ちょっと一言。
-2014年4月28日-
今日は、普段の生活の中で、ちょっと考えると気付いてもらえる様な真理のお話をします
皆さん、毎日、朝が来て夜が来て、その日が終わり、また明日が来るという生活を、ごく当たり前として繰り返しながら生活していると思います。
昨日の続きが今日であり、今日の続きが明日へと繋がり、時間は先へ先へと流れて行きます。
それでは、時間の流れの中に生きていく日々の中で、心の捉え方を考えて行きましょう。
新しい物は、時間と共に古い物へと変化していきます。
人間も、生まれた時の赤ちゃんの時代から、青年期を過ごし、歳を取って老人になって、やがて死んでいきます。
この世のものは時間と共に変化し、形を変えて行くものです。
人間の心も日々、何かしら変化していきます。 こういうのを「諸行無常」といい、この世の一切の事柄(諸行)は、常に移り変わるものであり、永遠に同じ状態でる事は
無い(無常)という意味です。 この教えから、いつまでも同じ物、同じ事柄に拘るなと、この世の物事に、いつまでも執着しない様にという教えになりますね。
執着は、一つの事に対して、ずっと想い続け、執念になるほど想いが凝り固まったものです。 だから、この世的に価値のあると言われる、お金、土地、名誉等に対しての
執着心は、時と共、年齢を重ねると共に心から外していける様にしていかないと、あの世に帰って、まだ執着心が残っていると、死んでから誰かに取られるんじゃな
いかと気になって堪らず、心配で不安で成仏出来ません。 高価な物ほど執着が強くなる傾向にあり、高価なダイアモンドの指輪に、亡くなった人の念が残っていた事もあります。
土地にしがみ付いてる霊も居ます。 みんな一応に自分のものだと主張してきます。 誰にもやらん!とか、ワシの土地に入って来るな!って睨んできたので、
良く言い聞かせて執着を和らげ、浄化(成仏)させたりしましたけどね。 大事な物も壊れる事もありますし、持っていたものを失う事もあります。
ダイヤモンド等の天然石は、保管次第で数百年同じ形を保つ物もありますが、持っている人間の方が先に死んでしまいます。
最初は辛いかもしれませんが、もう元通りに戻る事が出来ないものは、それはそれとして受け入れて、
執着になってしまう前に、これも「諸行無常」やねんな〜って、気持ちを切り替え
ていくようにする方が、後々まで思い煩い、後悔し続けるより楽です。 また、執着は、執着になるような原因があり、それを想い続けてしまう事により執着となります。
先に書いた、物が壊れるという事を、物以外に例えると、友人関係や信頼関係が壊れるという、見えないものが壊れるという事もありますね。
この見えないものが壊れるというのが厄介なんですね。 物など見えるモノは、気持ちの整理も付きやすいんですが、見えないだけに、気持ちの整理がつき難く、後々まで
後悔や恨みを持ち続ける事も多いです。
例えば、昨日、会社の同僚と仕事の面から言い合いになり、喧嘩をしたとします。 でも、そういう事に関係なく時間は進んで行くので、放っておいても今日になります。
喧嘩による悩み恨みは、何も対処しないで放っておくと、仲が悪いまま、お互いに嫌な思いを引きずって、また嫌な明日が訪れるでしょう。
この悩みの種を解決しない限り、悩みはこの先延々と続き、喧嘩の度合いや、その後の影響により、人生の進路が悪い方へ変わってしまう事も多々あります。
そうなると、お互いのせいにして、ああされた、こうされたと、アイツのせいで自分は苦しい人生にさせられたとか、恨みを持つようにもなるでしょう。
因縁の発生ですね。
因縁とは、原因があり、原因によって成り立つ結果に付随する働き作用があって結果があります。
悪い原因を対処せず、悪い結果のまま放っておくと、段々と周りを巻き込んだ重苦しいものになっていきます。 時間が経につれ、間違いに気づくチャンスも薄れ、我欲や
色んなのが合わさってしまい、謝り難くなります。
また、昔に酷い事をされた恨みから、代々続く様な良くない因縁とかも出てしまうんですね。
死んだ後にも、執着から離れられず、幽霊になって、この世の執着の原因(物や土地や人間など)に憑りついたりします。
人間に憑くと、憑かれた人は苦しむので、そういう霊の浄化や供養なども、私の毎日の仕事として依頼を受けてます。
悩みの原因が分かっていれば、早めに対処して、明日以降に残さないような心掛けを実行していければ、明日以降の生き方は楽になる筈なんですけどね。
それをしなかったばかりに、後々、幽霊になってまでも苦しむ事になります。
そうした想いは、執念となって「念」となり、更に強い拘りに縛られて、その重く苦しい念いから心を外せなくなってしまいます。
