神霊による人生相談

ょっ言。

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-2013年12月31日-
今日は大晦日ですね。  何とか今年中に前回の続きの更新が出来てホッとしています。   それでは、前回のお話の続きをしますね。   菩薩の施設では、多くの人々に様々な導きや助け、教え等を提供していけるよう、人間達の心を明るい光の方 向へと成長させるべく、神仏の心を基盤として、人を愛し、人を導き生かす「愛行」に身を投じられていま した。   仏教では、「八正道」で正しい生き方の道を示し、これが基本の生活習慣となり、真理の教えに沿った生き方を 実践して行き、神仏の心に見合う人となる事で、天部の位に相応しました。   そこから更に上の修業「六波羅蜜行」を実践して行く事で「真理の愛」を悟り、生きながらにして菩薩の境地 (与え施す愛の境地)になるというのが、心の修業をしながら生きて行く者の心得として感じ取って頂ければ 良いと思います。  菩薩は、まだ装飾品を身に着けて楽しむという、人間的な楽しみの部分が残っているの で、「最後の人間味を残した仏様の最終形」と言えますね。   それを踏まえて、次の「如来」という段階があります。   それでは、菩薩様の施設の場所から移動して、如来様達の居られる場所に行ってみます。   目を閉じ、如来様の所へと念じ、目を開けたら、広い空中空間に出てました。 (これ、霊速より早い移動で、 神速と言い、霊速では行ける次元範囲が使う者によって限られてきますが、神速では次元範囲に関係無く移動 が可能です)  そこは、空間自体が明るく光っていて、その中に幾つか浮かんでいる建物が見えます。   それは、クリスタルで出来た様な、透明でいて、それ自体が様々な色に発光しながら光輝く建物が見えます。   先程の菩薩までの建物と、何か根本的に違う雰囲気を放ち、彫刻の様な建物とか、立体芸術的な建造物という 感じがします。  住むという感じではありません。   一つ一つの建物が山の様な大きさで、そびえ建っているという感じです。   ここでは、地面に相当する場所がありません。  特に必要としないです。  なので、みんな空中に浮かんで いるみたいです。   所々には、大きな光の塊が浮かんでいます。  私は空中に浮かび、ゆっくりと進みながら、その光の傍を通り過 ぎようとすると、パッと光って人の形に変化し、「先生、よく来られたな!」って声を掛けられます。   その際、その方は、以前何処どこの世界で私と会った事があるよとか、先生のお噂は、よく耳にするよとか、 また帰られた時はお話を聞かせてくれとか言われたりして、その度に私は、へぇ〜(^。^)そうなんだ〜!と 感心したり、はい!分かりました(^O^)/と返事を返したりと、そうして時々声を掛けられながら、どんどん 先へ進み、引き寄せられる様に、一際大きな建物(多分、小さな都市位の大きさ)に入りました。   その中は、屋根が何処にあるのかという位に高く、周囲に壁があるのかと思う位に広い場所で、部屋というより 空間という感じの場所です。   ブーンとゴーンという低い音が合わさった、重低音の唸るような音が周囲に響き渡り、音の振動が身体に ズーンと伝わって来ます。  そして、周りが白金色に光り出しました。   その光の中から、黄金色の光を放つ、山の様に大きな大仏様が現れました\(◎o◎)/!   お釈迦様か阿弥陀様なのか?よく似てるので、どっちかな〜?って思っていると、「どちらでも良いのだが、 阿弥陀の方である」と言われました。  神仏様達は、大抵、ご自分の名前の事などは気にされてないです。   高次元の神仏が、自ら名前を名乗って出て来る事はまず無いです。  それよりも、教えを与え、正しき方向 へと導く方が大事なので、名前を聞いて有難がったり、名前で値打ちを量ったりする方が良くないからです。   「先生も、ここに来られるまで、天部や菩薩の学び所を見学されて来たであろう」 「天部や菩薩も、人を救う 為に、怠りなく精進を進めておるが、人間は様々である」 「先生も教えを与える身であるから分かるだろう」 「人間の数だけ心があり、その心に向けて必死に教えを説いてみても、各自で理解力や理解速度が違うため、 心に落し込むまで時間が掛かったり、心がこちら(神仏)に向いてなかったり、真理を自分の都合の良い様に 誤って理解したりと、教える側の悩みは尽きないだろう」 「そういう悩みを菩薩達も抱いておる」 「学ぶ者から教える者になって初めて分かる事もある」 「先生は、簡単な事や、同じ事の繰り返しを延々と 続けていく事を、どう思うか?」と、急に阿弥陀様が質問されました。   