神霊による人生相談

ょっ言。

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-2014年7月24日-
梅雨が明けて、毎日暑い日が続いてますね。  もう7月も月末になり、来月の「お盆」の時期に近づいてきました。   霊界では、7月中頃からお盆の時期に入ってきます。  今は、霊界から魂達が出て来出しています。  本格的には8月になりますが、今月からボチボチと出て来るので、 しんどくなる人が増えてきています。  私の所にも、連日そういう関係で体調を悪くする方からの連絡が入ります。   また、霊界の地獄界の鬼達が、ボチボチと出て来た魂を捕まえて、自分達の好きな様に使ってます。   という事で、悪魔や鬼達が出て来て、普段より悪さをする時期でもあります。   特に、しんどがっている魂を、人間に向けて投げつけて憑依させては、しんどくなる人間を増やします。   お盆の時期は、霊界から人間界へ降りて来る魂が増えるので、悪魔や鬼達も沢山出て来て、まだこの世に未練が残り、執着が残っていて、しんどい魂を捕まえては 地獄へ引きずり込んでます。   そして恐怖で言う事を聞かせ、その集団から逃れられない様にして、自分達の勢力拡大に努めてます。   地獄では、自分の言う事を聞かせる魂(子分)を沢山持ってる者が偉いので、下っ端の鬼は、子分もありません。   上の鬼に言いつけられ、悪さして「苦」を広めるために、下っ端鬼達は、あちこち(地獄に繋がる想念を出してる人間の所)派遣されます。   一般的には、一人の親分格の鬼に対して数百〜数万の魂を捕虜として捕まえて子分にしています。   鬼の階級も、主任級、係長級、課長級、部長級、専務級、社長級など、悪くなるほど偉くなっていき、また社長級には横の繋がりもあり、悪さの提供をし合ってます。   大きな悪事を、幾つかの社長鬼が組んで働いている事もあります。  この世の会社組織に例えると、よく似てますよね。   私の所にも鬼は来ますが、最初は下っ端が見張りに来たりします。  捕まえて霊界の荒修行場に送ると、次の鬼が駆けつけてきます。  そして段々と鬼の偉いさんが 登場して来て、色々と脅したりします。  社長級の鬼とかは、出て来ないで、自分達の棲み家から悪想念を送ってきて、痛みや意識障害などを出してきて苦しめてきます。   まあ、この世も地獄も、何かの時に、肝心の偉いさんは出て来ず、安全な場所から悪さするのは同じだな〜っていつも思います。   でも、悪想念を辿っていくと、鬼の棲み家に辿り着き、その中の大きな屋敷に、大勢の鬼の子分に囲まれて、偉そうに座ってる大きな鬼を見つける事が出来ます。   見つかったな!っていう意識が飛んできます。  鬼の棲み家に踏み込んでくる人間は滅多にいないので、ちょっとビックリするようです。   子分の鬼達が一斉に迫ってきますが、霊的エネルギーを闘いレベルに上げてありますので、下級鬼は私の体に触れる事も出来ません。  高めた気を一気に発して、向かって 来た鬼達を別次元へ放り込むと、辺りはしぃ〜んと静まりかえります。  そこで、偉そうに座っていた鬼もソワソワしだして、「まあ、ちょっと話でもせんか?」って いう態度を取る鬼もいますし、更に深い鬼の世界へ逃げ込もうとする鬼もいます。  偉そうな鬼は、ゆっくり対応してると、ろくな事は無いので、話 (何故、私がこちらに来たのかという理由等)も早々に切り上げます。  殆ど話にならないので。  向かってくる社長級の鬼もいます。  何十階建てのビルのよう な高さが普通です。  もっと高くなれます。  高くて大きいと言っても、地獄界から出れないので、限界はあります。  地球最高神霊から見ると、地獄界も一つの 黒い塊でしかありません。  という事で、地球最高神霊様達より導かれた光の塊をぶつけると、大きな鬼の姿がバラバラに散らばっていきます。   よく見ると、社長の鬼の身体に小さな下級鬼達を沢山くっ付けていたようで、その鬼達がバラバラに散らばってました。   下級鬼を身体に付けて盾にし、私の攻撃から自分の身を護ってました。  