ちょっと一言。
-2012年3月17日-
今日は、東北大震災直後から、一年を迎えた後では、霊界的にどうなってるかお話します。
2011年3月11日に東北地方を襲った大地震は、今までに無い大津波の襲来と共に多くの人命を犠牲
にしました。
それと、あまり大きな話題にはなりませんでしたが、家畜やペット、自然の中に生きての動物の命、
大津波で打ち上げられた魚達の命、植物や昆虫の命など、そういう人命以外の魂の犠牲も沢山ありました。
そして、地震や大津波で直接命を亡くした方々以外に、お寺や、お墓や、家の仏壇を流されてしまい、
先祖等が行き場を失って、元在った家やお墓の周りをうろついて、途方に暮れているような状態の先祖達も、
あちこちで見うけられました。
親族を一度に亡くした先祖は、いきなり無縁仏になってしまうケースもあり、嘆いている先祖や、
津波に流されて、どこに行ったのか分からない子孫を心配している先祖も多くありました。
沢山の動物霊が苦しみ、行き場が無くて、供養をしている私の所にもやって来て、すがって来る事も、
しょっちゅうでした。 今では、そういう事も無くなりました。 お寺などの宗教施設は、霊の避難所
みたいになっており、お寺のご本尊の仏様も、それはそれは大変な感じでした。
私が東北に行った際に立ち寄るお寺のご本尊も、大変じゃ〜って言ってました。
なので、私も一緒に供養したり、浄化したりして、今では一時のような大変さは無くなりました。
そうして、私も一年間、色んな魂を救ってきましたが、震災後の一年(一周忌)という時期が、一つの目途で
あり、区切りであると考えていました。
亡くなったばかりの魂も、何とか一年(一周忌)を迎えると、この世的な未練を断ち切れなくて、なかなか
霊界へ行けなかった魂達も、ようやく心の整理も一応つけて、何とか霊界へ旅立たなくてはという気持に
なってきます。 そういう時に、沢山の人達の想いや、合同供養祭などで、もう一度、今置かれている
自分達(亡くなった魂達)の状況を知る事も出来ます。
また、そういう沢山の方々の供養の想い、供養の際、仏様達が降りて来てくれて、未成仏の魂達を光で包んで
下さる事も手伝って、未だ成仏し切れていない魂達の心の中にある、この世に残す未練の心、悔やめる心を
癒していってくれます。 そうして、後押しされた魂達が、ようやく霊界へ旅立つ事が出来るんですね。
一周忌は、身内や多くの方々の命が、大きな災害や事故、病気等で亡くなられたという事が、自分達の周りや、
世間の中で、少しずつ冷めてきた感が出てくる時期に、丁度当たる様な時期になります。
そういう時に、この度の震災一周忌は、もう一度、多くの方々に命の尊さを再認識してもらい、皆が忘れない
様に、この多くの犠牲と辛い経験を活かして、新しい政策や、新しい事業を生んで、死から生へと回帰する
様に、今後の日本の更なる復興に役立てて欲しいと思います。
東北の土地から湧き上がる気も、以前よりも随分と明るくなりました。
まあ、何やかんやで、供養に集まった魂を利用しようとする、悪い者(地獄霊)の気もありますが、
それらも大分祓えてきているので、東北地方の上空には、重たくどんよりとした、黒い雲の様な気は減って
きました。 太陽の光が雲間から射し込むよりも多くの光が、天から地上に降り注いできています。
今、光と光の間には、少しの闇はまだまだ在りますが、そういう狭い空間に留まる悪霊も次第に消えていく
でしょう。 そして、天から降る光の幅は大きくなり、やがて全ての光の束が交わる時が来ます。
その時、日本はまた一つ大きく成長するでしょう。
私の信者さんの中にも、東北の方は沢山居られますが、皆明るく前向きに毎日を送られています。
私が疲れた時も、気遣って元気メールをくれたり、私の好きな物を送ってくれたりします。
どちらがお世話になってるか分かりませんね(^^ゞ
最近は、被災者さんの未成仏霊も頻繁に来なくなりました。 一息つける時間が取れる様になりました。
それだけ、東北地方が軽くなってるという事です。 あと、今日から始まる「お彼岸」の時期が終わった
後に、更にスッキリ感が出る様に、先祖様や、多くの魂の一切浄化も含めての御祈念と御供養、
それを阻止しようとする魔の勢力も祓っておかないといけませんね。
また、頑張りますよ(^−^)v
-2012年3月7日-
もう直ぐ「お彼岸」の時期ですね。 今日は「お彼岸」という事から、御先祖に関するお話をします。
御先祖という先祖霊、又は、縁故霊(血縁や姻戚で縁の繋がる霊)は、大体、同じ様な霊界に居ます。
少し上下の霊層段階は在りますが、お互いの意識が許せば行き来が出来る範囲に納まっているのが
普通です。 なので、生きていた時代は違っても、先祖代々が同じ様な環境の所で暮らしています。
まあ、あまり古い時代の先祖は、転生して何処かの国の霊域に生まれ変わりますので、生まれ変わった地
の家系で、新たな先祖との縁に繋がれるという事になります。 これを人間の魂は繰り返しています。
