神霊による人生相談

ょっ言。

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-2014年9月27日-
今日は、イメージを飛ばす事で出来る「霊的お参り」と、お祈り時の心得のお話です。
霊的お参りとは、実際にお参りに出向く訳ではなく、お参りしたい場所に意識を飛ばして、直接、神仏様にお逢いさせて頂くという参拝方法です。   これには、普段より神仏様との交流が無ければ受け付けて貰えず、意識を飛ばす事が出来ても、御本尊様の周囲を取り巻く眷属様方に跳ね返されてしまうで、一般修行者の 皆さんは、先ずは実際のお参りに精を出し、神仏様達との縁を繋げていく事から始めましょうね。   お参りは、生きてる人間として、ちゃんと現地へ出かけて、その地で神仏様との指導を受けたり、光を頂いたり、境内の浄化をさせて頂いたり等して帰る方が良いんですが、 普段の仕事上、なかなか時間が無くてお参りに行けない時は、これ(霊的お参り)を朝夕のお勤めの時に、ちょくちょくします。   でも、霊界では、こういう事(想いによる瞬間移動)が普通なんですよね。  私も普通の事として使ってます。  ただの面倒くさがり、というだけかもしれまんが、霊力 は使わないと上達しませんからね(^^ゞ
実際に身体を使って神社仏閣へ赴くという、この世的なお参り(普通のお参り)は、参道から上がる最中にも影響を受けたりするので、前日か2〜3日前位に、 参道や境内の浄化を済ませておいてから、実際にお参りに出発します。   こうすると、悪さをしてくる霊から受ける身体的影響が殆ど無く、楽にお参りを済ませる事が出来ます。   身体に受ける悪影響から身を護るという意味での浄化になります。   これに対して、霊的お参りでは、一瞬で神仏様の前に飛ぶ事が出来るので、前もっての浄化は後回しになります。   大体は、神仏様達との色々な話が済んでから、帰り際(瞑想を解いて意識を戻す際)に神仏様よりの頼まれ事として、境内などの浄化をお願いされる事が多いので、 この世のお参りの前に行う「身を護るという意味での浄化」とは違い、「感謝とお礼の気持ちを込めての浄化」をさせて頂くという意味での浄化になります。   境内の浄化自体は同じでも、前者と後者とでは、やる意味や想いが違います。   想いの違いで、同じ事をするにしても、想いや価値の違いがこの世でも沢山ありますね。   参道脇に潜む悪霊から自分だけを護る為という意識から、境内へ続く参道を利用される全ての人に、霊的災いから免れる様にと想って浄化すると、また一つ意識レベルが 上がりますね。  自分が受ける良い影響は、他人や多くの人々にも良い影響を及ぼしますので、そういう意識を常日頃から持って実行していける様になれば、大きな力の 援助を受ける可能性が広がります。  自分一人が喜ぶ為の援助と、多くの人を喜ばせる援助では、神仏は、どちらに沢山の助けの力を必要と感じ、与えてくれるかです。   この見えない助けを借りて、人は大きな仕事を完成させる事も出来るんですね。   この基本意識を持って事に当たれば、境内の浄化も綺麗に済ませる事が出来ますし、境内の霊的レベルも上げていく事が容易になり、参拝する人達にとっても、神仏からの 恩恵の光を沢山受ける事が出来ますし、神仏様方の居心地としても良くなりますので、とても喜んで頂けます。   お参りは、お参りだけが目的ではないという事でもあります。  お参りを通して、色んな物事を見ていきながら対処していくという事が重要になってきます。   お参りして、神仏との縁を繋いで帰ってくるだけでは、不足なんですね。  なので、毎月の決め事の様にお参りをこなしていくというやり方は、信仰心を絶やさない様に 修行していくという段階では、とても大事な事ですが、信心が進むにつれ、今度は、お参りでの内容が問われるようになります。   その段階に入って来ると、お参りの意味を考える様になります。  