ちょっと一言。
-2011年6月19日-
今日は「希望」の話しです。
「希望」とは、望みであり、その望みを叶えたいという期待を込めた想いであり願いですね。
その想いは、ただの望みで終われば、叶わなかった願望という事になってしまい、実現しなかった夢であったという事になります。
希望は、目標であり、人生の指針でもあります。
自分の目標を達成させる為に、自分の可能性を信じて、心に夢を持って、明るい未来がやって来るという想い、それらの想いを
信じて望む事で希望が生まれます。 希望の光が、心の中に灯り始めます。 自分を信じる事。 諦めない前向きな想い。
全てに可能性を信じる事。 努力を惜しまない事。 明るい未来を願い、イメージする事。 全て、希望を叶えるための
心の準備であり、心の持ち様であり、心(イメージ)の継続です。
希望は叶えるものです。 希望は、単なる希望で終らせないように、先々の小さな希望を叶えて行きながら、将来的に大きな夢を
叶えていくにも、先ずは希望を叶えていくという習慣を身に付ける必要があります。
人間は、生きていく中で様々な困難があります。 困難があれば、それを克服したい、改善したい、または、抜け出したいという
欲求が湧いてきます。 欲求があれば、それを欲したい、そうなりたいという願望が生まれます。
その願望を叶えるために、色んな困難があっても希望の光を絶やさないで、希望の光を見失わないで、希望の光を見続けながら、
今出来る事を努力して進めて行く中に、小さな希望が実現していき、それらを踏みしめながら階段を一歩一歩上がって行けば、
やがて大きな希望に近づいて行く事が出来るんです。 そして、希望が叶い、大願を成就させる事も出来ます。
そうして夢を叶える人もいます。 夢は、希望の継続が大事です。 何をするにも、その先の希望が無ければ、そこで気力も
失せてしまうので、夢なんか叶えられません。 希望の光は、困難の中でも、先に向かって進み続ける事の出来る「勇気の光り」です。
希望の光りがあれば、勇気も根気も湧いてきます。 希望の光は、時には「命の光り」にもなります。
何かの災いで命に危険が迫った時、仕事や人間関係の苦しみの中で、もう駄目だと思った時、希望の光を絶やさずにいれたなら、
何処からか、誰かの助けが必ず入ってくるものです。 希望は可能性です。 可能性を信じる事が出来なくなれば、自分に起きる
べき可能性も、自らが消してしまう事になります。 自ら、自分に灯っている「可能性の光り」を消す事の無い様にしましょう。
また、希望の光りは、神仏の光りでもあります。
偉大なる神仏の光りを、人間は「信仰の光」として心に掲げてきました。 信仰の光は、幾多の困難にも負けずに立ち向かう「勇気の
光り」でもあり、明るい未来を信じて困難を切り開く「神の光」でもあります。 神は、人間に対し、自らの成長を促し、困難を
克服し、更なる発展を遂げて行ける様に、神の幾多の教えの一部である「希望」という光り、「真理の光り」を与えました。
だから、希望の光を灯す人は、神仏と繋がっているんです。
人間は、真理の光りである、希望の光を胸に輝かせて努力していれば、必ず助けが入ります。 暗い夜があっても、必ず太陽の光が
昇って来て夜が明けるように、今の困難は一生続くものでは無いから、自分を信じて、周りを信じて、勇気と希望の光を持って進んで
行きましょう。 いつか、心に灯した希望の光が、現実の光りとなって、あなたを照らす時が来ると思いますよ。 苦しい時に
希望を持って頑張ってる人は、魂が輝いています。 それは、希望の光でもあり、勇気の光りでもあり、愛の光りでもあります。
それらの光りは、まさしく「神の光」であり、神の光を出し、神の想いを体現させようとしている人なんです。
そういう人の周りには、同じ様に、心に希望の光、それぞれの光りを持った人が集まって来ます。
希望を持って、勇気を持って進んで行きましょうね。
-2011年6月6日-
今日は、「霊的影響を受けている時の、心の持ち様と方向性とは?」というリクエストについてお話します。
心の持ち様や持ち方というのは、普段これといって何も無い時は、特に考えないものです。
でも、何か嫌な事があった時、悩み事で苦しい時、霊的影響を受けて他人にも相談出来ない時などは、自分自身の心の持ち様というのが
大事になってきます。 身体が疲れている時、気持まで疲れてたりすると、身も心もしんどく感じたり、やる気も失せてきて、
