神霊による人生相談

ょっ言。

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-2012年2月26日-
今日は、「人間本人がさほど好みでもないのに、守護霊や指導霊の好みの趣味が、人間本人の趣味になる ということが、あるのでしょうか…!?」というリクエストについて、お話します。   全ての人間には、必ず守護霊がついていて、その人間を正しい方向へ導いてあげよう、悪いものから護って あげようと日々頑張っています。   守護霊は、護ってる人間の性格や考え方をよく知っているので、その人間に合う道に進ませてあげようと 、目に見えないところで色々と援助してくれています。   指導霊は、一般的な人間の守護霊よりも霊格の高い霊(神仏の霊格)の事であり、簡単に言うと神様や仏様 なんですね。   なので、人間が困っていると、守護霊は助けてあげようとしてきますが、守護霊だけの力では無理な場合、 その人間が信心している神仏等があれば、その神仏に指導を仰いでくれて、その指導を受けた守護霊が、 人間を指導していくという事があります。  指導霊は、信心を持って正直に頑張る人間を指導してあげようと 、指導霊(神仏)の御心で、その人間の願いを叶える様な指導をしてくださったり、苦悩から解放される様な 指導を授けてくださったりする存在です。   守護霊は、魂の兄弟として、お互いの幾転生の経験を魂の中に併せ持っているので、趣味も好きな事も 知っています。  それだけ人間に近いところで見てくれている守護霊は、指導霊より身近な守り主と言えます。   それでも守護霊や指導霊は、自分の趣味を、今生きている人間にさせて満足する様な事はしません。   何故なら、今生きてる人間を、正しい道に導くために指導したりするのが守護・指導霊達の役目だからです。   もし自分が、今までに興味が無かったものに興味を抱いて、それが好きな事になったり、趣味になったり したという事は、これまでの心情や考え方に変化が出たり、真理を知ったりした時などに、世間や、物事の見る 目が変わったりしと事等に伴い、自分の魂の潜在意識の中に在って、今までに出なかった趣味や好みが出て 来る事で起きたという事が考えられます。   真理を知ったり学んだりした時に、出てくる興味や趣味は、大抵は高尚な趣味が多いのが特徴です。   歴史的に価値のあるものであったり、例えば、文学や美術品、精神的教え、 音楽等の好みの変化等があります。  私の信者さんの中にも数人おられますが、真理を学んで行くうちに、 昔のインテリアや、雑貨品、歴史的書物など、日本人なのに、ヨーロッパの昔の時代のものに興味が出たり、 それらを見たり、身辺に集めたりすると、妙に落ち着くとか、そういう事があります。   だから、自分の趣味が変わった様に思うかも知れません。  それは、魂の奥に記憶として在った、自分の 前世の中で良かったと思える時代の環境や、使っていた品物など、お気に入りのもの等が記憶されていて、 それらが出てきたりした時に起こります。     真理の本を読んだりして、真理を深く学んだりしている内に、神様の事が気になったり、人の為になる様な 仕事に就きたいと思う様になったりとか、もっと修行したいと思う人もいます。   それは、幾前かの前世で、真理の学びに精を出していた事があったり、その時代の宗教の教えを世に広めて いこうとする教祖のお手伝いをしていたり、お寺で修業されていた事があったりと、その人の持っている 魂の経験により、「真理の学びに触れていた」という共通点で、引き寄せられて、今の自分の心の中に、そういう 事を、自分は今後、して行きたいという願望が出てきたりします。  こういう事から、趣味が変わるとか、 考え方が変わるとか、物事を見る目が変わるとか、目標が変わるとか、そういった事が起きてくるんですね。   ただ、真理方面で学びを深め、人の役に立つ様な人間になりたいという目標があれば、守護・指導霊は、 それを更に高めて行こうとする指導を与えてくれるので、自分の意思に神仏の意思が加わり、同じ共通部分の 目標となっていけば、神仏の好みが自分の好みとなる場合があります。  それは、もう生きながらにして、 神仏の領域に自分の魂が昇華されてきているという事が言えると思います。  