神霊による人生相談

ょっ言。

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-2014年3月26日-
皆さま、お久しぶりですm(__)m 春のお彼岸も明けましたね。   今月は、3年前の3月11日にあった東北大震災の月でもあり、また「お彼岸」の月でもあったので、霊的影響でのご依頼が集中し、 除霊や供養などで普段より数倍忙しくなってしまい、「ちょっと一言」の更新も、メールでのお返事も遅くなってしまいました。   まあ、「ちょっと一言」の更新は普段から遅いですけどね(^^ゞ  この数週間は、日中の来客対応や、朝から夜まで何件もの電話相談、電話除霊の毎日を過ごしていて、よくこれだけ魔の存在が蔓延ってるな〜って思います。   亡くなった魂は、時間が経つと、それなりに心を浄化して成仏した霊界へ上がっていかれますが、そう出来ない魂が沢山居るんですね。   それは、亡くなるまでに持っていた執着のせいです。  あと、私の所の依頼で多いのが、昔に墓地だった場所に住んでたとか、そういう今は無い墓地からの影響に関連する 依頼が多いですね。  これも、昔は墓地でしたが、更地にされて宅地や公園、マンションなどに姿を変えてしまうと、昔に住んでた場所(墓であった場所)という執着から 離れられない魂達が、土地を通しての繋がりから、その土地を所有している人や、住んでる人に霊的影響を及ぼす事で、自分達の実情(供養してくれないと成仏出来ない)を 訴えてくるんですね。  それで、誰でもいいから供養してくれとか、逆に、自分達の住んでる場所(昔の墓地)に入って来るなとかね、今は時代が進んで、もう墓は無いん ですが、未だに土地にしがみついてる魂も多いです。  震災の魂達は、家族を全て失った魂で、一度に無縁仏になってしまった魂達が出てきますね。   出て来た時は、一度にまとめて並んでもらい、心の持ち様を諭して、成仏しやすい心の状態に導いてあげて、お釈迦様や阿弥陀様や薬師如来様などに援助してもらい ながら、穏やかな光の世界へ上げてあげます。  その際のお土産として、念で作った「ぼた餅」を渡してあげると喜ばれます。   今回、春のお彼岸でしたので「牡丹餅」=「ぼた餅」ですが、秋のお彼岸には、「御萩」=「おはぎ」を渡しますよ。   どちらも同じ食べ物なんですが、春は牡丹が咲く季節、春の彼岸の時期に食べるものとされているから「牡丹餅」、秋は、萩の花が咲く季節に食べる物とされているところ から「おはぎ」となり、作る時期や食べる時期等で、その時期に見合う呼び名に変えているだけなんですよ。  日本は四季があるから、食べ物も時期に見合った呼び名に 変えて呼んだりして、とても良い風習だと思います。  我が家では、春も秋も「おはぎ」で通してますけどね(^^;)  また「ちょっと一言」恒例の脱線でした(^^ゞ   という事で、お彼岸では、殆ど毎日のようにしてましたよ。  また、そういう魂達を、悪い世界から来た魔の者達が悪さしたり、成仏の 邪魔をしにやって来ます。  それが厄介です。  困ってる魂が居る所に、魔は必ず居ます。  この世でも、その現象は同じです。   だから、悩みで落ち込む時期を長引かせない様に心掛ける事です。  それは、マイナス波動を長く出さない様にするという事なので、魔はやって来れなくなります。   魔は、マイナス波動をエネルギーとして吸いに来ますからね。  大きく悩む人や、大きな悪事を働く人の心からは、上質なマイナス波動が出ますので、魔の者達にすれば、 豪勢な高級食事になるんですね。  だから、絶対離れないという意識にさせますし、もっと悩みを大きくしたり、悪い事をさせると、もっと美味しい食事が出来るぞと、 悪魔は仕向けてきます。  人間は、益々辛くなり、悪事は更に酷いものとなっていきます。  これが魔のサイクルです。   こういった各人の心の状態や考え様が、魔を引き寄せてしまっているという事もあり、それが時代が進む毎に多くなってきているという事が、この世に魔が減らないという 事にも繋がるんでしょうね。   