そして、すすんで堂内でのお祈りや、お祈りをしながら短時間の瞑想に入ったり、心の調整を目的として いく事の大事さに気付き始めます。  そして、お参りすると実際に心身の調子が良くなるという感覚を覚えてきます。  それまでは、お参りしてきたという達成感と、 スッキリ感で、何となく身体も楽になったような気がして気分が良かったのが、段々と、自分の祈りやイメージでの浄化を試す内に、自分のやり方で自分を楽にしていけると いう事に気付き始め、それを実践し工夫しながら高めていく事で、自分の心の調整から浄化という流れが確立される様になってきます。   そうして行く内に、次は他人の事を想って、祈りや浄化を施していくという奉仕の精神(施しの愛、無償の愛)に高められていくんですね。   お参りは、神仏の前で手を合わせてお祈りしますが、その際、お願い事して帰ってくるだけではなく、ただ、お経を唱えて帰るだけではなく、どちらもお祈りする中で、 願いに対して自分がどうしていくべきか、どうしたいのか、それには、どう努力していくかを神仏に報告していく事が大事です。  「願いを上げる」という事をします。   そして、その報告したものを、短期・中期・長期と分けて、自分の目標として取り組んでいく事を心に留めて努力していく事です。  これで、神様は人間の目標と取組み を、しっかりと認識する事が出来、その努力と目標に沿って指導を与えたり、援助を与えてくれたりしながら、願いの達成に向かって進めて行く事が出来ます。   これは、祈りから瞑想に移していく事により、想いを超えた空の世界(霊界)へ入り込む事で、様々な分野での大きな力を享受されたり指導される様になります。   そして、気付きを積み重ねながら、自分にとって大事なモノを与えられます。  与えられるモノが、自分にとって大事なモノと気付けば、心の中に落とし込めますが、 それに気付かないと、大事なモノは、次にいつ訪れるか分かりません。   大事なモノを心に蓄え、良くないものは自身の心から排除し、自身の発展向上に役立てられるように、祈りから瞑想という心の中の世界で自分を知り、磨いていくという事を、 心の修行と認識し努力していきましょう。  瞑想の中には、願望成就の瞑想、運気を味方にする発展の瞑想、自分の心の垢を落とす浄化の瞑想、反省の瞑想、 霊力を引き上げる霊力アップの瞑想、気付きの瞑想等、自分の想いによって色んな方面の瞑想を実践していく事で、強い想いを持って力強く歩んで行けるようになります。   こういう瞑想を、日に数分から数十分ほど実践出来れば、心の気付きが増え、その分、心が強くなり、色んな悩みも自ずと解決の運びになっていくものです。   悟った人って、何事にも動じないでしょ。  悟って心が開けると、自信や智慧が湧いてくるんですよ。  それを自分の歩みに活かしていく事を習慣付けていきましょう。   越えられないと思った壁を越える事が出来ます!  何故かと言うと、「先に、心が困難と思うものを越えるから」です。  この心の意識を持てる事が、 全てにおいて大事です。  後は自信を持って実践で形にしていく事です。  お参りやお祈りでは、こういう意識の大事さを見つけていける様に心掛けていきましょう。   大事な心得ですからね(^_-)-☆
私は、忙しくなると瞑想してる時間が取れなくなるので、家の神棚でのお祈りの際に、どこどこの神社の神様に逢いたいな〜とか、○○寺の仏様に逢いたいな〜って思った時 に、その場所に意識を飛ばして逢いに行くという、霊的お参りをしてくるんですよ。   いつも急に行きますから、神様や仏様はビックリされますが、快く迎えてくださいます。   でも一応、境内に入った辺りから、ゆっくり本殿や本堂に入っていくので、唐突に神様や仏様の目の前に現れる訳ではないですよ。  それでも、仏様等はじっくりと瞑想中 であったりするので、「先生、来たのか!」っていう感じです。  神仏様は、瞑想中でも私の気が近くに集まってくるのを感じ取られているので、そろそろ来るな〜って 分かってるはずです。  