神霊による人生相談

ょっ言。

前ページへ戻る


-2013年11月27日-
今日は、霊界の学校についてお話します。
霊界には、生きていた時に学んでいたり、研究していたり、従事していた専門分野等を、死んでも尚、もっと 高めたいという意識を持つ魂達は、霊界の研究所や、学びの場に集まり、それぞれに新しい知識を得ようと 頑張っています。  生きていた時に、様々な環境での障害等で、満足に使命を果たせなかった魂や、文明や 科学の発展を待たないと達成出来ない様な研究をされていた魂、死んでも、まだまだ学びを深めたいという 魂、または、魂的に優秀なのに早死(不慮の事故や、病気、子供の時期に亡くなった等)してしまった 魂達は、これから教えを受けて伸びようと願う魂達と一緒に、様々な学校に入って日々を過ごしています。   これらの魂達は、全て正しい心を持ち、自分達の力を人間界での発展や幸せの為に使いたいという想いがあります。   西岡学校の子供達も、素直で純粋で、研究熱心であったり、何より他の子供達と仲良く学べる姿勢を持っている 子が、神様に選ばれてやって来ます。  子供から大人まで学べる様に、幅広く整備され、区画された学びの 場は、それぞれ得意な専門分野で自分磨きをしたり、研究したりしています。   人間界で培った知識と経験を、霊界に持って来て発表したりもしています。   今の人間界は、こういうものが求められている、その為に自分は人間界で実現しようと頑張ってきたが、 残念ながら実現を見るまでに寿命が尽きてしまった。  そういう魂は、霊界ではもう在るのに、人間界では まだ無いという事も知ったりします。  それで、自分の求めていたものはこれだったんだ!という驚きを 持つ者も居て、この知識を人間界で生前の自分と同じ様に頑張っている研究者達に降ろそうと考え、何とか時代 に則した形で降ろせないか思考錯誤していたり、またそういう人物(心が正しい者)が居ないか探していたり します。  霊界の技術は、人間界からすると高度過ぎるので、今の時代に合わせたレベルに変えて、分かり 易く指導を降ろさなければ、肝心の人間の方が理解出来ない事になってしまいます。   芸術作品などは、感覚的なものなので、一種の心の表現方法を絵画や音楽などの芸術作品として、人間に降ろし てきます。  そうすると、たまに、時代的に受け入れられない芸術作品が仕上がったりします。   でも、何年、何十年後には、この世の人間の感覚が追いついてきて、これは凄い作品だぞ!っていう事に なったりして、作者が亡くなってから世界的に認められる作品もあります。   これも、天上界からの降ろし方の問題や、先急ぎ過ぎた霊人からの指導により、時代に合わなかったという 事も時々起きるんですね。  また、そういう問題も起きるという前提で、わざと新感覚的なものを降ろして、 人間の感性や知性を刺激して、文明の進化速度を上げるという意味合いもあります。   宗教の学びの場では、昔の有名な哲学者や、僧侶などが、めいめいに専門書を読みながら長い廊下を歩いてい たり、瞑想に励んでいる僧侶や、広場に数人で集まって何やら熱心に話し込んでいる姿も見えます。   私は、宗教的なお仕事を専門としているので、訪れる場所は神仏にたずさわる方々の集まりの場所が多いです。   たま〜にお邪魔すると、「先生! もう還ってきたのか!? はて? もう少し先の予定じゃったと思ったが?」 って、声を掛けて来る方も居られます。  それで、「まだ寿命が残ってますので、あっちの世界(人間界)で 頑張らせて頂いてます。」と言うと、「そうじゃったか! 日々、この書を読んで、あれこれ想いを巡らして おったので、知らぬ間に、もうそんな時間になってしもうたと思ったわ!」って、どんだけ一生懸命なんですか !って思います。   「また、先生が還って来られたら、ワシ等の所に降りてきて色んな話をしてくれよ〜! それまで、この書を 読んでおるからの〜」って言うと、「ではな!」って言って、サ−ッと去って行かれます。   ゆっくりした歩調なんですが、動く歩道を速足で歩く位のスピードで去って行かれます。   人間界と同じ速度で歩いて余韻を残して去る方、そして先の様な、ゆっくりな歩調なのに走るほどの速度で去る 方、一瞬で消える様に去る方。  去る時のスピード度は、その人の気持ちの表れでもあります。   一通り話し終わって、次の事に心を向けられ、そちらに集中すると、さっと消えますしね。   時間的余裕があると、学校内を案内してくれる方もいます。  今回は、案内人と一緒なので、建物内の普段は 入れない場所まで連れて行ってくれるそうです。  