私は「そういう時は、忍耐の修業をさせて貰ってると思って、その都度、その時々の相手の心の変化を捉えなが ら、淡々と、着実に進めていけば、いつか心に掛る時が来ると、時期を見ながら相手も見つつ話を進めて行って います」  悩める者に真理を説く時は、直ぐには分からないのは当たり前ですし、 それを嫌に思ったり、怒ったりしても仕方ない事です。  そういう時ほど、自分の能力を試されている時でも あります。  教えてやろうという思いは、自分偉しという意識があるからです。   「そうである。 自分が他人より偉いとかそういう意識から離れて、皆の為に、自分のやるべき事をし、 与えられた使命を更に良いものとさせるべく、一貫した想いを崩さずに努力精進して行く事が、真理に適う 者の生き方、命の燃やしかたとして大事である」 「これを永遠とも思える時間の中、幾転生の中で執り行う事 を、自らの修行過程と認識するものである」  如来は万人に平等に光を与え続ける太陽の様な光の存在です。   如来は多くの神仏の親の様でもあり、多くの宗教・宗派の教えの根源の 存在として、天部や菩薩等の神仏の頂点であるとされています。   如来は「慈愛」の光の塊という存在です。  普通の人間が、修行の目標として掲げるには難しい存在です。   如来は、最低限、菩薩の魂を持って生まれて来た方などが、それ以上の働きや、愛の精神から慈愛の精神へと 昇華して行く事を悟った後、その状態を生涯続けながら、真理の道を踏み外さずに幾転生の修行過程を繰り返 しながら更に磨きを掛けた後、ようやく如来となる事が出来ます。   今、地球上に転生して出られている如来は、ほんの数名です。  世界人口、約72億人足らずの内で、 たった数名です。   まあ10億人に一人位の割合ですかね。  なので、どれ位、如来になるのが難しいかという事ですね。   先進国には、二人以上の如来が出てる国もあります。  その前段階として、梵天の境地があります。   「菩薩以上・如来未満」という狭い境地の次元です。  「なるほど、私の言葉を、多くの民に分かる様に 説明しながら書き記しておるのだな。 それも先生の役目、われらの意思やメッセージを伝える事も重要な事 であるので、今後も励むが良い」    「釈迦は、先生に神理の教えを与える担当をされておる」 「そして我、阿弥陀は、先生の持つ慈愛と、 大いなる救いを完成させるべく見守っておる」 「そして、先生のお仲間である大いなる神々が、先生の護りを 固めておられる」 「怠る事無く精進せよ」 「本年も、ご苦労であった」と言われました。   いつもながら、気が引き締まる思いです。  そして、メインの意識が、こちらに戻ると、阿弥陀様はまた未来を救うべく光の世界へ戻られました。   指導が終わると、あっさりです。  あまり冗談も言われませんしね。  神様達も我が家に集まってますよ。   これから宴会でしょうかね。   今年も、あと数時間で終わりますね。   来年も、良き年になりますように(●^o^●)    それでは皆さま、また来年も「神霊による人生相談」を、宜しくお願い致します。  


-2013年12月21日-
今日も前回からの続きをお話します。
それでは、菩薩達が学ばれている施設を見学させて頂きましょう。   向こうにある建物に行こうと思った瞬間に、もう目の前には建物がそびえ建っています。   霊界の瞬間移動は便利ですね。  すごい建物だな〜って暫く眺め、入口は何処かな〜?と辺りを見回して いたら、数メートル先の空間が明るく光り出し、その光の中から二人の男女が出て来られました。   男性は西洋の天使様のようで、背中に半分透けた様な白く綺麗な羽が見えます。   もう一人の女性は、穏やかな表情で観音様のように見えますが、ここは菩薩の施設なので、本当の観音様です。   皆さんも、何かの機会で、装飾品を身に付けた観音様が描かれている絵を見られた事があると思いますが、 それよりも、もう少し飾り気が無く、あっさりした衣装を纏われた、とても綺麗な女性の方です。   「あれらの姿は、人間に見せる為に、わざと綺麗な格好をとっているだけで、普段はあっさりした衣装で過ご しているんですよ」と、私の意識(絵で見るより、案外あっさりした衣装だな〜って思いました)を読まれた のか、そう答えて頂きました。   「ここからは、私達がご案内させて頂きます」と、お二人が声を揃えて仰いました。   「宜しくお願いします」と私。   「では、参りましょう。どうぞこちらへ」と差し出された手の方向へ目をやると、もう建物の中へ入っていま した。   中は、丸い形をした大きなホールがあります。  