ちょっと一言。
-2012年4月27日-
今日は、前回の普通霊界のお話の続きをしますね。
普通霊界の上段階より上の世界へは、ただ単に成仏し、この世的な執着も、ある程度脱ぎ捨て、人として普通に
過ごしてきた善人というだけでは上がれません。
この上の世界へは、善の心からくる信念を持ち、多くの人を指導してきた人であるとか、世の中の為に活躍した
人であるとかになってきます。 自分の才能や力を、より多くの人に為に使った人が住める世界です。
また、この世界へ上がって行く人達は、もう一つ、神仏を否定せず、最低でも「神仏」を信じ、敬う心のある人、
正しい信仰心を持って生きて来た善人達です。 特別な才能が無くても、多くの人を指導していなくても、
家族や友人や、周りの人達に親切にし、正しい信仰心を持って、神仏を信じ敬う心を持って長く信心してきた
人は、この世界へ上がって来れます。
ただ、この上位世界を大雑把に上中下と別けると、先に述べた事柄は、下段階の辺りになりますね。
その段階が、この上位世界の基本段階となり、それ以上に上がるには、先に述べた事柄を、どれだけ皆の為に
頑張ってきたか、自己の才能を多くの人の力になれる様に、どれだけ努力してきたか等、正しい想いを行動に
表す事が必要になってきます。 そして、ある程度の成功を手にし、結果を残し受け継がれていく事です。
自分の秀でた才能を、単に仕事の道具として、お金儲けとして使ったりという、今の資本主義の世の中では当
たり前の事ですが、霊界の上位世界の中段階以上に上がるには、その他に、心の想い、仕事を進めていく中で、
信念の正誤善悪の部分、この部分の方向性が問われてくるんですね。
この信念の方向性が、自己中心的であれば、それは自分の為に能力を使うという
事で、他人に迷惑を掛けたり、損害を与えたり、能力だけを追い求めたりしがちで、反社会的な道理の合わな
い行為に発展したりする事もあります。 世の中では、凄い才能を自欲の為に使い、皆の為に使ってない人
が結構いますので、そういう人達は、この世界へ上がるどころか、死後は地獄へ落ちてしまいます。
今、才能があって賢い人達が、結構な割合で地獄行きになってるので、勿体無いです。
心の方向性が、より多くの人の為にという想いに向いていれば、自分の才能をより良いものに、人々の笑顔が
広がる様に、幸せが広がる様にというものに使おうとする想いが出てくるはずです。
そういう想いは、必ず神様の指導が入るものです。 神様の想いの中には、皆のために頑張る人を指導する
という想いがありますからね。
信仰心にしても、ただ神仏を信じてるだけでは不十分になり、信じる程度が問われてきます。
そして、そこから自分が何をして行くべきかが、問われてきます。 神仏を信じ、信心を深めていくと、
日々の暮らしの中で、毎日の仕事や、与えられた役目や役割をこなし、家では自分なりの心の修業の時間を取り
、その日の想いを正しながら、毎日を過ごして行く事が、本当は大事な事なんだと気付いてくると思います。
日々の気付き、その気付きの積み重ねが、明日の自分の生き方を左右するまでになるんですよ。
そういう心の状態を重要視される世界が、上位世界から上の世界(神様の世界等)に広がっているんです。
この様に、どれだけ心の修業(心の調整と鍛練)を積んできたか、その程度により、神仏との道が出来始める
のも、この段階を境として表れてきます。 これらが上位世界の中段階から上段階ですね。
この世界の上段階位から、歴史的にも名のある方々が居られるようになります。
また、この上段階の世界の住人からは、後頭部の辺りから、丸い後光の光が出始めるのも特徴です。
指導力も求められます。 下段階から中段階までは、自分の得意分野でリーダー的な要素が出始め、
それを伸ばしていく事が修行の対象になります。 そして、霊力も備わってくる段階でもあります。
そういう方々を見てみると、身体の周りが光っています。 各自の能力を活かした指導方法を確立する為に、
日々思案しながら、学びを深めています。 (こういう方が御先祖の中に居られると、子孫の良き指導者と
なるでしょう)
また、霊力も、心の状態、心の磨かれ方(良くない部分は、反省と真理に沿った考え方で削ぎ落とし、
良い部分は光らせ伸ばす)によって、どの方向へ向いていくのかが、次の段階の、どの世界へ向いて
上がって行くのか変わってきます。 (心の状態と方向性が、進む道の段階と進行方向になります。)
この心を磨く事が上手く出来ていないと、上段階の更に上の段階であ
る、神仏の世界へは上がれないという事になります。 上位世界の上段階は、神仏見習いという感じです。
指導力も付いてきて、霊界での自分の役割を認識し、一般霊界の者達を指導したりする事もあります。
先生という感じですね。 そうして、上位世界の上段階まで修業を積んで、神様っぽくなる段階を卒業して、
次の段階へ上がり、本当の神様や仏様達の仲間入り(新入りの段階)となります。
次回は、学びを深める段階を卒業された方が居られる、神仏の世界へ上がって行きますね。