上級鬼は、沢山の下級鬼を身に纏い防御しているんですね。   地獄は、鬼の世界でも下級鬼は上級鬼の盾や手足でしかありません。   下級鬼が神の光で退治された後、残るは社長鬼だけです。   そうしている内に、今度は専務級と部長級の鬼が社長鬼の両側に控えています。  めんどくさいので、社長鬼よりでっかくなって、専務鬼と部長鬼を、太陽の様な高温を 発しながら熱く輝く大きな両手で掴んで、霊体ごと燃やしながら光のホールに投げ込みます。  それを見た社長鬼は、もう戦意喪失状態です。   戦う時も、誰かを使ってのやり方 しか出来ない場合が多いので、一人ぼっちになって大きな力の差を見せつけられると、今度は媚びを売ってきます。  大人しくしてるから、この辺で良いかなと思うと、 隙を見て急に襲ってきたりします。  まあ、それもこちらの計算で、反省してるのが本当なのか試すんですね。  それで、やっぱり反省してないからという事で、 鬼の世界から消します。   社長鬼には、もう更生する気が無い場合、霊体の核の部分に太陽の光レベルの稲妻 を落とす場合もありますし、霊体を光分解させる場合もありますし、二度と出て来れない空間に閉じ込めて出れない様にしたりと、悪事の段階によって色々とやります。   霊体は再生加工する事が出来るので、宇宙霊界へ放り出し、分解し浄化して再生方向へ流していく事で、大霊界の中での霊体の再生循環も促されますし、大霊界として見た 時には、霊体の容量の増減はありません。   下級鬼は、諭すと理解してくる者も居ますよ。   やりたくもない仕事を、無理やりやらされてる者(無理やり連れて来られた魂達)も居ます。  そういう魂達を解放して、無事に霊界へ戻してあげる事もします。   大きな魔に取り囲まれた神仏を解放する際にも、魔と闘わねばなりません。   日本の神仏も、数千年前に外国の魔に捕まった方が沢山おられるので、そういう神仏の解放もやる時があります。   霊界は、深遠です。  色んな世界が絡み合って、多次元世界を構成しています。  その多次元世界からワープして来るので、見つけるのが厄介です。   それに時間が加わりますからね。  過去から来るのは当たり前で、未来からも来ます。  未来は、霊界では過去である場合がありますので、現在での時間で 考えたり、推し量らうとややこしくなります。  そのややこしい世界から悪さをしてくるので、ちゃんと見ていかないと、身体に出る霊的痛みが治らないんですね。   という感じで、毎日除霊の日々を送ってます。   よく毎日、除霊という仕事があるなと思います。  最近では、世界各国に住む日本人の方々と(Skype=スカイプ)を通して真理のお話をしたり、除霊したりしています。   魔は世界中に広がって存在してます。  長い歴史のある国の魔や、大国の魔は、魔界も大きいです。   国をまたいで攻めてきます。  日本も他の国からの魔に攻められてます。  これも、この世と同じですね。  この世を魔界と同じくさせない様に、人間は真理に適った 生き方をしていきたいですね。  そして人間の心に魔界を創らない事ですね。  引き合うものが無ければ、魔の影響から遠ざかる事が出来ますからね。   穏やかな光の中に包まれて笑う自分を大事にして頑張りましょう(*^▽^*)  光は神仏であり、愛ですよ(^_-)-☆  この世では、愛に包まれて笑える自分でいれる様に 心掛けましょうね。


-2014年7月12日-
今日は、西岡学校の「夏休み」のお話です。