建物の内部全体がホールなのかなと思う位、大きなホールの 空間が広がっています。  「ここは、大きな講演などがある時に皆が集まる場所になっております」と、 また意識に対しての答えが返って来ました。   菩薩や天使の次元の会話は、思った瞬間に相手に伝わるので、やり取りのスピードが速まります。   一つ下の天部の次元でも、意識の会話はしますが、上の次元へ上がるほど、そのスピードと同時に、送ったり、 送られてきたりする情報量(容量)等が増してきます。   会話と同時に、相手の見聞きした映像を見る事も出来ます。  相手が今見ている風景を、遠く離れた場所で 同時に見る事も出来ます。  また、色んな次元から同時に送られてくる、複数人での会話も同時に出来ます。   同じ会話でも、そういった高いレベルで出来る様になってくるのが菩薩や天使達です。   私も、人間界から、天部、菩薩、如来、地球最高神霊界、宇宙神霊界等に向けて、意識レベルでの会話をするの で、人間界に居ながらにして通じる事が出来ます。  今も、この記事は、霊界通信をしながら書いてますし ね。  これを当たり前と思っていない、または 知らないと、霊界からの通信は受信出来ないんです。  そういう法則を知らない心の状態が、心の受信機を オフの状態にさせているんです。  なので、神と通じ合いたいなら、先ずは、神のいる霊界は在ると、 当たり前に信じ、胸を張って言えるようになっていく事が大事です。  次に、心の修行ですね。   修行してる人の心の中には、神様は存在する!とか、霊界は絶対に在る!とか、そういう絶対的な強い意志を 持っている人は意外と少ないんですよ。   霊界は多分在ると思うとか、神様は多分存在するに違いないとか、多分という曖昧な気持ちが入ったら駄目なん です。  強く問われると、絶対存在する!という言い切れない弱い意識で修行している方が多いのです。   この意識の弱さ、絶対的に信じ切れない心の弱さが、神様や霊界との繋がりを難しくさせ、人間の心と神仏の 心とを繋ぐ障害となり、修行の道を踏み外す原因にもなっています。  それは、頭の理解を基に、人間が構築 した理論を追う修行になってしまっているからですね。  教学から入る事も正しいのですが、教学の教えの 思想から、その教えとしての思想が出てきた元である、霊界の思想に繋げていかなければ、霊界の理論の証明 である「空」の思想も理解し難いです。   教えの本質をみていこうとする姿勢と探究心と努力を続けながら理解を深め、心の奥深くに浸透させ、心で理解 していく事で、心の扉を開く鍵が見つかり、神仏との交流が始まります。  そうして、心で悟るまでの過程の 努力精進が修行であり、そのやり方によって、修行方法も、修行形態も様々になるという事ですね。   これが教えのバリエーションである「宗派」の存在ですね。   どんな修行も、最後は「心」で感得しないといけません。  般若の智慧は心から湧き出ますからね。   後は心の段階を、更に引き上げる修行ですね。   ここまで書いた時、観音様と天使様は、「本当にそうなんです。 先生の仰られている事は、宗教家でも理屈で は分かっていても、人間になると、なかなか出来なくて、それが私達、指導する側にとって、悩みの種になって いるんです」という事でした。   「今回、この建物にご案内させて頂いた目的も、先生とのお話の中で広く世界に発信して欲しかったからです」 と言われました。  ホールの中には、いつの間にか沢山の天使様や菩薩様達が集まって居られました。   皆、あちこちで指導をしている方々ですが、人間の方は、神仏に近づきたくて修行に励んでいるんですが、 繋がる心を磨いていない修行者が多いとの事、また神仏と繋がった後、何がしたいかが見えないと仰っていま す。  霊感を与えて貰う為の修業、霊力を使う為の修業、偉くなりたい為の修業、自己満足に終始する修行、 お金儲けの為の修業、そういう人間の心が、神仏には手に取る様に分かるので、そういう修行の行く末に、 本当の神仏の心と繋がると思っているのか。  我々菩薩や天使達は、その様に危惧していると伝えて欲しい という事でした。   今、ここに居られる方々(天使や菩薩)は、実際に人間界の宗教家や、霊能者や、世の中の指導者等にメッセ ージや光の指導を降ろしたり、そういう人間達との係わり合いを持ちながら、善き方向へと導いたりするのが 役目の方々なので、指導される人間の心が、自分達(菩薩や天使)に寄り添ってくれないと、繋がりも薄く、 満足な指導が出来ないという事を言われています。   何だか、周りに居られる方々のお顔から、随分と悩み多き心情のご様子が見てとれ、下界の指導に大変な想いを されながら、一々身勝手な人間を、変わらぬ愛情を持って接し続け、導き続けて下さる事に、感謝せずにおれま せん。  