早速行ってみましょうね。   学校内は、色んな部屋に分かれていて、沢山の書物を読んでる方が居る部屋や、説法の練習をしている部屋、 偉い方が講義をされている部屋、偉い方が集まっている、まるで職員室の様な部屋等が並んでいます。   そして、段々奥の方へ進んでくると、廊下には絨毯が敷かれ、雰囲気も荘厳になってきて、その学校を代表する 方々の居られる部屋が並んでいます。   その廊下の先の一番奥の部屋、ひと際大きく重厚な扉があります。   先生、どうぞ入って頂いて構いませんよと言われたので、お邪魔してみます。   重々しいドアをガチャッ!と開いて中に入ります。   そこは、部屋全体が明るく光り、広過ぎるんじゃないのと感じる程の空間の広がりを持つ部屋で、さっきまで 並んでた部屋より少し広めを想像していましたが、全然規模が違います。   皆さんに分かり易く例えると、小さな家の玄関ドアを開けてみると、そこには水平線の見える 様な大きな部屋(部屋の様子をした空間の様)が目の前に広がってるという感じです。   そういう感覚の当てはまる様な部屋です。  建物の構造がどうなってるの?という感じですが、ここは霊界 であり、次元格差の大きい方が、その次元空間を決める、「次元空間理論」による優勢次元だったんだと 思い直しました。   (次元空間理論=霊界では、空間の中に空間が存在し、次元空間は、次元の高い意識空間が優先権を持ち、 全てを掌握します)   また、何でこんなに大きな部屋が必要なのか、次に起きた事で直ぐに分かりました。   その部屋の主は、大きな石油タンク位の大きさの丸い光の塊で、周囲を明るく照らしながら輝いていたから でした。  ちょっと長くなりそうなので、続きは次回に回しますね。   出来るだけ早めに更新しますので、お楽しみにね(^_-)-☆          


-2013年11月8日-
今日は、霊格と霊能力の関係と自覚についてお話します。
霊能力は、霊的なモノを見る力の他に、三世を見通す力、聴く力、書く力、話す力、祓う力、次元移動力、 身を護る力、霊力を自在に上げ下げする力、実力(光)を隠す力等があります。   霊能力は、魂の霊格に比例して高まり、使える能力も増え、発揮する力も影響力も大きくなります。   また、ある程度の霊格が無ければ、多くの霊能力を自らの能力として自由に発揮する事が出来ません。   神に近い霊格、神と同等な霊格を持っていれば、神の能力と同じ性質のものを自由に使えますし、神々との 交信も当たり前の様に出来ます。 (神の能力は、霊界での能力と、地上界での能力の表現方法やエネルギー 量の違いがあり、また時間の観念も違ってくるので、大きな能力を使う場合程、霊界と地上界との実現に、 時間差が生じます)  神との関係は、気の合った友人同士という様な関係(霊界でそうであった事が多い)や、更に上の霊界の神様よ り指導を得て学びを深めつつ、人々に真理を説き、癒しを与え続けて行くのに必要な上下の信頼関係です。   神と、神の霊格を持つ人間は、霊界に居て指導をする立場、神の世界より、この世に出て人間となり、社会の中 で真理を実践しながら、様々な分野で、世の中を明るく(道理に通じた進化発展)していくという立場に分か れているだけなんです。   なので、時々互いに連絡を交わしながら、指導を降ろしたり、またその指導を受けて、この世 で実践したりしています。  正しい霊能力を持つ人(正しい神と通じる人)とは、そういった神々よりの 指導を受けているか、この世で、愛や思いやりの心を持って、和をもって人と接しているか。   何より、自分を律し、謙虚な心を持って過ごしているかです。   霊格(=人格)が上がって来ると、自然とそういった事が当たり前の様な気持ちになって、分け隔てない心が 芽生えて来ます。  霊能力は、何かの時に使うだけの意識として認識し、普段は普通の生活を送るのに 必要な、身を護る力だけを自然と出してます。  身を護る力(霊的バリアを張る、霊的浄化促進など)は、 人が自然と呼吸しているのと同じであり、気にしなくても当たり前の力として常時出してます。  時々は、 チェックしないといけませんけどね。   霊的浄化促進とは、人間の身体の機能である自然治癒力と同じで、霊的に影響を受けた傷(悪影響)を自然と 浄化していきます。   あと、能力が高まると、自然と魂の輝きも増してくるので、身体から魂の光が湧き出て、体外に放射され るので、それを封じ込める能力(大きな光を隠す力)が必要になってきます。  