そうなってしまう前に、今日は昨日の嫌な事を思っていても仕方ないと気持ちを切り替え、お互いに仲直りに向けて、お互い反省するところはしたりと、何か改善に向けて
の対処を積み重ねていけば、次第にお互いの気持ちも治まり、仲直りの道も開けるでしょう。 仲が良くなれば、気分も明るく軽くなり、執着も湧きませんしね。
心得としてのコツは、原因が生じた時点から、出来るだけ早い時点で解決の方向へ向かう努力をする事です。
そして、素直でサラッとした心に戻れるように気を付けておきましょう。
昨日の嫌な出来事は、今日の努力次第で、明日に持ち越さない様に出来ます。 今日の努力は、明日の希望に繋がり、明日を楽に生きれる自分をつくります。
これら毎日の繰り返しが、人間の魂として捉えた時、輪廻転生にも当てはまります。 魂の輪廻は、生まれ変わる度に、刻み込まれた記憶や経験により、魂のレベルを
変化させながら続いていくものです。
自分が生まれた意味をよく質問されますが、大抵は前世の取りこぼしや、悔いが残る
部分を、今世で解決していくか、更に大きなものにしていくか、そういう想いを持って生まれ変わって来ます。
この世的に例えると、昨日が「前世」、今日が「今世」、明日が「来世」と思って頂いたらと思います。 まあ過去・現在・未来というように思って
もらってもいいですね。 先に書いた、諸行無常の精神も、因縁も、転生の中で、過去の自分と同じ過ちをしない様にする為に、心の取り組みとして欠かせないものです。
転生は、過去のやり直しの機会を認められ、この世に出て来れるチャンスを与えられるという事です。
今生きてる人生は、与えられたチャンスを活かす為に生きてるんです。 それが、それぞれ人間各人に定められた生きる意味です。
まあ、定められたというより、生まれ変わりを決める時に、自分でやるべき事をあれこれ(最低、これだけはやるとか、これが出来たら良いなとかね)定めて生まれるんで
すけどね。
簡単に言うと、昨日の過ち(前世の過ち)の改善をやり残したので、何とか改善したいと思い、そう心に決めて、今日(現世)に至るという事が「生まれ変わり」ですね。
それで今日(今世)、自分なりに努力し頑張って成果を出せたら、明日(来世)が明るくなるんです。 明日(来世)への希望ですね。
明日の自分は自分で作ります。 何事も自分次第です。 上手く乗り切るために、他人の手助けは必要ですが、手助けして貰えるような自分になる事も必要です。
やっぱり自分次第ですね。
こうして、過ぎた嫌な事、過ぎた過ち等に対して、努力して解決を図ろうとする事が、現世での因縁の断ち切り方と心得です。
同じ過ちを繰り返す癖があるなら、過去の自分を省みてない証拠で、過去の過ちの経験を今に活かせていないんです。 その都度、過ちの意識を切り離してるので、
昨日から今日、明日へと繋がらないんですね。 だから、今日の失敗は明日への成功に繋げる事が出来ないだけです。
いつも同じ様な災いが来るとか、悩み事が似た様な事が多いとかは、因縁からきている可能性があります。 それに影響を受けているなら、自分が気付いて解決方向へと
努力する事で、家族や友人や他人、神仏の手助けを受ける事も出来ます。 皆、生きてる限り、それぞれに乗り越えなければならない問題事があります。
何事にも、こういった気持ちを持って対処する方が取り組みやすいですよ。 変な執着を生む事も、ある程度は予防出来ますしね。
真理の学びを深めるにつれ、考え方が定まってきて、不動心と変化していくようになります。
不動心も、日々の様々な変化、感情の変化などに左右されない心の状態を言うので、そういった心を維持出来る人となる事も出来るでしょう。
日々生きてるだけで修業といわれるのは、こういう点にもあるんですね。
あとね、前世で苦手だった事は、今世で苦手な事がありますよ。 逆に、前世で得意だった事は、今世でも得意分野に入ってる事が多いです。
こういう事も、引き継がれるんですね。 苦手や得意、好き嫌いなどは魂の記憶に刻まれています。
真理は、色んな気付きや学びを深めますよ。 今日、休んでも、それが明日に繋がる休みであれば、値打ちある休みと言えますね。 疲れた身体を休めるための休みでも、
休みだかと言って遊び回ったりしたら、楽しいのはその日だけで、次の日疲れてまたダウンしますから、ちゃんと考えましょうね。
全ては考え様で、道を開くヒントにも気付けます。 明日も頑張れる自分をつくれますよ。
-2014年4月13日-
一昨日、先月のお彼岸時期に行けなかった、お墓参りをしてきました。