神仏の意向が、自分の意向で あるという事に対し、これを認識するという能力、事実確認が出来るという能力、それらは、その人の魂の 出所が、神仏の世界、光輝く世界から降りて来た魂であるという事と、その本来の意味を理解するに至る でしょう。  神仏の世界で流れていた音楽や、身近に在った綺麗なお花や、美術工芸品等、そういう神仏の 世界に描かれている様な、綺麗で落ち着く様な、高貴さが漂う様な、そんな品のある趣味が持てると 良いなと思います。  品のある綺麗な物が好きな人や、明るい音楽や、落ち着く音楽や、お花や、香水など が好きな人も、天使様の世界から降りて来られた魂である事が多いですよ。  結局、魂の中に 元来持っている趣味や能力が、心の引き出しを開けるように、何かのきっかけで出るだけなんですよね(^−^)♪


-2012年2月14日-
今日は、「(空)の理解を現実の日常の中で、どのように活かしていったらよいですか?」という リクエストにお応えしようと思います。   それでは先ず「空」とはどういうものか、またその教えには、どういうものがあるのか、お話していきますね。   「空」というものを、「場」とか「空間的」に捉えると、何も無い世界の事では無く、エネルギーが一杯 詰まった次元空間であり、有限な「この世」の現実世界と違い、放射状に無限に広がる次元と、無限の可能性 が大きく深く広がっている世界であり、魂の根源の領域でもあります。   それはまさに、小さなこの世を、大きく包み込んでいる(内在している)「大霊界」であり、その上の 「大意識界」にまで相当します。   深遠な所から湧き出てくる大いなる智慧、自分の経験上だけでは湧き出て来ないような、昔の偉人や、神の領域 からの智慧が湧き出てくるのも、この「空」という領域からであり、「空」というものを魂で理解し体得して いけば、迷いや、悩み事の解決方法も、イメージを伴ったアイデアが湧き出て来るという感じで、心の中に 浮かんでくる様になります。  これが昔から伝わる「般若の知恵」と呼ばれるものですね。   なので、人間というものは、心の指針が定まってくると、自然と迷うという心境が、出なくなるという感じに なってきます。  「迷いが無くなる様な心境」という意味の感覚のものですね。   それは、悟りの感覚に近いですね。   また、人間の肉体は時期が来ると死んでしまいますが、空である霊界では、各時代に生きた人格の意識体が残っ ています。  ややこしいですが、一人の人間の数万年以上の人間年表(輪廻転生表)みたいなのが出来たりも します。   まあ、これは「空」の意味でも、霊界の仕組みやサイクルを理解している人にしか伝わり難いと思うので、 現実の世界には活かし難いですね。  でも私は、これが仕事なので、活かしていかないと仕事になりません。   初級を過ぎて、中級辺りの信者さん達には、とても興味深いお話だったと思います。   では、もう少し簡単に、教えの話し等も加えていきましょうね。   空の教えの中には、心の中に、この世の物の価値や、欲や、様々な出来事に対して、長く執着が残ってしまう と、そこに苦しみの原因が生まれるから、そういった諸々の世俗的な価値観に囚われない様にすれば、心を 楽にして生きられますよというものがあります。   また、色即是空という中の「空」は、先の述べた「霊界」という「意識界」に当てはまります。   「色」は肉体で、この世的なものを表します。  霊界は、この世に存在する諸々の全ての起源 でもあり、それを言葉で表したのが「空」であり、その言葉の中には、大いなる神理が隠されています。   空は、大きな宇宙でもあり、大きな宇宙の中の小さな地球の上で、一生を送る人間は、小さな価値観に捉えられ、 その中で一喜一憂しています。  大きな宇宙のような霊界から生まれ出た魂は、小さな人間の体に一時の間 だけ納まり、肉体の寿命が尽きると、魂の生命の根源の世界へ繋がっている霊界から大意識の世界へと戻って いきます。  これは、霊界で生まれた魂が、元の生まれた世界へ還るだけなので、結局は、この世の人間 (色)も、霊界(空)へ還って、その中の意識体の一部の存在として生き続けるので、結局は「色」は「空」と 同じとも言えるんだよという事が、色即是空の教えです。  地球上の全ての存在(物質、意識体)は、 大意識界の下に在ると言う事が悟りの中核にあります。   