魔が蔓延る時、それまでの高次な精神世界の理念を取り入れた世の中から、この世的な物質世界での価値依存に変わってきます。   人々は、個人の利益や社会や国の利益の為に、色んな資源(人、技術、自然資源等)を奪い合い、強い国が弱い国の資源を圧力の下の合法で自分たちの手に入れてきました。   そうした場合には、奪われた側の人々の心の中に恨みをつくり出し、長い間消えない心の闇をつくり出します。   それが溜まっていくと、いつか奪った側が困った事態に陥った時、この時とばかりに侵略したりした時代もありました。   今の時代、そこまでいかなくても、いつか取り返してやろうという想いが続いたり、いつか仕返ししたいという気持ちが心の中に渦巻いています。   特に、戦争などで長年住んでた土地や国土を取られたとかの場合は、代々の霊体も含めて無念の想いが溜まります。   国と国、民族間の想いも代々受け継がれていきます。(これは、何も過去に限ってだけの事ではなく、今の世の中にも言える事ですね。)   物事を正しく判断出来る人の統治する国では、正しい理念の下に様々な科学技術や自然科学などが発展し、自然と科学が調和した世界を実現する事が出来ます。   昔も、そうであった時代は沢山ありました。  でも、統治者の代替わりや、理想を目指すあまり、誤った誘惑に手を出してしまい、国を治める者としての道を踏み外し、 結果的に魔を誘い込み、正しい判断を過ってしまう事が多くなり、結果的に文明が滅んでいくという事も、それ以上に多くありました。   文明は人間がつくり、人間が文明を滅ぼしていくというサイクルは変わりありません。  何故、そういう誤った繰り返しが無くならないのか。   それは、人間は各自がそれぞれに尊い存在であり、その上に尊い神仏が存在していて、人は学び(人生修行)を積み重ねながら生かされているという事、その神仏の意思を 重んじて、人は発展に尽くさねばならないという想いを、人類はこれまでも持続して持てていなかったという事です。   人は楽になるほどに、今も昔も変わる事無く我欲を求めるので、この心のサイクルを変えるには、人の心を正しい方向へと導き変えていく事が必要です。   そうした基本(真理に適う心)が出来た上での進化発展を神仏は願っています。   単なる便利や楽さ感は、更なる便利さと楽さを追求し求めていきます。  それは発展には欠かせない欲求ですが、段々欲が出て来て、人々の暮らしや幸せ等を自分勝手に 犠牲にしてでも手に入れようとする我欲に変わっていかない様に心掛ける必要があります。  大きな仕事には何らかの犠牲はつきものですが、それは、ある程度の同意の下 に、皆の協力を得て成り立つものです。   魔は、人間の心に、そういう欲心が出るのを誘ってきたり、待っていたりします。   人の心には、神も宿りますが、魔も宿るんです。  悪い事だけど、これが欲しいから、まあいいっか!とか、手に入れてから、悪い事を止めようとか思ってる内に、それを 手放すのが惜しくなり、もう少し続けようとか、止めるのは勿体無いとかという欲心が湧いてきて、結局悪いと思う事も止められないという事が、些細な事でもあると 思います。   それらの積み重ねや、一つ一つが大きな問題であればあるほど、その想いや行動に翻弄されて苦しむ人が周囲に出てきます。   全ての発展は、この世に生きる者全ての幸福の為に活かされるものであり、自分達だけが幸せであれば良いという発想から生まれる発展は、やがて滅びて行く運命にあります。   それは、神仏の意思を無視した欲の発展であり、この世的な価値(物や財力、地位名誉など)を持つ者が偉く、尊敬される対象であるという想いから出た発展です。   その思考は、人々は物質欲を満たせる様に頑張るという、本来の価値観から外れた発展希望を目指していくようになりがちです。  多くの皆が、そういう目で見たり判断しているから、それが当たり前として、 認識する様になってしまいますしね。  この世で生きて行くには、この世的な価値観の中、そういう物も手にして生きていくのも必要です。   心ばかり先行しても、この世的な経済力も得られない人では、家族も満足に養えませんし、社会的信頼も得難いでしょう。   でも、そうしたものを持っていながら、心は神仏に繋がる晴れやかな要素を持ち合わせて生きているという事が、この世に生まれた人間として大事なんですね。   何が大事かを知り、心と物質のバランスを持って、役に立つ生き方をするという修行が、この世の修行の観点として大事な事であり、心の認識として押さえておくべき秘訣 です。(まあ秘訣と言うよりは、本当は当たり前の事なんですけどね(^^ゞ ) 