-2012年4月12日-
今日は、霊界の階層を下から順に見て行きながら、学びを深めていこうと思います。
先ず霊界の始まりですが、人間死んだら、皆が最初に行く場所があります。
あの世という世界ですが、そこは魂の転生の過程で、何回どころか、何千回も何万回も訪れている場所ですが、
大抵の人間は、毎回死ぬ度に、初めて訪れる場所だと思っています。 そして、ここは何処だとか言いながら、
段々と自分が死んだ事を思い返していたりします。 人間は、転生をする際、霊界での記憶を、霊界に
置いてくるので、いつも始めて来た場所と思うんですね。 まあ、いつもいつも、同じ国に出ている
(転生している)訳では無いですので、東洋の世界か、西洋の世界か、オリエンタルな世界か等々、世界の国々
によっての宗教的世界観の違いはありますので、それらに合わせた世界観を霊界には設けて在ります。
それは、亡くなった人の魂が、母国の宗教、その人が親しんできた神仏の教えで迎えてあげないと、受け入れ
る事が困難になり、迷ってしまう事があるからなんですね。
例えば、日本で観音様を毎日拝んでいたお年寄りが亡くなって、あの世に行ったら、羽を生やした見た事も無い
姿の人(天使)が舞い降りて来て、いつも私達を拝んでくれたから迎えに来ましたよと、お年寄りに言っても、
そのお年寄りは、日本の仏教である観音様を拝んでいたので、西洋の観音様である天使様が来て下さっても、
今一理解出来ないんです。 神々しい姿なので、何となく神様っぽいなと感じるとは思いますが。。
だから、キリスト様の愛を話されて諭されても、親しみが無かった分、ピンと来ませんし、解りません。
何となく言わんとしている事は解っても、親近感が出ないんですね。 その方を、観音様の様に信じて付いて
行こうとは思い難いんです。
見た目で、生前から慣れ親しんだ観音様としての姿で現れ、教えを説いてあげると、「ありがたい」と直ぐに
心を開いてくれるんです。
そういう、長年慣れ親しんだ神仏の姿で、亡くなられた方の魂の前に出て、教えを説いてあげるということが、
霊界に来た事も早く理解してもらえ、早く救ってあげる近道になっているんですね。
それが、霊界の世界観の一つでもあります。 アメリカやヨーロッパ等、仏教圏以外の国の方が亡くな
られ場合、もしも最初の霊界で「不動明王様」に会われたら、多分、悪い奴かもしれないと思うでしょうね。
なんせ、背中には噴き出す火炎を背負って、怖い顔してますからね。
諭して、教えを説くどころでは無いと思いますよ。 信仰心の無い人は、神様を認めないので、これに似た
様な感じになり、結局、分かろうとする所まで時間が掛ります。 結果、成仏するまで時間が掛るんです。
知らないという事は、受け入れてもらうまで苦労するという事で、
知っているなら、その苦労は無いという事です。 だから、信仰していた宗教によって、その国によって、
来て下さる神様が違うという事は、それだけ亡くなった魂の事を考えて、霊界は動いているという事です。
それが神仏の「大いなる慈悲」という事にも繋がって行くんですよ。
という事で、今回は、日本の霊界の世界に合わせてお話しますね。
それでは早速、死んだばかりの魂が集う場所へ行きましょう。 この世と、あの世を隔てる「三途の川」は
渡ったかな。 この世的なものに執着があると、川の水は浅いのに溺れるよ。
ポケットからお札の束も出さないと、重くて渡れませんよ。 川底には、お金や、有名企業のお偉いさんの
肩書きの名刺等が落ちてます。 上等なスーツを着た、いかにも偉そうな社長みたいな人が溺れてます。
その横を、船がスーッと水面を滑る様に追い抜いていきます。
船には船頭さんらしき人の他に、10人程度の人が乗ってます。 大きめの船もあります。
皆、普段着みたいな服装です。 ちょっとそこまで、という感じの気楽な服装です。
その後ろから、水面を足首位まで浸かった感じで、川を歩いて渡る人が、またまた溺れてる人の横をチラッと
見ながら追い抜いていきます。 川の水は浅くて、大体、大人の膝位ですかね。 溺れてる人は、時々
頭が沈む位の感じで溺れてます。 その人毎の執着の重みで、川の深さは変わるんですね。
皆に追い越されて、追い越され際に、お金をやるから助けてくれと言ってますが、皆にお金なんか要らないと
言われ、ようやく溺れてる人は、自分の欲の深さに気付いて、お金を捨てて、威張った心も捨てていきます。
そうすると、何事も無かった様にスッと立って、歩いて川を渡れる様になりました。
霊界は、この世の執着と、素直に神仏を信じ、広く大きな教えを受け入れ、学びながら成長していく事で、
どんどん上の世界へ上がって行く事が出来ます。 次は、三途の川を渡り、閻魔様に会って、生前の行いを
皆の前で映し出され、それにより、相応の世界へ赴いて行く先があります。
道を下る世界は「地獄」で、緩やかな下りから、平坦な道にかけては一般霊界(上中下段階)に通じてます。