でも、そういう悩みがストレスにならない様、先の学校の段階で、誰の為、何の為に学び、そして 得た力を何に役立て使うのかを、魂に刻み込み、何事にも動じない「不動の心」、温かな「愛の心」を得て、 学ぶ者から、活かす者へと、導き、指導しながら歩みを進めていくという事でした。   下界の人間に対して、霊界の学校で学んだ事を実践し、学びを活かしていきながら更なる段階へと上がって行く 必要があるんですよ。   しんどい時は、初心を思い出すという事で、気持ちをリセットする事も出来ます。  改めて、自分の役割、 志を最認識し、心新たに、困難を希望に変えるべく、実践の道を歩んで行って欲しいです。   皆さんは、大いなる根本神の、大いなる愛に見守られながら、それぞれに成長の過程を歩んでいるんですよ。   大神のお近くで、大神の心を自らの心とし、各自の役割を担って頑張られている皆さま、本当に有難うござ います。   もう、大きなホールの中は満員になっていました。  私が心に想って発するメッセージを、このホールに 集まった菩薩や天使の方々は、皆、一生懸命に聴いて下さいました。   「悩んでいましたが、勇気が湧いて来ました」と言ってくださいました。  「希望が出てきて、やる気 が出てきたぞ!」ってガッツポーズをとる天使もいます。  「心が熱くなりました」「またお話を聴かせ てください」「大いなる光の道筋を見た気がしました」   いつの間にか、私は大きな光の塊になっていました。   そして、皆が感謝の涙を流してくださいました。  私も、この記事を書きながら感謝の涙が出ています。   「先生、また来て下さいますか?」と、若い観音様が控えめにたずねられました。   「はい! また来させて頂きますね」とお伝えさせて頂きました。  観音様は、ほっとした表情で「よかった」 と、一言だけ仰いました。  美しく清らかで端正なお顔には、沢山流した涙の跡がありました。   私は、多くの方々の拍手を一身に受けながら大きなホールを抜け、外に出ました。   外では、観音様と天使のお二人からお礼の言葉を頂戴し、次は如来様がお待ちですと言われましたので、また 続きになってしまいました(^^ゞ 今年中に終わるかな(^^ゞ            


-2013年12月5日-
今日は、前回からの続きをお話しますね。
大きな部屋の主は、大きな丸い光の塊という場面で話が終わりましたので、今回は、その続きからですね。   目の前の大きな光は、広く大きな部屋全体を明るく照らしながら輝いています。   暫く、どうしたものかと考えていると、「おやおや、これは失礼しました。 後ろを向いて窓の外を眺めなが ら考え事をしていましたので」という声(声の様に聞こえる意識)が心の中に入ってきました。   「えぇー! 後ろ向いてたんかい! まん丸の光だけだから、後ろか前か分からんわ! 目も鼻も無いしー!」 って、心の中で突っ込みました。  関西人なんで、何かあると神様に対してでも突っ込む癖は出ますね(-_-;)   まあ、人間そういうもんです(^^ゞ  人間味ってやつです。  神様の世界では、それが 薄れてしまいますけどね。  すると、光の塊は、「おぉ〜!そうか! 先生は目鼻のある人間の形を とった方が良いんじゃな!」って、突っ込んだとこ、気付いてるやん! あっ!そうだ、ここは 意識の世界だから、頭で考え、心に思う事は、口に出して喋ってるのと同じだったと、また思い出しました。   霊界で、スムーズな対応を心掛けるなら、意識世界の道理を再認識して心を切り替えておく必要があります。   要領を思い出せば、後は心で会話していけます。 (声で伝えるという感覚で話すと、声で会話するという感覚 が起こせますが、これは、憑依された時に、聴きたくもない声が耳から聞こえてくるという現象と同じです) 「そうじゃよ。さすが先生! 慣れるのが早いのぅ〜」って、全然早くないんですけどね(^^ゞ   この光の方は、声という音声を感じ取らせず、意識で話そうとしています。   その方が、対外的なイメージ映像を含めた感覚情報(五感を伴う情報)を瞬時に受け取る事が出来るからです。   五感なので、見る、聴く、嗅ぐ、味わう、触れるという5つの感覚までが情報として入ってきます。   それは体験したかのように分かります。   更に、その場に居ながらにして、遠く離れた次元世界の香りも嗅げますし、食べたり触る事も出来ます。   まあ、見たり聞いたりは当たり前ですけどね。  私が、この世界に居ながら、霊界に意識を飛ばし、あちこち 見聞きして帰ってくるというのも、霊的感覚情報を受け取るからです。   