初めて訪れた時は、仏様が黙ってじっとしているので、寝てるんかな? 仕事してへんのか? って思い ましたよ。  「起きとるわ! これ(瞑想)も仕事(人を救う)のうちじゃ!」って言われました。  瞑想は自分を知り、神仏の心を知る事が出来ます。   神仏の判断や知識を知る事が出来ます。  神仏と会話をするにも、いちいちお祈りしてると時間が勿体ないので、意識の切り替えで、霊界と繋がったパイプを開くだけで 出来ます。  相談事も、相手と話しながら、もう一つの意識は霊界に居ます。  だから、話の流れを出来るだけ止めないで、霊的なアドバイスが可能になります。   意識を霊界へ自由に飛ばせたら、霊的お参りも出来ますよ。  魂の分身を沢山操る事が出来たら、同時に色んな場所に居るという事も可能です。   一人は本堂で仏様と話しながら、もう一人は境内を散歩してる自分が居ます。  そういう事も可能になります。  その時は魂意識という霊的な存在なので、浮かびながら、 スーッと移動します。  ゆっくりした移動で念じれば、ゆったりした風の様に意識を変えて移動します。  なので、力の弱い魔から見たら、ただの風が移動しただけと 感じると思います。  ある程度の霊力が有る者は、風に含まれる霊気を読みますので、そういう相手には風としての移動は基本的にしません。   これも、霊界散歩で身を護る術の一つです。  瞬間移動、次元移動は念じ方がまた違います。   お寺の屋根に上りたければ、上にと思うだけで、またスーッと屋根の上に浮かんでます。  そして、屋根から見える風景は、実際の本堂から 眺めるこの世の風景ではなく、霊界に建つ本堂からの眺めになります。  なので、周囲の家々は無く、蓮の花が咲く大きな池があったり、芝生が広がっていたり、穏やかな 丘陵が遥か向こうまで広がってる風景であったりします。  修行者たちはどこ?って思うと、本堂から少し離れた所に出現します。   見たいものを見、行きたい所に行ける、何の隔たりも無い場であり空間です。  それが「空の世界」であるところの「霊界」という世界です。   テレビでお寺の仏様を見ると、仏様の意識が飛んでくる事もあります。  「先生、久しぶりやな〜 また時間がある時で良いから、お参りに来てくれや〜 ではの〜 (@^^)/~~~」って言うと、仏様の意識がスーッと消え、テレビの映像も違う場面に切り替わります。   そんな時は、こちらもイメージを飛ばすと、「あれ!もう来てくれたんか!」って仏様が本堂の中で迎えてくれます。   「今度、ちゃんと時間を取って伺いますね!」と挨拶だけして、テレビの前の自分に戻ります。  これも、霊的お参りというか、挨拶の顔出しという感じですかね(^^ゞ   この様に、心が霊界と繋がっていると、今書いているこの文章も、霊界を通じて「ちょっと一言」担当の神様と、やり取りしながら書いてるので、書きながら 何処かの神社やお寺の神様や仏様との話しを書きたければ、意識を飛ばせば会話出来るという事になります。   今、この時間(深夜です)、京都の「三十三間堂」の千手観音様達は全体瞑想の最中だそうです。  お寺の拝観時間が終わった後は、その日の内容を自分達なりに思い起こし、 指導の不足の反省や、今後の指導方法などを、皆で寄って話し合われてるそうです。  という話を、中央に鎮座されている、一番大きな御本尊である千手観音様が 仰いました。   なので、お客さん達が帰られた後の本堂内は、シーンと静まり返っている中でも、話し合いの熱気が感じられると思います。  中央の観音様は、それらを見守ってるという 感じです。  こういう事が、実際のお参りでは出来ない、霊的お参りをしていく中で、色々と分かってくるんですね。   実際のお参りでは、神仏様の気がお参りしに来る人間に向いてるので、長い時間の話は難しいですからね。  お参りは回数を重ねる毎に、何かしら気付き(指導)や、癒し を与えられます。  お家に神棚があれば、その前に座って、意識を集中させて、神仏様と対話しているイメージを持っていると、段々と神棚に祀られている神仏との 繋がりが太くなってきて、イメージの中での会話をする事が出来る様になるかもしれませんよ。  神棚があって良かったな〜って感じる時でもあります。   今回は、また長くなってしまいました(^^ゞ  いつも長文を読んで頂き、ありがとうございますm(__)m