そうして、せいぜい数百年という昔からの先祖辺りまで、縁が繋がってるという事です。
先祖であったというこの世的な記録は残っていても、余り古い年代にまで遡ると、何々家先祖代々の魂と
しては、もう転生してしまって霊界に居ない事もあります。 生まれ変わりは、その魂の状態により
ますが、大体100年〜300年位で転生します。 例外的に、100年未満で転生する魂もあります。
自分達の先祖を記録では無く、「先祖霊」として見た時の霊界滞在時期は、その位と考えていて良いと思います。
あと、先祖は亡くなって「仏」にはなりましたが、神仏の霊格を持っている「仏様」とは違います。
なので、お仏壇の先祖達に、お願い事をされても、先祖に叶えるだけの力が無い場合、先祖を悩ませる事に
なります。
阿弥陀様やお釈迦様等の「仏様」は、それだけの霊格と御力があるので、人間の頼み事が正しく、私利私欲無く
、その人の為、周りの為、叶えるに値するものであれば、そうなる様に導いてくださいます。
お仏壇の先祖に頼んでも、お家に神棚が有れば、その神様の所に先祖が頼む事が出来ます。
しかし、先祖が全て成仏してるとは限りませんので、もし成仏が出来てない先祖がいた場合、子孫の頼み事を
聞くどころか、「自分達(先祖達)の供養もしっかり出来てないのに、自分(子孫)の事ばかり頼んでくるな」
という気持ちになってる事が多く、逆に子孫に対して、障りを起こす先祖も多いです。
そういう事に、気が付けよという意味で起こる障りです。 まあ、もっと自分勝手な先祖がいた場合、
気が付けよで済まない事も多く、自分(先祖)が苦しんでいるのは、子孫の供養が足りないからだとか、
自分(成仏出来てない先祖)ばかり苦しんでいるのは不公平だと、子孫にも苦しみを別けてやれという感じで、
先祖の障りを受けてしまってる子孫の方も多いです。 また、先祖が、自分の生前の悪い部分を反省せず、
他力本願で子孫に全て任せてしまって、何とかしてくれ〜!って出てくる先祖も結構多いですね。
「他力」というものを、仏教的思想で簡単に言うならば、自分の魂というものは、仏様の大いなる力の下では、
小さな存在であり、自分自身に持つ煩悩をも浄化出来ない存在であり、仏様の高みにまでは上がって行かれない
者であるから、どうぞお力をお貸しくださいという事です。
そして、尊び敬う心を持って、自分の心の状態、生活態度等も見直して、仏様に見てもらえるだけの心の努力
と、その気持ちを日々の中で保たてさせる努力もしないといけません。
そうして初めて、「神仏の大いなる他力」を呼び込む事が出来るんです。
これは「先祖」も、子孫である自分達にも言える事で、自分の事をよく見直し、よく知るという事。
そして、良くない点を、少しずつでも改善して行こうとする気持ちと努力。
そうして行く中で、時期を見て他力が介入されるという事です。
それが、先祖では、子孫の供養であったり、仏様の御救いであったりします。
子孫では、家族や友人や、会社の同僚や社会等、もう駄目だという時に、誰かが救いの手を差し伸べてくれ
たりして、何とか頑張れたという事で表れます。 神仏を信仰していたお蔭で、治らない病気が治ったと
いう奇跡扱いされる様な出来事は、そういう神仏の御救いの表れであります。
「あの世」に生きてる先祖も、「この世」に生きてる私達も、子孫や先祖の力に頼るだけで無く、今の自分の
立場や、置かれている環境を受け入れて、自助努力をして行かなければ道は開けてきません。
そして、やるべき事をやって行く中で、大いなる他力に認めてもらえる自分であれば、必ず他力は降りて
来るでしょう。 正しく道を進もうとする人には、必ず助けが入るものです。 それは、神仏の目で見ても、
この世に生きる他人の目で見ても、頑張ってる人を見れば、心の中に助けてあげたいという想いが出てくる
はずです。 それが、神仏の想いでもあり、正しい心を持つ人の想いでもあります。
結局、正しく想うという心は、神仏も人間も同じであり、それが人間は心に「神性」とか「仏性」を持って
いると言われる証拠でもあります。
人間、他力を受ければ、自分独りでは出せない力を発揮出来る事もあるでしょうし、沢山の力が集まり、
引き上げてもらえる事もあるでしょう。 それが、自分の助けにもなり、仏様の助けが降りて来たという事
にもなるんですね。 生きてる人も先祖も、お願いがあるなら、先ずは自分の心と努力を見直しましょう。
先祖に代わり、このお話を読む人の心に、「なるほど!」という気持ちが起きれば、先祖も一緒に「なるほど!」
と思っているはずですよ。 そういう繋がりもあるので、先祖が出来ない学びを取り入れるという事は、
迷える先祖に明るい道を指し示すという事になり、この上もない供養にもなるんですよ。
来週17日には彼岸入りになり、一週間の彼岸の期間を過ごし、23日に彼岸明けとなります。
その間、御先祖様と一緒に真理の学びを深められると、先祖も子孫も心に光が射し、新しい道が開けるかも
知れませんよ。