魂が、霊界から赤ちゃんの身体に降りて来て、その時代の赤ちゃん個人の魂となり、歳を取って亡くなれば、 魂は、また霊界へ還る。  この長年の繰り返しのサイクルを輪廻転生と言っています。   結局は、大きな霊界の中の一部の空間に、小さな世界(この世)が存在し、 そこに今生きてる人間が暮らしていているんですね。  そうした大きな世界(霊界)から、毎日の様に魂が 何処か誰かのお腹の中の赤ちゃんの中に降りて来て、まだ小さな肉体だけの体だった所に生命の光が宿り、 これを何千年、何万年以上も繰り返しています。  全ては霊界から、そして人間世界へ降りて来て、魂修行を 数十年間経験し、そこで得たものを心の宝として、魂の中に刻印し、そして霊界へ戻っていく。   霊界とこの世の人間界は、大きな宇宙(霊界)の中の地球(この世)みたいなものです。  地球の中で暮らす 人々にとっては、この世が全ての様でありますが、地球を出たら、大きな宇宙が広がっているようなものです。   霊界という「空」の世界から降りて来た魂は、純粋な魂ですから、亡くなった時は、純粋な魂に近いとうのが 理想です。  そうでない場合、余計なモノが沢山くっ付いているという事ですね。  この沢山くっ付いて いるモノを「執着」と呼んでいるんですね。  これが、沢山あるほど、それらを元にして、心の様相が 様々に変化していき、それが苦しみを生んだりします。  例えば、お金が沢山あれば、大体の望みも叶う でしょうし、裕福で幸せに暮らせるでしょうが、それを他人に盗られたり、狙われたり、お金を目当てに寄っ てくる人も居るでしょうし、財産分与で揉めたり、妬まれたりもするでしょう。  お金が無かった時には 出て来なかった苦も出てきます。   なので、日常の中で「空」の教えを実践していこうとするなら、余り、物(物質全般)や、名誉や、この世的な 値等に惑わされない様に過ごして行く事ですね。  物は、高級品になる程、手に入れると喜びも大きいですが、 新品を買った時点で、それは一日も経たない内に中古品という評価になり、価値も下がってきます。   価値が下がらない物でも、持っているだけで執着になってしまえば、今度はその物自体の虜になってしまいます。   そうして、それを増やしていく事だけが生き甲斐になったりすると、欲の塊の人だと言われる様になります。   財産や名誉や地位等も、正しく頑張った後に頂いた御褒美として持っていれば良いと思います。   ただ、その御褒美を目当てに頑張る事が、執着を生む原因となりますので、気をつけましょうと言う事ですね。    人間も、諸々の生き物も、物質も、同じ時間の経過の中で生きています。  今は、時間の中の、ほんの一点 であり、それも即、過去になっていきます。  与えられた時間を、魂の糧となる様なものに注ぎ込んで、 そこで得たものが、本当の宝物となります。  経験も宝物です。  良いも悪いも全て経験し、悪いを 知って、良いものを理解出来るという事もあります。  努力も宝物です。  頑張っている姿自体、 キラキラ光ってます。  困難の中にでも、自分の定めた目標に向かって、少しずつでも進んで行こうと する姿勢や気持ち、それが人間としての正しい方向の向上心です。  限られた時間の中で、空の教えである、 我に囚われず、生かされている(人は肉体は殺せても、魂までは殺せない)という事実を受け入れて、 今ある環境の中で自分らしく生きていきましょう。  その為に、一時の執着心や、誘惑や、妬みや恨み等に 惑わされる事無く、気持を苦の原因に同通させずに、切り替える努力をしていけば、自分らしさを取り戻せます。   他人の悪心は言葉に乗って伝わったりしますが、受けた自分の気持まで悪くなるようなら、それは悪に同通し たという事です。  悪い気は流しましょう。  空が喋れたら、そういうものを流しなさいと、くよくよと 何時までも持っていても、 執着にはなるけど、宝にはなりませんよ、そんな事より、早くあなた本来の輝き(可能性)に目を向けなさい よと言われますよ。  「空」の教えは、本当はすごくシンプルですが、シンプル過ぎて分かり難くなってる のがこの世の現状です。  当たり前の事が、当たり前として分かっていながら、難しくてなかなか出来て ないのが、人間の人生と同じですね。   自分なりに「空」を取り入れて、気持ちが軽く過ごせると良いですね(^−^)v