まあ、持ってる力をセーブす る力ですね。  自ら発している大きな光を、最小限の光の放射量に抑えて生活する事が、普段の生活 の中で重要な事になってきます。  これが出来ないと、普段の生活に支障をきたします。   色んな不成仏霊が、漏れ出した光を目指してやって来たり、魔に狙われたりして、いつも身の回りに霊が居ると いう困った状況を、自ら作り出してしまうからです。   神に通じ、大きな霊能力を持ち、何かの時に、その能力を解放して、世の為・人の為に惜 しみなく使える人程、光も大きく強く輝くので、この隠す力を実践していく必要があります。   似た様な例えで、「能ある鷹は爪隠す」にも、 ある意味通じる理屈で、いざという時だけに、その能力や真価を発揮すれば良いという事で、普段はその能力 を隠しておき、決して他人に「ひけらかさない」というものですね。  能力が上がると、謙虚心が慢心 に変わってくる事が多いので、能力自慢をする人がいます。   こうなると、人格者というものが崩れてきて、押し付けの真理になったり、念力自慢に偏りやすく、次第に 傲慢さが出てくると、神仏の繋がりが薄れ、段々と魔の世界の力が加わってきます。  そうして、何だか 色んな事が見えてきたり、人の考えが分かるようになってくると、本人は益々力が上がったと勘違いして、 大先生気取りになったり、スゴイ!スゴイ!と言ってもらえないと機嫌が悪くなったり、気に入らないと怒った りする先生がいますね。  「すごい!」は、他人が判断し、自然と口に出してしまうもので、自分で言う事 ではありません。   自分を全ての神の上に見る人も出て来ます。  実際、神は自分が創ったんですよとか、宇宙は 昔の自分が創ったんですよとか、地球を創ったと言った人も居ましたね。   そういう自慢話を言いながら、結局は「狐の霊」に憑かれて苦しいから助けて欲しいという 事でした。  宇宙や地球を創ったのなら、狐もあなたが創った事になるんだから、狐に憑かれて苦しいなら、 簡単に消してしまえる筈なんですがね。  でも、そういう方々は、魔界の能力から貰った力であったり、 魔に憑かれてる事で使えている能力なので、自分の意思で自由自在には操れないんですね。   全て、憑いてる魔が主導権を持っており、魔の意思で動かされてるだけなんです。   だから狐が憑いてる事は、本人の意識として何となく分かるんですが、それを祓う事が出来ないんです。   出来ないというか、させて貰えないんですね。   魔は、簡単に能力をくれるので、早ければ一日で霊能者になれます。  潜在的に能力を持ち合わせてる人で、 心が魔に通じそうな人に狙いを付けて忍び寄り、ある日、急にとり憑きます。  数日したら、霊が見え出し ます。  神の声(魔界の者が神に化けて騙してる)が聞こえて来ます。  それで、自分は神の力を手に入れ た特別の存在だと嬉しくなります。  あなたは、神に選ばれた特別の存在だと言ってきます。   それで、心の修業も出来てないのに、霊界の道理も法則も分からないのに、霊の事、神の事を話し出します。   魔に、いい様に使われ、あとは、その者に騙される人が増えていくだけです。  苦しむ者を更に苦しめます。   魔は、それが大好きだからです。   まあ、そういう事で、修行者や霊能力を持つ人等は、この光を隠す能力を磨いて実践しないと、ピカー!って 光ってる人が無防備で歩いてる様なもので、身を護る力を出していても、霊的なモノは光ったオーラの光 を見付けて寄って来ますし、魔の世界の者は、そういう光ってる人だけを狙って落としに掛かって来ます。   霊能力は、自分の利益や自慢の為に使うのではなく、人の為、社会の為に使って価値があるものです。   私はペット等の動物も助ける事が多いので、動物にも霊的力を使います。   木や草花など、自然にも使いますしね。   それが次第に大きくなり、環境や社会の安定と発展にも繋がれば良いですね。   霊能力は正しく使う為に、自分の心をしっかりコントロールし、霊格の向上も果たしながら、更なる能力開発の 為に努力してく事です。  常に神を意識し、神の心を考え、神の心を実践出来るように、出来るところから 努力して行けば、「気付いた時」には、人格も上がり、霊格も上がってるという事になってます。   そして、霊能力は、神に通じる「慈愛の心」の「付録」として身に付いているでしょう。   この世は、どちらが「本分」で、どちらが「付録」か分からないで修業してる人が多いみたいに感じます。   これからも、しっかり本分を向上させる自覚を持って、心(魂)を磨いて行きましょうね(^−^)v