ちょっと一言。
-2011年7月24日-
今日は、仙台で頑張る方々からのリクエストで、「家族」についてお話します。
「家族」とは、生活を共同する夫婦と、その血縁の仲間であり、霊的には魂の仲間でもあります。
男女が縁あって結婚し、互いの両家が結ばれ、新しい家族が生まれます。 家族は、家族愛や信頼関係で結ばれている他に、
お互いの魂が前世の縁で結ばれている事で、今世において家族として成り立っている事があります。
また、夫婦になるには、お互いの縁同士で結ばれるだけではなく、お互いの両親のどちらかの縁の係わり合いや、お互いの家系と家系の縁、
先祖の縁とかで結ばれている事もあります。
それによって、家族となっていく子供達の構成(魂の構成)も変わってきます。
それは、親の魂と、子供の魂との縁があって生まれて来たり、親を選んで来たりするので、何かと縁が深い者同士が、家族という繋がりの
強い関係を築きます。 今は親と子の関係でも、前世では、その関係が逆転していた事もあります。 親より子の方が、しっかりして
いる場合や、子に助けられる事が多い場合などは、前世では、今の子が親を務めていたりします。 そういう魂であった場合、
魂の経験上、上手く出来るんですね。 親も、前世では子の関係であったので、何故かしら子に頼ったり、そういう関係を持つ事で、
心情的に安定する傾向が出やすいです。 また、前世で兄弟姉妹であった場合も、魂との繋がりや、縁が濃いので、これも家族となる
場合が多いです。 そういう魂同士が、今世で親と子の関係になったりすると、子供が成長して大人になってきたら、何故かお友達の
様に付き合う親子もいます。 それは、お友達というか、前世で兄弟姉妹であった時の関係に、知らず知らずの内に戻ってる
感じなんです。 そういう付き合い方が、自然な感じで、何となく、シックリくる感じ、落ち着く関係になるんですね。
あと、そういう魂の縁での結び付きが強い夫婦や家族の間でも、なかなか上手く行かない場合、前世からの因縁が関係している
事もあります。 また、それ以外にも、自分の魂の傾向性を、しんどくて苦しい環境の中で気付き、離れたくても離れられない
家族という結びつきの中で、自分なりに改善していくという魂修行の時期を歩んでいるという事もあります。
また、相手がどうしようもないという場合もありますが、選んだのは自分だという事も気付きなさいとも言えます。
家族間の不和で悩む場合、自分の落ち度を見逃している事が多く、家族の誰かのせいにしたりして、親が悪いからとか、子供が言う事を
聞かないだとか、周りの環境のせいにして自分を省みないでいると、自分の見直す点に気付くまで苦しみは続きます。
先ずは、自分を良くしていきながら、良くなってきた目で見て、心で見て、相手を再認識してみて、これはどうしようもないとなった
時に、その先を考えるという事です。
それらの苦しみから脱する為には、誰かに指摘されて自分の欠点に気付いても良いんです。 自分よりも見識の広い方や、信頼を
おける方等に相談し、気付きのヒントを与えてもらっても良いです。 ハッとする思いを与えてもらう事で、自分の落ち度も判れば、
それを直していく事で、案外過ごしやすくなったり、気が楽になったりします。
そして自分自身も一回り大きくなり、今まで悩んでた事も、小さな事だったと気付くようになったりしますよ。
家族は、他人が心配してくれない事でも、親身になって共に考え、悩んでくれたり、時には一緒に泣いてくれたりするものです。
他人にとっては、バカバカしい事であっても、家族にとっては大問題である事も多いんですよ。
嬉しい事は家族で分かち合い、悲しい事も分かち合う事で、一人一人の心が癒されますね。 他人には遠慮する事も、家族ですから、
言い合える事もあります。 そうして、悩みも悲しみも、家族の愛の中で癒され、過去の経験として各自の心の糧にしていけます。
家族ですから、調和された親子の係わりを持てる様に努力していく必要があります。 家族は最小単位の社会でもあります。
家族間で上手く調和出来ない生活であったり、お互いが知らない関係であったりすれば、社会に出ても、同様に調和出来ない人となって
たり、会社の中で問題因子扱いされたりする人になったりします。
今の環境で、分かり合えない家族だと思う人は、自分も相手を判ろうとしないか、受け入れる心が出来ていないか、許す心が持てないか、
自分の想いの中、考え方の中に、はめ込もうとしていないかどうか、考える必要があります。
家族でも、人間性としての魂の個性は別々なので、同じ考えに沿わそうとしても無理が出てきます。 それを強引に当て嵌めるように
強制する所で、家族間の信頼に亀裂が生じてきます。 これは結構多いので気を付ける様にすると、家族間の緊張が緩み、穏やかに
なっていきますよ。 家族は、何でも言う事を聞いてくれる仲間では無いという事も認識しないといけません。