このところ、ずっと忙しかったので、予約の入ってない日があれば行こうと思っていました。
とりあえず、前日の夜までには、当日の来客予約が入らなかったので、前夜のお祈りの時間に、神様や仏様、ご先祖様に、明日はお墓参りに行かせていただきますと、
ご報告してから、お墓の敷地の浄化を始めました。 案の定、墓地から我が家まで、霊的繋がり(霊の通る道)が出来ていました。
こういうのは、霊は当たり前のようにしてきます。 大抵は、悪さの指導をする魔の者の仕業による事が多いです。
そうして、家の中に不成仏霊を送り込み、家の者の身体に憑依させて、しんどくさせようとしてきます。
なので、後々厄介になるので、この通路を遮断し、光を送り込んで浄化します。 魔は祓ってしまいます。
家の中も浄化し、家族の身体も浄化します。 家の中がスッキリし、明るく感じられます。 お祓いを受けて霊的影響が無くなった時に、目の前が明るく感じられる
というのを、私のお祓いを受けた人は経験があると思いますが、それと同じ感覚です。
これを前もって、やって行くのと、やらないで行くのとでは大違いなんですよ。 以前は、お祓い事も前もってやらずに行ってましたが、やはり何かを憑けて帰って来て
しまって身体がしんどくなり、後から祓いをしないといけなくなる事が多かったです。
それなら予め、お墓へ行く前日にお墓の敷地や霊的なもの全体を祓ってから行けば、楽なんじゃないかと思い、お墓参りや、お参り時には、遅くても、その前日には
全ての祓いを行うようにしています。 神様は、この世の居場所である神殿や、お堂内は光で満たしていますが、敷地の境内は色んなのが棲んでいて、それを勝手に祓って
しまう事は神様として出来ないので、悪さするモノがたまって人間に憑いたり悪さしたりしているのを、神様は心配し気に掛けています。
それで、そういう事情を分かってる人間が、代りに祓いをお願いすると、人間の願いを聞き届けるという事で、ようやく神様として祓いが出来ますし、その際に必要な
要請も、人間側でお願いすると、他の神様が応援に来て下さる事も可能です。 そうして質の高い、より完璧な祓いが出来ます。
そうすると、境内はもとより、敷地全てが浄化されます。 これで神様の心配事も無くなるという感じです。
神仏に対して、こういった配慮というか、見定めたお願い事をするというのも、感謝の印として実践していく事で、神仏にも喜ばれます。
私も、お参りが容易になるので嬉しい事ですし、神社やお寺も隅っこに隠れていた悪い意識体が消え失せ、綺麗になって、一般の参拝客にも悪影響を及ぼさなくなります。
こうして、お参りに行く前に浄化を済ませておくと、神社仏閣の参道は神仏の光が降り注いでいてピカピカ状態ですし、周りに潜んでいた霊的な存在は、何も居ない状態で
スッキリしています。
お墓も、それまで敷地に入って感じていた重く沈んだ感じが無く、昼間の光を浴びて明るく軽く感じられます。
お墓の護り主である、六地蔵様にお供え物をして般若心経を唱え、少しお話してから西岡家のお墓に向かいました。
今回も身体は軽く、自分の家のお墓に辿り着くまで歩いて行く敷地内の道も楽に進めます。
以前は、道の両側に建ち並ぶ墓石から睨んでる霊や、気が付くと背後に立って一緒に歩いてついてくる霊も、今回は居ませんでした♪
前日の浄化の時に、そういう迷える霊や、無縁仏等を集めて浄化して阿弥陀様に連れて行ってもらってるので、墓地全体がシ〜ンと静まってます。
また、墓地の入り口に居られる、六地蔵様にも前もって頼んで、迷える霊を集め、言い聞かせて貰ってるお蔭で、墓地の気も穏やかです。
全て前もって事を済ませておくと、本番が楽になりますね。 そうして、機嫌良く西岡家のお墓に着いて、空いてる地面を綺麗にして、墓石を綺麗な水で洗って拭き上げ、
お花をあげようとした時、あれ!? お花、買ってないやん(;・∀・) お供え物は持ってきましたが、道中の花屋さんで、お供えする「お花」を買うの忘れてました(>_<)
やってしもた(゚д゚)! ご先祖様に謝って、家の仏壇にお花を供えますのでー!って報告したら、別にかまへんよ〜(^_^;) って、優しいわ〜(T_T)
この世の事での「前もって」が出来てませんでした(T_T) ご先祖様、今度は忘れずにしますm(__)m
仕方ないので、この世のお花の代わりに、霊的に出した想念体のお花を、お墓に飾っておきました。
なので今、お仏壇には、この世の綺麗なお花が飾られてます(^^ゞ
神様には、「先生の忘れん坊が出たー♪」って笑われてます(^_^;) 忙しい中、急に決めて行ったりすると、こういう事もあります。。。よね(^^ゞ