霊能者なら当たり前ですけどね。  「そろそろ良いかの〜」という意識が来ました。   今、霊界にコンタクトすると同時に、この記事を書いているので、待っててくれてるんですよ。   だから、暇掛るだろうと、光の塊のまま外を眺めて待って居られたんでしょう。   人間界は、何をするにも時間が掛るんです。   大分説明したので、「もう良いです」と意識を送ると、「先生は人間の為に、あれこれ詳しく書かないといけ ないから、大変じゃのぅ〜」と言われました。  と同時に、大きな光が目の前で小さくなっていきます。   小さく萎んで、テカテカ光る小柄なおじいさんになりました。  「目鼻あるぞ!」って、笑ってます。   はいはい(^^ゞ  「先生がワシに対する印象が年寄りだったから合わせてみたが、ワシ本当はもう少し若いん じゃぞ!」って。 あっ、そうなんだ! じゃ、若いのでお願いしますm(__)m ・・・少し中年になりました。  「どうじゃ!」 あんまり変わって無い気がしますが〜(^^ゞ  「それでは、外に出ようかの。」   「学校内は、案内を受けて見て来たじゃろ」 「はい。色々見せて頂きました」 「なら外じゃな!」  目の前がパッ!と光って、気付いたら学校から遠く離れた外に居ました。  この世界の中央に居る様で、 色んな施設(学校)が見えます。  ふと、遠くに目をやると、見た事ある様な建物が見えます。   「あれ、お前さん所の学校じゃよ! この辺りでは、一番の生徒志願数を誇っておる、神々も注目されておる 学校じゃぞ!」 どうりで、似た様な学校があるんだな〜と思ってましたが、西岡学校が仲間に入れてもらえ てました♪  嬉しいー(^◇^)♪   小さな小屋から始めた学校が、今では数十階建ての巨大マンモス校に成長しています。  でも、私が始めた 学校なので、たかだか10年ちょっとの歴史しかないので、他の学校の様な伝統と風格や威厳さは、まだまだ ですが、 最新の教えと、地球最高神霊様より、地球上の様々な宗教観を学べ、また大如来様などによる直々の特別指導も 行われている点で、新たな分野の学校の確立を目指しています。  ちょっと宣伝してしまいました(^^ゞ   「また、あそこに並んでる学校は、天界の下段階から上段階辺りまでの生徒をカバーし、教える施設じゃよ。  先に先生が見た建物も、そうじゃがな。」  言われる辺りは、低い校舎が並んでます。   天界は、自分の目指す様々な分野の知識を「教わり」、次の段階で学んだ事を伝える「教える」という重要さ を学びます。  「教わり」そして「教える」という姿勢と心得も同時に学び、そういう経験を基にして菩薩 になり、教え、導き、助け、そして、その先にある「救う」という事を目指して行かねばなりません。   大きな存在になる前に、全ての基礎になる知識と心得を自己の基盤として整え、次に上がる為の安定した 土台となる様、しっかり学び取ります。  「正しく広く教える為に教わる」という謙虚な姿勢は、自分の満足 の為に学ぶという事とは違います。  自分が成長する目的は、その知識を伝え、これからの人を正しく導き 指導していく為です。  正しい先生(神様)になるという感じが、この天界です。   少し離れた所に、近代的な建物の菩薩の学校もあります。   菩薩は、現代の人の苦悩や迷いから正しい方向へ導き、引き上げ、助け、正しき道に精進させるという仕事を しています。  なので、生きてる人間を助けるには、現代の時代に沿って助ける方法を探さねばなりません。   また、霊界で迷ってる霊も助けなければいけないので、その時々や時代に合った説法が必要になるので、 柔軟に対応出来る様な、色んな知識が必要です。  そういう意識を象徴しているからなのか、建物が近代的です。   時々、明るい光の玉がヒュー!って飛んで来て、金色に輝く一番高い建物(塔の様な感じ)の中に入って行く のが見えます。   ここで、付き添いの方は戻られるという事で、お礼を述べてお別れする事になりました。   この方は、天界の学校を治めている校長先生の代表の方であり、現代の日本でいう「文部科学省」の大臣クラス の方だそうでした。  とても偉い方でした(^^ゞ  ご案内、有難うございましたm(__)m   この際、菩薩の学校も見学しようと思います。  出来れば、その先の如来の方々が居られる施設も見学させて 頂こうと思います。  また続きになってしまいました。  こういう時は、いろいろ話して、多くの人に知って 欲しいという、上の神様達(多分、地球最高神霊様方)の想いがあるんだと思います。   次回は、菩薩の方々の居られる建物を見学しようと思います。  もう暫く、お付き合い下さいね。