少しだけ、大昔の事を書いておきますね。
古代に繁栄した文明は、エネルギー資源の供給の方法は少々違っていたり、今と似た様な世界もあったりしましたが、結局は人々の心が、これまで幾多の文明を滅ぼし ていきました。   私の過去世の記憶でも、そういう文明が消えて行った場面を体験して知っています。   今は地図上に無い大陸でしたが、文明の繁栄は極まっていた状態でした。   その時代に降りた真理に則した正しい考えや行動は、事は当たり前として人々に精通し、人々は優雅に暮らし、科学も自然も調和した文明でした。   人々は、争う事もしないし、争う道理も無いしという感じで、まあ悪く言えば、それ以上は望まない、進んで人の前に立って何かをしようという意識も薄いという感じです。   そういう時代に、別の国からやって来た、異種文明を持つ種族が、自分達の文明を取り入れば、今より更に発展するという事を言ってきてました。   新しい技術は、上手く活かせば、とても良いとは思いましたが、隠された本来の目的は、 この土地や民を奪う事が目的でした。  そういう面に気付いた我らは、この国の気質に合わないためにという理由で、長らく異種文明の入国を拒否していましたが、 こちらの穏やかな種族とは違い、相手側は科学技術と武力が主の部族で気が短く、段々力ずくで奪いに来るようになり、小さな戦いは幾度かありました。   でも、相手側に控えていた後ろ盾の部族が介入し、ある暖かで穏やかな日、急に攻めて来られました。  相手は、空一面が暗くなるほどの大軍勢でした。   争いが始まると、一騎に攻めたてられて奪われてしまいました。   それからは、文明の系統が変わり、穏やかで自然溢れる豊かな土地は、段々と灰色に輝く建物に埋め尽くされていき、民の気性は荒れてきて、ついには 大陸が沈んでしまうという事態にまで繋がっていくんですね。   こういう経験を、人類は数万年単位で繰り返してますね。  この数千年先までは大丈夫でしょうけど、もう起きないようにしてほしいですね。   でも未来、大きな海洋地震の後、古代文明があった土地の隆起はあるでしょうね。   ちょっとだけ、大昔のお話でした(^^ゞ   


-2014年3月7日-
今日は、ちょっと根源的なお話をしましょう。   「卵が先か、ニワトリが先か」という哲学的な問いかけがありますが、どちらが先なのか考えても答えが出ない話ですね。   ニワトリは卵から産まれますが、その卵を産むのは親のニワトリです。  親のニワトリは卵から産まれました・・・そうして辿っていくと、結局どっちが先なの? ってなる訳ですが、 この問は、霊的宇宙起源の法則から言えば、それは「ニワトリが先」という答えになります。   これは、今もう「ニワトリという種が決まっている」ので、後は種の保存と育成という、生命の連鎖の法則に則って繰り返されているに過ぎません。   この世は、全て因果の法則(結果には、それ相応の原因がある)に則って動いています。   その法則に当てはめる前、創造主が生命を創り出した時は、先ずは、こういう種を創ろうと考える筈です。  というか、「そうである!」という答えが即答で返ってきました。   (多分、宇宙神霊様からでしょうね)って思ったら、「多分ではなく、そうである!」ってお返事です(^^ゞ   それで、ニワトリだけでなく、今の地球上の全ての生命の原型みたいなのを最初に創った訳ですね。  「そうです。」と宇宙神霊様。   なんか、自然とやり取りが始まってしまいました。  私がこの記事を書こうと決めた事も、既に宇宙神霊様のお導きだったんでしょうね。 (ここから宇宙神霊様の指導を含めてお話しますね)   「もっと根本から言うと、地球霊界を先ず初めに創りました。」という事みたいです。  「地球霊界の中で、人類や他種族の生命(魂)を創造していきました。」なるほどと私。   「それを、結果的に形にして行く為に、今の三次元世界へ降ろしてきたという事です。」   そうして地球環境の中で、色んな種族が共存発展していける様に、様々な適合性を考え、育成して試していきながら、今の種が存続されているという事ですね。   先ずは、基本モデルを創り、それに生命(魂)を与え、生々流転させていく中で地球や、個々の惑星の環境に見合った適合性を高めていきます。   中には、ある程度の個体が完成しても、環境に適合しなかったとか、成長発展の進化が遅すぎるとか、寿命が長すぎて努力しないとか、ただ生きているだけで発展しようとしないとか、 色んな不具合がありました。  地球上の生命が進化発展しないと、地球次元の発展が望めません。  地球に生命を降ろすには、地球霊界総合の進化発展という目的もあります。   そうして、人類をはじめとした高次元生命体は、宇宙の愛の気付き、やがて宇宙の中の地球という役割も気付くでしょう。  こういう試行錯誤の繰り返しと、進化発展への取り組みは、 色んな惑星間でもあります。   人類の先祖も、全てが地球生まれのオリジナル生命体とは限りません。  他惑星からの魂の移転もありました。  他惑星で、進化がある程度行き着いた時点で、次の生命を育成場所を求めるという 動きは、宇宙では普通にあります。  宇宙には、新しい天地を求めている生命体もいますし、星間移住もあります。  宇宙の中には地球の様な星々が幾つもあります。   それぞれに、宇宙神霊や根本神、創造主神などの力を合わせて、生命の基礎である魂創りから始め、様々な環境の下に適した進化や発展を、試行錯誤しながら進めて行ってます。   地球でも同じ様に、試行錯誤を繰り返し生命を創っていきました。  そうして、寿命を縮めて行って、成長と命の有難さや尊さを与えていきました。   最初の霊的要素(初期の魂)を創り、それを原型に宿しました。  生命の元である魂(命)を三次元の肉体に宿し、生き物としての生物が動き出しました。   そうして段々と人類や他種族の原型が纏まり、ようやく地球上で生命の進化発展を遂げながら、種族を増やしていくという計画を進めました。   なので、先の「卵が先かニワトリが先か」という問いかけに対しては、厳密には魂が先、次にニワトリの原型、最後に卵という順番になりますね。   卵に至るまでには、色んな成長の経過を含んで、もうこれで完成という段階で卵を作るという感じです。  それは、完成した種を繁殖させるために必要な仕事だという感じです。   先ず原型を創り、進化の道筋と安全が決まったら、環境に適した種を増やしていくという考えですね。  という形で、地球上の生命体は輪廻転生の中で、進化発展を遂げていくという使命も持ち合わせて いるとも言えますね。   また、種族間での調和と共存を保つという本質も魂の本質としてあります。   そうして、地球という場で、人類をはじめ全ての生命が、命を脅かされる事無く生きていける様に努めて行かねばなりません。   地球環境の悪化が手に負えなくなると、「卵が先かニワトリが先か」という原点に立ち返った、新たな創造を始めなくてはいけなくなるでしょう。   地球に発生した新たな種の人類が、また同じ事を考える時代が来ない様にしないといけませんね。  その可能性はこれまでにも若干あったそうですけど(゚д゚)!   まあ、似た様な事は、小規模ですが、今まで幾度かありましたね。  大陸沈没とかね。  でも、その時代に生きていた種族は、船や飛行船で脱出して、何とか文明は次の時代へと引き継がれてますよ。   そういった時代の魂達も、今の時代に転生されてますよ。  私の近辺にも信者さんとして来られたりしてますね。   これも、またお話しましょうね。  ちょっと、話の規模が大きくなってしまいましたが、たまには、こういう事も書いておけと言う事でしょうね(^_-)-☆