そして、互いを尊重しながら個性を伸ばしていける、互いの力になってくれる協力者であり、心を許せる一番の仲間です。
子供が大人になってくるほど、そういう認識に変えていくと、調和された良い関係を長続きさせる事が出来ると思いますよ。
今回は、熱心な信者さんのお友達からのリクエストにお答えしました。 仙台は今、復興がなされていますが、沿岸地では、まだまだ
のようなので、お身体を大事にされて、人々を救うお仕事に頑張ってくださいね(^−^)v
-2011年7月10日-
今日は、前回の「希望」を読んだ方からのリクエスト、「生きる」についてお話します。
「生きる」という事は、普段何事も無く、無事に過ごせていている中では、特に意識して考える様な事は少ないと思います。
この「生きる」というテーマを考える様になるには、心の中の問題事が大きくなった時や、生命に関する問題事が身近に起きた場合、
その他、真理の学びが深まった時等があります。 普段の何気ない生活が、本当は幸せだったという事に気付くようになった場合、
それは、今後の自分の考え方や生活習慣を変えて行かなければならない、そんな時期に差し掛かっていると思います。
人生には、生きていくのが苦しいと思える場面が訪れる事があります。 それは、突発的な事故や災害での生活状態の急変、
重い病気やストレスで、精神的に辛くなってしまう事や、社会的、経済的理由などで、生きていく事自体が困難な状態に追い込まれる、
そういう時などに「生きる」って苦しいな、生きていく事って結構大変なんだな、という思いが湧いてきます。
そういう時に、生きるという人生のテーマを考えさせられる時があります。
「生きる」という想いは、苦しい時でも、自分ひとりで生きていかないといけないという観念になってしまうと、生きるという意志を
形成する「精神エネルギー」の中の一つである「愛と幸せ」のエネルギーの湧き出る量が不足してしまいます。
この「愛と幸せ」のエネルギーが不足すると、心の安らぎや安定、助け合いの精神、笑顔や優しさ、幸せ感や他人を愛する気持など、
人間として持っている心の輝き、心の温かさという部分が何割か欠落したりしますし、人として大事な精神バランスが取れなくなって
きて、人付き合いにも影響が出たりします。 生きるという事は、自分だけが頑張って生きている訳ではありません。
人間は皆、家族や友人や多くの人達に愛されて、助け合って生きているものです。 その中でも、一番に人間達を愛してくれている
のが、神仏の存在です。 神仏は、人間を慈しみの心で愛し、人間に裏切られても愛する事は止めようとはしません。
神仏は大きな愛の心、慈愛の心で人間を見ています。 人間が犯す一時の過ちを、神仏は悲しい目で見ますけれども、それは我が子の
事を心から心配する親の目と同じです。 やってしまった過ちよりも、犯した罪に苦しむ人間の将来を心配する目です。
神仏は、人間が生きている事自体、過ちは既に許しているんです。 神仏を信じない心も、許しています。
いつか分かってくれるからと、それまで、じっと待って見てくれています。 生きていくという想いは、独りぼっちになってしまった
という想いに駆られると、急に不安になったり、寂しくなったり、全てに見放されてしまった感が出てしまいます。
だから、幸せに生きる為には、人を愛し、周りを愛していく必要があります。 「全てを愛する者は、全てに愛される者」という法則
があります。 生きる事は、愛される事です。 愛されない者は、生きていく事がとても辛くなります。
そうなると、誰も愛せなくなってしまい、負の連鎖から生きる道の歩みを止めてしまう事もあります。
この様に、生きるという事は、愛する事を進めて行く事にあると思います。 そして、それは生きていく力となり、勇気となり、希望と
なり、生きるという意味を体現していく人となるでしょう。 あの人の様に生きたいと皆が思う様な、生きていく事自体が、皆の見本と
なるような人となるでしょう。 ただ生きていくだけではなく、生き方に意味を持つ人となりましょう。 人間は皆、この世に
出る際に、何らかの使命を持って出ています。 その意味や内容を知らなくても、苦しくても、心が曲がってしまわぬ様に、
未来を見据えて生きて行きましょう。
重い病気等で、生きたくても長く生きられない人も居ます。 その人が、残りの人生を精一杯頑張って生きる姿は、キラキラした命の
光りを出しながら、逆に周りの健康な人に勇気や愛を与えながら生きていたりします。 皆に、愛し愛されて生きれる人になりましょう。
生きるは愛です。 今の環境を受け入れる勇気を持ちましょう。 愛されてる人は、周りが助けてくれるので、そう簡単には
死なせてくれません。 神仏は、時期じゃない死は与えません。
自分を愛して、神仏に頂いた命を愛して、生きるを愛しましょう。 魂は、愛の光りで創られています。
だから幾転生を重ねる事が出来る「永遠の命」なんですよ。
何故なら、魂を創られた偉大なる神仏が、人類を愛していますからね(^−^)v