの 光と、悟りの光りをもたらせてくれているんですよ。  被災地の方の日々の真摯な忍耐や頑張りは、世界中の人の心の中の愛を呼び起こしま した。  そうした多くの愛の心(愛の精神)が、今の未成仏の魂達や被災地の方の心だけでなく、今後の 日本人としての心を変えていく原動力に繋がって行くと思います。   皆さん、これからも共に頑張りましょうね。   


-2011年4月8日
今日は、被災地の未成仏霊のお話です。
東北地方で大地震が起きて以来、私の日課である毎朝のお祈りの時間を延長して、被災地の様々な霊達に導きの教えを説いたり、 供養したりしています。   その中で、実際に多くの霊の訴えてくる言葉の中に、私の帰る場所が無い〜〜〜! 住む場所や居る場所が無くなった〜〜〜!って 訴えてくる霊がすごく多いのです。  帰る場所が無いと訴えるのは、地震や大津波で生き埋めや、水死された魂達の気持ちで、家も 流されたりして、これまで在った場所に家が無くなってしまい、あの世へも、この世にも帰る場所が見当たらない霊の、行き場の無い 心の気持ちです。   住む場所が無くなったと訴えるのは、今まで家の中の仏壇や、それからお墓に住んでいた、または、お寺などで仏様が見守っていた霊達、 そういう類の霊達が、自分の住処と認識している物が滅茶苦茶に壊れたり、水に流されて無くなったりして、今までどおり住む所が無く なったという先祖霊や、お寺とかで仏様に守られていた霊達です。   でも、よ〜く考えてみると、人間が亡くなった場合、帰る場所が家や、お墓や仏壇という意識を持っているというのは、本当に狭い領分 の認識であり、本来の意味である「霊の自由」とは程遠く、この世的な物質等を価値判断として、それらに自由を縛られ、 拘ってしまっているという事ですね。   死んで、魂という意識体だけになっても、そういった、この世の物質に拘るという事は、死んだら余計に心に執着が残ると いう事であり、その執着を取り除いて行かなければ、なかなか成仏出来ないという事になります。   人間は死んだら、魂は霊界に帰るものです。  帰る場所は霊界です。  霊界へ帰れるか、帰れないかは、自分の心の中の想い次第です。   心の想いの大半が、この世に傾いている場合、この世とあの世の狭間に残って幽体として、どっちつかずで、いつまでも心の執着に 惑わされ続けます。  この世で生きてる家族の者や、家や土地等に未練が残り、とり憑いて離れなくなってます。   これに、怨念や恨みが加わると、地獄行きですね。   人間は、亡くなって魂の状態になれば、本来の帰るべき場所、住むべき場所は、明るい光に満たされた霊界です。   今回の大震災の様に、急な災害で命を落とした魂達は、心の準備が出来ていないまま亡くなられたので、心の中に未練が一杯残ってます。   本来は、死んだら葬式をして、火葬して、身体も焼いて無くなって、段々と、この世的な未練を49日の間に捨てていきながら、先祖も 迎えに来て、ようやく霊界へ帰る決心をして行くんですが、それが、この度の大震災で亡くなられた方々には、満足に段階を踏んで あげる事が出来ないので迷うのは、当然と言えば当然です。  こういったケースでは、仕方ないと思います。  だから私は、毎日、 霊界に帰れる為の心の準備を説いていこうと、日々、導きの時間をとって教えながら供養をし、霊界へ上がる気持の有る者は上げて いっています。  結果、随分と楽になられて成仏されていってます。   でも、まだ現地で迷ってる魂達は、真理も学んでないから、死んだらお墓に入るんだとか、仏壇に住むんだとか、何も分かってないから、 死んだら、そうするもんだと思ってます。   だから仏壇が無いとか、位牌が無いとか、お墓が無いとか言って、自分の住む所が無いと訴えてきます。   お仏壇や位牌やお墓などは、満たされた霊界から、お彼岸やお盆や、日々の供養の時などに自由に霊界から降りて来て、 そういった物を通して、この世の子孫の家や家族の状態を見るという、魂の一時的な寄り何処として利用する物ですね。   まあ、自分の席みたいなもんで、あの世から降りて来て、自分の席に座って見渡すという 感じです。  それが家の中の仏壇(この世の仮の家)の中の位牌(拠り所であり、席です)の役割です。   または、あの世とこの世を結ぶ「どこでもドア」ですね。  霊界のドアを開けたら、はい!この世に出ましたという感じです。   これは、お墓も同様です。  だから、その時々の用事が済めば、直ぐに霊界へ戻って、自分のやるべき事を霊界でやったり、 学んだり修行したりして霊界時間を過ごしていくという事が、本来の霊体のとるべき姿です。   お仏壇が無いとか、位牌が無いとか、お墓が無いとか、家が無いとか、帰る場所が無いから浮かばれないんだとか、成仏出来ないんだとか は間違った認識です。  お仏壇や位牌もお墓も、全て揃っていても、地獄に堕ちてる人は沢山います。  成仏出来るか出来ないかは、 自分の心の楽さ加減(執着の度合い)です。   心が楽になれば(執着が取れれば)、それは即、成仏であり、それに知識と愛が加われば、それは神仏の世界へ上がって行けるという 事です。  まあ、魂の出世ですね。  自分の事は出来て当たり前、この段階を過ぎれば、今度は他人の為に指導するという会社 の役割と同じです。  それ(魂の出世)が、霊界では、成仏の段階を上がるのと同じという事です。   今、被災地の霊は、他府県の親類縁者を通して、日本中に広がってさ迷ってます。  この記事を読んでる霊もいます。   今、これを書いてると、自分の事を書いてるんだと気付いた霊もいます。  沢山の方が読んでくれると、その分、霊達も気付く チャンスが多いので、今後、色んな意味で復興のお手伝いとなるはずです。