世間の学校では、そろそろ夏休みを迎える時期になってきましたね。   霊界にある西岡学校でも、夏休みを設定してありますが、霊的な関係により、夏休みに入る日を決めてある訳ではないので、今年も西岡学校の子供が出て来て 「先生〜、夏休みはいつにするの〜?」って聞いてきました。   それで、もう夏休みに入る日を決めないといけないな〜と思い、仕事からくる影響等も考えて、神様達に報告してから日を決めました。   日が決まれば、西岡学校の校長先生に報告して、諸先生方に伝えてもらいます。   その他の行事は大体任せてありますが、学校全体が休みになる場合は、日程を決めないといけません。   夏休みの最中には「お盆」もあるので、7月前半から中旬までには休みにしないといけません。   また、休みの最中は生徒の半分近くが実家のお仏壇へ帰るので、学校に隣接する宿舎はガラ〜ンとします。   お仏壇に自分の名前が無い子や、もう知ってる人が居ない家であったり、絶家(相続人が居なく家系が絶えてしまった家)などで帰れない子達は、そのまま学校の宿舎に 残って、あちこち遊びに行ったりします。   海水浴にも行きます。  暇になると、私に所に出て来て、「先生〜! たいくつ〜(=゚ω゚)ノ どこか行きたいな〜 遊びたいな〜」ってすり寄ってきます。   「ゲームするか(*^▽^*)? 花火するか(*^▽^*)?」って聞いてきます。  「このお仕事が終わったら出来るよ〜!」って言うと、ゴキゲンで待ってます。   時々、急な依頼が入って約束を守れない時がありますが、文句を言わず、「お仕事だから仕方ないもん(´・ω・`)」って言って、トボトボと帰っていきます。   ちょっとした合間(10分〜20分ほど)に、ゲームを一緒にやるだけでも、すごく喜んでくれます。  以前は、仕事も多くなく、自由な時間が多かった んですが、今は一日の時間を、どれだけ上手く使って仕事を進めていこうかという気持ちを持って過ごしています。   少しの合間や夜中にメールの返事を書いたりしてますが、メールが溜まってしまう事が多く、直ぐにお返事が書けないでいます。   子供達も、そんな私の様子を知っているので、わがままは絶対言ってきません。  それが、かわいそうでもあります(;´・ω・)   「先生が頑張ってくれているから、僕たちが幸せで居れるんだよね〜(●^o^●)」って言ってくれます。   だから、私の仕事の邪魔をしない様に心得てくれています。  本当に賢い子供達です。  さすが、日本中から選ばれて来る生徒だなと、つくづく感じます。   私の仕事が忙しくなってきた頃から、西岡学校には温泉やプール、裏山には湖や、少し離れた所には海も創りました。   海の近辺には、白菊じぃーじの神様が魚釣りをする堤防や岩場の磯があり、近くの浜にはボートが有るので、子供たちがボートに乗ったり、泳いだりしています。   小さい子は、子供用プールではしゃいでいます(≧▽≦)♪  遊びの場には、西岡学校の教訓として、「小さい子の面倒は大きい子達がみる」というのがあり、 少し歳の離れた大きな生徒が付き添ってくれています。   先生は、離れた所で全体を監視しています。  海に潜るのを教えてくれるお兄さんやお姉さんも、小さい頃は、同じ様に先輩達から教わっていたので、 自分達が大きくなると、今度は教える側に回ります。  そうして順々に、教えたり教えられたりを繰り返しながら、生徒たちは大きく成長していきます。   最初の頃は、私が先生を決めていたり、神様の世界から招いたりしていましたが、今では西岡学校から先生になる方も出てきました。   また、校長先生が、神様の国の方々と交渉して先生を迎えたりしているようです。  最近では、私の負担が掛からない様に、皆で手分けして運営してくれています。   夏休み中は、子供達にも「夏休みの宿題」が出されます。   勉強の苦手な子は、「先生〜! 夏休みの宿題なんやけど〜、あんまり沢山出さない様に、学校の先生に言って〜(*´Д`)」って言ってきます。   私が先生方に一言伝えると宿題も減りますが、それより、子供の個性や得意な部分を伸ばす様な宿題にしてもらえる様に伝えます。   こちらで売られている算数や漢字のドリルも百均で買ってきて、お供えしておきます。  お勉強が大好きな子は、喜んで取り組んでます。   算数が苦手な子は、違う課題を与えます。  その課題をやる中で、遠回りに算数のようなものに興味を持ってくれる様に進めて行けば、嫌がらずに取り組めるようになり ます。  自分の好きな事(物作りやお料理など)も、何かを足したり、引いたりする際に、足し算や引き算などの計算も必要になります。   