一時的ではあっても、何だか全てが嫌になってしまう様な感覚に陥ったりする事があると思います。
でも、「気の持ち様、心の持ち様」次第で、悩み事にしても、自身の前向きな心の持ち様次第で、気持を切り替える際の心のゆとりが
出せたり、考え過ぎである自分の気持を改善させていく事も出来るようになってきますし、その要点を見つけるキッカケにもなります。
霊的な影響で怖がっている場合などは、私のアドバイスを聞いたりして気持ちに
余裕が出れば、これまでより楽に考えられる様になり、霊的影響が出ていても、以前よりも怖さが減少したりします。
霊的な影響は、目に見えない事で不安感や恐怖感が湧いてきますが、道理が判れば、無闇な不安感等は減ってきます。
また、今後の取り組み方も分かってくると、前向きな意志が出てきます。 そうすれば、気持の中に余裕が出てきますし、出ている
影響に対しても、怖がらず冷静に捉える事が出来てきますし、的確な対応をしてくことが出来ます。
これが、霊的な影響を心にまで受けない様にするポイントです。 人間に影響する霊は、不安や恐怖心という、強いマイナス影響を
精神的に与え続ける事で、その人の心を不安定にさせ、霊に対して過敏に反応させ、とり憑きやすくしてきます。
霊に対して反応してしまうという事は、霊に対して自分の気が向いてしまうという事であり、それが霊との間に繋がりを生んでしまう
んです。 その繋がりを太くするほど、霊は楽に乗ってきやすくなりますし、太くなった繋がりの分だけ、沢山の霊が行き来しやすく
なるという事です。 なので、怖がり過ぎない様に、気にし過ぎない様に、落ち着いた前向きな分析をする余裕が持てる様に、いつも
心の中に安定した部分を持っている事が大事です。 一般的には、親しい人や信頼できる人、相談できる人等、
自分の事を理解してくれる人を持つ事です。 その方々のアドバイス等で、心の癒しや、自分ではやり難かった気持の転換を促して
もらう事も叶います。 でも霊的な影響を受けている人では、それ以外に、霊的な事は、霊的最高権威である「神仏」に対し、
信じて信頼する心、「信心」というものを心に持って、霊的影響を受けても、神仏の力が護って下さるから大丈夫だという、
絶対的信頼感を持つ事です。 その心から、信仰心というものが生まれてきますし、心の安らぎも出てきます。
神仏を信じて敬う心を続けながら、自分自身も出来る範囲で努力し、心を見直し
ながら信心して行けば、その気持が神仏と繋がり、段々と繋がりは太くなっていきます。 プラスの繋がりをつくる事に専念
しましょうね。
そうなれば、神仏の気は繋がりの太さに応じて沢山流れ込んできますので、霊的影響も未然に防いでくれる様になってきますし、今受け
ている霊的影響も、神仏の気で浄化されていきます。 心に拠り所がある人は、辛い事があっても、最後の一繋がりで助けられるもん
です。 その拠り所が無いと、辛い事に負けてしまいます。 辛い時は、色んな事を考えがちですが、不安要素が増すだけの考え
よりも、もっとシンプルな考えに落ち着けるように、考えをまとめる事です。 自分の性格上の問題も絡んでくるので、そこは自分を
見直す良い機会と考えて、霊の事は一先ず置いといて、自分を見つめ直す事も、先の事、先の自分というものを考える上で必要です。
結構、自分の偏った性格の部分に霊は繋がりを結んでる事が多いので、自分自身でそこに気付くと大発見です! 一つの悟りと言えます。
悟りとは、簡単に言えば、物事の原因と結果に「気付く事」です。 自分自身や、それ以外の所に原因を見つけ、それの積み重ねで、
苦るしい今が在るという結果も理解出来てきます。 それが判れば、それに対しての心構えや行動を起していけますね。
すると、霊は憑くのが難しくなってきます。 霊の事を考えないでも、そうやって心や気持の持って行き方次第で、自分自身が強く
なってきます。 辛い時、怖い時の対処も、心が強くなった分、冷静に判断出来るようになりますし、そうなれば霊的影響は減って
きます。 先(未来)の自分の完成を念じて、自分を見直し改善していく。 祓い事も含めて、改善していっても、最後は、
心の持ち様や方向性が、一番問われる事になりますからね。 そして、何があっても動じない精神、信念を貫く精神、「不動心」
というのを養う事も出来ます。
心(気)の持ち様と、気持を何処に向けるのかという、確かな方向性を確保する事で、苦しみは案外と軽減出来ますよ。
少しずつ、頑張りましょうね(^−^)v