ちょっと一言。
-2011年9月18日-
今日は、「人それぞれの性格や性質、癖などについて、霊的な関連があるのか」というご質問についてお話します。
人の性格というのは、この世に生まれてから、同じ両親、同じ家庭環境の中で育った兄弟姉妹であっても、自然とそれぞれ違った
性格や性質というものを持ち合わせています。
両親は、子供達が生まれてから皆同じ様に育てていたにも係わらず、1歳〜2歳、その後も年齢を重ねる毎に、段々と各自の性質や性格が
ハッキリと表れてきます。 それに連れて、両親が教えても無いのに、癖も出てきます。
一つの家庭に子供が多いと、子供の数だけ性格も考え方も違ってきます。 親は、この子には、こういう性格をという様に育ててない
のに、毎日同じ様に家族の中で育っているだけでも、自然と子供達の性格や性質、気性、それに連れての感情表現も、それぞれに個性が
出てきます。 親は、何で兄弟でも、こんなに性格が違うんだろう?と、不思議に思う事があると思いますが、それは、子供達全ての
魂が、それぞれ違うという所に発端があるんですね。
全ての人間は、生まれる前には、各自の性格や気質や癖などを持ち合わせた、ある程度成長した魂なんですね。
それが、この両親の子供として育ててもらおうと、霊界の生まれ変わりの場所から、この世のお母さんとなる女性のお腹の中に
思い切って降りて来るんです。 だから、もうその時から個性を持った独りの魂として、お母さんのお腹の中で育っていきます。
性質も個性も揃った魂として、お腹の中から、お母さんの気持ちや考え方や、お腹の外の雰囲気を感じ取りながら育っていきます。
その時にも、お母さんの身体の心配をしたり、お父さんや周りの人達の言葉を聴いていたりします。
そうして、生まれたら、お母さんに対して「無事に生んでくれて、ありがとう」って感謝の気持ちを伝えようとか心に決めてる子も
います。 生まれ出る時に、そういう記憶も薄れてしまうのと、両親に感謝の気持ちを伝えたいとか、苦しい中、やっと生まれた事に
安堵と、不安な気持が抑え切れないとか、色んな気持が混ざって、それらを伝えたいけど、赤ちゃんの肉体としての
機能が、まだ言葉を話せないという事なので、オギャー!オギャー!って泣くしかないんです。 そうして、言葉を話せる位に
成長した時に、急にお母さんに対して「お母さんの事、お腹の中で見てたよ」とか、「あの時、お母さんが、何々して不安だった」とか
「自分が動く度に、お母さんのお腹が痛くなって心配だった」とか、まだ生まれてない時の様子を言い当てたりする事があります。
そういう魂を持つ子は、気持の優しい子であったり、周りを気遣う子であったりします。 この頃からでも、この世に生まれ出た時の
為に、お母さんのお腹の中で、個性を持った魂として考えながら成長してるんですね。 だから、生まれて、赤ちゃんとして育って
行く中でも、既に個性を持った子として存在しているんです。 後は、両親が、その個性を活かしてあげられる様な育て方が
必要になってくるだけです。 こういう事から、人間は、それぞれの魂の個性(性格や性質など)というものが、魂の中に
刻み込まれているので、身体の成長と共に、それが表れてくるという事になります。
あと、母体とするお母さんの性質と、赤ちゃんになる魂の性質とのギャップが大きいほど、お母さんのツワリの出方も強くなります。
それは、お母さんと、赤ちゃんの魂との性質の違いが離れる程、魂の波動の差が大きいので、慣れるまでに時間が掛かり、その間は
ツワリが酷いという事になります。 ピタッとは合いませんが、段々合ってくると自然とツワリは無くなってきます。
それと、癖は、前世の魂の記憶にあるものが、今世の中で出てくる事があります。
小さい時から、肩肘をついて考える癖がある子は、昔の時代に肩肘をついて物事を考えたりしていた癖が、今世でも癖になっていたり
します。
無意識にする動作は、魂の記憶から呼び出される事が多いですね。 癖は、誰かの真似をして、そうなったりするなら、その時からの
癖として身に付きますが、自然と出る癖は魂の記憶によるものが多い様に思います。
怖い思いや、痛い思いもした事が無いのに、尖った物を見ると怖がるのも、前世の記憶で、痛い思いをしたという魂の記憶から呼び出さ
れる情報です。
こういう事から、各自の性格や癖などは、ある程度は生まれ持っての事であると言えますね。
自分の性格を、よく認識していれば、変えようと思えば変えれるので、今世から、今までの性格を変えていける人もいますよ。
この世の運命は、半分は自分で変えられます。 性格も考え方も、自分次第で変えられます。
