ちょっと一言。
-2013年3月22日-
今日は、赤ちゃんが、どんな風にしてママのお腹に入ってくるの?とか、赤ちゃんと両親との縁は?等、
赤ちゃんについてのリクエストがありましたので、それらについてお話して行こうと思います。
先ず、お母さんのお腹の中の赤ちゃんの魂ですが、霊界に居る時(お母さんのお腹に宿る前)は、まだ大人の
魂でありました。
受胎後、赤ちゃんの魂が、霊界から降りて来て、お母さんのお腹に入ったり出たりしながら様子を見て、
お母さんの波動と自分(赤ちゃん)の波動を合わしている時期に入っていきます。
この時期に「つわり」というものが起きます。
これは、赤ちゃんの魂が、お母さんの子宮内に入る事で、母子との魂の波動の違いのギャップから起きる
現象です。
「つわり」は、母子の魂の波動の違いが影響してますので、「つわり」の症状が強く出る方と、軽い方がいる
のは、そういう理由からでもあります。 そうして、母子共に魂の波動の折り合いがつくと「つわり」の
時期も終わります。
(こういう事から、「つわり」とは、母親の身体に、赤ちゃんという違う魂が宿る、一種の憑依現象なので、
それを母子共に安定させる為に行う霊的作業の事です)
暫くすると、魂の定着期間に入りますので、その頃になると、霊界への行き来が途絶え
、もう霊界へは還れなくなります。 あとは、無事生まれられるように、じっと我慢です。
これが妊娠後2〜3ヶ月までの間に起きています。
赤ちゃんの魂は、お母さんのお腹の胎児に無事宿るまで、こういう作業をしているんですね。
赤ちゃんは、霊界の生まれ変わりの場所で、将来の親になるかも知れない夫婦を、ワクワクしながら探してい
ます。 将来の親の候補として、いくつかの順番があります。
これは縁の濃い順や使命の順になっています。
前世で親子関係にあったとか、兄弟姉妹であったとか、同じ使命を果たした者とか、親友であったとか等の
順番があり、後の順になるほど段々と縁が薄くなっていきます。
やはり、以前も親子であったりするのが一番縁が濃いです。
以前は親であったのが、今世では子になってる、そういう親子はこの世で沢山います。
よく、子供の方が、親よりしっかりしてるとか言われる場合、以前は子供の方が親であったりしますね。
親と子の縁は、色んな時代で家族であった可能性が高いです。
赤ちゃんの魂は、霊界から夫婦の暮らしぶりを見ています。
このお家の子になりたいと思える夫婦を見つけると、たまに霊界から意識がスゥーッと降りて来て、夫婦の近く
で見ています。(まあ、霊界で見てる場合が多いですね)
まだ、お母さんのお腹には入りません。 本当に、この親で大丈夫なのか、しっかり見ています。
そして、そんな事を知らない夫婦は、「そろそろ子供が欲しいね〜」なんて話を
し、子供が出来た時の暮らしや心構えなんかを話し出したりします。
そうすると、女性の方の身体から、ホワ〜ッとした穏やかで優しい光が出ます。
男性の方は、優しいですが強めの光が出ます。 これが、子供を持つという事を意識した時に出る、
お互いの心の様相に応じた光です。
女性は、子供を授かるという想いから、愛情に包まれた温かい家庭で、子供を愛していきたいと
いう想い等が、光の状態に表れ、男性は、子供を持ったら、しっかり育てられる様に、家庭と家族を護りながら、
仕事も頑張らないと! という心の状態が光に表れます。
その光の具合を見て、この夫婦なら、子供として出ても、愛して貰える、
しっかり育ててもらえる、自分の道を歩む助けになってくれる等という想いを持ちます。
そして、お母さんの身体から出る優しい光を感じ、自分に合わせられるかどうか試します。
合えば受胎しますし、合わなければ、今回は駄目だな〜って感じになります。
お母さん側の光を綺麗な状態にしておく事が、妊娠を成功させる秘けつでもあります)