-2014年9月8日-
今日は、想いの力(イメージの力)の活用についてのお話です。
想いの力であるイメージの力は、活用次第で様々な有効手段に使えます。   この世的には、イメージを強く持ち続ける事により、精神(心)を鍛えたり、願望を叶える自力の基になったり、他力の援助を引き込む要素にもなったりします。   そうして、イメージを現実的に近づけていく努力をしながら進んで行く事が、望みに近づいて行く事であり、最終的に願望も叶うという事が起きてきます。   自分の抱いたイメージ願望どおりになっている未来の自分をリアルに想い続け、そうなる為には、どう行動すれば良いかを常に考え、今出来る事を見つけ出して実行 していきます。   これには、普段の生活の中で、お祈りの習慣を持つ事が出来れば尚良いです。  祈りはイメージを具体的に連想していくのに集中出来ますし、具体的にどう動いていけば 良いかを考えていく中で、インスピレーション(守護霊から降ろされる気付きや指導)を受け易いです。   お祈りの中で、願望達成のイメージ力を増幅させながら自分の心に言い聞かせていく事によって、自分の潜在意識の中にインプットしていく事が出来ます。   潜在意識の先は、霊的世界へと通じ、自分の守護霊にも通じていますので、自分の守護霊に、やりたい事を告げているのと同じ事になります。   そうすると守護霊は、何とか自分の守護する人間の願望を叶えてあげようと、色々と援助してくれるように周囲にも働き始めます。   それで段々と運が開けて来たり、資材や金銭を援助してくれる人や、力を貸してくれる人が現れたりして、願望であったものが現実的に叶うという運びになってくるんですね。   守護霊の手には負えないような事は、お祈りの中でイメージしている人間に、神仏への信仰心(神棚を祀ったり、お参りしたりしている等)があれば、もっと上の霊格を持つ 神様に、守護霊からお願いしてくれたりします。  なので、信仰心のある人は、神仏にもお願いすと良いです。   こうして、イメージだけでは少々無理なお願いでも、相応の時間は掛かりま すが、神仏の助けも入れば、その願いが正しい祈りの内容(皆の幸せが含まれる)であれば叶うという運びになります。   それから、願望と言っても「出来たら良いな〜」は、既に諦めの感情がまじっているので、気持ちが長続きせず、結果的に願望だけで終わる場合が多いです。   ああして、こうしてと想いは出るものの、さて実行するとなると、やっぱり無理だよな〜、という想いになったりして、 本当に自分はそれをしたいのかというと、別にそこまでは思えないとか、やる前から諦めていたりという事も多いので、願望達成には程遠いという結果になりやすいです。   想いの力は、マイナスを想えば、マイナスの方向へ動こうとしていきます。  悪い事を想えば心が悪くなり行動も悪くなっていき、結果も悪いものとなります。   良い事を想えば、心は良くなり、素直に良い行動が出来る人になります。  想いは、自分を良い方向へも、悪い方向へも導く事が出来るので、心の調整が大事であるという 事の意味も分かって頂けると思います。   想いの力であるイメージの力は、深く念じて潜在意識(心)に言い聞かせれば、自分に力を与える事も出来るんです。   なので「出来たら良いな〜」から、「出来る」というイメージに置き換えていく事が近道です。   「出来る」と思えば、出来るのはどうすれば良いかという事が次に頭に浮かびます。   それで、今出来る範囲での策を考えて行動に移し、段々と目標に近づいていきます。  