自分の性格を直したいと思えば、良い手本を参考にして、そういう人になりたいと念じ、人や物事の見方や考え方の見直しをして
いく事で、良い方向に変えていく事が出来ますよ。
今回は、性格等に係わる事柄も含めてお話しました。
-2011年9月2日-
今日は、現世と霊界における時間の観点の相違について、簡単にお話します。
霊界は、現世と違って、時間の進む方向が違います。
時間の進む方向とは、現世の場合、過去→現在→未来という様に、時間というものは、光りが一直線に進むように、過去から未来へ
向けて真っ直ぐに進んで行きます。 だから、時間が経てば、全ては過去のものになっていきます。 今は、直ぐに過去になり、
未来はすごい速さで向かって来ています。 人間や全ての諸事は、そういう片時も止まらない時間の流れの中に身を置きながら過ごし
ています。 この様に、現世は、時間が過去から未来へと真っ直ぐに進むので、経験は過去のものとして認識し、自分に取り入れ、
成長の糧としていく事が出来ます。
そして、明日への自分に活かして行く事が、現在での考え方であり、成長した未来の自分を現実化させるための現在努力であります。
その先に、成長した自分を認識する日が訪れるでしょう。
現世では、過去からの努力や経験の積み重ねが、未来の自分を形成します。
また、現世では、人間によって時間の流れが違う事はありませんね。 誰でも、全て同じ時間の流れの中で生きています。
そういった時間の流れが現世です。
これに対して、霊界の時間の流れは、現世の様な一直線ではなく、グルグルと渦を巻いているような時間の流れがあります。
終わりと初めが交わったりする様な感覚です。
また、霊界の次元、魂の霊格によって、時間の流れも早さも変わります。
過去は未来でもあり、現在でもあります。
なので、未来に起きる現象は、既に過去に経験した事の様に感じられる、そういった霊界においての現在時点というのがあります。
あと、認識の同位で、数百年前に過去に亡くなった人物と、今の時代に亡くなられた魂が、同じ場所に存在する事があります。
時間が一直線に流れる現世では、数百年も前の過去に生きていた人物とは、同じ時代に生きる事はありません。
しかし、昔の人が生前の想いを未だに持っている場合、その想いは現在進行形となり、現代の時代で想っているのと同じ扱いになり
ます。 これが、想いによる霊界(想念界)を生み出し、今の時代で亡く
なった人の想いと、昔に亡くなった人の想いとが共通点となり、時代を問わず、同じ霊界に存在してしまうという理由になるのです。
また、霊界は「その人時間」というものが存在します。 霊界には、その人、その人の認識する時間があり、その中で各自の魂は
存在しています。 だから、認識力が同じであれば、現代の人と昔の人が共存する霊界もあります。
まあ大体は、それぞれの時代時代で、かたまって存在してますけどね。
分かり易くて簡単なのが、死んで霊界へ帰ると、同じ場所に先祖が出迎えに来ますが、これはもう現世ではありえませんよね。
過去に死んだ人が、今死んだばかりの人と同じ場所で出会うという、霊界時間ならではの現象です。
その他に、霊力や霊格が上がると、時間を自由に使う事が出来ます。
能力のある者が、短時間で多くの作業をこなす事が出来るのです。 能力が、時間を超えるのです。
これが、『神様時間』ですね。
人間が1分間に10個の物を運ぶ事が出来るなら、神様は、1億個とか1兆個とか、個数に関係なく運ぶ事が出来る上に、それ以上の
事も出来ます。
それは、人間時間としての1分間を、神様は1時間にも1年間にも出来るので、沢山の仕事量をまかなう事が出来るからなんです。
だから、もし人間が、その時間の中で働く神様を見る事が出来たら、目にも留まらぬ速さで動く神様を見る事が出来るかもしれません。
というか、神様の1時間や1年間を、人間時間としての1分間という時間に集約して見るという事になるので、目に留まらないと
思いますけどね。
こういう事が、未来を先読みするという現象にも繋がるので、これを現世に降ろして来ると、「未来予言」という事になるんですね。
預言者が言う「未来予言」は、霊界時間で起きたもの、それが現世でも起きるであろうものを、現世時間に直す必要があるので、
時期がずれるという事が起きるんですね。 まあ、現世での未来は不確定ですから、時期が外れるという事や、現世の動きによって、
霊界で予定が変更されるという事もあるので、現世では起きなかったという事もあるんですね。 この辺は、霊界の法則により、
言える範囲が限られてるので、この辺にしておきます。
今回は、現世と霊界での時間についてお話しました。