何回か試した後、この夫婦に決めたとなり、神様に了承を貰って、お母さんの身体(子宮)に道
(霊界から降りて来る通り道)を付けてもらいます。 これで、胎内の胎児が無事に育っていける状態に
なります。 魂が入って無い胎児は、受精後、ある程度の細胞分裂を行いますが、途中でしぼんでしまいます。
なので、魂(生命)の入って無い状態では、生まれて来ない様になってます。
妊娠後2〜3ヶ月を過ぎると、お母さんのお腹に定着しますので、赤ちゃんの魂が、お母さんの霊体に包まれて
生活するようになります。
無事、定着の儀式も終え、後は、しっかり育ててもらえる様に願うばかりの不安な日々を
過ごす事になります。 そんな赤ちゃんを安心させてあげる為に、音楽を聞かせたり、話しかけてあげたり
して、不安な心を軽減させ、和ませてあげる事が必要になってきます。
そうして毎日、お母さんのお腹の中で、夫婦の会話や、外の音等を聴きながら、段々と成長していくんですね。
お母さんや、お父さんの、声を聞き分けてもいますよ。
お腹の中の赤ちゃんに、声を掛けてあげても、中で返事してますしね。
名前なんかも、幾つか呼び掛けてあげると、自分(赤ちゃん)の気に入った名前の呼び掛け時は、喜んでるのか
、動きが活発になったりしますね。 お母さん自身も、お腹の中の赤ちゃんと繋がっているので、何となく、
その時々の赤ちゃんの気持ちが分かる様な気分になる事もありますね。
あっ!これは嫌がってるな!とか、これは好きなんだ〜♪とかね。
(あっ、そうそう。 子供が3歳位になったら、お母さんのお腹の中で過ごしてた事を、話してくる子がいますよ。
お父さんと、お母さんが喧嘩してたから、辛かったとか、お母さんが笑ってるから、自分も嬉しかったとかね)
生まれて来る赤ちゃんは、みんな天使の子です。 一定の修業を経て、生まれる事を許されて、この世に
出て来るんですから、みんなキラキラした魂を持って出てきます。 赤ちゃんの笑顔は天使の笑顔です。
癒されます。 護ってあげたくなります。 弱い者を強い者が護るという事、それが自然の法則です。
そういう当たり前の事も、出来てない世の中で、当たり前の事を、当たり前として、やっていく。
子育ては、人間として正しい想いを育てるという事でもあります。
子供に教えられる事は多いでしょう。 赤ちゃんや、幼い子供を育てている中で、人間って、こうある
べきなんだなと考えさせられる大人も多いと思います。
子供を持つ親は、人間としての成長も叶えられます。 親が子を育て、子が親を育てるという事があります。
小さな命を育てて行くという事は、大変な事であり、その分、親も大人になっていきますし、
立派な親へと成長させてもらえます。
自分が宿るお母さんとの霊的係わりや、両親や家族との前世の係わり等、何かの縁のある家族の住む
お家の子になって、一緒に暮らして行こうと決めます。 そして、何より両親の事を好きになって、覚悟を
決めて、お母さんのお腹に降りてきます。
そうして、形になったのが、今の家族という訳です。
生まれて来て良かった♪ 生まれてくれてありがとう♪ と言える両親と子の関係であり続けられるよう、
お互いの気持を尊重し合える家族でありましょうね。
-2013年3月9日-
今日は、日本神道系の最高神であり、天地創造の神である「天御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)
という神様と、その教えについて
お話します。
天御中主神様は、天地開闢(てんちかいびゃく)の際に現れた最初の神様です。
天地開闢とは、天と地の始めは、混沌とした一つであったものが、次第に二分化され、分離して天と地に
代表される二つの世界が初めて生まれたとされています。(簡単に言うと、世界の始まりの事です)