そこを、どう思いながら歩いていくかです。 そこでも、心の改善は出来ます。 それぞれの世界に
入るまで、考えながら歩きましょう。 下段階が、中の段階になるかも知れませんよ。 そうなれば、
道の傾斜が下りから平坦に変わる事に気付くでしょうね。 その先、世界に入る入口が光っていれば、
そこは上段階の入り口です。 穏やかで、怠けず、他人に親切が出来る人達の世界です。
下段階は、この世的な習慣から抜け出せず、まだまだ苦しみや、不満が多少残っている世界です。
しんどい、しんどいと言いながら、何かをしたり、生前と同じ日常に追われた動きをしています。
中段階は、在る程度、心の成仏は出来ていて、あくせくはしていませんし、今居る世界の想いにしては、
可も無く不可も無い感覚、というより上を知らないという感じです。
霊界によって、そういう意識の違いがありますね。 それが心の段階と言う事であり、階層が分かれている
要因でもあります。 次回は、上段階の上の世界へ上がって行きますね。
-2012年4月5日-
今日は、お彼岸を過ぎても帰らなかった霊達と影響、それらを取り巻く悪霊についてお話します。
先月のお彼岸の後、毎年の様に居残り組の霊達(苦しみの霊界に戻らず、苦しみを人に訴えたり、快楽を求めて
人間界に残る霊達)が、あちこちに散らばって人に憑いたりして、障りを起こしたりしています。
私の所にも、相談に来る人の予約日が近くなると、それぞれの人に憑いている霊が、先に私の所にやって来て、
しんどくさせたり、風邪をひかせたり、身体を痛くさせたりしてきます。
その他にも、動物霊や妖怪の類が出てくると、体の調子が悪くなったりするのが長引きます。
あと、死神系統が来ると、最初は病気っぽくなり、放っておくと本当に病気になる事もあります。
それに加えて、希望が湧いて来なくなり、死について考えたりするようになります。
また、お墓の下から出てきた霊が来ると、身体が冷え込み、お風呂に入っていても寒く感じたり、身体の一部が
冷たくなったりします。 冷え性の人は、余計に冷えが強まります。
そういう霊に、つけ込む様に、地獄界の鬼や、魔界の悪魔系統の悪い霊が力を貸したり、仲間に引き込んだり
してきます。 そうして、自分の組織を拡大させようと狙ってきます。 このあたりは、人間界の悪い事を
考えている人間と似てます。 というか、人間の悪しき考えにも、そういう悪魔達はやって来て、自分達の
手先にしようと利用し、どんどん悪い人間をつくろうとしています。
そんな悪い力をつけた魔界の者に、ただ居残っただけの霊達は捕まってしまい、捕虜になって、言う通りに
させられます。 そんな命令に従ってやって来た霊は、私が祓おうとすると、自分は来たくて来た訳じゃない
と言って、何とか許してもらおうとしてきます。 時々、同じ様な事を言って、許してもらおうとする者が
いますが、その者の心の中(今は騙して謝っておいて、後で仲間と一緒に苦しめてやればいいと思っている)が
透けて見えるので、私は、「はい!そうですか」と言いながら、聞くふりをして祓ってしまいます。
また、何とかしてほしい霊達、救ってほしい霊達は、自分で努力しないで人間に憑いて苦しめる事で、自分の
存在を知らそうとしてきます。 それでも分からない人には、更に苦しみを与えます。 それで人
が苦しんでいるのを見ていると、自分の苦しみを少し紛らわせます。
それが、不成仏霊の心の癒し方の一つです。 本当の心の癒しとは、程遠い癒しですね。
苦しんでいる霊は、大抵は、この様な心理状況に在るという事が多いです。 苦しみから逃れられないのは、
本当は、生前の執着が原因であったり、考え方や、言動の悪さが原因であったりした事なので、それら
ドロドロした心の状態を、自分なりに、さらさらした綺麗な心に浄化して行く努力をしないといけないんです。
その為に、自分の心を見直して、今度生まれ変わる時に、もう一度やり直そうという気持ちにまで引き上げて
いく様に努力していれば、苦しんでいる心と違って、前向きに進もうとする心になるので、苦しみの世界が
出す波動と合わなくなり、その結果、抜け出せる様になります。
苦しみの世界に存在する霊は、真理の教えが心の中に無いので、自分を苦しめているのは、実は自分の心であ
るという事も分からないんです。 苦しみの世界は、悪の力の強弱関係で、支配する側と、支配される側に
別れます。 そこには、助けや愛は無く、恐怖が恐怖を支配する世界です。 迷える霊は、早くその事に
気付き、自分で自分を助けるべく、心を落ち着けて、素直に教えを聞きましょう。
この教えを読んでいる人の後ろや近くで、同じ様に読んでいる霊の心の気付き次第で、霊の心の苦しみは、
楽になってくると思います。 霊が楽になると、憑かれている人の身体も楽になります。
そうして、今まで人に憑いていた霊は、明るい世界へ上がって行く事が出来る様になります。
それが、この記事を書いた意味でもあり役目でもあります。 この世も、あの世も、苦しみの無い世界に
なる様に、素直で愛のある心でいたいですね(^−^)v