それが出来ないと、正しい量を把握出来ませんし、上手く作る事が出来ません。  どこかに必ず算数は出てきますから、上手にものを作るためには、お勉強も必要に なるから、少しずつ学んで行こうねと言えば、駄々をこねたりしませんし、自分から「やるー!」って言ってきます。  自分のやりたい事、楽しみたい事を、十分満足に 味わいたいなら、学ぶべき事は学ぶ必要があると分かれば、やろうという気になります。  そして、その中で楽しみを見つける事です。  その楽しみを子供に教えてあ げるのが先生方の役割です。  子供はどこで楽しみを見つけるか分かりません。  楽しみを見つけて、伝えてきた所を先生が掘り下げて更に楽しくさせてあげると、 後は子供が勝手に調べたりして学びを深めていきます。  大人が楽しいと思う所を子供に強要しない事です。  その子の個性を伸ばす事で、きらきら光り出します。   以前は、「勉強きらーい! 宿題きらーい!」って言って子が、今では分厚い辞書を机に積んで進んでお勉強をしています。   お勉強の好きな子は、その方面へ伸びる性質があり、今では先生になってくれていたりしますし、何かを作る事が好きだった子は、大きくなった今、西岡学校の周りに 点在する施設の建物を建ててくれています。   お料理の好きな子は、私の母親や妹に入って、料理を手伝ったりしてくれています。   なので、我が家の料理のメニューは、西岡学校で出されるメニューと同じだったりします。   あと、普段では出来ない学びを、夏休みの期間中にしてもらう事が大事だと考えます。   西岡学校の裏山で探検したり、湖の龍神様に乗せてもらって空を飛んだり、白菊じぃーじの神様と一緒に釣りをしながら、神様の世界の話を聴かせてもらったり、亀の背中に 乗って竜宮城を見学したりと、自由な時間が与えられているからこそ出来る経験です。  楽しい経験から得る学びは大きいです。   必ず後で、あれは何だったろうとか、興味を持って調べたり聞いたりします。   実体験を伴った理解は、経験によるイメージも伴うので、霊界という意識界では自分の器を大きく成長させる事が出来ます。   この世でも、同じですね。  「学問なき経験は、経験なき学問に勝る。」ということわざがあります。  これは、経験に勝るものはないという意味です。   学問は、知識を頭に詰め込んでいきますが、教科書から得た知識は断片的なもので、大きな視野で理解するには情報量が少ないです。   これに対して、実体験にともなう情報量は大量であり、五感を通して心の意識界にまで情報が入ってきますので、体と心との両面で吸収し統合していけます。   社会や仕事の中での経験から学び取り、専門的な知識がなくても成功させたりします。   逆に、基礎的な知識があっても、実際の仕事や、その時々に必要な対応が上手く出来ない事はよくある事です。   大事なのは、知識を身に着け、それを経験に活かして行く事で、単なる知識で終わらせずに知恵に昇華させて身に着ける事です。   そうした時に、身に着けた知識を本当の意味で活かせる人になります。  真理を実生活に活かし、役立てられる人になります。   これは、仏教でいう「般若の知恵」に通じる思想です。   あっ、ちょっと西岡学校の話しから堅い話になりましたね(^^;)  元に戻しましょう(^^ゞ
カエルが好きな子は、妹に入ってカエルを手掴みにして私のところに持って来て、「カエル君つかまえたー♪」って見せてくれますが、私が「あれ? カエル触れたっけ?」 って言うと、急に妹の意識に戻って、「キャー(゚Д゚;)!」ってなります(^^;)   この前は、庭に居る「トカゲ」を触りに行こうと手を出し掛けたので、「それ、トカゲやで!」って言うと、「うわ!、もうちょっとで触るとこやった!」って言ってました。   子供は、カエルやトカゲや昆虫など大好きなので、妹もその辺は心得ていて自分の意識でやり過ごしてます。   これも経験です(^_-)-☆   今年の夏休みは、どこに子供達を連れて行こうかな〜(^−^)