その世界の始まりの時、最初に現れたのが、天御中主神様という事であり、天地・万物創造の際に、最初に出て
来られた神様として、天地・万物を司る中心の神様でもあります。
そして、次に出て来られたのが「神産巣日神」(かみむすびのかみ)で、天地の生成を司る神とされています。
次に「高御産日神」(たかみむすびのかみ)で、万物の生成を司る神とされています。
この三神を合わせて、「造化三神」(ぞうかさんしん)と呼ばれ、天地・万物を定めた後、姿を隠されている
とされています。 また、高天原の中心に居られる神様で、最初に高天原に現れたとされる三柱の神様の
中心に位置される神様です。
天御中主神様は、日本神道の神様の中で最高位の霊格の神様であり、普段は姿を見せませんが、日本中の神様方
を高天原の頂上から統括されています。
「天御中主神」の属される「造化三神」に、「宇摩志阿斯訶備比古遅神」(うましあしかびひこぢのかみ)
と、「天之常立神」(あめのとこたちのかみ)を含めた「五柱の神」を、天津神の中でも特別な存在として
「別天津神」(ことあまつかみ)と呼んでいます。 神の世界においても、特に色んな世界には登場したりし
ませんが、根源的な影響力を持つ大神として、特別な存在です。
そして、「別天津神」の次には、「神世七代」(かみよななよ)の神々が現れました。
神世七代は、十二柱七代の神を神世七代としています。
また、数え方として、最初の二代は一柱の独神(ひとりがみ)を一代として数えて二柱で二代、その後の五代は
、二柱(男女二人の夫婦神)を一代と数え、十柱で五代、合計として「十二柱で七代」とされています。
日本国土の創造の神として有名な「イザナギ尊」と「イザナミ尊」は、ようやく、この神世七代の最後に現れた
夫婦神ですね。 この夫婦神から沢山の子孫が生まれ、その中では日本を代表する神として有名な
「天照大神」がおられます。
これが、天御中主神様の起源と、お近くに居られる最上位の神々の位置関係ですね。
これらは、「古事記」や「日本書紀」に神様の起源・系統として書かれていますので、詳しく知りたい方は、
各自に調べて頂けたらと思います。
天御中主神様は、神様の中の神様みたいな感じで、神様方からしても、雲の上の存在の神という感じです。
私が、日本の神の国(高天原)を訪ねてみても、白く輝く果てしない雲海の上、その輝く雲が山の様に盛り上が
った頂上に、太陽の様に輝いてる神様が居られます。 それが「天御中主神」です。
天御中主神様の光は、太陽の様に暖かく照る光ではなく、太陽の放つ光に輝きを加えた様な光という感じです。
また、相当な熱量を光と共に放たれているので、近くに来られると、夏の熱い日に、日光浴をしてる位の熱さが
身体を包みます。 御神体のお姿を拝見させて頂くと、小柄なお年寄りのお爺さんです。 「そんなに年寄
りでは無いぞ!」って言われました(^^ゞ 身体全体ビカビカに光輝いてます。 パワー溢れる神様です。
と言うか、光パワーの源の様な方です。
古事記や日本書紀には、天地開闢の後、姿を隠されたとありますが、必要である時のみ、こうして姿を現してく
ださいます。 今回は、天御中主神様の事を書かせて頂くという事で、特別に出て来て頂きました。
また、私のお仕事で、神様崩れ(本来は神であったのが悪に転化した神)等が蔓延る神社等を浄化する際、
天御中主神様の御力を貸して頂く事があります。
その際には、物凄い光量の光が、天から滝の様に落ちて来る光で辺り一面、一切を浄化して下さいます。
普段は出て来られませんが、永遠に姿を隠されているという事ではありません。
自分(天御中主神)を認識してくれる者が人間界に居れば、何時の時代でも、指導を降ろし導いたりしたという