そして、期間を設けて、半年毎に目標を設け、細かい達成感を身に 付けながら大成に向かっていくという具合に進めて行きましょう。   この時のイメージ力は、より現実的な具体性を持ったイメージを伴ったものになっているはずです。  そうして、日々の努力を重ねて、小さな達成を繰り返しながら、 希望を持って進んで行けば、見えない大きな力や他人の助けにも支えられて、必ず願望に近づいて行く事が出来、願望が達成されていくという結果を得る事が出来 るでしょう。   あと、一生懸命イメージを持っているのに結果が出ないとか、お祈りでイメージを潜在意識に落とし込んでいるのに良くならないとかありますが、イメージを潜在意識に 落とし込んで、更にパワーアップされたイメージにしても、お祈りの時間以外の日常を、どうせ出来ないだろうなとか、環境が悪いから無理だとか、誰も手伝ってくれないし 出来ないな〜とか、消極的、マイナス的なイメージで過ごしていれば、潜在意識に落とし込んだプラスイメージも、マイナスのイメージを考えてる時間の方が多く、プラス イメージが打ち消されて萎んでしまいます。   これは、心の修行にも同じ事が言えます。  お祈りの短時間だけ良い想いで居ても、その他の多くの時間をマイナスのイメージで過ごせば、差し引きマイナスの一日で 過ごしたという事になります。   私の提唱する心の修行は、自分で定めた時間での心の修行は、普段の生活の中に活かされてこそ、本来の意味を持つというものです。   素晴らしい教えを学んできても、自分自身に活かせてなければ、ただ知ってるだけの自己満足で終わってしまいます。   普段の修行で正しい心の状態を維持向上させ、様々な諸問題を乗り越えていける様に判断出来る豊富な真理知識と、実際に乗り越えていく強い心と、その中に深い愛を持てる 様な人間になっていける事を目標とする事です。  本当の意味で、心の強い人は、優しく温かい愛の心を持っています。   決められ、与えられた枠内での修行は、そういう心構えで居られますが、その時間が終わった後の、修行という心構えを解いた時の、普段の生活の中での心の持ち様が 大事であるという事です。   これが出来ないと、良いイメージを持って強く強く祈っても、その後の生活の中では心が弱かったり、諦めの感情が出てしまって悩んでる時間が多くなると、やっぱり トータル時間でのマイナスイメージが多くて、潜在意識にはマイナスの感情の方が多くインプットされてしまいます。   「想う」という事は、色んな場面も思い浮かべられるという具体的イメージ力を伴った「思いの発展型」です。   なので、思っただけよりは、想うという方がより現実的にイメージも湧いて来るので、実行しやすいという事になり、実現しやすいという事になります。   想った事は実現するという霊界の法則に従い、この世でも、イメージ後の努力と時間は必要ですが、絶やさずに持ち続け努力していれば実現可能であるという事が言えます。   あとは、自分の抱いた願望のイメージを、いつまでも絶やす事無く持ち続けながら、その願望、夢に向かって力を尽くしていく事です。   材料、資金、時間、これらが集まっても、肝心な自分に、その物を作る意思が無ければ、いつまで経っても作りたい物は形を成しません。   案外、必要な物は揃っているのに、なかなか形にならないという願望は、自分がつくり上げるという意思が足りないのかも知れません。   なので、イメージを強く想い、現実にそうなって行っている時、自分にも強い意識(意思→意志に変えていく)を持って、こうなったら自分はこうするという様に、 他人に任す事は任せても、あまり他人に頼り過ぎず、努力を惜しまない様にしましょう。   今の苦しみは、成功への近道です。  自分を鍛え成長させ、成功した時には自信となり、更なる飛躍に繋げていく事が出来ます。   苦しまない努力は、遠回りと思いましょう。   楽は求めずとも、努力に中に、勝手にやって来ます。  それが、一休み(心の癒し)です。  頑張りましょう(^−^)v