事はあったらしいです。 しかし、近年の国民の神離れ、礼節心や道徳心、信仰心等の下落から、形式のみ、
形式重視の信仰(気持ちの入らない信仰)に成り下がっているので、自ら出て行こうとする事自体の機会が
無くなっているとの事らしいです。 無くなるというか、人間側の心の問題により、人間側が閉ざしている
んでしょうね。
あれから時代も進み、人間の指導や、神々の指揮などにも重要性が増してくるので、これからは積極的に現れる
機会が増えるであろうという事らしいです。 「天御中主神」という神様としては、全国の神社の中でも祀ら
れてる所が少なく、神話の中でも、本当の最初だけしか登場しない特別神として隠れた存在から、馴染みの
少ない神様であると思います。
ですが、高次な神の教えは、私達がよく知る神々にまで、神道の根源の教えとして流れていますし、
神々を指揮し、人間達を指導する為に、御威光は広く行き渡っています。
それでは、天御中主神様と一緒に、最高神の光の教えを語っていきましょうね
天御中主神様より発せられる無辺の光は、全てを遍く照らしています。
その光の教えとしては、光のみ真実、全ては光より生まれ、本来、その光に善悪無し。
人は本来、神の光より生まれたるものであり、神の光の善なる性質を持つ光の子であるという事。
その光は、善なる神の光より別れ出た善なる光であり、魂であり、その善なる光を持つ魂に一切の悪は無し!
人は、この世において一時、悪に染まる事があるかもしれないけど、その悪の中にも善の光、真実の光が隠され
ている。 その善の光を、真実の光を持つ事を信じ、自分の中に、まだある光を見出し、勇気を持って、
正しき道を選びなさい! 心にある命の光は、神の光です。
雲に隠れた暗い空でも、その上には太陽の光が燦然と輝いているのですよ。 希望の光を絶やすな!
神の子であると確信し、神の光を掲げて進む者の道に、一切の悪は退きます。
神の光を持つと信じて進もうとする努力が、更なる神の援助を導きます。 神の光は、神を招くのです。
真っ直ぐに前を見て進みなさい! 目の前には神の光が輝いているのですよ!
その光を信じて進みなさい!
光が強まれば、影が出来ますが、その影は心の迷いです。
心の迷いが消えた時、そこに在ったはずの影は無くなっている筈です。 そして、自信を持って自分の光を、
神の光を掲げなさい! その自信と勇気と信念が、益々、神の力を呼び込み、見るからに光の人となって、
迷える人を導く力を発揮する事も出来るのです。
本来、神の国には悪は無いですが、人間界には迷いや不信があり、それが悪心を生みだし、悪という迷いを生む
のです。 また、地獄というものは、古来より人間界に出た魂の迷いによって地獄の想念帯が出来たに過ぎま
せん。 本来、天国である神の国があるのみで、地獄も無かったのです。
天国と地獄は、善悪が二分化された世界(神と悪の世界)になっているとされていますが、それは本来の神理か
らすると、神の光の大海に、迷い人達を集めた小さな陸地が一つ浮かんでいるのと同じです。
大いなる神の慈悲により、神の光の大海に、一時的に心の迷った者達を集約し、更生を図る場所としての、
小さな小さな世界です。 心が闇に囚われると、人間性も狭くなり、心も委縮して黒く小さくなっていき、
そんな小さな陸地でも、広く大きな世界に見えてしまうんです。
これが心の誤りであり、光を閉じ込められた時の心(光)
の迷いです。 ですが、事実、地獄の亡者も改心すれば、黒く陰った魂の中から本来の光が割って出てきます。
そして、その光は改心を待つ神の目に留まり、導きの光に包まれ天国へ還るのです。
本来、善なる光より生まれた魂に、悪は無しという事です。
光のみ真実であり、善なる神の光を受けて、輝く笑顔で光の道を進んで行きましょう。
これが、天御中主様の光の教えです。